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魔王のおしごと

詐欺師の女と、彼女を悪魔に誘う魔王の物語
 穏やかな午後のレストランのテーブルで、女は突っ伏していた。
 淑女的な印象を思わせる顔立ちと長い金髪、落ち着いた服。それを台無しにするまるでこの世を呪わんばかりのうめくようなため息。
 そしてそれの視線が向けられてるのは女の向かいに座った、美しい赤髪にその小さな体よりも大きめに見えるエスニック調のワンピースに身を包んだ5歳ほどの少女。もう少し小さければ、アイヌの精霊かコロポックルに見えたかもしれない。
「いったい、なんなのですの...」
 化ける粧いと書いて化粧とはよく言ったもので、淑女にはかけ離れたうめくような女のぼやきは、恐らく素のものであるだろう。
「いや、なに。おぬしに大事な用があっての」
 少女は年齢を思わせない落ち着いた様子で、、風格すら漂わせるように女に切り出す。
「はぁ...?」
 女は少女の歳不相応な雰囲気に顔をしかめる。相手が何者であろうが、この少女が自分にとってろくな物ではないと女は思っていた。
 しかし女は知らない。目の前の少女が“何者”であってもと考えても、人間ですら無いとは思いもしない。
「回りくどいのは嫌いじゃ、単刀直入に言おう」
 どんな内容であれ女は聞く耳など持たなかったが、次の言葉はあらゆる意味で耳を疑うことになった。
「おぬし、悪魔にならぬか?」
 少女の仕事は――魔王。
 
 ─魔王のおしごと
 
 ワタクシの名前は麗香・撫子(ウラカ・ナデシコ)。仕事は詐欺師。
 自分で言うのもなんですけれど、ケチな詐欺師ですわ。といっても、詐欺師なんて仕事と呼べるものではないでしょうし、ピンもキリもありませんわね。
「おかしいですわね...」
 ここ数日...、いいえ、数ヶ月に渡る“何らかの記憶”が抜けてるように思える...。それも数日前は特に躊躇に。
 しかし思い出そうとしてもどういった記憶かもわからない。まるで夢を見ていたかのようにつかみ所がない...。
「ポケベルにも応答無し...」
 そしてなによりも、ワタクシが世話に...じゃないですわね。贔屓にしてた事務所と連絡が取れない。何か大きな仕事があったようななかったような...。
「パクられましたかしら」
 警察のガサ入れにでも合ったとしたら様子を見に行くのは危険ですわね...。あの事務所にワタクシに関わるような物は残していなかった...はず...。
「ま、連中のことは忘れると致しましょう」
 クズ同士の関わりに互いに情なんてありませんわ。案外、思い出せない記憶もその程度のものかしら。
「そろそろ待ち合わせの時間から20分ですわね」
 思い出せない記憶も事務所の連中も頭から放り出して仕事モードに切り替える。
 今日はバーで張ってた小金持ちのお坊っちゃんとようやくこぎ着けたデートの日。向こうから話しかけてくるように二月掛けて“運命の出会い”を演出したのですから、なんとしてもモノにしなくては...。 
 ショーウインドウに映る自分の姿を軽く確認しておく。化粧に抜かりなし、服も安物に手を加えて高級感を出した程度のものだけど、“深窓の令嬢”に違和感は無し。
 服もアクセも安物でも素材(ワタクシ)が上等なのですから、当然ですわね。名は体を表すとはよく言ったモノですわ。もっともコレで詐欺師なのだから、体まで表しても中までは伴わないようですけど。
「こんにちは康志(ヤスシ)様、お待たせ致しましたかしら」
 チェーン店のレストランに入り、目当ての男を奥の目立たない席に見つける。
「あ! こんにちは夏見川(ナツミガワ)さん」
 相手は所詮世間知らずのお坊っちゃん、文字通りの小細工で十分。本物のセレブが相手では、看破されてしまうでしょうけど。ワタクシも所詮ケチな詐欺師ですわね。
「ごめんなさい。庶民の店は詳しく無くて迷ってしまいましたわ」
「あははは。チェーン店なんかで待ち合わせにしてしまってすいません」
「いいえ。そうお願いしたのはワタクシですもの。ステキなお店ですわね」
 宮本武蔵もかくや、遅刻してきたが決して悪びれた様子は見せないよう謝罪する。ワタクシの方が立場が上、そういうパワーバランスを作らなければ。
「いらっしゃいませー、ご注文はお決まりでしょうかー?」
「一番美味しい紅茶を頂けますかしら」
「あー...えっと...」
 やってきた店員に無茶な注文をすると困った顔をする。ごめんなさいね、ワタクシも世間知らずの設定ですの。
「あーすいません。ロイヤルミルクティーを一つで」
「かしこまりましたー」
 ワタクシが訪ねる前にフォローをするなんて良い心がけですわね。今のうちからこうやってワタクシのために働かせるよう仕向けていきましょう。
「ところで康志様。できれば下の名前で呼んで頂けないかしら。上の名前で呼ばれるのは好きではないですの」
「あ、はい。澄香さん!」
 下の名前を許可すると嬉しそうに偽名を呼ぶ。家の話題を出されないよう、コンプレックスがあるよう振る舞っておく。
 とまぁ、ここまでは大体いつもの手口。この様子なら持ち株を手放すまで苦労はなさそうですわね。
「こうしてると、まるでお城を抜け出したお姫様の気分ですわね」
「あははは、例えになってないかもしれませんよ。――ん?」
「あら?」
 あとはこうやって他愛のない会話を続けて...。と、ここでアクシデント。妙な格好をした金髪のガ...女の子がワタクシの袖をひっぱっていた。迷子かなにかかしら? まぁ子供好きをアピールしておくのも悪くないと笑顔で対応しようとするも、その思惑はそれどころではなくなる。
「どうし――」
「ママー! お腹空いたー!」
 なんですって!?
「え?」
「あ...あらあら、お母様をお間違えかしら...?」
 たしかに年齢もサバ読んで薄化粧でごまかしているとこもあるけどまだこの歳の子供がいるような年齢じゃ...でもないですわね...。っていませんわよ!
「ママー、このおじちゃんだーれー?」
「な!? 何を言っているのかしら。ワタクシはアナタのママではなくて...」
 ちょ、なんですのこのガキ! 追い払おうにもこの人の手前下手に扱えな...あぁ、すでにワタクシを見る目が!
「どうしたのママー?」
「すいません。俺、用事思い出したんで失礼しますね...」
「え? あ、ちょ! 違っ!」
 違う違う違う...令嬢的な焦り方は...引き留め方は...って考えてるうちにもういない!?
「あぁぁ...あぁぁぁぁ...」
 ワタクシの二ヶ月が...バーでの注文費が...男の保有株が...依頼人の注文が...ワケのわからないガキのせいで...。
 全部、台無し...ですわ...。
「いったい、なんなのですの...」
 子持ちと思われたなんて修復は絶望的...。向かいの席に座ったガキに怒る気力も出ない...。染めた金髪までが一致するなんて...ワタクシが一体なにをやったって言うんですの...。なにをやったっていうか詐欺師だけど。
「いや、なに。おぬしに大事な用があっての」
「はぁ?」
 ガキの態度が変わり思わず凝視する。あれ? 赤い髪...?
「回りくどいのは嫌いじゃ、単刀直入に言おう」
 なんだっていうんですの? 人の仕事を邪魔して努力を棒に振ってくれたあげくその態度で何を言われようが...
「おぬし、悪魔にならぬか?」
 .........。
「悪魔ぁ?」
 一瞬思考が停止して思わず聞き直してしまった。
「うむ。といってもおぬしの行いはすでに人間としての悪魔みたいなものじゃが、そういう意味ではない」
 何を言い出すかと思えば、訳の分からないことを...。
「アナタ、ワタクシの仕事のことを知っているようだけど、どこの子かしら」
 仕事の邪魔をしたり、人を悪魔呼ばわりしたり、記憶にはないけど過去に騙した誰かの子供かしら。
「ふむ。たしかにワシの事を先に知って貰う方が話も早いのう」
 そして相も変わらず耳を疑う自己紹介を始める。
「ワシは魔王。ここら一体の悪魔達の主じゃ。名前も無くはないがもう長いこと使っておらん故な。気軽に「マオ」とでも呼んでくれればよいぞ」
「......」
 はぁ?
「信じられんと言った顔をしておるの。まぁ子供の戯言を信じるような心の澄んだ人間ならばそもそも勧誘なぞせんが」
「アナタぐらいの子供のままごとは、もう少しまともなものだと思いますわね」
 そんなつまらないままごとに付き合わすためにワタクシの仕事を邪魔してくれたんですの?
「論より証拠。百聞は一見にしかず。少し怖い目に遭って貰うとしよう」
「なにを言って...」
 付き合ってられないと席を立った瞬間、不穏な言葉と共にニヤリと笑い...
「!?」
 ガキの――マオの――“魔王”の目を見た瞬間、まさしく深遠をのぞき込んだようにその瞳に意識が吸い込まれる。
 言い知れぬ恐怖が肉体を覆う――
 名状しがたい恐怖が精神を蝕む――
 計り知れぬ恐怖が心を喰らう――
 逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。――逃げられない。
 早く。早く。早く。早く。――手遅れ。
 抗え。抗え。抗え。抗え。――無理だ。
 深層心理が警笛を鳴らし、意識がそれを無駄だと否定する。
 繰り返し繰り返し――恐怖と絶望が交互に悲鳴を上げて飲み込まれる。
「お客様...?」
「あっ...」
 何者かの―店員に声を掛けられて我に返る。
 そこは何事もない穏やかなレストランで、ワタクシは立ちすくんでいた。
「どうかされましたか?」
「ただの...立ちくらみですわ」
「そう、ですか。こちらロイヤルミルクティーです。ごゆっくりどうぞ」
「ワシにもレイコーを」
「? かしこまりました」
 注文を置くと店員はワタクシの反応と少女の歳不相応の注文に不思議そうにしながら厨房へ戻っていく。
 ワタクシはというと。ここが何事もない現実であることを再確認して尻餅をつくように椅子に座り込む。座ってから足のつま先から頭のてっぺんまでガクガク震えが始まり、なんとも情けない姿だと思う以上に体に異常がない事に安穏すら感じる。
「さて、“魔王の恐怖体験”は説得力には十分じゃったかの?」
「な...なんだっていうんですの...」
 夢でも見ていたと思いたい恐怖の残滓を振り払い、正面の子供と目を合わせないようその姿を確認する...。そのニヤついた笑みは紛れもなく、“魔王”のそれだった。
「なーに安心せい、何も取って食おうと言うわけではない。現代社会のグルメに比べれば、魂なんぞ特別美味いものでもないしのう」
「詐欺師のワタクシは、悪魔として見所があるというわけですわね...」
 ワタクシを襲いに来たのでないのなら、その目的は最初に話した“悪魔”への勧誘ということ。悪魔がどういうものかはわかりはしませんけど、危害を加えるのが目的でないのに少し安心する...。
「いんや、そういう訳でもないの。むしろ悪魔は正直者でないと困る」
「はぁ?」
 悪魔の勧誘なのに正直者でないと困る? それこそなんで詐欺師のワタクシを勧誘するのですの?
「ヌシら人間のイメージからすれば疑問はもっともじゃ、まずはワシら悪魔や死神、死後の世界について少し説明するとしよう」
 震えの落ち着いてきたワタクシは、さっきまでの恐怖心が嘘のようにマオのヤツと目を見てその話を聞いた。あるいは、マオのヤツが不要になったワタクシの恐怖心を奪い去ったのかもしれない...。
 


「とまぁ、そういうわけじゃ」
「ふむ...」
 なかなか興味深い話だった。普通なら与太話だけれど魔王が話すのだから信じる余地は十分にありますわね。
 人間が死ぬときには事故死なら死神が、寿命なら天使が憑いて魂を回収し、悪魔はそれらの死にそうな人間に契約を持ちかけて魂を集めるのだという。
「それのどこが“悪魔”ですの?」
「ほう?」
 魂を代金に願いを叶える、一見悪魔らしい契約のように思えるけど、全ての人間の魂が何かしらの力に守られていないなら遠回しすぎる。
「天使だの死神だのの目をかいくぐる術があるのでしたら、何も契約しなくても魂を奪えるんじゃないんですの?」
 それこそ死神天使が魂を無理矢理冥界へ送り飛ばすように、無理矢理奪えそうな物に思えますわ。
「事実、昔はそういう悪魔が多かったようじゃな」
「むかしは?」
「天網恢々疎にして漏らさず。大昔の魔王―悪魔達は悪さが過ぎて他の神々に淘汰されたらしくての」
「もっともな話ですわね」
「でまぁ、人間を幸せにするなら。それこそ本人が納得して魂を渡すなら見逃してくれるだろうと、今の形に落ち着いた訳じゃ」
「お目こぼしというわけですわね...」
 悪魔になると決めたわけではないけれど、ホントに悪魔になっても大丈夫なのかしら...。
「そして最初の話に戻る訳じゃな。人間を騙して魂を集めていては正規の神々に目を付けられる故、悪魔は正直者でないと困る」
「尚更ワタクシを勧誘する理由が見えてこないですわよ?」
 話に集中していたために、すっかり冷めた紅茶を口にしながら疑問点が初めに戻る。
「いやそれがの...。ワシの好みもあってできる限り善人を悪魔にしてきたのじゃが」
「善人ばかりの悪魔を従える魔王ってのもなんだかイメージじゃないですわね...」
 よもや善人に最初のアレをやってると思えませんわね...ワタクシがクズだから遠慮無しだったんですの?
「つい先日、お気に入りの部下がよい子すぎて悪魔をやめる事になってしまっての...。いや、厳密には人間に戻ったというか...」
「お気に入りて...」
 マオが頭を抱えながら「なんであの儀式教えてしまったのか...」と後悔している。何があったのやら...。
「そこで、やはりよい子すぎてはいかんと。利己的であるほうが理想的じゃなと。いやはや、「性格のイイヤツに魂の回収は勤まらない」とは、ヤツの言うことももっともじゃな」
 マオのつぶやきが誰を指してのことかはわかりませんけど、話を聞くに死神や天使の方が性格悪そうではありますわね。
「ワタクシを勧誘する理由はわかりましたけど、悪魔になることでワタクシにメリットはございますの?」
 最初の恐怖心の植え付けといい、拒否権がないみたいじゃないですの。
「おぉ、それじゃそれ」
 忘れていたのかそこが本題なのか、マオはアイスコーヒーの残りを一気に飲み込むと袖の中から千円札を一枚取り出して投げ出す。
「飲み物だけでレストランに居座っては居心地が悪い。人目も気になる故、続きはヌシの家でやるとしよう」
「え?」
 ワタクシが承諾する間もなく、マオとワタクシは何かしらの力に飲み込まれていった...。
 


