舟渡のおしごと
雷神の少女と、彼女の周りの神々の物語。
三途の川の名の由来をご存じだろうか。
三途の川には浅瀬・緩流・急流の三つの流れがあり、生前の罪の重さによって流れの急なところを渡るのだという。
その急流のほとりに亡者ではない姿が一つ。
漆黒の着物に、濡鴉の美しい髪に髑髏の面を掛け、大きな鎌を足下に転がした女。そんな禍々しい姿とは裏腹に、一見すれば可愛らしく見える穏やかな寝顔と寝息だった。
亡者もそれ意外も女に近づく者はなく長らく経った頃、女の姿を見つけて近づく男が現れた。
櫂を抱えた派手な着物の男の顔立ちはどこか人懐っこく、寝ている女に悪戯な笑みを浮かべてその隣に座る。
女は男の近づく音も気配にも気付いた様子も無く、静かに眠り続け、男はしばらくその寝顔を眺めていると女の美しい髪を軽く撫でた。
「んー......」
そして、女が目覚め、不機嫌な顔で男を睨む。
「んー、なーにぃ?」
「よう、カラス。“船を漕ぐ”のはオレらの仕事だぜ?」
男の仕事は――舟渡。
─舟渡のおしごと
「んー......」
違和感を感じて目が覚める。
太陽もないのに心地よい日当たりに、ほんのりとどこか心地よい明かり。肌を優しく撫でるどこからか来てどこへも行かない風。そして騒がしい川の音。
あぁそうだ、アタシは一仕事終えて三途の川の畔で惰眠をむさぼっていたんだ。
「んー、なーにぃ?」
で、アタシを起こしたのは頭を撫でる違和感。風ではなく人の手と思われるそれに心当たりがあるとすれば“アイツ”で、睡眠を邪魔された抗議を込めて不機嫌に振り向く。
「よう、カラス。“船を漕ぐ”のはオレらの仕事だぜ?」
振り向いた先にはやはりコイツ。人懐っこい顔とやや派手目の着物に櫂を担いだ男。三途の川の急流の渡し守。
「こっちの仕事が終わったからアンタの代わりやってんのよ。どうせ悪人なんてはした金も払えないような貧乏人ばかりでしょ」
ここ“急流”は罪の重い亡者が渡るところ。そんな場所の渡し守は腕が一流だけれど、悪人の多くは舟渡に頼む金も持たないので腕を腐らせている。なまじ腕がいいせいで稼げないなんて、酷い人事よね。
「そりゃどうも。雷神の仕事は気が楽そうで羨ましいね」
「えぇ、死人なんて際限ないからちょっと怠けたって回収する魂には困らないわ」
そしてアタシの仕事はというと雷神。事故で死ぬ人間の魂を回収し、ここ死後の世界へ運ぶ事。いくら働いたって働き足りないような仕事だけれど、多少休んだって死にそうなヤツはいくらでもいるでしょ。
「そーかい。そんなお忙しーい雷神様に一つ頼みがあるんだが」
惰眠を邪魔された挙げ句に頼み事? コイツとは気の置けない仲とはいえ冗談じゃないわ。
「断るわ」
内容も聞かないで拒否すると、予想通りといった風に急流の舟渡は笑って言う。
「そーかいそーかい。今後カラスが寝ているとこを見かけたらイザナミ様に口が滑っちゃいそうだがなー」
「ちょっまっ。話だけでも聞いてやろうじゃない」
くっ、しまった。そういえば弱味になってた......。
「別にそんな難しい話でもねぇよ。お前が回収する魂についてなんだがな」
「銭持ってる悪人でも集めろっていうのかしら?」
そう頼まれたら別に難しい事じゃないけど、なんだか結託してるみたいで良い気分じゃないわね。いや、案外難しいかしら......。悪事なんかで稼いだ金はここではご破算にされるものね。
「オレはお前みたいに強欲じゃねぇっての」
「どうかしら、銭はともかく腕を腐らせてるのは不本意なんでしょ」
ま、コイツがそんな汚い手を使う訳がないのは知ってたけどね。
「こんな急流、漕がないで済むならその方がいいぜ」
「あら、そう」
あら意外、緩流にいた頃はあんなに楽しそうに漕いでたのに。ここの川の流れって見た目より大変なのかしら、思えばよく亡者が流れに飲まれてるわね。
「その暇を潰す目的でもあるんだが。一つ大工の魂を連れて来ちゃくれねぇか?」
「大工ぅ?」
なに? 漕ぐのが大変だからでかい舟でも造る気?