「え? え? え?」
 気がついたらワタクシは安アパートの自分の部屋のベッドに座っていて、正面にはマオの姿があった。どうやら魔王の力で飛ばされてきたらしい、ワタクシの部屋まで把握してるなんてどこまで調べられてるのやら...。
「さて、メリットより先にオヌシが悪魔になるのを断った場合のデメリットを教えておこう」
「え、えぇ...」
 現状を把握するのにいっぱいいっぱいのワタクシを気にせず続ける。
 マオは冷たい顔で、ワタクシを指さしてこういった。
「ナデシコ、オヌシ」
 ...。
「地獄に堕ちるぞ」
「――え?」
 ジ ゴ ク ニ オ チ ル ゾ ?
「まさかワシら魔王や悪魔、死後の世界の存在を知って、地獄の存在を否定はするまい?」
「そりゃ...そうですけれど...いや、でも...」
「ナデシコ。自分がやってきたことの罪深さはわかっておるな? オヌシの地獄行きは間違いないじゃろう」
「わ...わか......」
 たしかにワタクシは...、沢山の人を騙して...、奪って...、悲しませて......。
 だけれど......!
「わかりませんわ!」
「ふむ?」
 そんな決まり、受け入れられない。
「たしかにワタクシは悪人ですけれど、どうして現世での行いを! 何も関係もない死後の世界の連中に裁かれなくてはなりませんの!」
 死後の世界。そんなものの存在なんて考えて生きていませんわ!
「死後の世界のルールなんて、信じている人間がどれだけいると言うんですの!」
「たしかに『悪いことをすれば地獄に堕ちる』あるいはそれに類するルールは人間達にとって一般的でも、意識の根底に浸透してるとは言い難いの。もっとも、信心深い昔の方が善人が多かったとも思えんが」
「そうでしょう! 死後の世界の存在が明確でないのなら! それこそ人の死に運命が関わるのなら、現世での悪事を死後の世界でまで責任を負われる筋合いはありませんわ!」
「言われてみればもっともじゃな。仏教なんぞにも善人も悪人も死んだらみんな同じホトケという教えもあったようななかったような気もするしのう」
「そうでしょうとも!」
 マオのヤツがさっきまでの冷徹な雰囲気もどこへやらとワタクシの言葉を納得している。ふふん、みなさい、だてに口の巧さで食べていなくってよ!
「ちょっと! 魔王が詐欺師に言いくるめられてんじゃないわよ!」
「え?」
 心の底で勝ち誇ってるとワタクシの横の空間から黒づくめの女が現れ――アレ、この女どこかで見た...ような...?
「おぉ百の字、追いついたか」
「あーもうやっぱりバレてた! 気付いてたんなら置いてくんじゃないわよ!」
「いやワシとしてもいつ止めに出てくるかと、ワクワクしてたものでな」
「ワクワクしてんじゃないわよ!」
 マオと言い争ってるでかい鎌を抱えた...死神...。
「あぁぁぁぁぁぁ!」
「「ん?」」
 そう、死神ですわ!!
「アナタ、思い出し...イヤ! 違う! 思い出したけど思い出したくない! 思い出したくな...あぁぁぁぁ!!」
 あの事務所であの死神に世界の格闘技体験会みたいな目に...ダメだ! 思い出すなワタクシ! 忘れるのよワタクシ!
「百の字、オヌシ一体アヤツにどんな恐ろしい目に遭わせたんじゃ。物理的に」
「魔王、アンタだってさっきアイツに恐ろしい目に遭わせてたじゃん。心理的に」
 コイツラ人のことをなんだと!
「とりあえずやかましいからその記憶だけ再封印しとくかの」
「――あっ」
 ガクガクと頭を振りながら雄叫びを上げるワタクシにマオが手をかざすと、事務所での出来事がまるでなかった事のように頭から消えて―。え、なにコレ便利。じゃない。
「こ、この死神! あの時はよくもやってくれましたわね! 今忘れましたけど!!」
 そして立ち上がってまずは猛抗議。こっちには魔王がついてますのよ! 死神なんて(たぶん)怖くありませんわ! 味方とも言い切れませんけど!
「威勢いいとこ悪いけど。頭で恐怖を忘れてもカラダはしっかり覚えてるわよ?」
「ひっ!?」
 死神の一にらみで、条件反射のように体がガクガクと震えだして自分の体を抱きながら崩れ落ちる。
「いやー、あの姿は滑稽だったわねー。涙だの鼻水だのなんだだので色んなとこビショビショしながら許しを乞...」
「やめてぇぇ、忘れさせてぇぇぇ!!」
 そして精神面への追い打ちも欠かさない。なんという外道でしょう。
「まったく、これじゃから死神というのはワシら悪魔より性質が悪い...」
 あぁ、やっぱり。
「すいません。ごめんなさい、申し訳ありません。ケチな詐欺師が調子乗ってました」
「ふん」
 怖い目にあったり思い出させられたり、もう散々ですわ...。
「悪人とはいえあんまり人間をいじめるもんではないぞ。コレで処罰せんのじゃからあのエンマも百の字には甘いのう」
「元はといえばアンタの部下につきあってあげたんでしょ。それがあのバカあんな事まで...」
「そして人のせいにしよる。たしかに件の騒ぎは部下のせいとはいえ、その後の顛末はオヌシが騙したせいもあるじゃろ」
「うっさいわね。アイツどころか人が憑いてる相手に勧誘かけて死後の世界についてベラベラ喋るアンタも大概なんですけど!?」
「カッカッカッカ! それに関しては偶然じゃ、ワシが目を付けた相手に憑いてたオヌシも運がなかったのう」
「完全に面白がってんでしょうが!!」
 なんですの? 悪魔と死神って死後の世界のルール的には相容れないものじゃないんですの? なんで仲良く談笑してるんですの? 死神のほうがマオに振り回されてるだけにも見えますけど...。
 ――って、“憑いてた”?
「今その死神、ワタクシに憑いてたって...」
「うむ。近々死ぬからの」
「はぁ!?」
「じゃから勧誘を持ちかけておるのじゃろう」
 いやそんな都合知らないし聞いてないし。
「そんな重要なことは先に話すべきじゃないんですの!?」
「じゃからもうすぐ死んで地獄に堕ちるからと...あぁ、そういえば百の字に気を取られて話しておらんかったか」
「え!? やっぱり!? ワタクシ死ぬんですの!?」
 魔王だの死後の世界だのより今日一番のショッキングなんですけど!?
「詐欺師なんぞやってればロクな死に方せんのは覚悟しとるじゃろう」
 因果応報。あるいは天罰。そりゃ恨まれるようなことは沢山してきましたけれど、マオの口ぶりから察するにもしかしてワタクシ殺されるんですの? そうならないようできるだけ気の弱いのを狙ったり、依頼人に恨みが向くよう目立たないようにやってたケチな詐欺師ですのに...。
「とまぁ、そう言うわけじゃから地獄に堕ちるのがイヤなら悪魔になるがよい」
「ちょ、ちょっとお待ちなさいな! 地獄に堕ちない事と悪魔になる事の因果関係がわかりませんわ!」
 悪魔になるほうが地獄に堕ちるよりマシだとしても、悪魔なんてなったらそれこそ地獄に連れて行かれそうじゃないですの。そうでなくても死んでからも働くなんて冗談じゃない。
「悪魔は存外に快適...とは言わんが、悪魔になって十分に働いたらワシの手で転生するなり、コネで天国へ入れてやろう。その筋には顔が利くでの」
「ちょっと魔王と天の神様ズブズブではありませんこと!?」
 悪魔の行いって死後の世界のルールに反するんじゃないですの!?
「アタシに言われてもてねー...」
 死神がワタクシの問いつめに目をそらす。人間と神々どっちがどっちに似たのか、向こうのルールもだいぶ胡散臭いですわね...。
「それに死後の世界のルールに反するとはいえ、今の悪魔の行いは人間を幸福にすることじゃ。確信犯とて善行には違いないのじゃから天国へ行くことも...」
「それですわ!!」
「む?」
「お?」
 どうしてすぐ気付かなかったかしら、悪いことをすれば地獄へ堕ちる。ならばその逆も然り!
「今からでも善行を積めば悪魔になんかならなくても、天国へ行けるじゃありませんの!」
「ま、まぁの」
「アンタの場合罪の清算が先の気がするけどねぇ...。まぁアタシや魔王のせいですでに相応の痛い目は見てるけど」
「堀の中では善行は積めませんわ! 善は急げですわよ!」
 事故死が迫っているなら時間は無駄にできませんわ、ワタクシはマオと死神をほっといて善行を行いに外へ向かった。
「やれやれ、大した悪あがきじゃ」
「アイツ善行の難しさわかってるのかしら」
 
 
 
「......で、善行って具体的に何をすればいいんですの?」
「前途多難じゃな...」
 外に出れば何か世のため人のためな事ができそうな気もしたけれど、町の中を軽く散策したところで特にそれっぽいものが見あたらないことに気がつく。とりあえず例の二人も後を付いてきていたので何かヒントはないかと訪ねてみる。
「火星人でも攻めて来るのを願うことね、撃退すれば天国くらいはいけるでしょ」
「火星人まで実在したんですの!?」
「いやジョークだから。詐欺師がそこを本気にしてんじゃないわよ...アンタ意外と天然ね」
「ワタクシは真面目な話をしてますのよ!」
 死神が言うと非現実がどこまで冗談かわからないじゃないですの!
「火星人撃退はまぁともかくとして。助言をくれてやるのはやぶさかではないが...」
「あら、教えてくださるのね」
 悪魔に勧誘するためにむしろ邪魔するぐらいかと思ったけれど、良い心がけではありませんこと。
「教えたところでオヌシにできるとは到底思えんからの」
「見くびるんじゃありませんわよ! ワタクシの僅かばかりの良心の底力見せてあげますわ」
「やれやれ」
 ワタクシの啖呵にマオと死神が顔を合わせて呆れている。ナメんじゃないですわよ、詐欺師とはいえワタクシにだって良心の呵責とかそんなのはちゃんとあったのだから!
「天国行きの善行となると、ナデシコがキリスト教徒ならば話が早いのじゃが」
「ま、見た感じ信仰に関しては典型的な日本人よね」
「...どういうことですの?」
 なんでここで信仰の話になるのか。
「死後の世界やルールは現世の国や宗教感で違うのだけど、共通してるルールに『魂は信じる神の元へ送ってやる』て七面倒くさい決まりがあんのよ」
「多くはその者が信ずる神の使いが魂の回収を行うのじゃが、宗教感の特殊な日本人はとりあえず日本の神の使いが担当しておるの」
「向こうのお出迎えは派手よねぇ。神によっちゃ「自力で昇天ってこい」なんてのもいるけど」
 あぁ...思えばエンマとか転生とか日本の宗教感でしたわね...。他所の国には他所の死後の世界がありましたのね。
「オヌシがキリスト教徒であれば死後の世界は向こうの神のルールに準ずる事になる。もっとも免罪符は買えぬじゃろうがな」
「悪事働いても地獄系に送らない神もいるけどねー」
「かえって胡散臭いですわね...」
 そんなうまい話、詐欺師からしてみれば絶対裏があるとしか思えない。
「まぁ力の弱い神を信仰したばかりに死後に持て余されて他の神々に泣きつくなんてよくある話よね」
 そういう意味では自動的な感じの日本人は恵まれているのかしら?
「日本の神や仏となると裁定が少々複雑故に、エンマ“共”の判定に一任されておるが...」
 魔王が複数いるみたいには聞こえてましたけど、閻魔も複数いるんですの...? そりゃ一人でカバーなんてできないでしょうけども。
「最近は面倒くさいから周りに倣えみたいな風潮あるし。同じと思っていいんじゃないの。少なくともウチの上司はそういうとこあるし」
 そんな大事なこと面倒くさいとかで決めないで下さる?
「それもそうじゃの。となるとアレじゃな」
「アレね」
「アレ?」
 結論の出たらしいマオと死神が顔を見合わせ、口を揃える。
「「自己犠牲」」
 


「命救って代わりに死ね」
 有り体に言うとそんな感じではあるけれど、身も蓋もない言い方をされましたわ。
「命ならばイヌネコ畜生でも良いが、昆虫とかではエンマも向こうの神もちょっと対応に困るやもしれんのう。まぁ人間を助けるのが無難か」
「畜生て...無難て...」
 自己犠牲ってもっとなんか、美しい感じのものではありませんの...?
「ま、クモの糸じゃ縋るには心許ないわね」
「ワタクシはカンダタ程の極悪人ではありませんわ...」
 あの作品でクモが殺せなくなった人間は多そうですわよね。もともと益虫ですけど。ワタクシはというと気にせず潰している。
「自己犠牲できるような事故・事件なんぞそう都合良くあるものではないが、おあつらえ向きにここでその手の事故がおきるようじゃ」
「都合良くあるじゃないですの...」
 そして何らかの本を開くマオに案内されたのが車通りの多い横断歩道。
「もうじきここを暴走車が通る、その時にここを渡ろうとするわっぱをオヌシが突き飛ばせばめでたく自己犠牲完遂じゃ」
「ていうかアンタらのそれ、アタシらのより性能良くない? おかしくない?」
「一つ一つワシのお手製じゃ。量産品なんぞには劣らんわ」
 小さめのドクロをいじる(?)死神と本をいじるマオは互いのそれを品定めするように見つめる。アレは何らかの道具なのかしら。
「死ぬのは変わりありませんけど、それで天国に行けるのなら...」
 ワタクシの死の確率がどんなものかはわかりませんけど、マオが勧誘に訪れるくらいなのだから高めと思っていいでしょう。どうせ死ぬなら自己犠牲とやらで善人になってやる。
 いや、でも...、アレに当たるのですわよね...。
 大通りの車の速度は速く、来るのが暴走車となればその速度も...。交通事故の現場なんて居合わせたことはありませんけど、事故の状態って...。
「その車、ダンプとかトラックではありませんわよね...」
 嫌な光景が目に浮かんで尻込み。我ながら往生際が悪い。
「ミンチになりたくはないか。確証はないが恐らくスポーツカーじゃろう」
 死ぬときの痛みがどんなものかわからないし、即死かもしれないけれど。どうせ死ぬなら楽な方がいいですもの...。
「ホントにそれで天国に行けますのよね? そこの死神はともかく魔王のアナタが協力的なのもよく考えたら不自然じゃありませんこと?」
 その死神すら信用できたものではないのに、ワタクシに天国に行かれたら勧誘してるマオとしては困るはず。この二人がグルだったりしたらワタクシの死の運命だって怪しいですわ。
「アタシはアンタが死ぬように仕向けたら罰則喰らうからただの傍観者よ。全部コイツがやったこと」
 思いっきり関わってるのですけど、魔王が死神と相容れないからって全部なすりつける魂胆かしら...。
「さっきも言ったがオヌシにできると思うとらんからの。仮に出来たらワシの見込み違いと思って諦めるわい」
「まぁ失礼な!」
「どうかしらねぇ。自己犠牲とはいえ利己的な目的あってだから案外度胸見せるかもしれないわよ?」
「そうですわ。無償の愛なんてクソ喰らえですけど自分のためであるなら話は別ですわよ!」
「いっそ清々しいの」
「あんまりその辺大っぴらにすると評価に響くわよ。地獄耳の語源って知ってる?」
 閻魔大王の耳が地獄にいても現世の声を聞き漏らさないから――ってそんな豆知識どころじゃないですわ。
「アガベー最高! 自己犠牲はなんて美しいのでしょう!」
「よけいにうさんくさいわよ...」
「ほれ、そろそろじゃぞ」
 死神がもう何も言う事はないと言った様子で呆れてると、マオが横断歩道向こうの子供を指し示す。向こう側で信号待ちしている人間は何人かいますけれど、あの少年を突き飛ばせばよろしいのね。
「信号が青になったら飛び込むがよい。こんな都合の良い案件そうそうないからの。逃せば次はないぞ、覚悟を決めい」
「えぇ...」
 そうですわ、馬鹿なことをやっている暇はありませんわ。ワタクシは死ぬ覚悟を決めなくてはいけませんもの...。
 そう思うと心臓がバクバクと鼓動して、息も忘れて信号を凝視していると遠くから大きなエンジン音が聞こえてくる。
 信号が青になったら
 飛び込んで
 突き飛ばして
 ワタクシは
 死ぬ。
「!!」
 信号が青になったのを合図に、ワタクシの体が動く。
 次いでタイヤのゴムの引きつるような音に、大きな衝撃音。
 そして、静まりかえる日常...。
 ...............。
「あ...あぁ...あぁ...」
「ワシの見込み通りじゃったな」
 動いたつもりの体はその場にしゃがみ込んでいて、ワタクシは両目を閉じてその耳を塞いで、震える体を落ち着けんとしていた...。
「自ら死ぬのは簡単な事ではない。それが己のためならば尚更の」
 予想通りといった風のマオ。だけど、そんな事はどうでもいい。
「あの子は...あの子を救え...」
 助けられる命だった。それを行えるのは自分だけだった。死ぬための理由は十分だった。
 どうせ死ぬ命なのに!
  それなのに、恐怖にすくんで、あの子を救うことができなかった、見捨ててしまった...。
「わっぱの事を想うくらいの人間味はあったか。良い傾向じゃ」
 事故も子供の命もどうでもいいという風に、マオがワタクシを品評している。
  どれだけ姿形が人間に似ていたとしても所詮は人外、ワタクシ達人間の命なんてどうでもいいのでしょう。それこそ“魔王”のように。
「安心せい、わっぱは無事じゃ。顔を上げてみるがよい」
「え?」
 その光景をとても見られないでいたワタクシは、マオの言葉に恐る恐る顔を上げてみる。
「あ、あぶねぇー...」
「え? え?」
 そこには尻餅をついた男が少年を抱えていた。少年はというとあまりの出来事にまだ混乱した様子。
  少年を抱えたあの男はさきほど信号待ちしてた中にいたような...。
「あのわっぱは元々この事故で死ぬ運命にはないのでな」
「それは...ワタクシを...」
 あの男がマオの手の者でないとすれば...。始めからワタクシの助けは必要なくて...つまり...。
「試しましたわね!」
「ご明察!」
 開き直りやがりましたわ!
「妙だと思ったのよ。あの子に死神は憑いてないし死相リストにも見あたらないし。魔王ってどこまで見えんのよ」
 騙されたのは死神も同じなようで、さっきまでいじっていたドクロ型の何かをコツコツと叩いて呆れている。
「カッカッカ! 伊達に魔王はやっておらん!」
 死神といえど、死の運命全てを掌握してるわけではないらしい。マオのヤツには死神以上の力があるようですけど...。
「もっとも、運転手は無事ではないがの。まぁあれは仕方があるまい」
「えっ」
 マオに言われて思い出し、暴走車の行方を捜してみると子供を避けようとした急ハンドル急ブレーキで操作を誤ったのか駐車場の壁に衝突していた。 ここからでは車の中の様子は見えませんわね...。マオの言葉を聞くに見たくもない状態でしょうけれど...。
「ほれ百の字。あの運転手には死神が憑いておらんぞ。長期未納も危ういじゃろうしとっとと回収にいけ」
「いや目付放置して他の魂を回収に行ったら後で揉めるし...」
 おそらくワタクシに憑いてるから他の魂を回収できないのですわね。その融通の利かなさ、まるで公務員ですわ。
「心配には及ばん。死相リストをハッキングしてオヌシの目付登録を向こうに変えておいた」
「はぁ!?」
 驚く死神がまたドクロ型の何かを慌ててイジリ出す。具体的には目の空洞のとこに指を突っ込んで。
「ほれほれ。目付の魂を放置しては罰則ものじゃぞ」
「くそっ! やられた!!」
 悪戯っぽく笑うマオに怒りをあらわにするがそれどころではないと車の方へ飛んでいき――
「覚えてなさいよー!」
 小物くさい捨て台詞と共にその姿は見えなくなった。
「カッカッカッ!」
 何が面白いのかマオが高笑いをしているのを横目に、落ち着いたワタクシは立ち上がって当たりを見渡す。そろそろ誰かが通報した頃でしょうし、警察が来る前に移動した方がいいですわね...。
「ところでナデシコよ。死神を見たことはあるか?」
「はぁ? あるわけありませんわ」
 何を唐突に。死神なんて存在、マオに聞いただけで正直まだ信じられませんけど、できるなら見たくもありませんわ。
「うむ。ちゃんとヤツとの関わりが消えておるの」
「?」
「コチラの話じゃ。邪魔者を追い払うのが本来の目的だったでな」
「はぁ...?」
 首をかしげるワタクシにマオの説明はよくわからない。その死神とやらが近くにでもいたのかしら。 話を聞くに魔王と死神は死後の世界のルールに相容れないモノのようですし。
「まぁいいですわ。警察が来る前に離れますわよ」
 警察に事故の話を聞かれたくらいでワタクシの素性が明らかになりはしないでしょうけれど。警察になんて可能な限り関わりたくありませんもの。
「...マオ?」
 さっさと歩き出したもののマオの反応がないので振り返ってみると、どこか寂しげな目で何かを見つめている。その視線を追ってみると、さっきの少年とそれを助けた男と、その男の恋人らしき着物の女の誰かを見ているようだった。
「ホントに大丈夫ですか?」
「なんともないって、そんな顔するなよ。ボウズも怪我はないみたいだな」
「う、うん」
 その三人の会話は遠くて聞こえませんけれど、マオの様子はその中の誰かをよく知っている風に見える。
「どうしましたの?」
「いや...なに。世間は狭いと思っての...」
 諦めたように呟くと、マオは三人から視線を離してワタクシの方へ歩き出す。 結局マオの行動はよくわからないけれど、あの着物の女...、どこかで見たような...。
「まぁいいですわ」
 育ちの良さそうな美人だけれど、あの印象でターゲットにしたのなら忘れるわけありませんし気のせいでしょう。 記憶のもやもとっぱらってワタクシはマオと一緒に事故の喧噪を後にする。
 