「大工なんて連れてきて何しようって言うのよ」
別に特定の職種の魂をコイツの元に連れてくることは難しくもない。それくらいのことなら断る理由もないのだけど、目的もわからず受けるのも気持ち悪い。
「橋造りを教わりたくてよ」
「橋?」
舟渡の目が川の方へ向く。見た目こそ穏やかに見える川だが、その流れは激しいらしく、今も何人かの亡者が溺れている。
「向こう側にいかなきゃ“死ぬ”こともできやしない。俺に頼もうにも金もない。悪人とはいえあんまりだろう」
遠目から舟渡が溺れる亡者に向ける目がどこか悲しそうなのは気がついていたけど、そこまで情が湧くなんてね。
「悪人なんだから、当然の報いじゃない」
「アイツらが裁かれるのは“向こう側”だろ、現世と冥界の間であるこの川でまで報いを受ける必要なんてあるのか?」
「まぁ、無駄に足止めてるだけよね」
向こう側に渡らなきゃ罪も裁けやしないんだから、ここで苦しめる意図はたしかに疑問ね。アタシら雷神の仕事はここまでだから後の事なんて知らないけど。
「ましてや望まず悪人になったヤツまでここに連れてこられる」
「なによその、“望まず悪人になった”って」
悪人に主体性もなにも関係なくない?
「争い、始まってるんだろ。望まず人を殺めてるヤツだらけだ」
「現世での争いね。その辺は酌量の余地が入るんじゃない?」
アタシが見てきただけでも、まだ小規模だけど人間同士での殺し合いが増えてきた。いずれ大きな争いになっていくのでしょうね。アタシには死人が増える事はむしろありがたいのだけど。
「その余地が入るのが向こう側じゃな。死の旅路くらい穏やかなものでいいだろ」
「お人好しというか、最近多いホトケとやらの教えの影響かしら」
「そうじゃないともまぁ言い切れないな」
仏教とか言ったかしら、こっちの世界には大勢神がいるけどみんな好き勝手やってるから、向こうの連中がまとめてくれるって話があるのよね。幽世にずっといるコイツがその影響受けるのも無理もないわね。
「ま、アンタが変なのは今に始まったことでもないわね。いいわ、手伝ってあげる」
思えば「他の舟渡と腕を競い合うから乗ってくれ」という最初の頼みから、コイツは変なヤツだった。お陰で退屈はしないし、今度の頼みも案外面白い事になるかもしれないわね。
「出来るだけ腕のイイヤツを頼むぜ」
腕をまくってこれ見よがしに叩く。流石は急流の舟渡、まぁ立派な事。その腕なら橋造りにも困らないでしょ。
「なんでい? オレっちをどこへ連れていこうってんだ?」
「あー、うっさいうっさい、悪いようにしないから付いてきなさいっての」
大工を幽界まで運んできたものの、よく考えたらここからの担当アタシじゃないじゃない! 頼む相手間違えてんじゃないのアイツ!
「アンタら大工に力を貸して欲しいってヤツがいんのよ」
「ほぅ、そいつは光栄だねぇ!」
職人ってのはわかりやすいもので、その腕を見込んだとわかると露骨に上機嫌になる。まったく、仕事のどこが楽しいんだか。
「おー、カラスにしては早かったじゃねーか!」
「アタシが早かったっていうか、コイツが足滑らせて川に落ちるのが早かっただけよ」
「いやまったく弟子共にあれだけ気をつけろと怒鳴っておいて、完成が見えたら気を抜いちまったわ。だっはっはっは!」
都合のいい事に現世に降りてすぐ体よく橋造りをしている大工を見つけて体よく死んでくれたわ。ていうか死んで間もないってのによく笑ってられるわね......。
「コイツのは活きの良い大工を連れ来てくれたじゃねーか、助かるぜカラス!」
「活きがいいどころか死にたてだっての。アタシは静かなとこで寝るから後はアンタの好きにしなさい」
こんなやかましい奴らに構ってられないわ。ここにいたらでかい笑い声に当てられそうなのでとっと離れることにする。後ろから舟渡のしつこいお礼がデカイ声で聞こえるけど......。
さーて、いつも寝ているアイツの側は使えないし、どこで休もうかしら......。
「こんにちは! カラスのオネーサン!」
あてもなく静かそうなところを探していると数人の水子を連れた女に声をかけられる。短い裾に右側だけ袖が広い漆黒の着物に雀の面を頭に乗せた格好。それだけなら珍しくもないが、その人懐っこい顔と声は......。
「お人好しの風神じゃない、こっちにいるなんて珍しいわね」
「はい、心優しい風神さんは人間さんをここまで案内しに上がってきたとこなのです!」
働き者のコイツはいつも現世にいるからこっちにいるなんて珍しい。それがどういう訳か一つか二つくらいの子を背中と胸に一人づつ、更に四人の三つから六つくらいの子が周りに寄り添っている。どの子も緊張した様子でアタシ達の顔を伺っている。
「ご苦労なことねぇ、人間の魂なんて送り飛ばしてあとはこっちの連中に任せればいいでしょうに」
「えへへー」
コイツは自分で「心優しい風神さん」というくらいに、お人好しだ。それこそ、風神の力を使って憑いた人間の世話を死ぬまで色々焼いたりしている。風神の役目は寿命で死ぬ人間の魂を回収するだけでその行いに益も無ければ罰もないけれど、手間ばかり増えて良いことなんてなんもないでしょうに。三途の川まで案内してるなんてね。
「そう言うカラスのオネーサンもさっき案内していませんでした?」
げっ。なんでよりにもよってそういうとこばっかり見てんのよコイツは......。
「舟渡のわがままに付き合ってやっただけよ」
「あー、急流の」
アタシらしらしくない行動の理由にアイツの名前を出すだけで納得されるのはなんだか解せない......。そんな事よりコイツの連れてる水子達......見覚えがあるわね。
「アンタはなんだって水子を連れてんのよ。水神にでも転向したの?」
「水神さんにちょっと用があるからと頼まれましたー。ただ、もう随分戻らなくって」
水神というのは生まれる前や七つまでに亡くなった子供の魂を担当する連中だ、正しくは水子神(ヒルコ神)なんだけどアタシら雷神風神に合わせて水神って呼んでいる。
「アンタも大概お人好しねぇ......」
水神のしつけがいいのかみんな大人しいが、それでも水子の世話なんて面倒くさいでしょうに。
「まぁまぁ、同じ舟に乗った仲じゃないですか」
「全く、妙な縁ができたもんだわ......」
急流のヤツが言い出した“舟渡の腕比べ”は「舟渡なんだから客が乗ってないと意味がない」と言うことでそれぞれ舟に数人乗ることになった。その時に急流ヤツの舟に一緒に乗っていたのがこのお人好しの風神とここにはいない根暗な水神。以来、コイツラとは妙な縁ができてしまったわ。
「カラスのオネーサンだって舟渡さんの頼み聞いてるじゃないですか」
「アタシの事はいいのよ。で、アンタらのオニーサンは職務放棄してどこに行ったの?」
水子の中で一番大きい子に目線を合わせるように屈みながら訪ねてみる。最初の頃はこの子にも怯えられてたけど、慣れたものね。
「知らない......」
「アンタらにも告げてない訳?」