 
 
 で、どうしましょう。
適当に歩いて事故の現場から離れた公園まで来たものの、自体は何一つ進展していない。
「うーん...」
 自己犠牲のチャンスは元よりなく、あったとしてもワタクシには無理そうね。 ともすれば地道に善行を積むしかないのだけれど...。
「チラッ」
「なんじゃその物欲しげな視線は」
「騙したのですからちゃんとしたアドバイスくらいくれてもよろしいのではなくて?」
「強かなヤツじゃな...」
 そうでもなければ詐欺師なんてやってられませんわ。
「地道に善行を積むとして、間に合うと思うておるのか?」
「やってみなければわかりませんでしょう!」
 悪人が良いことをするとギャップで凄い善人に見えるような感じで、改心したワタクシの善行もポイント(?)は高いかもしれない。
「前向きなその意気やヨシ。ワシとしてもナデシコには善行の尊さを知って貰わねばいかんからの」
「今度こそ手伝ってくださいますのね!」
 といっても相手は魔王。騙されたというか試されたというかさっきの前例があるのだからあんまり信じ過ぎないようにしなければ。
「ワシの部下にここいらの困ってるモノを調べてもらったところ」
「随分手回しがいいですわね」
 本気でワタクシを悪魔にするつもりにしてはイヤに協力的に思えるけれど、本人からすればこれも悪魔にするための一環なのかしら...。
 そもそもからして死後の世界もルールも地獄に堕ちるのもマオから聞いた話。魔王の話だからと言って全部信じていいものなのかしら?  疑おうにも人間であるワタクシが知っている死後の世界なんて胡散臭い話の方が多く、何も知らないのとかわらないけれど...。
「オヌシも悪魔になると思えば可愛い部下の頼みじゃ、やぶさかではない」
「それならさっきの信頼に欠く行為はなんだったのかしらね」
「カッカッカッ!」
「......」
 笑ってごまかす。悪戯っぽいところは見たまま子供というかなんというか。
「まぁそういうな。そこにうなだれておる若い男がいるじゃろう」
「えぇ」
 少し遠目、マオの示すところには見るからに悩みを抱えた風な若い男が一人、ベンチで落ち込んでいた。
あれの悩みでも聞けばいいんですの?
「恋人に振られて落ち込んでおる」
「なるほど」
 実にわかりやすいですわね。
「そこの通りの裏に連れ込み旅館(※)があるから慰めてやるといい」 ※(80年代の今で言うラブホ)
「はぁ!?」
「詐欺師なら男を喜ばすのにも長けておるじゃろう?」
「バカじゃありませんの!? いきなり知らない男相手にセ...、体開いてそれのどこが善行ですの!?」
 そんなビッチまがいの行い、返って印象悪くなるでしょう! 仮に善行にカウントされるとしてもイヤですわ。
「カッカッカッ! 冗談じゃ。オヌシも意外に純朴じゃのう」
「いい加減にしないと張っ倒しますわよ...」
 こっちは真面目に善行に悩んでいるといいますのに。自業自得とはいえ。
「いやなに。恋愛ごとには代わりないようじゃがよくある悩みじゃ、ちょっと話して背中を押してやれ」
「そう言うことですの」
 そういうのも善行にカウントされるんですの? まぁ話を転がすくらい詐欺師にかかれば簡単ですわ。
またからかわれても面倒なのでワタクシは使えそうな小道具をポーチから取りだして男の元へ近づく。
「あの、もし?」
「あ、はい?」
「何か、困りごとではありませんか?」
「あ、いえ...」
 初対面の相手には当然の反応で、ワタクシは明確な拒否の意志が出る前に攻勢に出る。
「あ、自分は近くの教会でシスターをしております」
 そう言ってさっき取りだして首に掛けておいたロザリオを見えるように手に取る。
新興宗教の類であれば別として。身元がハッキリしてる聖職者というのは安心するものだ。勿論嘘の身元だけれど。
「何かお悩みであれば、お力になれればと思いまして。お話されるだけでも気が楽になりますよ」
 そしてやわらかい笑顔。ワタクシのこの顔に無下な反応をできる男はいませんわ。
「えっと...」
「隣、よろしいですか?」
「あ、はい」
 よし、悩んでいるうちに一つでも肯定の意志を得られた。こうなれば後はズルズルと...。
...............。
「ありがとうございます、少し気が楽になりました」
「いえいえ、お力になれたならなによりです」
 本当に大したこと無い悩みだった。ワタクシはというとアドバイスどころかただ聞いているだけで、彼の言葉にニコニコと「はい、はい」言っていただけだ。
「なんだか勇気が湧いてきました、がんばってみます!」
「はい、その意気です!」
 こういう時の「頑張って」って返答、なんだか他人事を強調するようで、突き放してる感じがしてワタクシは好きじゃない。
「シスターさん、ありがとうございました!」
 元気になった青年はワタクシの手を取って深くお辞儀すると、駆け足で公園を後にする。
ワタクシはその姿が見えなくなるまで笑顔で手を振り続けた。
「ふぅ...」
 柔らかい笑顔って、結構顔の筋肉使って疲れるんですわよね...。清楚系演じるのはいついらいかしら。
「流石の手際じゃな」
「本当にこんなのが善行になるんですの?」
 ずいぶんと感謝されたけれど、ワタクシが彼に何かをやったようには思えない。勝手に元気になっただけだ。
「赤の他人との関わりに消極的になった忙しない現代。他人の何気ない優しさが心に染みるのじゃよ」
「それにつけ込む連中もね」
 ワタクシみたいに。
「見返りを求めない善行に感謝の言葉。ナデシコもまんざらではないのではないか?」
「ん...」
 マオのワタクシを見る目で“清楚な女性”をやめたはずなのに、まだ顔が綻んでいるのに気がつく。
「そりゃ...嫌なものではありませんけど...」
 見返りを求めない善行かといえば、ワタクシの善行は地獄に堕ちたくない、天国に行きたいというもので。とても純粋な善行とは呼べない気がする...。
 思えば、人を騙して生きてきた自分は、どれほどのちゃんとした「ありがとう」を貰えただろうか。
先ほどの青年の「ありがとう」ですら、ワタクシが取り繕った「心優しいシスター」に向けられたもので、ワタクシに向けられたものではない。
人を騙して恨みの言葉に聞き慣れたワタクシが、こんな些細なことで何を喜んでいるのだろう...。
「思うところありか...。良い傾向じゃ」
 ワタクシの心を読んだのか顔に出てたのか、マオが満足げに笑う。
「ところでナデシコ。キリスト教徒でもないのに十字架を持ち歩いているのじゃな」
「これは母に持たされたものですわ」
 男の警戒を解くために使った十字架を手の中で転がす。詐欺師が何を持ってたって不思議はないでしょうに、目聡いのか好奇心か。
「ほう? オヌシの母はキリスト教徒か」
「ろくでもない方のね。父が事故で死んで、悲しみから毎日教会で神様に祈るばかりで生活も経ち行かなくて、ワタクシは学校をやめて働くハメになりましたわ」
 父の事故は“加害者側”だった、慰謝料で蓄えは吹き飛び生活はどん底、学校を続けられるはずもなく...。
それまで特に目立った信仰のなかった母は悲しみを癒すため教会に通い初め、働きもせず祈るばかり。当然、生活はすぐに破綻した。
「ふむ...神が憎いか?」
「別に...」
 教会や信仰に恨みが有るわけではない。だけれど母と一緒に祈ってるだけでは、何も変わらなかった、神様とやらは何もしてくれなかった。
だからといってワタクシの悪事が正当化されるわけでもないけれど、悪人になったのはどこかで憎んでいた反抗心からのような気もする。
「元々、神様に決められた運命だとも思っていませんもの。都合の良い時にだけすがって助けてくれなかったと恨むのはお門違いでしょう?」
 そもそも本気で神が居たとも思っていなかったし。マオに出会った今でも、全てが神の仕業だとも思えない。
「頭ではそう思っても、心でそう割り切れるものではあるまい。ナデシコが神を憎むことで気が楽になっていたなら、憎まれるのも仕事のうちじゃよ」
「ふふっ」
 憎まれるのも神の仕事のうち、だなんて魔王らしい理屈ですわね。それこそワタクシはキリスト教徒ではありませんのに。
「少なくとも、神を憎むおかげでナデシコは母を憎む事はなかったようじゃしな」
「......」
「毎月の仕送り、合点がいったわい」
 一体どこまでワタクシの事を調べてるのやら。どこまで知って話させたのやら...。今更怒る気にもならない。
「それこそ、熱心な母がワタクシが稼いだ汚れた金で生活するなんて、最高の皮肉でしょう?」
「カッカッカッ! やはりオヌシはワシの好みじゃ、直々に勧誘に来てよかったわい」
「ワタクシはまだ悪魔になると決めたわけではありませんわよ」
「うむうむ。存分に悪あがきするがよい、ワシも助力しよう」
 まるで悪魔になるのが確定しているようなマオの言い分に、ワタクシの善行はほとんど意地になっていた。
 
 
 
「ロクデナシコにしては、ずいぶんと善行が様になってきたではないか」
「ナデシコですわ!」
 先ほどの善行で汚れた服を払っているとマオが茶化してくる。
 マオと出会って五日、マオの声や姿はワタクシ以外に認識できない様子だった。
人助けの最中などは黙って見守るだけでアドバイスなどもなく、周囲に人影が無くなってから話してくる。
もっとも、初日のアレを思うに姿は自由に人に見せることができるのでしょうけど。
「次の善行......と行きたいですけど流石に疲れましたわね、今日はここまでにしますわ」
 疲れが顔に出ては人助けをしようにも遠慮されかねない。日も落ちてきたし潮時ですわね。
木登りやら猫との格闘やらでだいぶ汚れましたし...。
「ではオヌシの日々の頑張りにワシのとっておきを」
「またカップメンですの?」
「うむ!」
「そこのファミレスに寄っていきますわよ」
「せめて銘柄くらい聞かんか!!」
 自信満々だったマオの提案を無視して適当に目に付いたレストランに入る。
魔王の癖にとは言わないけれどカップメンが好物らしく食事の度に勧めてくる。どうせもうじき死ぬのだから健康に気を遣う必要もないけど、そもそもあの手の味はあまり好きじゃないし。
食事は母の元を離れてからできるだけ自炊しているが、今日は疲れたから外食で済ましましょう。
「いらっしゃいませー、何名様ですか?」
「えーっと......」
「2名じゃ!」
「お席へご案内しますねー」
 マオは姿を見せるだろうかと考える間もなく店員の前に出られて席へ案内される。食事の時は元気ですわね......。
「あら」
 この手の店もあまり利用しないので気がつかなかったけれど、席に案内されるまでの店内には見覚えがあった。
ここはワタクシとマオが出会ったあの店、ワタクシの人生が狂い始めた場所だ。
「はぁぁぁぁ......」
「なんじゃイキナリ」
 店員が居なくなってから、マオとの出会いから今日までの日々を思い返して思わずうなだれる。
「なんだか自分のやってることの徒労感がどっと......」
 マオの手伝いもあって善行自体はかなりスムーズに積めている。だけど、そのどれもが大した行いでもない。
自分の悪事がどれほどのもので、この小さな善行がどの程度の評価になるかもわからず、目標の見えないゴールにげんなりしてきた。
いっそのこと頭丸めて仏門にくだった方が楽だったかしら......、でも解脱したいわけでもないし......。
「手応えはないかもしれんが、お礼の言葉は嬉しいであろう?」
「さっきの猫がお礼を言っていたとも思えませんわね」
 袖の下のひっかき傷をマオに当てつけて見せる。
「情けは猫のためならず」
 そりゃ自分のための善行には違いないけれど。
「主張が変わってますわよ」
「カッカッカッ!」
 とぼけるマオに呆れてワタクシもメニューを選ぶことにする。これに愚痴っても返って疲れるだけでしょう。
「あの......スミカさん?」
「はい?」
 聞き覚えのある声でどこかで聞いた名前。自分の名前ではないが“偽名”に条件反射で体が反応して顔を傾ける。
と、隣の席にいつかのぼっちゃんがいた。
「あら、奇遇ですわねヤスシさん」
 だらけた姿勢を正しもせず、ワタクシは開き直ったようになんてことのない顔で挨拶する。
「えと、いや、どうも...、先日は、なんていうか...アレ?」
「おぉ、オヌシはいつぞやの!」
 気まずそうに言葉を選んでいるお坊ちゃんの目がマオを凝視する。ワタクシに気を取られて気付かなかったのかしら。
「え...やっぱり......?」
「言っておくけど、ワタクシの子じゃありませんわよ。今更信じなくても構いませんけど」
「あれから仲良くなっての」
 もはや用の無くなった彼になんと思われようが別に知ったことではない。詐欺師とバレようが身元が割れるようなヘマもしていないし、怒り出すタイプでもないはず。
「その事はほんと申し訳ない! オレ浮かれてたからショックで気が動転して......」
「......?」
 つっけんどんなワタクシの態度を当てつけだと思ったのか、お坊ちゃんのまさかの謝罪にワタクシは目を丸くした。
「あれからバーにもこないし、家の人には相手にされないし、謝ろうにもオレどうやって連絡すればいいかわからなくて...」
 元々あのバーは常連ではないし、屋敷に行ったって澄香なんてお嬢様は存在しない。その相手にされないのをワタクシが怒って門前払いされてると勘違いしたと...。
「まさかワタクシに謝るためにレストランに張り込んで?」
「食事時になら...、もしかしたらお会いできるかなと......」
「今時珍しい純朴な青年じゃのう」
「......」
 呆れてモノも言えない。騙されていたことに気付かないどころか、ただ謝罪のためにそこまでしていたなんて。
「謝る必要はありませんわ。子持ちが事実でないにしてもアナタに嘘をついていたのにはかわりませんもの」
「嘘...といいうと?」
 勘違いを続ける元ターゲットに正体を教える理由なんてないけれど、この世間知らずの坊ちゃまにはなんというか、言ってやらないと気が済まない。
「色々ありますけどまぁ...、身分とかですわね」
 流石に詐欺師とまでは言う勇気は持てなかったけれど。横目で見たマオがなにやらニヤニヤしている。
「身分...、というとホントは財閥のお嬢様ではない...と?」
「えぇ、そう。だからアナタがワタクシに関わる理由なんてもうないでしょう」
 さぁこれでお別れね、と思っていたのに。
「身分とか関係ないですよ!」
「...え?」
 まっすぐな目で否定された。
「スミカさんはオレが財閥の御曹司だから仲良くなってくれたっていうんですか!」
「え...えぇ、そうだけど...」
 正確には持ち株が目当てで...。
「ん...? あ、違うな」
 その勢いに戸惑っているうちに間違ったらしい彼は少し考えて改める。
「オレはスミカさんが財閥のお嬢様だから仲良くなりたかった訳じゃないです!」
「そ、そう...」
「食い下がるのぉ」
 いや、その前にワタクシがアナタの財産とかを目当てに近づいたって白状しましてよ?
「だから、あの、ヤスシさん。落ち着いて考えて」
「は、はい」
 何故ワタクシが騙していることを説得(?)しなければないないのだろう。
「ワタクシが身分を偽ってまでアナタと仲良くなったのは、アナタが財閥の御曹司だから。わかりますわよね?」
「はい!」
 何故そこで元気よく返事できるのか、ワタクシにはわからない。
「つまり、ワタクシはアナタに好意を持っているわけではないのですのよ?」
「オレはスミカさんが好きです!」
「ちょっ!?」
ちょっと待って近い近い近いですわ! そんな真っ直ぐな瞳を近づけないで下さいな! 離れようにも手まで握られて...。
「おー」
 顔が紅葉し戸惑っていると彼の大声を聞いた周囲の客とマオが茶化すように感嘆と拍手を送ってきている。見せ物じゃありませんわよ!
「そ、その...ですから、アナタがワタクシをどう思っていてもワタクシはアナタに好意を持っては...」」
「そりゃ出会って間もないんですから、スミカさんがオレのこと好きじゃないのは仕方ないですよ!」
「だからそう言う事じゃ...」
 出会って間もないのになんでワタクシの事を好いてますのよ!? イヤそういう風には仕向けてたけれど、ワタクシの嘘を知ってなんでまだ食い下がりますの!
「だから、スミカさんがよければ友達からでもいいので改めてオレとお付き合いをお願いします!」
「わかりましたから手を離してくださいな!」
 いい加減彼のまっすぐな瞳と周囲からの視線が耐えられなくなり、内容もよく考えずに承諾してしまう。
 自業自得とはいえ、こういう形で返ってくるとは思いもよりませんでしたわ...。
 


 その後、ワタクシは居たたまれない思いのまま彼のおごりで食事をしてレストランで別れを告げた。ポケベルの番号を教えて。その帰り道。
「いやはや、良い見せ物じゃったわ」
「他に言うことはありませんの!」
「あの男の純朴さもさることながら、オヌシの反応もさながら初恋に戸惑う乙女のような...」
「感想を聞いたのではありませんわ!」
 他に言うことってそういう意味ではない。
「しかしオヌシは男の扱いには手慣れているモノと思っていたが、案外押しに弱いのじゃな」
「そ...それは...」
 ワタクシだって押し負けるだなんて...。
「あんな...まっすぐな人は始めてでしたもの...」
 自分が女であることを利用して、騙している相手の下心はよく感じてきたし都合もよかった。それでも体を開くのはイヤだったから尚更慎重に騙してきた。
そんな中、あそこまでまっすぐに“愛情”を感じたのは始めてで戸惑いを隠せない。
「ふむ...、まんざらでもない様子か」
 あんな醜態をさらしては今更否定もできない。
「元はといえばアナタが邪魔したから...」
 思えば、ワタクシは彼に好意どころか悪意を持って近づいたはず...。
「ま...まぁ、その点はむしろ感謝しておきますわね...。彼に恨まれる事もありませんし...」
 彼の好意がまだ残ってるなら今からでも仕事をやり直せる...。どころかあの様子だとかつてないラクな仕事になりそうだけれど、今は善行を積まないといけないし、そうでなくてもあの人をこれ以上騙す気は起きない。
「存外、ワシではなくあの青年ならオヌシを真っ当な人間に変えられたやもしれんの...」
「なんの話ですの」
「そういう運命もあったかもしれんと思うと、惜しい話じゃな」
「?」
 先ほどまでご機嫌だった様子のマオは、いつのまにか夜の闇に溶けるような暗さになっていて。
「時間切れじゃ」
「マオ?」
 その言葉を最後に、マオの姿が消えていた。
「マオ、マオ...?」
 夜の闇に急に取り残されたワタクシは落ち着いて当たりを見渡すがマオの姿はなく、呼びかけに返事もない。
街灯の僅かな明かりでは確かではないモノの、あたりにその姿は見あたらない。最後の言葉の意味を確認する暇もなく...。
「こんばんはナデシコさん」
「!?」
 人影が、暗がりから現れた。見た感じ20代ほどの男の...。
「どちらさまかしら...」
 暗くて顔はよく見えないし声も一言だけだが多分知っている人間ではない。いえ、知っている人間だとしてもその雰囲気は決して歓迎できるものではありませんけれど...。
「誰だっていいじゃないですか。わかってますよね、自分のしてきたこと...」
 口ぶりから察するに、ワタクシの事をよく調べている。“ナデシコ”という本名も普通なら知っているはずはない。
「なんのことかしら...」
 見た感じ、相手は普通の人間で、マオのような存在ではない。それでも男から感じる明確な“敵意”は、マオの「時間切れ」を理解するのに十分だった。
「わかってんだろ...、自分がどれだけの人間に、どれほど恨まれてるか...」
「......」
 丁寧だった口調は少しづつ怒気を帯びて...。
「そうさ、アンタを殺したって喜ぶヤツばかりなんだ...。オレは間違ってない、アンタを殺すのは間違ってない!!」
(刃物!?)
 懐から取りだしたモノがナイフだと気付いた瞬間、ワタクシは背を向けて走り出す。足がすくんで動けないものと思っていたが、幸いにも体はちゃんと動いた。だけれど。
「まちやがれ!」
 当然相手も追ってくる、逃げる当てなどない。道なんて思い出していられない、ただひたすら足を動かすしかない!
(逃げられるの...?)
 逃げ出してはみたものの、自分の体力も運動にも自信はない。なにより、自分がこの男に殺される運命にあるとすれば逃げても無駄なのかもしれない...。
「イヤ...!」
 だけれど、、わかっていても、背中からの恐怖がワタクシの体を動かす。
「はぁ...はぁ...」
 ただ足を動かすことだけに集中して、後ろからの声が離れなくて、気がついたらどこかの廃工場に居て...。
「追いつめたぞ」
 迷路のように積まれたコンテナの先は、行き止まりになっていた...。
「はぁ...はぁ...、アナタは一体誰なんですの!」
 逃げ場を失った今はせめて助けが来るのを祈ってできるだけ大きな声で時間を稼ぐしかない。だけれどこんな場所に人なんているのだろうか、それこそマオが...マオが助けてくれれば!
「アンタが自殺に追い込んだ女の弟だよ! 身に覚えがありすぎてどうせわかんないんだろう!?」
「待って、自殺!?」
 そんな!? ワタクシは騙しはするけどそこまで追い込んだりは...。
「ワタクシは借金取りじゃありませんわ!」
「わからねぇよな! 取るもん取ってさっさと消えたアンタには! その後どうなったかなんてよ!」
 仕事が終わった後、騙した相手がどうなったかなんて調べてはいない。むしろ、それを知るのが怖くて知らないようにしていた。だけど自殺だなんて...。
「追い込んだのは他の連中でしょう!」
「元凶はお前だろうが!!」
 直接恨まれないように、恨まれてもそんな気が起きないような相手を選んできた。だけれど、騙した相手の身内は別だ。男の復讐は正当で説得の余地なんてなくて...。
「いや...いや...」
 死にたくない...死にたくない。誰か...誰か助けて...。マオ...マオ...。
「死ね!」
「マオ!! 助けてぇ!!」
 男のナイフが迫り、顔を伏せて叫んだ...。
 ...
 ......
 .........
 ............
 もうダメだと思ってから、時間が止まったかのような静寂...。
 ワタクシの胸に痛みはなかった...。
「な、なんだ...?」
「まぁ待てよ青年」
「マオ...?」
 驚いた様子の男に続いてマオの声が聞こえて、恐る恐る顔を上げると、ナイフを指二本で止めるマオの姿が見えた。
「くっ...なんだ、一体!?」
「すまんのぅ、どうにも見てられなんだ」
「うわっ!?」
 男はナイフを動かそうとしているようだったがマオに止められたナイフはビクともせず、それどころかマオが手をかざすとナイフだけマオの手に残して男が軽く吹き飛ばされる。
「はぁぁぁ...」
 その様子を見て、力の抜けたワタクシもへたり込んでしまった。
「青年よ、こんなクズのために前途あるオヌシが罪をかぶることはない」
「なんだこのガキ!」
「仇討ちといえど今の人間社会、殺人の罪は重かろう。死後の地獄行きも免れんしのう」
 説得する気があるのかないのか、到底相手の殺意を消せるモノには思えない。だけれど危機が去って放心に近いワタクシはその様子を見守ることしかできない。
「殺人がなんだ! そいつがやってきた事に比べれば...」
「うむ。それはワシも心得ておる。コヤツの所行で少なくとも三人が死んでおるしの」
「え?」
 三人...? ワタクシの罪って、そこまで重いモノだったんですの...?
「しかし、だからといってコヤツを殺して青年まで不幸になるのは忍びない」
 なにか、ワタクシじゃなくて相手の男を想って現れたような口ぶりに...。
「オレはソイツを...!」
 もはや聞く耳を持たないと言った男は立ち上がるが、それよりも早く...
「じゃから、ワシが代わろう」
「...え?」
 ワタクシの
 胸の先に
 マオの腕があって
 その手には
 ナ イ フ が 持 た れ て
「あ...あ...あ...あ...」
 それが、引き抜かれると、胸から生暖かいものが流れて、喉の奥から何かが逆流してきて、息もできなくて
「がっ。あぁぁぁぁ...」
 ワタクシの体は、自分の体から大量に出た液体の上に倒れて、痛みが.........
「あぁぁぁぁ!!!」
「すまぬの、ナデシコ」
 言葉にできない痛みと共に薄れ行く意識の中、ろくでもない謝罪の言葉だけが聞こえた...。
 
 
 
「ん...んー」
 夢から覚めるとも、意識を取り戻すとも違う、まるで生まれるような感覚でワタクシのまぶたが開く。
「お目覚めかねオヒメサマ」
「王子様がいないんじゃハッピーエンドになりませんわね...」
 側に立つマオに皮肉を零しながら、自分の身に降りかかった事態を思い出す。
 そう、たしかワタクシはマオにナイフで...。
「!?」
 慌てて体を確認するがどこにも異常はなく、服も破けていない。
「ワタクシ...死んだはずじゃ...」
「うむ、バッチリ死んでおるぞ。ほれ」
「えっ」
 マオに促されて横に目をやると、血だらけの女の死体が...。
「ひぃ!?」
 血だらけにうつぶせ気味なのでハッキリとは見えないが、その姿は間違いなくワタクシの体だ。
「そう...。ワタクシ死んだのですわね...」
「うむ」
「...この体は、幽霊? 死んでても服は着てるのですわね」
 改めて自分の体を確認するが、生きていた頃との違和感はあまりない。胸を刺されて死んだのに体も服も無傷なのはどういうことなのか。
「霊体は自身を...あいでぃんてぃとか言ったか、“自分だと確立する姿”になるからの、オヌシの霊体は少し若返っておるようじゃな」
「言われてみれば...」
 肌の感じが曲がり角より前のような、そのくせ化粧をしている感じはあるけど。化粧を覚えるのが早かったからかしら。自分の遺体と見比べてみる。
「......あっけないものですわね」
 霊体の自分と比べて、なんと無惨な事か。詐欺師にはお似合いなんでしょうけど...。
 覚悟はしていたが思っていたよりも早かったような。いいえ、マオがそういったそぶりを見せてから覚悟をすればいいとか、最後には助けてくれるんじゃないと期待していたのだろう...。思い返してみれば死ぬ前の自分はなんと見苦しい事か。
「期待させておいて自分から手を下すなんて、最悪ですわね...」
 助けてくれるどころか、まさかマオに殺されるとは思わなかった。だけど不思議と怒りは湧いてこない。死んでみればなんともあっさりしたものだ。
「そう言うな。きゃつの憎悪では死ぬまで何度刺された事か...。流石にスプラッタは見ていられんのでな」
 どうやら、マオのおかげでまだラクに死ねた方らしい。もっとも、青年に殺しをさせたくないという言葉も嘘ではないのでしょうけど。
「そういえばあの男は...?」
 周囲を見渡しても自分の遺体以外に人影はない。暗闇だというのによく見えるのは霊体だからかしら。
「オヌシが死んだのを確認してからふらふらと帰っていったわい。どちらが死人かわからないような顔をしてな」
「アナタに復讐を邪魔されたからかしら」
「オヌシへの復讐だけが生き甲斐になっていたのじゃろう。仮に自分の手で殺してたとしても灰のように燃え尽きたに違いあるまい」
「ワタクシの悪事はそんなにも人を不幸にしたのですわね...」
 ケチな詐欺師とはいえ、ワタクシの事をあれだけ調べるのは簡単な事ではなかったはず。憎悪を糧にワタクシの事を調べ上げ、復讐するのが彼の“人生”そのものになっていたのだとしたら、彼はこれから何を糧に生きるのだろう。自分を殺すはずだった男なのにそんな心配まで湧いてくる。
「さて、どうする。“殺す気はなかった”とはいえ三人を死に追いやった罪を今日までの善行で清算できたと思うのなら死神を呼んでやるが」
「三人だけじゃありませんわ...」
 あの憎悪を受けるまで、自分の罪の事を軽く考えていた。ワタクシの悪事は当人はおろか、その周囲のどれだけの人を不幸にしたのだろうか。自分が改心したからといって、その人たちの憎しみが消えるわけでもない。ならば自分は...。
「罪を受け入れるなら、地獄に堕ちるべきなのでしょうね」
「そこまで悟られるのはわしも想定外じゃ」
 珍しくマオが困った顔をしている。マオとしては最初からワタクシを悪魔にする腹づもりでしたものね。
「罰を受けるのと善行を積むのと。さて、どちらが尊いのかしら」
「さぁての」
 そこは嘘でも後者を薦めるべきじゃないんですの?
「ワタクシが地獄に堕ちても誰かが幸せになるわけでもなし。わからないのであれば、その人達に認められるだけの善行を積んでやりますわ」
 それに、地獄に堕ちるのはやっぱり怖い。
「恩讐の彼方に、か」
「創作らしいですわよ」
「夢がないのぅ」
 “悪魔”が人間を幸せにできるかは少し疑問がある。マオが回収した魂をどうするかもわからない。それでもマオから感じる“人間好き”の人となりを見るに、悪いようにはしないのだろう。
「クズはクズなりに、足掻いて見せますわ」
「その意気やヨシ。そなたを悪魔の一員として歓迎しよう」
 マオがワタクシに手を伸ばす。きっとこの手を取ればもう引き返せない。
「よろしくお願いしますわ、マオ様」
 そしてワタクシは、胸に芽生えた決心と共に、その手を取った。
「悪魔としての活動に支障がないよう、生前の記憶は消させて貰うぞ、これで“人間のナデシコ”とはお別れじゃな」
「えぇ...」
 頭の中から、朝に目覚めた時に夢を忘れていくような感覚で、記憶が消えていくのが感じられる。
「生前の人格を形成する程度の記憶は約束しよう。ワシは器用じゃからな」
 記憶が消えても“ナデシコ”は消えない。そう聞いている。きっと、今抱いているこの胸の決心も...。
「もう一度眠るがよい。目覚めた時が、“悪魔のナデシコ”じゃ」
「えぇ、おやすみ...」
 そして、今度は心地よい感覚と共に、ワタクシの意識は閉じていった...。
 
 
 
 とある家の堀の上に座って、魔王と死神が縁側で働く女を見守るように眺めていた。
「しかしたった一人を悪魔にするのにえらく手間かけるわね」
「洗脳は趣味ではない。自分の意志で悪魔になってこそお目こぼししてもらえるというものじゃ」
「それにしたって教育に時間かけすぎじゃない?」
「それこそ魔王の仕事というもの。手間を掛けてこそ部下として可愛いというものじゃ」
「可愛い部下ねぇ...」
 縁側で着物を解いている女を魔王と死神が懐かしそうな目で見つめる。その視線に気付いたのか女は二人に向けて軽く手を振って笑顔で会釈した。
「巻き込まれたあたしには迷惑でしかないわ」
「カッカッカッカ」
 女の会釈に死神は不機嫌にそっぽを向き、魔王は二人の様子に上機嫌に笑う。思えばこの死神と関わったようになったのもアレが原因だったかと思い出す。
「ミヤコー! こっち手伝ってくれー!」
「はーい!」
 家の奥から男に呼ばれた女は縁側から家の中に消えていく。特にこちらに名残もない様子で。
「暢気なものね」
「良き哉良き哉」
「ちょっとマオ様!」
 そして縁側の女と入れ替わりで、ナデシコが怒鳴り気味にマオを呼びながら現れる。
「いつになったら仕事のレクチャーをしてくださるの!」
「悪魔の力がオヌシになじんでからじゃよ。長くても二月で慣れるじゃろうて」
「だからって毎日毎日お手玉ばかり! もうちょっと画期的な訓練はありませんの!」
 文句を言うナデシコの頭上では小豆入りのお手玉が手品のようにくるくると回っている。落とさないで回し続けろと言われて四日目、いい加減に飽きていた。
「やれやれ飽きっぽいヤツじゃ。次はもうちょっと複雑なジャグリングでも...む?」
 さて何を使うかなと考えているとナデシコからピロピロと機械音が聞こえてくる。
「あら、ヤスシさんからですわ」
 ポケベルの着信音らしく、ナデシコは取りだしたそれの表示番号を見てすぐに送信者を把握する。ちなみに彼女の“悪魔の証明”はコレである。
「レストランにいるみたいですわね」
「丁度良い、休憩がてらデートでもしてくるがいい」
「お言葉に甘えますわ。ご機嫌よう」
 パチンと指を鳴らしてお手玉を消すとナデシコは遠慮もせずにさっさとその場を後にした。心なしかその背中は恋する少女のように。
「ヤスシって誰だっけ?」
 露骨に無視された死神だが抗議より先に気になった名前を尋ねる。聞き覚えはあるが会話の内容も連絡方法も悪魔同士のやりとりには見えない。
「ナデシコに惚れた純朴な青年じゃよ。告白した直後にナデシコに死なれてあまりに不憫なので交際を許可しておる」
「生前の人間との交流を許すなんて、随分優しいのね」
「うむ、コレでナデシコをダシにもう一人悪魔に確保じゃ」
 カッカッカッカと魔王は自分の腹づもりをぶちまける。
「魔王を見直して損したわ...」
 この魔王とは勿論あの新しい悪魔とも、これから長い付き合いになるだのだろうと思うと、死神は先払いの疲れが押し寄せて大きなため息がこぼれた。
「魔王じゃからの!」
 そんな気を知ってか知らずか、マオは上機嫌に笑うのだった。魔王の様に。
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魔王のおしごと

詐欺師の女と、彼女を悪魔に誘う魔王の物語
 穏やかな午後のレストランのテーブルで、女は突っ伏していた。
 淑女的な印象を思わせる顔立ちと長い金髪、落ち着いた服。それを台無しにするまるでこの世を呪わんばかりのうめくようなため息。
 そしてそれの視線が向けられてるのは女の向かいに座った、美しい赤髪にその小さな体よりも大きめに見えるエスニック調のワンピースに身を包んだ5歳ほどの少女。もう少し小さければ、アイヌの精霊かコロポックルに見えたかもしれない。
「いったい、なんなのですの...」
 化ける粧いと書いて化粧とはよく言ったもので、淑女にはかけ離れたうめくような女のぼやきは、恐らく素のものであるだろう。
「いや、なに。おぬしに大事な用があっての」
 少女は年齢を思わせない落ち着いた様子で、、風格すら漂わせるように女に切り出す。
「はぁ...?」
 女は少女の歳不相応な雰囲気に顔をしかめる。相手が何者であろうが、この少女が自分にとってろくな物ではないと女は思っていた。
 しかし女は知らない。目の前の少女が“何者”であってもと考えても、人間ですら無いとは思いもしない。
「回りくどいのは嫌いじゃ、単刀直入に言おう」
 どんな内容であれ女は聞く耳など持たなかったが、次の言葉はあらゆる意味で耳を疑うことになった。
「おぬし、悪魔にならぬか?」
 少女の仕事は――魔王。
 
 ─魔王のおしごと
 
 ワタクシの名前は麗香・撫子(ウラカ・ナデシコ)。仕事は詐欺師。
 自分で言うのもなんですけれど、ケチな詐欺師ですわ。といっても、詐欺師なんて仕事と呼べるものではないでしょうし、ピンもキリもありませんわね。
「おかしいですわね...」
 ここ数日...、いいえ、数ヶ月に渡る“何らかの記憶”が抜けてるように思える...。それも数日前は特に躊躇に。
 しかし思い出そうとしてもどういった記憶かもわからない。まるで夢を見ていたかのようにつかみ所がない...。
「ポケベルにも応答無し...」
 そしてなによりも、ワタクシが世話に...じゃないですわね。贔屓にしてた事務所と連絡が取れない。何か大きな仕事があったようななかったような...。
「パクられましたかしら」
 警察のガサ入れにでも合ったとしたら様子を見に行くのは危険ですわね...。あの事務所にワタクシに関わるような物は残していなかった...はず...。
「ま、連中のことは忘れると致しましょう」
 クズ同士の関わりに互いに情なんてありませんわ。案外、思い出せない記憶もその程度のものかしら。
「そろそろ待ち合わせの時間から20分ですわね」
 思い出せない記憶も事務所の連中も頭から放り出して仕事モードに切り替える。
 今日はバーで張ってた小金持ちのお坊っちゃんとようやくこぎ着けたデートの日。向こうから話しかけてくるように二月掛けて“運命の出会い”を演出したのですから、なんとしてもモノにしなくては...。 
 ショーウインドウに映る自分の姿を軽く確認しておく。化粧に抜かりなし、服も安物に手を加えて高級感を出した程度のものだけど、“深窓の令嬢”に違和感は無し。
 服もアクセも安物でも素材(ワタクシ)が上等なのですから、当然ですわね。名は体を表すとはよく言ったモノですわ。もっともコレで詐欺師なのだから、体まで表しても中までは伴わないようですけど。
「こんにちは康志(ヤスシ)様、お待たせ致しましたかしら」
 チェーン店のレストランに入り、目当ての男を奥の目立たない席に見つける。
「あ! こんにちは夏見川(ナツミガワ)さん」
 相手は所詮世間知らずのお坊っちゃん、文字通りの小細工で十分。本物のセレブが相手では、看破されてしまうでしょうけど。ワタクシも所詮ケチな詐欺師ですわね。
「ごめんなさい。庶民の店は詳しく無くて迷ってしまいましたわ」
「あははは。チェーン店なんかで待ち合わせにしてしまってすいません」
「いいえ。そうお願いしたのはワタクシですもの。ステキなお店ですわね」
 宮本武蔵もかくや、遅刻してきたが決して悪びれた様子は見せないよう謝罪する。ワタクシの方が立場が上、そういうパワーバランスを作らなければ。
「いらっしゃいませー、ご注文はお決まりでしょうかー?」
「一番美味しい紅茶を頂けますかしら」
「あー...えっと...」
 やってきた店員に無茶な注文をすると困った顔をする。ごめんなさいね、ワタクシも世間知らずの設定ですの。
「あーすいません。ロイヤルミルクティーを一つで」
「かしこまりましたー」
 ワタクシが訪ねる前にフォローをするなんて良い心がけですわね。今のうちからこうやってワタクシのために働かせるよう仕向けていきましょう。
「ところで康志様。できれば下の名前で呼んで頂けないかしら。上の名前で呼ばれるのは好きではないですの」
「あ、はい。澄香さん!」
 下の名前を許可すると嬉しそうに偽名を呼ぶ。家の話題を出されないよう、コンプレックスがあるよう振る舞っておく。
 とまぁ、ここまでは大体いつもの手口。この様子なら持ち株を手放すまで苦労はなさそうですわね。
「こうしてると、まるでお城を抜け出したお姫様の気分ですわね」
「あははは、例えになってないかもしれませんよ。――ん?」
「あら?」
 あとはこうやって他愛のない会話を続けて...。と、ここでアクシデント。妙な格好をした金髪のガ...女の子がワタクシの袖をひっぱっていた。迷子かなにかかしら? まぁ子供好きをアピールしておくのも悪くないと笑顔で対応しようとするも、その思惑はそれどころではなくなる。
「どうし――」
「ママー! お腹空いたー!」
 なんですって!?
「え?」
「あ...あらあら、お母様をお間違えかしら...?」
 たしかに年齢もサバ読んで薄化粧でごまかしているとこもあるけどまだこの歳の子供がいるような年齢じゃ...でもないですわね...。っていませんわよ!
「ママー、このおじちゃんだーれー?」
「な!? 何を言っているのかしら。ワタクシはアナタのママではなくて...」
 ちょ、なんですのこのガキ! 追い払おうにもこの人の手前下手に扱えな...あぁ、すでにワタクシを見る目が!
「どうしたのママー?」
「すいません。俺、用事思い出したんで失礼しますね...」
「え? あ、ちょ! 違っ!」
 違う違う違う...令嬢的な焦り方は...引き留め方は...って考えてるうちにもういない!?
「あぁぁ...あぁぁぁぁ...」
 ワタクシの二ヶ月が...バーでの注文費が...男の保有株が...依頼人の注文が...ワケのわからないガキのせいで...。
 全部、台無し...ですわ...。
「いったい、なんなのですの...」
 子持ちと思われたなんて修復は絶望的...。向かいの席に座ったガキに怒る気力も出ない...。染めた金髪までが一致するなんて...ワタクシが一体なにをやったって言うんですの...。なにをやったっていうか詐欺師だけど。
「いや、なに。おぬしに大事な用があっての」
「はぁ?」
 ガキの態度が変わり思わず凝視する。あれ? 赤い髪...?
「回りくどいのは嫌いじゃ、単刀直入に言おう」
 なんだっていうんですの? 人の仕事を邪魔して努力を棒に振ってくれたあげくその態度で何を言われようが...
「おぬし、悪魔にならぬか?」
 .........。
「悪魔ぁ?」
 一瞬思考が停止して思わず聞き直してしまった。
「うむ。といってもおぬしの行いはすでに人間としての悪魔みたいなものじゃが、そういう意味ではない」
 何を言い出すかと思えば、訳の分からないことを...。
「アナタ、ワタクシの仕事のことを知っているようだけど、どこの子かしら」
 仕事の邪魔をしたり、人を悪魔呼ばわりしたり、記憶にはないけど過去に騙した誰かの子供かしら。
「ふむ。たしかにワシの事を先に知って貰う方が話も早いのう」
 そして相も変わらず耳を疑う自己紹介を始める。
「ワシは魔王。ここら一体の悪魔達の主じゃ。名前も無くはないがもう長いこと使っておらん故な。気軽に「マオ」とでも呼んでくれればよいぞ」
「......」
 はぁ?
「信じられんと言った顔をしておるの。まぁ子供の戯言を信じるような心の澄んだ人間ならばそもそも勧誘なぞせんが」
「アナタぐらいの子供のままごとは、もう少しまともなものだと思いますわね」
 そんなつまらないままごとに付き合わすためにワタクシの仕事を邪魔してくれたんですの?
「論より証拠。百聞は一見にしかず。少し怖い目に遭って貰うとしよう」
「なにを言って...」
 付き合ってられないと席を立った瞬間、不穏な言葉と共にニヤリと笑い...
「!?」
 ガキの――マオの――“魔王”の目を見た瞬間、まさしく深遠をのぞき込んだようにその瞳に意識が吸い込まれる。
 言い知れぬ恐怖が肉体を覆う――
 名状しがたい恐怖が精神を蝕む――
 計り知れぬ恐怖が心を喰らう――
 逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。――逃げられない。
 早く。早く。早く。早く。――手遅れ。
 抗え。抗え。抗え。抗え。――無理だ。
 深層心理が警笛を鳴らし、意識がそれを無駄だと否定する。
 繰り返し繰り返し――恐怖と絶望が交互に悲鳴を上げて飲み込まれる。
「お客様...?」
「あっ...」
 何者かの―店員に声を掛けられて我に返る。
 そこは何事もない穏やかなレストランで、ワタクシは立ちすくんでいた。
「どうかされましたか?」
「ただの...立ちくらみですわ」
「そう、ですか。こちらロイヤルミルクティーです。ごゆっくりどうぞ」
「ワシにもレイコーを」
「? かしこまりました」
 注文を置くと店員はワタクシの反応と少女の歳不相応の注文に不思議そうにしながら厨房へ戻っていく。
 ワタクシはというと。ここが何事もない現実であることを再確認して尻餅をつくように椅子に座り込む。座ってから足のつま先から頭のてっぺんまでガクガク震えが始まり、なんとも情けない姿だと思う以上に体に異常がない事に安穏すら感じる。
「さて、“魔王の恐怖体験”は説得力には十分じゃったかの?」
「な...なんだっていうんですの...」
 夢でも見ていたと思いたい恐怖の残滓を振り払い、正面の子供と目を合わせないようその姿を確認する...。そのニヤついた笑みは紛れもなく、“魔王”のそれだった。
「なーに安心せい、何も取って食おうと言うわけではない。現代社会のグルメに比べれば、魂なんぞ特別美味いものでもないしのう」
「詐欺師のワタクシは、悪魔として見所があるというわけですわね...」
 ワタクシを襲いに来たのでないのなら、その目的は最初に話した“悪魔”への勧誘ということ。悪魔がどういうものかはわかりはしませんけど、危害を加えるのが目的でないのに少し安心する...。
「いんや、そういう訳でもないの。むしろ悪魔は正直者でないと困る」
「はぁ?」
 悪魔の勧誘なのに正直者でないと困る? それこそなんで詐欺師のワタクシを勧誘するのですの?
「ヌシら人間のイメージからすれば疑問はもっともじゃ、まずはワシら悪魔や死神、死後の世界について少し説明するとしよう」
 震えの落ち着いてきたワタクシは、さっきまでの恐怖心が嘘のようにマオのヤツと目を見てその話を聞いた。あるいは、マオのヤツが不要になったワタクシの恐怖心を奪い去ったのかもしれない...。
 


「とまぁ、そういうわけじゃ」
「ふむ...」
 なかなか興味深い話だった。普通なら与太話だけれど魔王が話すのだから信じる余地は十分にありますわね。
 人間が死ぬときには事故死なら死神が、寿命なら天使が憑いて魂を回収し、悪魔はそれらの死にそうな人間に契約を持ちかけて魂を集めるのだという。
「それのどこが“悪魔”ですの?」
「ほう?」
 魂を代金に願いを叶える、一見悪魔らしい契約のように思えるけど、全ての人間の魂が何かしらの力に守られていないなら遠回しすぎる。
「天使だの死神だのの目をかいくぐる術があるのでしたら、何も契約しなくても魂を奪えるんじゃないんですの?」
 それこそ死神天使が魂を無理矢理冥界へ送り飛ばすように、無理矢理奪えそうな物に思えますわ。
「事実、昔はそういう悪魔が多かったようじゃな」
「むかしは?」
「天網恢々疎にして漏らさず。大昔の魔王―悪魔達は悪さが過ぎて他の神々に淘汰されたらしくての」
「もっともな話ですわね」
「でまぁ、人間を幸せにするなら。それこそ本人が納得して魂を渡すなら見逃してくれるだろうと、今の形に落ち着いた訳じゃ」
「お目こぼしというわけですわね...」
 悪魔になると決めたわけではないけれど、ホントに悪魔になっても大丈夫なのかしら...。
「そして最初の話に戻る訳じゃな。人間を騙して魂を集めていては正規の神々に目を付けられる故、悪魔は正直者でないと困る」
「尚更ワタクシを勧誘する理由が見えてこないですわよ?」
 話に集中していたために、すっかり冷めた紅茶を口にしながら疑問点が初めに戻る。
「いやそれがの...。ワシの好みもあってできる限り善人を悪魔にしてきたのじゃが」
「善人ばかりの悪魔を従える魔王ってのもなんだかイメージじゃないですわね...」
 よもや善人に最初のアレをやってると思えませんわね...ワタクシがクズだから遠慮無しだったんですの?
「つい先日、お気に入りの部下がよい子すぎて悪魔をやめる事になってしまっての...。いや、厳密には人間に戻ったというか...」
「お気に入りて...」
 マオが頭を抱えながら「なんであの儀式教えてしまったのか...」と後悔している。何があったのやら...。
「そこで、やはりよい子すぎてはいかんと。利己的であるほうが理想的じゃなと。いやはや、「性格のイイヤツに魂の回収は勤まらない」とは、ヤツの言うことももっともじゃな」
 マオのつぶやきが誰を指してのことかはわかりませんけど、話を聞くに死神や天使の方が性格悪そうではありますわね。
「ワタクシを勧誘する理由はわかりましたけど、悪魔になることでワタクシにメリットはございますの?」
 最初の恐怖心の植え付けといい、拒否権がないみたいじゃないですの。
「おぉ、それじゃそれ」
 忘れていたのかそこが本題なのか、マオはアイスコーヒーの残りを一気に飲み込むと袖の中から千円札を一枚取り出して投げ出す。
「飲み物だけでレストランに居座っては居心地が悪い。人目も気になる故、続きはヌシの家でやるとしよう」
「え?」
 ワタクシが承諾する間もなく、マオとワタクシは何かしらの力に飲み込まれていった...。
 


「え? え? え?」
 気がついたらワタクシは安アパートの自分の部屋のベッドに座っていて、正面にはマオの姿があった。どうやら魔王の力で飛ばされてきたらしい、ワタクシの部屋まで把握してるなんてどこまで調べられてるのやら...。
「さて、メリットより先にオヌシが悪魔になるのを断った場合のデメリットを教えておこう」
「え、えぇ...」
 現状を把握するのにいっぱいいっぱいのワタクシを気にせず続ける。
 マオは冷たい顔で、ワタクシを指さしてこういった。
「ナデシコ、オヌシ」
 ...。
「地獄に堕ちるぞ」
「――え?」
 ジ ゴ ク ニ オ チ ル ゾ ?
「まさかワシら魔王や悪魔、死後の世界の存在を知って、地獄の存在を否定はするまい?」
「そりゃ...そうですけれど...いや、でも...」
「ナデシコ。自分がやってきたことの罪深さはわかっておるな? オヌシの地獄行きは間違いないじゃろう」
「わ...わか......」
 たしかにワタクシは...、沢山の人を騙して...、奪って...、悲しませて......。
 だけれど......!
「わかりませんわ!」
「ふむ?」
 そんな決まり、受け入れられない。
「たしかにワタクシは悪人ですけれど、どうして現世での行いを! 何も関係もない死後の世界の連中に裁かれなくてはなりませんの!」
 死後の世界。そんなものの存在なんて考えて生きていませんわ!
「死後の世界のルールなんて、信じている人間がどれだけいると言うんですの!」
「たしかに『悪いことをすれば地獄に堕ちる』あるいはそれに類するルールは人間達にとって一般的でも、意識の根底に浸透してるとは言い難いの。もっとも、信心深い昔の方が善人が多かったとも思えんが」
「そうでしょう! 死後の世界の存在が明確でないのなら! それこそ人の死に運命が関わるのなら、現世での悪事を死後の世界でまで責任を負われる筋合いはありませんわ!」
「言われてみればもっともじゃな。仏教なんぞにも善人も悪人も死んだらみんな同じホトケという教えもあったようななかったような気もするしのう」
「そうでしょうとも!」
 マオのヤツがさっきまでの冷徹な雰囲気もどこへやらとワタクシの言葉を納得している。ふふん、みなさい、だてに口の巧さで食べていなくってよ!
「ちょっと! 魔王が詐欺師に言いくるめられてんじゃないわよ!」
「え?」
 心の底で勝ち誇ってるとワタクシの横の空間から黒づくめの女が現れ――アレ、この女どこかで見た...ような...?
「おぉ百の字、追いついたか」
「あーもうやっぱりバレてた! 気付いてたんなら置いてくんじゃないわよ!」
「いやワシとしてもいつ止めに出てくるかと、ワクワクしてたものでな」
「ワクワクしてんじゃないわよ!」
 マオと言い争ってるでかい鎌を抱えた...死神...。
「あぁぁぁぁぁぁ!」
「「ん?」」
 そう、死神ですわ!!
「アナタ、思い出し...イヤ! 違う! 思い出したけど思い出したくない! 思い出したくな...あぁぁぁぁ!!」
 あの事務所であの死神に世界の格闘技体験会みたいな目に...ダメだ! 思い出すなワタクシ! 忘れるのよワタクシ!
「百の字、オヌシ一体アヤツにどんな恐ろしい目に遭わせたんじゃ。物理的に」
「魔王、アンタだってさっきアイツに恐ろしい目に遭わせてたじゃん。心理的に」
 コイツラ人のことをなんだと!
「とりあえずやかましいからその記憶だけ再封印しとくかの」
「――あっ」
 ガクガクと頭を振りながら雄叫びを上げるワタクシにマオが手をかざすと、事務所での出来事がまるでなかった事のように頭から消えて―。え、なにコレ便利。じゃない。
「こ、この死神! あの時はよくもやってくれましたわね! 今忘れましたけど!!」
 そして立ち上がってまずは猛抗議。こっちには魔王がついてますのよ! 死神なんて(たぶん)怖くありませんわ! 味方とも言い切れませんけど!
「威勢いいとこ悪いけど。頭で恐怖を忘れてもカラダはしっかり覚えてるわよ?」
「ひっ!?」
 死神の一にらみで、条件反射のように体がガクガクと震えだして自分の体を抱きながら崩れ落ちる。
「いやー、あの姿は滑稽だったわねー。涙だの鼻水だのなんだだので色んなとこビショビショしながら許しを乞...」
「やめてぇぇ、忘れさせてぇぇぇ!!」
 そして精神面への追い打ちも欠かさない。なんという外道でしょう。
「まったく、これじゃから死神というのはワシら悪魔より性質が悪い...」
 あぁ、やっぱり。
「すいません。ごめんなさい、申し訳ありません。ケチな詐欺師が調子乗ってました」
「ふん」
 怖い目にあったり思い出させられたり、もう散々ですわ...。
「悪人とはいえあんまり人間をいじめるもんではないぞ。コレで処罰せんのじゃからあのエンマも百の字には甘いのう」
「元はといえばアンタの部下につきあってあげたんでしょ。それがあのバカあんな事まで...」
「そして人のせいにしよる。たしかに件の騒ぎは部下のせいとはいえ、その後の顛末はオヌシが騙したせいもあるじゃろ」
「うっさいわね。アイツどころか人が憑いてる相手に勧誘かけて死後の世界についてベラベラ喋るアンタも大概なんですけど!?」
「カッカッカッカ! それに関しては偶然じゃ、ワシが目を付けた相手に憑いてたオヌシも運がなかったのう」
「完全に面白がってんでしょうが!!」
 なんですの? 悪魔と死神って死後の世界のルール的には相容れないものじゃないんですの? なんで仲良く談笑してるんですの? 死神のほうがマオに振り回されてるだけにも見えますけど...。
 ――って、“憑いてた”?
「今その死神、ワタクシに憑いてたって...」
「うむ。近々死ぬからの」
「はぁ!?」
「じゃから勧誘を持ちかけておるのじゃろう」
 いやそんな都合知らないし聞いてないし。
「そんな重要なことは先に話すべきじゃないんですの!?」
「じゃからもうすぐ死んで地獄に堕ちるからと...あぁ、そういえば百の字に気を取られて話しておらんかったか」
「え!? やっぱり!? ワタクシ死ぬんですの!?」
 魔王だの死後の世界だのより今日一番のショッキングなんですけど!?
「詐欺師なんぞやってればロクな死に方せんのは覚悟しとるじゃろう」
 因果応報。あるいは天罰。そりゃ恨まれるようなことは沢山してきましたけれど、マオの口ぶりから察するにもしかしてワタクシ殺されるんですの? そうならないようできるだけ気の弱いのを狙ったり、依頼人に恨みが向くよう目立たないようにやってたケチな詐欺師ですのに...。
「とまぁ、そう言うわけじゃから地獄に堕ちるのがイヤなら悪魔になるがよい」
「ちょ、ちょっとお待ちなさいな! 地獄に堕ちない事と悪魔になる事の因果関係がわかりませんわ!」
 悪魔になるほうが地獄に堕ちるよりマシだとしても、悪魔なんてなったらそれこそ地獄に連れて行かれそうじゃないですの。そうでなくても死んでからも働くなんて冗談じゃない。
「悪魔は存外に快適...とは言わんが、悪魔になって十分に働いたらワシの手で転生するなり、コネで天国へ入れてやろう。その筋には顔が利くでの」
「ちょっと魔王と天の神様ズブズブではありませんこと!?」
 悪魔の行いって死後の世界のルールに反するんじゃないですの!?
「アタシに言われてもてねー...」
 死神がワタクシの問いつめに目をそらす。人間と神々どっちがどっちに似たのか、向こうのルールもだいぶ胡散臭いですわね...。
「それに死後の世界のルールに反するとはいえ、今の悪魔の行いは人間を幸福にすることじゃ。確信犯とて善行には違いないのじゃから天国へ行くことも...」
「それですわ!!」
「む?」
「お?」
 どうしてすぐ気付かなかったかしら、悪いことをすれば地獄へ堕ちる。ならばその逆も然り!
「今からでも善行を積めば悪魔になんかならなくても、天国へ行けるじゃありませんの!」
「ま、まぁの」
「アンタの場合罪の清算が先の気がするけどねぇ...。まぁアタシや魔王のせいですでに相応の痛い目は見てるけど」
「堀の中では善行は積めませんわ! 善は急げですわよ!」
 事故死が迫っているなら時間は無駄にできませんわ、ワタクシはマオと死神をほっといて善行を行いに外へ向かった。
「やれやれ、大した悪あがきじゃ」
「アイツ善行の難しさわかってるのかしら」
 
 
 
「......で、善行って具体的に何をすればいいんですの?」
「前途多難じゃな...」
 外に出れば何か世のため人のためな事ができそうな気もしたけれど、町の中を軽く散策したところで特にそれっぽいものが見あたらないことに気がつく。とりあえず例の二人も後を付いてきていたので何かヒントはないかと訪ねてみる。
「火星人でも攻めて来るのを願うことね、撃退すれば天国くらいはいけるでしょ」
「火星人まで実在したんですの!?」
「いやジョークだから。詐欺師がそこを本気にしてんじゃないわよ...アンタ意外と天然ね」
「ワタクシは真面目な話をしてますのよ!」
 死神が言うと非現実がどこまで冗談かわからないじゃないですの!
「火星人撃退はまぁともかくとして。助言をくれてやるのはやぶさかではないが...」
「あら、教えてくださるのね」
 悪魔に勧誘するためにむしろ邪魔するぐらいかと思ったけれど、良い心がけではありませんこと。
「教えたところでオヌシにできるとは到底思えんからの」
「見くびるんじゃありませんわよ! ワタクシの僅かばかりの良心の底力見せてあげますわ」
「やれやれ」
 ワタクシの啖呵にマオと死神が顔を合わせて呆れている。ナメんじゃないですわよ、詐欺師とはいえワタクシにだって良心の呵責とかそんなのはちゃんとあったのだから!
「天国行きの善行となると、ナデシコがキリスト教徒ならば話が早いのじゃが」
「ま、見た感じ信仰に関しては典型的な日本人よね」
「...どういうことですの?」
 なんでここで信仰の話になるのか。
「死後の世界やルールは現世の国や宗教感で違うのだけど、共通してるルールに『魂は信じる神の元へ送ってやる』て七面倒くさい決まりがあんのよ」
「多くはその者が信ずる神の使いが魂の回収を行うのじゃが、宗教感の特殊な日本人はとりあえず日本の神の使いが担当しておるの」
「向こうのお出迎えは派手よねぇ。神によっちゃ「自力で昇天ってこい」なんてのもいるけど」
 あぁ...思えばエンマとか転生とか日本の宗教感でしたわね...。他所の国には他所の死後の世界がありましたのね。
「オヌシがキリスト教徒であれば死後の世界は向こうの神のルールに準ずる事になる。もっとも免罪符は買えぬじゃろうがな」
「悪事働いても地獄系に送らない神もいるけどねー」
「かえって胡散臭いですわね...」
 そんなうまい話、詐欺師からしてみれば絶対裏があるとしか思えない。
「まぁ力の弱い神を信仰したばかりに死後に持て余されて他の神々に泣きつくなんてよくある話よね」
 そういう意味では自動的な感じの日本人は恵まれているのかしら?
「日本の神や仏となると裁定が少々複雑故に、エンマ“共”の判定に一任されておるが...」
 魔王が複数いるみたいには聞こえてましたけど、閻魔も複数いるんですの...? そりゃ一人でカバーなんてできないでしょうけども。
「最近は面倒くさいから周りに倣えみたいな風潮あるし。同じと思っていいんじゃないの。少なくともウチの上司はそういうとこあるし」
 そんな大事なこと面倒くさいとかで決めないで下さる?
「それもそうじゃの。となるとアレじゃな」
「アレね」
「アレ?」
 結論の出たらしいマオと死神が顔を見合わせ、口を揃える。
「「自己犠牲」」
 


「命救って代わりに死ね」
 有り体に言うとそんな感じではあるけれど、身も蓋もない言い方をされましたわ。
「命ならばイヌネコ畜生でも良いが、昆虫とかではエンマも向こうの神もちょっと対応に困るやもしれんのう。まぁ人間を助けるのが無難か」
「畜生て...無難て...」
 自己犠牲ってもっとなんか、美しい感じのものではありませんの...?
「ま、クモの糸じゃ縋るには心許ないわね」
「ワタクシはカンダタ程の極悪人ではありませんわ...」
 あの作品でクモが殺せなくなった人間は多そうですわよね。もともと益虫ですけど。ワタクシはというと気にせず潰している。
「自己犠牲できるような事故・事件なんぞそう都合良くあるものではないが、おあつらえ向きにここでその手の事故がおきるようじゃ」
「都合良くあるじゃないですの...」
 そして何らかの本を開くマオに案内されたのが車通りの多い横断歩道。
「もうじきここを暴走車が通る、その時にここを渡ろうとするわっぱをオヌシが突き飛ばせばめでたく自己犠牲完遂じゃ」
「ていうかアンタらのそれ、アタシらのより性能良くない? おかしくない?」
「一つ一つワシのお手製じゃ。量産品なんぞには劣らんわ」
 小さめのドクロをいじる(?)死神と本をいじるマオは互いのそれを品定めするように見つめる。アレは何らかの道具なのかしら。
「死ぬのは変わりありませんけど、それで天国に行けるのなら...」
 ワタクシの死の確率がどんなものかはわかりませんけど、マオが勧誘に訪れるくらいなのだから高めと思っていいでしょう。どうせ死ぬなら自己犠牲とやらで善人になってやる。
 いや、でも...、アレに当たるのですわよね...。
 大通りの車の速度は速く、来るのが暴走車となればその速度も...。交通事故の現場なんて居合わせたことはありませんけど、事故の状態って...。
「その車、ダンプとかトラックではありませんわよね...」
 嫌な光景が目に浮かんで尻込み。我ながら往生際が悪い。
「ミンチになりたくはないか。確証はないが恐らくスポーツカーじゃろう」
 死ぬときの痛みがどんなものかわからないし、即死かもしれないけれど。どうせ死ぬなら楽な方がいいですもの...。
「ホントにそれで天国に行けますのよね? そこの死神はともかく魔王のアナタが協力的なのもよく考えたら不自然じゃありませんこと?」
 その死神すら信用できたものではないのに、ワタクシに天国に行かれたら勧誘してるマオとしては困るはず。この二人がグルだったりしたらワタクシの死の運命だって怪しいですわ。
「アタシはアンタが死ぬように仕向けたら罰則喰らうからただの傍観者よ。全部コイツがやったこと」
 思いっきり関わってるのですけど、魔王が死神と相容れないからって全部なすりつける魂胆かしら...。
「さっきも言ったがオヌシにできると思うとらんからの。仮に出来たらワシの見込み違いと思って諦めるわい」
「まぁ失礼な!」
「どうかしらねぇ。自己犠牲とはいえ利己的な目的あってだから案外度胸見せるかもしれないわよ?」
「そうですわ。無償の愛なんてクソ喰らえですけど自分のためであるなら話は別ですわよ!」
「いっそ清々しいの」
「あんまりその辺大っぴらにすると評価に響くわよ。地獄耳の語源って知ってる?」
 閻魔大王の耳が地獄にいても現世の声を聞き漏らさないから――ってそんな豆知識どころじゃないですわ。
「アガベー最高! 自己犠牲はなんて美しいのでしょう!」
「よけいにうさんくさいわよ...」
「ほれ、そろそろじゃぞ」
 死神がもう何も言う事はないと言った様子で呆れてると、マオが横断歩道向こうの子供を指し示す。向こう側で信号待ちしている人間は何人かいますけれど、あの少年を突き飛ばせばよろしいのね。
「信号が青になったら飛び込むがよい。こんな都合の良い案件そうそうないからの。逃せば次はないぞ、覚悟を決めい」
「えぇ...」
 そうですわ、馬鹿なことをやっている暇はありませんわ。ワタクシは死ぬ覚悟を決めなくてはいけませんもの...。
 そう思うと心臓がバクバクと鼓動して、息も忘れて信号を凝視していると遠くから大きなエンジン音が聞こえてくる。
 信号が青になったら
 飛び込んで
 突き飛ばして
 ワタクシは
 死ぬ。
「!!」
 信号が青になったのを合図に、ワタクシの体が動く。
 次いでタイヤのゴムの引きつるような音に、大きな衝撃音。
 そして、静まりかえる日常...。
 ...............。
「あ...あぁ...あぁ...」
「ワシの見込み通りじゃったな」
 動いたつもりの体はその場にしゃがみ込んでいて、ワタクシは両目を閉じてその耳を塞いで、震える体を落ち着けんとしていた...。
「自ら死ぬのは簡単な事ではない。それが己のためならば尚更の」
 予想通りといった風のマオ。だけど、そんな事はどうでもいい。
「あの子は...あの子を救え...」
 助けられる命だった。それを行えるのは自分だけだった。死ぬための理由は十分だった。
 どうせ死ぬ命なのに!
  それなのに、恐怖にすくんで、あの子を救うことができなかった、見捨ててしまった...。
「わっぱの事を想うくらいの人間味はあったか。良い傾向じゃ」
 事故も子供の命もどうでもいいという風に、マオがワタクシを品評している。
  どれだけ姿形が人間に似ていたとしても所詮は人外、ワタクシ達人間の命なんてどうでもいいのでしょう。それこそ“魔王”のように。
「安心せい、わっぱは無事じゃ。顔を上げてみるがよい」
「え?」
 その光景をとても見られないでいたワタクシは、マオの言葉に恐る恐る顔を上げてみる。
「あ、あぶねぇー...」
「え? え?」
 そこには尻餅をついた男が少年を抱えていた。少年はというとあまりの出来事にまだ混乱した様子。
  少年を抱えたあの男はさきほど信号待ちしてた中にいたような...。
「あのわっぱは元々この事故で死ぬ運命にはないのでな」
「それは...ワタクシを...」
 あの男がマオの手の者でないとすれば...。始めからワタクシの助けは必要なくて...つまり...。
「試しましたわね!」
「ご明察!」
 開き直りやがりましたわ!
「妙だと思ったのよ。あの子に死神は憑いてないし死相リストにも見あたらないし。魔王ってどこまで見えんのよ」
 騙されたのは死神も同じなようで、さっきまでいじっていたドクロ型の何かをコツコツと叩いて呆れている。
「カッカッカ! 伊達に魔王はやっておらん!」
 死神といえど、死の運命全てを掌握してるわけではないらしい。マオのヤツには死神以上の力があるようですけど...。
「もっとも、運転手は無事ではないがの。まぁあれは仕方があるまい」
「えっ」
 マオに言われて思い出し、暴走車の行方を捜してみると子供を避けようとした急ハンドル急ブレーキで操作を誤ったのか駐車場の壁に衝突していた。 ここからでは車の中の様子は見えませんわね...。マオの言葉を聞くに見たくもない状態でしょうけれど...。
「ほれ百の字。あの運転手には死神が憑いておらんぞ。長期未納も危ういじゃろうしとっとと回収にいけ」
「いや目付放置して他の魂を回収に行ったら後で揉めるし...」
 おそらくワタクシに憑いてるから他の魂を回収できないのですわね。その融通の利かなさ、まるで公務員ですわ。
「心配には及ばん。死相リストをハッキングしてオヌシの目付登録を向こうに変えておいた」
「はぁ!?」
 驚く死神がまたドクロ型の何かを慌ててイジリ出す。具体的には目の空洞のとこに指を突っ込んで。
「ほれほれ。目付の魂を放置しては罰則ものじゃぞ」
「くそっ! やられた!!」
 悪戯っぽく笑うマオに怒りをあらわにするがそれどころではないと車の方へ飛んでいき――
「覚えてなさいよー!」
 小物くさい捨て台詞と共にその姿は見えなくなった。
「カッカッカッ!」
 何が面白いのかマオが高笑いをしているのを横目に、落ち着いたワタクシは立ち上がって当たりを見渡す。そろそろ誰かが通報した頃でしょうし、警察が来る前に移動した方がいいですわね...。
「ところでナデシコよ。死神を見たことはあるか?」
「はぁ? あるわけありませんわ」
 何を唐突に。死神なんて存在、マオに聞いただけで正直まだ信じられませんけど、できるなら見たくもありませんわ。
「うむ。ちゃんとヤツとの関わりが消えておるの」
「?」
「コチラの話じゃ。邪魔者を追い払うのが本来の目的だったでな」
「はぁ...?」
 首をかしげるワタクシにマオの説明はよくわからない。その死神とやらが近くにでもいたのかしら。 話を聞くに魔王と死神は死後の世界のルールに相容れないモノのようですし。
「まぁいいですわ。警察が来る前に離れますわよ」
 警察に事故の話を聞かれたくらいでワタクシの素性が明らかになりはしないでしょうけれど。警察になんて可能な限り関わりたくありませんもの。
「...マオ?」
 さっさと歩き出したもののマオの反応がないので振り返ってみると、どこか寂しげな目で何かを見つめている。その視線を追ってみると、さっきの少年とそれを助けた男と、その男の恋人らしき着物の女の誰かを見ているようだった。
「ホントに大丈夫ですか?」
「なんともないって、そんな顔するなよ。ボウズも怪我はないみたいだな」
「う、うん」
 その三人の会話は遠くて聞こえませんけれど、マオの様子はその中の誰かをよく知っている風に見える。
「どうしましたの?」
「いや...なに。世間は狭いと思っての...」
 諦めたように呟くと、マオは三人から視線を離してワタクシの方へ歩き出す。 結局マオの行動はよくわからないけれど、あの着物の女...、どこかで見たような...。
「まぁいいですわ」
 育ちの良さそうな美人だけれど、あの印象でターゲットにしたのなら忘れるわけありませんし気のせいでしょう。 記憶のもやもとっぱらってワタクシはマオと一緒に事故の喧噪を後にする。
 
 
 
 で、どうしましょう。
適当に歩いて事故の現場から離れた公園まで来たものの、自体は何一つ進展していない。
「うーん...」
 自己犠牲のチャンスは元よりなく、あったとしてもワタクシには無理そうね。 ともすれば地道に善行を積むしかないのだけれど...。
「チラッ」
「なんじゃその物欲しげな視線は」
「騙したのですからちゃんとしたアドバイスくらいくれてもよろしいのではなくて?」
「強かなヤツじゃな...」
 そうでもなければ詐欺師なんてやってられませんわ。
「地道に善行を積むとして、間に合うと思うておるのか?」
「やってみなければわかりませんでしょう!」
 悪人が良いことをするとギャップで凄い善人に見えるような感じで、改心したワタクシの善行もポイント(?)は高いかもしれない。
「前向きなその意気やヨシ。ワシとしてもナデシコには善行の尊さを知って貰わねばいかんからの」
「今度こそ手伝ってくださいますのね!」
 といっても相手は魔王。騙されたというか試されたというかさっきの前例があるのだからあんまり信じ過ぎないようにしなければ。
「ワシの部下にここいらの困ってるモノを調べてもらったところ」
「随分手回しがいいですわね」
 本気でワタクシを悪魔にするつもりにしてはイヤに協力的に思えるけれど、本人からすればこれも悪魔にするための一環なのかしら...。
 そもそもからして死後の世界もルールも地獄に堕ちるのもマオから聞いた話。魔王の話だからと言って全部信じていいものなのかしら?  疑おうにも人間であるワタクシが知っている死後の世界なんて胡散臭い話の方が多く、何も知らないのとかわらないけれど...。
「オヌシも悪魔になると思えば可愛い部下の頼みじゃ、やぶさかではない」
「それならさっきの信頼に欠く行為はなんだったのかしらね」
「カッカッカッ!」
「......」
 笑ってごまかす。悪戯っぽいところは見たまま子供というかなんというか。
「まぁそういうな。そこにうなだれておる若い男がいるじゃろう」
「えぇ」
 少し遠目、マオの示すところには見るからに悩みを抱えた風な若い男が一人、ベンチで落ち込んでいた。
あれの悩みでも聞けばいいんですの?
「恋人に振られて落ち込んでおる」
「なるほど」
 実にわかりやすいですわね。
「そこの通りの裏に連れ込み旅館(※)があるから慰めてやるといい」 ※(80年代の今で言うラブホ)
「はぁ!?」
「詐欺師なら男を喜ばすのにも長けておるじゃろう?」
「バカじゃありませんの!? いきなり知らない男相手にセ...、体開いてそれのどこが善行ですの!?」
 そんなビッチまがいの行い、返って印象悪くなるでしょう! 仮に善行にカウントされるとしてもイヤですわ。
「カッカッカッ! 冗談じゃ。オヌシも意外に純朴じゃのう」
「いい加減にしないと張っ倒しますわよ...」
 こっちは真面目に善行に悩んでいるといいますのに。自業自得とはいえ。
「いやなに。恋愛ごとには代わりないようじゃがよくある悩みじゃ、ちょっと話して背中を押してやれ」
「そう言うことですの」
 そういうのも善行にカウントされるんですの? まぁ話を転がすくらい詐欺師にかかれば簡単ですわ。
またからかわれても面倒なのでワタクシは使えそうな小道具をポーチから取りだして男の元へ近づく。
「あの、もし?」
「あ、はい?」
「何か、困りごとではありませんか?」
「あ、いえ...」
 初対面の相手には当然の反応で、ワタクシは明確な拒否の意志が出る前に攻勢に出る。
「あ、自分は近くの教会でシスターをしております」
 そう言ってさっき取りだして首に掛けておいたロザリオを見えるように手に取る。
新興宗教の類であれば別として。身元がハッキリしてる聖職者というのは安心するものだ。勿論嘘の身元だけれど。
「何かお悩みであれば、お力になれればと思いまして。お話されるだけでも気が楽になりますよ」
 そしてやわらかい笑顔。ワタクシのこの顔に無下な反応をできる男はいませんわ。
「えっと...」
「隣、よろしいですか?」
「あ、はい」
 よし、悩んでいるうちに一つでも肯定の意志を得られた。こうなれば後はズルズルと...。
...............。
「ありがとうございます、少し気が楽になりました」
「いえいえ、お力になれたならなによりです」
 本当に大したこと無い悩みだった。ワタクシはというとアドバイスどころかただ聞いているだけで、彼の言葉にニコニコと「はい、はい」言っていただけだ。
「なんだか勇気が湧いてきました、がんばってみます!」
「はい、その意気です!」
 こういう時の「頑張って」って返答、なんだか他人事を強調するようで、突き放してる感じがしてワタクシは好きじゃない。
「シスターさん、ありがとうございました!」
 元気になった青年はワタクシの手を取って深くお辞儀すると、駆け足で公園を後にする。
ワタクシはその姿が見えなくなるまで笑顔で手を振り続けた。
「ふぅ...」
 柔らかい笑顔って、結構顔の筋肉使って疲れるんですわよね...。清楚系演じるのはいついらいかしら。
「流石の手際じゃな」
「本当にこんなのが善行になるんですの?」
 ずいぶんと感謝されたけれど、ワタクシが彼に何かをやったようには思えない。勝手に元気になっただけだ。
「赤の他人との関わりに消極的になった忙しない現代。他人の何気ない優しさが心に染みるのじゃよ」
「それにつけ込む連中もね」
 ワタクシみたいに。
「見返りを求めない善行に感謝の言葉。ナデシコもまんざらではないのではないか?」
「ん...」
 マオのワタクシを見る目で“清楚な女性”をやめたはずなのに、まだ顔が綻んでいるのに気がつく。
「そりゃ...嫌なものではありませんけど...」
 見返りを求めない善行かといえば、ワタクシの善行は地獄に堕ちたくない、天国に行きたいというもので。とても純粋な善行とは呼べない気がする...。
 思えば、人を騙して生きてきた自分は、どれほどのちゃんとした「ありがとう」を貰えただろうか。
先ほどの青年の「ありがとう」ですら、ワタクシが取り繕った「心優しいシスター」に向けられたもので、ワタクシに向けられたものではない。
人を騙して恨みの言葉に聞き慣れたワタクシが、こんな些細なことで何を喜んでいるのだろう...。
「思うところありか...。良い傾向じゃ」
 ワタクシの心を読んだのか顔に出てたのか、マオが満足げに笑う。
「ところでナデシコ。キリスト教徒でもないのに十字架を持ち歩いているのじゃな」
「これは母に持たされたものですわ」
 男の警戒を解くために使った十字架を手の中で転がす。詐欺師が何を持ってたって不思議はないでしょうに、目聡いのか好奇心か。
「ほう? オヌシの母はキリスト教徒か」
「ろくでもない方のね。父が事故で死んで、悲しみから毎日教会で神様に祈るばかりで生活も経ち行かなくて、ワタクシは学校をやめて働くハメになりましたわ」
 父の事故は“加害者側”だった、慰謝料で蓄えは吹き飛び生活はどん底、学校を続けられるはずもなく...。
それまで特に目立った信仰のなかった母は悲しみを癒すため教会に通い初め、働きもせず祈るばかり。当然、生活はすぐに破綻した。
「ふむ...神が憎いか?」
「別に...」
 教会や信仰に恨みが有るわけではない。だけれど母と一緒に祈ってるだけでは、何も変わらなかった、神様とやらは何もしてくれなかった。
だからといってワタクシの悪事が正当化されるわけでもないけれど、悪人になったのはどこかで憎んでいた反抗心からのような気もする。
「元々、神様に決められた運命だとも思っていませんもの。都合の良い時にだけすがって助けてくれなかったと恨むのはお門違いでしょう?」
 そもそも本気で神が居たとも思っていなかったし。マオに出会った今でも、全てが神の仕業だとも思えない。
「頭ではそう思っても、心でそう割り切れるものではあるまい。ナデシコが神を憎むことで気が楽になっていたなら、憎まれるのも仕事のうちじゃよ」
「ふふっ」
 憎まれるのも神の仕事のうち、だなんて魔王らしい理屈ですわね。それこそワタクシはキリスト教徒ではありませんのに。
「少なくとも、神を憎むおかげでナデシコは母を憎む事はなかったようじゃしな」
「......」
「毎月の仕送り、合点がいったわい」
 一体どこまでワタクシの事を調べてるのやら。どこまで知って話させたのやら...。今更怒る気にもならない。
「それこそ、熱心な母がワタクシが稼いだ汚れた金で生活するなんて、最高の皮肉でしょう?」
「カッカッカッ! やはりオヌシはワシの好みじゃ、直々に勧誘に来てよかったわい」
「ワタクシはまだ悪魔になると決めたわけではありませんわよ」
「うむうむ。存分に悪あがきするがよい、ワシも助力しよう」
 まるで悪魔になるのが確定しているようなマオの言い分に、ワタクシの善行はほとんど意地になっていた。
 
 
 
「ロクデナシコにしては、ずいぶんと善行が様になってきたではないか」
「ナデシコですわ!」
 先ほどの善行で汚れた服を払っているとマオが茶化してくる。
 マオと出会って五日、マオの声や姿はワタクシ以外に認識できない様子だった。
人助けの最中などは黙って見守るだけでアドバイスなどもなく、周囲に人影が無くなってから話してくる。
もっとも、初日のアレを思うに姿は自由に人に見せることができるのでしょうけど。
「次の善行......と行きたいですけど流石に疲れましたわね、今日はここまでにしますわ」
 疲れが顔に出ては人助けをしようにも遠慮されかねない。日も落ちてきたし潮時ですわね。
木登りやら猫との格闘やらでだいぶ汚れましたし...。
「ではオヌシの日々の頑張りにワシのとっておきを」
「またカップメンですの?」
「うむ!」
「そこのファミレスに寄っていきますわよ」
「せめて銘柄くらい聞かんか!!」
 自信満々だったマオの提案を無視して適当に目に付いたレストランに入る。
魔王の癖にとは言わないけれどカップメンが好物らしく食事の度に勧めてくる。どうせもうじき死ぬのだから健康に気を遣う必要もないけど、そもそもあの手の味はあまり好きじゃないし。
食事は母の元を離れてからできるだけ自炊しているが、今日は疲れたから外食で済ましましょう。
「いらっしゃいませー、何名様ですか?」
「えーっと......」
「2名じゃ!」
「お席へご案内しますねー」
 マオは姿を見せるだろうかと考える間もなく店員の前に出られて席へ案内される。食事の時は元気ですわね......。
「あら」
 この手の店もあまり利用しないので気がつかなかったけれど、席に案内されるまでの店内には見覚えがあった。
ここはワタクシとマオが出会ったあの店、ワタクシの人生が狂い始めた場所だ。
「はぁぁぁぁ......」
「なんじゃイキナリ」
 店員が居なくなってから、マオとの出会いから今日までの日々を思い返して思わずうなだれる。
「なんだか自分のやってることの徒労感がどっと......」
 マオの手伝いもあって善行自体はかなりスムーズに積めている。だけど、そのどれもが大した行いでもない。
自分の悪事がどれほどのもので、この小さな善行がどの程度の評価になるかもわからず、目標の見えないゴールにげんなりしてきた。
いっそのこと頭丸めて仏門にくだった方が楽だったかしら......、でも解脱したいわけでもないし......。
「手応えはないかもしれんが、お礼の言葉は嬉しいであろう?」
「さっきの猫がお礼を言っていたとも思えませんわね」
 袖の下のひっかき傷をマオに当てつけて見せる。
「情けは猫のためならず」
 そりゃ自分のための善行には違いないけれど。
「主張が変わってますわよ」
「カッカッカッ!」
 とぼけるマオに呆れてワタクシもメニューを選ぶことにする。これに愚痴っても返って疲れるだけでしょう。
「あの......スミカさん?」
「はい?」
 聞き覚えのある声でどこかで聞いた名前。自分の名前ではないが“偽名”に条件反射で体が反応して顔を傾ける。
と、隣の席にいつかのぼっちゃんがいた。
「あら、奇遇ですわねヤスシさん」
 だらけた姿勢を正しもせず、ワタクシは開き直ったようになんてことのない顔で挨拶する。
「えと、いや、どうも...、先日は、なんていうか...アレ?」
「おぉ、オヌシはいつぞやの!」
 気まずそうに言葉を選んでいるお坊ちゃんの目がマオを凝視する。ワタクシに気を取られて気付かなかったのかしら。
「え...やっぱり......?」
「言っておくけど、ワタクシの子じゃありませんわよ。今更信じなくても構いませんけど」
「あれから仲良くなっての」
 もはや用の無くなった彼になんと思われようが別に知ったことではない。詐欺師とバレようが身元が割れるようなヘマもしていないし、怒り出すタイプでもないはず。
「その事はほんと申し訳ない! オレ浮かれてたからショックで気が動転して......」
「......?」
 つっけんどんなワタクシの態度を当てつけだと思ったのか、お坊ちゃんのまさかの謝罪にワタクシは目を丸くした。
「あれからバーにもこないし、家の人には相手にされないし、謝ろうにもオレどうやって連絡すればいいかわからなくて...」
 元々あのバーは常連ではないし、屋敷に行ったって澄香なんてお嬢様は存在しない。その相手にされないのをワタクシが怒って門前払いされてると勘違いしたと...。
「まさかワタクシに謝るためにレストランに張り込んで?」
「食事時になら...、もしかしたらお会いできるかなと......」
「今時珍しい純朴な青年じゃのう」
「......」
 呆れてモノも言えない。騙されていたことに気付かないどころか、ただ謝罪のためにそこまでしていたなんて。
「謝る必要はありませんわ。子持ちが事実でないにしてもアナタに嘘をついていたのにはかわりませんもの」
「嘘...といいうと?」
 勘違いを続ける元ターゲットに正体を教える理由なんてないけれど、この世間知らずの坊ちゃまにはなんというか、言ってやらないと気が済まない。
「色々ありますけどまぁ...、身分とかですわね」
 流石に詐欺師とまでは言う勇気は持てなかったけれど。横目で見たマオがなにやらニヤニヤしている。
「身分...、というとホントは財閥のお嬢様ではない...と?」
「えぇ、そう。だからアナタがワタクシに関わる理由なんてもうないでしょう」
 さぁこれでお別れね、と思っていたのに。
「身分とか関係ないですよ!」
「...え?」
 まっすぐな目で否定された。
「スミカさんはオレが財閥の御曹司だから仲良くなってくれたっていうんですか!」
「え...えぇ、そうだけど...」
 正確には持ち株が目当てで...。
「ん...? あ、違うな」
 その勢いに戸惑っているうちに間違ったらしい彼は少し考えて改める。
「オレはスミカさんが財閥のお嬢様だから仲良くなりたかった訳じゃないです!」
「そ、そう...」
「食い下がるのぉ」
 いや、その前にワタクシがアナタの財産とかを目当てに近づいたって白状しましてよ?
「だから、あの、ヤスシさん。落ち着いて考えて」
「は、はい」
 何故ワタクシが騙していることを説得(?)しなければないないのだろう。
「ワタクシが身分を偽ってまでアナタと仲良くなったのは、アナタが財閥の御曹司だから。わかりますわよね?」
「はい!」
 何故そこで元気よく返事できるのか、ワタクシにはわからない。
「つまり、ワタクシはアナタに好意を持っているわけではないのですのよ?」
「オレはスミカさんが好きです!」
「ちょっ!?」
ちょっと待って近い近い近いですわ! そんな真っ直ぐな瞳を近づけないで下さいな! 離れようにも手まで握られて...。
「おー」
 顔が紅葉し戸惑っていると彼の大声を聞いた周囲の客とマオが茶化すように感嘆と拍手を送ってきている。見せ物じゃありませんわよ!
「そ、その...ですから、アナタがワタクシをどう思っていてもワタクシはアナタに好意を持っては...」」
「そりゃ出会って間もないんですから、スミカさんがオレのこと好きじゃないのは仕方ないですよ!」
「だからそう言う事じゃ...」
 出会って間もないのになんでワタクシの事を好いてますのよ!? イヤそういう風には仕向けてたけれど、ワタクシの嘘を知ってなんでまだ食い下がりますの!
「だから、スミカさんがよければ友達からでもいいので改めてオレとお付き合いをお願いします!」
「わかりましたから手を離してくださいな!」
 いい加減彼のまっすぐな瞳と周囲からの視線が耐えられなくなり、内容もよく考えずに承諾してしまう。
 自業自得とはいえ、こういう形で返ってくるとは思いもよりませんでしたわ...。
 


 その後、ワタクシは居たたまれない思いのまま彼のおごりで食事をしてレストランで別れを告げた。ポケベルの番号を教えて。その帰り道。
「いやはや、良い見せ物じゃったわ」
「他に言うことはありませんの!」
「あの男の純朴さもさることながら、オヌシの反応もさながら初恋に戸惑う乙女のような...」
「感想を聞いたのではありませんわ!」
 他に言うことってそういう意味ではない。
「しかしオヌシは男の扱いには手慣れているモノと思っていたが、案外押しに弱いのじゃな」
「そ...それは...」
 ワタクシだって押し負けるだなんて...。
「あんな...まっすぐな人は始めてでしたもの...」
 自分が女であることを利用して、騙している相手の下心はよく感じてきたし都合もよかった。それでも体を開くのはイヤだったから尚更慎重に騙してきた。
そんな中、あそこまでまっすぐに“愛情”を感じたのは始めてで戸惑いを隠せない。
「ふむ...、まんざらでもない様子か」
 あんな醜態をさらしては今更否定もできない。
「元はといえばアナタが邪魔したから...」
 思えば、ワタクシは彼に好意どころか悪意を持って近づいたはず...。
「ま...まぁ、その点はむしろ感謝しておきますわね...。彼に恨まれる事もありませんし...」
 彼の好意がまだ残ってるなら今からでも仕事をやり直せる...。どころかあの様子だとかつてないラクな仕事になりそうだけれど、今は善行を積まないといけないし、そうでなくてもあの人をこれ以上騙す気は起きない。
「存外、ワシではなくあの青年ならオヌシを真っ当な人間に変えられたやもしれんの...」
「なんの話ですの」
「そういう運命もあったかもしれんと思うと、惜しい話じゃな」
「?」
 先ほどまでご機嫌だった様子のマオは、いつのまにか夜の闇に溶けるような暗さになっていて。
「時間切れじゃ」
「マオ?」
 その言葉を最後に、マオの姿が消えていた。
「マオ、マオ...?」
 夜の闇に急に取り残されたワタクシは落ち着いて当たりを見渡すがマオの姿はなく、呼びかけに返事もない。
街灯の僅かな明かりでは確かではないモノの、あたりにその姿は見あたらない。最後の言葉の意味を確認する暇もなく...。
「こんばんはナデシコさん」
「!?」
 人影が、暗がりから現れた。見た感じ20代ほどの男の...。
「どちらさまかしら...」
 暗くて顔はよく見えないし声も一言だけだが多分知っている人間ではない。いえ、知っている人間だとしてもその雰囲気は決して歓迎できるものではありませんけれど...。
「誰だっていいじゃないですか。わかってますよね、自分のしてきたこと...」
 口ぶりから察するに、ワタクシの事をよく調べている。“ナデシコ”という本名も普通なら知っているはずはない。
「なんのことかしら...」
 見た感じ、相手は普通の人間で、マオのような存在ではない。それでも男から感じる明確な“敵意”は、マオの「時間切れ」を理解するのに十分だった。
「わかってんだろ...、自分がどれだけの人間に、どれほど恨まれてるか...」
「......」
 丁寧だった口調は少しづつ怒気を帯びて...。
「そうさ、アンタを殺したって喜ぶヤツばかりなんだ...。オレは間違ってない、アンタを殺すのは間違ってない!!」
(刃物!?)
 懐から取りだしたモノがナイフだと気付いた瞬間、ワタクシは背を向けて走り出す。足がすくんで動けないものと思っていたが、幸いにも体はちゃんと動いた。だけれど。
「まちやがれ!」
 当然相手も追ってくる、逃げる当てなどない。道なんて思い出していられない、ただひたすら足を動かすしかない!
(逃げられるの...?)
 逃げ出してはみたものの、自分の体力も運動にも自信はない。なにより、自分がこの男に殺される運命にあるとすれば逃げても無駄なのかもしれない...。
「イヤ...!」
 だけれど、、わかっていても、背中からの恐怖がワタクシの体を動かす。
「はぁ...はぁ...」
 ただ足を動かすことだけに集中して、後ろからの声が離れなくて、気がついたらどこかの廃工場に居て...。
「追いつめたぞ」
 迷路のように積まれたコンテナの先は、行き止まりになっていた...。
「はぁ...はぁ...、アナタは一体誰なんですの!」
 逃げ場を失った今はせめて助けが来るのを祈ってできるだけ大きな声で時間を稼ぐしかない。だけれどこんな場所に人なんているのだろうか、それこそマオが...マオが助けてくれれば!
「アンタが自殺に追い込んだ女の弟だよ! 身に覚えがありすぎてどうせわかんないんだろう!?」
「待って、自殺!?」
 そんな!? ワタクシは騙しはするけどそこまで追い込んだりは...。
「ワタクシは借金取りじゃありませんわ!」
「わからねぇよな! 取るもん取ってさっさと消えたアンタには! その後どうなったかなんてよ!」
 仕事が終わった後、騙した相手がどうなったかなんて調べてはいない。むしろ、それを知るのが怖くて知らないようにしていた。だけど自殺だなんて...。
「追い込んだのは他の連中でしょう!」
「元凶はお前だろうが!!」
 直接恨まれないように、恨まれてもそんな気が起きないような相手を選んできた。だけれど、騙した相手の身内は別だ。男の復讐は正当で説得の余地なんてなくて...。
「いや...いや...」
 死にたくない...死にたくない。誰か...誰か助けて...。マオ...マオ...。
「死ね!」
「マオ!! 助けてぇ!!」
 男のナイフが迫り、顔を伏せて叫んだ...。
 ...
 ......
 .........
 ............
 もうダメだと思ってから、時間が止まったかのような静寂...。
 ワタクシの胸に痛みはなかった...。
「な、なんだ...?」
「まぁ待てよ青年」
「マオ...?」
 驚いた様子の男に続いてマオの声が聞こえて、恐る恐る顔を上げると、ナイフを指二本で止めるマオの姿が見えた。
「くっ...なんだ、一体!?」
「すまんのぅ、どうにも見てられなんだ」
「うわっ!?」
 男はナイフを動かそうとしているようだったがマオに止められたナイフはビクともせず、それどころかマオが手をかざすとナイフだけマオの手に残して男が軽く吹き飛ばされる。
「はぁぁぁ...」
 その様子を見て、力の抜けたワタクシもへたり込んでしまった。
「青年よ、こんなクズのために前途あるオヌシが罪をかぶることはない」
「なんだこのガキ!」
「仇討ちといえど今の人間社会、殺人の罪は重かろう。死後の地獄行きも免れんしのう」
 説得する気があるのかないのか、到底相手の殺意を消せるモノには思えない。だけれど危機が去って放心に近いワタクシはその様子を見守ることしかできない。
「殺人がなんだ! そいつがやってきた事に比べれば...」
「うむ。それはワシも心得ておる。コヤツの所行で少なくとも三人が死んでおるしの」
「え?」
 三人...? ワタクシの罪って、そこまで重いモノだったんですの...?
「しかし、だからといってコヤツを殺して青年まで不幸になるのは忍びない」
 なにか、ワタクシじゃなくて相手の男を想って現れたような口ぶりに...。
「オレはソイツを...!」
 もはや聞く耳を持たないと言った男は立ち上がるが、それよりも早く...
「じゃから、ワシが代わろう」
「...え?」
 ワタクシの
 胸の先に
 マオの腕があって
 その手には
 ナ イ フ が 持 た れ て
「あ...あ...あ...あ...」
 それが、引き抜かれると、胸から生暖かいものが流れて、喉の奥から何かが逆流してきて、息もできなくて
「がっ。あぁぁぁぁ...」
 ワタクシの体は、自分の体から大量に出た液体の上に倒れて、痛みが.........
「あぁぁぁぁ!!!」
「すまぬの、ナデシコ」
 言葉にできない痛みと共に薄れ行く意識の中、ろくでもない謝罪の言葉だけが聞こえた...。
 
 
 
「ん...んー」
 夢から覚めるとも、意識を取り戻すとも違う、まるで生まれるような感覚でワタクシのまぶたが開く。
「お目覚めかねオヒメサマ」
「王子様がいないんじゃハッピーエンドになりませんわね...」
 側に立つマオに皮肉を零しながら、自分の身に降りかかった事態を思い出す。
 そう、たしかワタクシはマオにナイフで...。
「!?」
 慌てて体を確認するがどこにも異常はなく、服も破けていない。
「ワタクシ...死んだはずじゃ...」
「うむ、バッチリ死んでおるぞ。ほれ」
「えっ」
 マオに促されて横に目をやると、血だらけの女の死体が...。
「ひぃ!?」
 血だらけにうつぶせ気味なのでハッキリとは見えないが、その姿は間違いなくワタクシの体だ。
「そう...。ワタクシ死んだのですわね...」
「うむ」
「...この体は、幽霊? 死んでても服は着てるのですわね」
 改めて自分の体を確認するが、生きていた頃との違和感はあまりない。胸を刺されて死んだのに体も服も無傷なのはどういうことなのか。
「霊体は自身を...あいでぃんてぃとか言ったか、“自分だと確立する姿”になるからの、オヌシの霊体は少し若返っておるようじゃな」
「言われてみれば...」
 肌の感じが曲がり角より前のような、そのくせ化粧をしている感じはあるけど。化粧を覚えるのが早かったからかしら。自分の遺体と見比べてみる。
「......あっけないものですわね」
 霊体の自分と比べて、なんと無惨な事か。詐欺師にはお似合いなんでしょうけど...。
 覚悟はしていたが思っていたよりも早かったような。いいえ、マオがそういったそぶりを見せてから覚悟をすればいいとか、最後には助けてくれるんじゃないと期待していたのだろう...。思い返してみれば死ぬ前の自分はなんと見苦しい事か。
「期待させておいて自分から手を下すなんて、最悪ですわね...」
 助けてくれるどころか、まさかマオに殺されるとは思わなかった。だけど不思議と怒りは湧いてこない。死んでみればなんともあっさりしたものだ。
「そう言うな。きゃつの憎悪では死ぬまで何度刺された事か...。流石にスプラッタは見ていられんのでな」
 どうやら、マオのおかげでまだラクに死ねた方らしい。もっとも、青年に殺しをさせたくないという言葉も嘘ではないのでしょうけど。
「そういえばあの男は...?」
 周囲を見渡しても自分の遺体以外に人影はない。暗闇だというのによく見えるのは霊体だからかしら。
「オヌシが死んだのを確認してからふらふらと帰っていったわい。どちらが死人かわからないような顔をしてな」
「アナタに復讐を邪魔されたからかしら」
「オヌシへの復讐だけが生き甲斐になっていたのじゃろう。仮に自分の手で殺してたとしても灰のように燃え尽きたに違いあるまい」
「ワタクシの悪事はそんなにも人を不幸にしたのですわね...」
 ケチな詐欺師とはいえ、ワタクシの事をあれだけ調べるのは簡単な事ではなかったはず。憎悪を糧にワタクシの事を調べ上げ、復讐するのが彼の“人生”そのものになっていたのだとしたら、彼はこれから何を糧に生きるのだろう。自分を殺すはずだった男なのにそんな心配まで湧いてくる。
「さて、どうする。“殺す気はなかった”とはいえ三人を死に追いやった罪を今日までの善行で清算できたと思うのなら死神を呼んでやるが」
「三人だけじゃありませんわ...」
 あの憎悪を受けるまで、自分の罪の事を軽く考えていた。ワタクシの悪事は当人はおろか、その周囲のどれだけの人を不幸にしたのだろうか。自分が改心したからといって、その人たちの憎しみが消えるわけでもない。ならば自分は...。
「罪を受け入れるなら、地獄に堕ちるべきなのでしょうね」
「そこまで悟られるのはわしも想定外じゃ」
 珍しくマオが困った顔をしている。マオとしては最初からワタクシを悪魔にする腹づもりでしたものね。
「罰を受けるのと善行を積むのと。さて、どちらが尊いのかしら」
「さぁての」
 そこは嘘でも後者を薦めるべきじゃないんですの?
「ワタクシが地獄に堕ちても誰かが幸せになるわけでもなし。わからないのであれば、その人達に認められるだけの善行を積んでやりますわ」
 それに、地獄に堕ちるのはやっぱり怖い。
「恩讐の彼方に、か」
「創作らしいですわよ」
「夢がないのぅ」
 “悪魔”が人間を幸せにできるかは少し疑問がある。マオが回収した魂をどうするかもわからない。それでもマオから感じる“人間好き”の人となりを見るに、悪いようにはしないのだろう。
「クズはクズなりに、足掻いて見せますわ」
「その意気やヨシ。そなたを悪魔の一員として歓迎しよう」
 マオがワタクシに手を伸ばす。きっとこの手を取ればもう引き返せない。
「よろしくお願いしますわ、マオ様」
 そしてワタクシは、胸に芽生えた決心と共に、その手を取った。
「悪魔としての活動に支障がないよう、生前の記憶は消させて貰うぞ、これで“人間のナデシコ”とはお別れじゃな」
「えぇ...」
 頭の中から、朝に目覚めた時に夢を忘れていくような感覚で、記憶が消えていくのが感じられる。
「生前の人格を形成する程度の記憶は約束しよう。ワシは器用じゃからな」
 記憶が消えても“ナデシコ”は消えない。そう聞いている。きっと、今抱いているこの胸の決心も...。
「もう一度眠るがよい。目覚めた時が、“悪魔のナデシコ”じゃ」
「えぇ、おやすみ...」
 そして、今度は心地よい感覚と共に、ワタクシの意識は閉じていった...。
 
 
 
 とある家の堀の上に座って、魔王と死神が縁側で働く女を見守るように眺めていた。
「しかしたった一人を悪魔にするのにえらく手間かけるわね」
「洗脳は趣味ではない。自分の意志で悪魔になってこそお目こぼししてもらえるというものじゃ」
「それにしたって教育に時間かけすぎじゃない?」
「それこそ魔王の仕事というもの。手間を掛けてこそ部下として可愛いというものじゃ」
「可愛い部下ねぇ...」
 縁側で着物を解いている女を魔王と死神が懐かしそうな目で見つめる。その視線に気付いたのか女は二人に向けて軽く手を振って笑顔で会釈した。
「巻き込まれたあたしには迷惑でしかないわ」
「カッカッカッカ」
 女の会釈に死神は不機嫌にそっぽを向き、魔王は二人の様子に上機嫌に笑う。思えばこの死神と関わったようになったのもアレが原因だったかと思い出す。
「ミヤコー! こっち手伝ってくれー!」
「はーい!」
 家の奥から男に呼ばれた女は縁側から家の中に消えていく。特にこちらに名残もない様子で。
「暢気なものね」
「良き哉良き哉」
「ちょっとマオ様!」
 そして縁側の女と入れ替わりで、ナデシコが怒鳴り気味にマオを呼びながら現れる。
「いつになったら仕事のレクチャーをしてくださるの!」
「悪魔の力がオヌシになじんでからじゃよ。長くても二月で慣れるじゃろうて」
「だからって毎日毎日お手玉ばかり! もうちょっと画期的な訓練はありませんの!」
 文句を言うナデシコの頭上では小豆入りのお手玉が手品のようにくるくると回っている。落とさないで回し続けろと言われて四日目、いい加減に飽きていた。
「やれやれ飽きっぽいヤツじゃ。次はもうちょっと複雑なジャグリングでも...む?」
 さて何を使うかなと考えているとナデシコからピロピロと機械音が聞こえてくる。
「あら、ヤスシさんからですわ」
 ポケベルの着信音らしく、ナデシコは取りだしたそれの表示番号を見てすぐに送信者を把握する。ちなみに彼女の“悪魔の証明”はコレである。
「レストランにいるみたいですわね」
「丁度良い、休憩がてらデートでもしてくるがいい」
「お言葉に甘えますわ。ご機嫌よう」
 パチンと指を鳴らしてお手玉を消すとナデシコは遠慮もせずにさっさとその場を後にした。心なしかその背中は恋する少女のように。
「ヤスシって誰だっけ?」
 露骨に無視された死神だが抗議より先に気になった名前を尋ねる。聞き覚えはあるが会話の内容も連絡方法も悪魔同士のやりとりには見えない。
「ナデシコに惚れた純朴な青年じゃよ。告白した直後にナデシコに死なれてあまりに不憫なので交際を許可しておる」
「生前の人間との交流を許すなんて、随分優しいのね」
「うむ、コレでナデシコをダシにもう一人悪魔に確保じゃ」
 カッカッカッカと魔王は自分の腹づもりをぶちまける。
「魔王を見直して損したわ...」
 この魔王とは勿論あの新しい悪魔とも、これから長い付き合いになるだのだろうと思うと、死神は先払いの疲れが押し寄せて大きなため息がこぼれた。
「魔王じゃからの!」
 そんな気を知ってか知らずか、マオは上機嫌に笑うのだった。魔王の様に。
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死神たちのおしごと作者:万能ねぎトロ
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