寂しそうに目を伏せてその子が呟くと、他の子達もうつむいてしまった。どうやら誰も水神の行方も目的も知らないらしい。この子達をほったらかしにするなんて、陰気ではあるけど水子達をなにより大事にしているアイツらしくもない。
「たくっ、しょうがないわね」
面倒だから放っておいてもいいんだけど、水子相手にそれも薄情か......、水神とつるむようになったせいでこの子達も知らない仲じゃないし。
「アンタは身動き取れないだろうし、アタシが探してきてあげるわ」
「わぁ、オネーサンありがとうございます!」
「どうせそのつもりだったんでしょ」
頼まれるととりあえず断りたくなる性分だから水子達の手前それも感じ悪いし、頼まれる前にやってあげるわ。この子達の代わりに怒ってやらないとね。
風神の感謝を背中で聞き流しながら河原の方へ戻る、探すと行ってもアイツの行きそうな場所なんて心当たりはないけど......。
「ごめんなさいね」
河原に咲き並ぶ彼岸花を一輪摘み取り、水神の姿を思い浮かべながら息を吹きかける。細い花びらが舞うように散らばり、ゆらりと尋ね人の元まで飛んでいく。
「やってみるものね」
人間の魂を探すのと違ってアタシらみたいなのを探すのはどうにも難しいのだけど、まぁ幽世が複数の層からなるせいで同じ世にいない事が多いせいもあるかしら。
「とはいえ、ちょっと見づらいわね......」
彼岸花の花びらじゃちょっと細すぎて案内に向いてないわね......。毒々しいほど赤いから見やすいと思ったのだけど。
毒々しいといえば彼岸花って人間には毒なんだっけ? たしか死因で見かけたわね。食べなきゃ平気みたいだけど、こんな綺麗な花に食欲が湧いたりするなんて人間てわからないわぁ......。
「って、やば」
考えごとをしながら追ってたせいで花びらを見失ってしまった。腰程まである草むらの中に入っていったのかしら......?
「ここは......」
この辺りは賽の河原ね、あいつがこんなとこに何の用が――
「どわっ!?」
「ごふっ!?」
辺りを確認しながら草むらに入ったらなにか中途半端にやわらかい大きなモノを踏みつけて転んでしまった......。幸い柔らかい草の上で痛みはないけれど。あの感触と声からすると......。
「ちょっ、アンタこんなところでなにやってんのよ!」
「いだだだ......。抗議したいのはオレの方っすよカラスの姐さん......」
尻餅をついたままその姿を確認してみれば。赤い着物にどうしようもない猫背の男、根暗な水神が腹を押さえてた。どうやらアタシが思いっきり踏んだのはあそこらしい。
「って、アンタ。どうしたのよその怪我!?」
アタシが踏んで痛がっている腹に気を取られてしまったが、よく見たら体中ボロボロじゃない。見た感じ殴られたような痣や傷だった。
「いえ、派手に転んでノビてただけっす......。姐さんの目覚ましも強烈っすね」
「いや......それはごめんだけど......。ここで転んでそんな怪我なんてしないでしょ」
柔らかい草むらを叩いて問いつめる。アタシだって転んだけどここじゃ怪我なんてしないわ。
「イヤほんと、なんでもないんで......」
「話たくないならこれ以上は聞かないけどさ......」
元々暗い水神がいつもにまして気落ちしている。明らかになにかあったような感じだけれど、これ以上聞く気にはなれないわね......。見つけたらちょっと怒ってやろうと思ったけどこの調子じゃそんな気もおきない。
「とにかく、水子達が寂しがってるわ。風神も困ってたわよ」
「あぁ......、すいやせん」
「待ちなさいって」
水子達の事を聞いてすぐに戻ろうとする水神を呼び止める。たしかにそれが目的ではあったけれど、そのままじゃマズイでしょ。
「そんな状態じゃ水子達やあのお人好しに余計な心配かけるでしょ」
「あぁ......」
引き留めた水神の服に手を掛けて霊力で綺麗にしていく。服の下の怪我はこれでいいとして、顔の傷はどうやってごまかしたものか。風神のヤツなら治療とかも得意なんでしょうけど......。
「ちょっと屈みなさい」
「あ、はい」
仕方ないので筆をとりだして墨で痣の上に落書きしていく。まぁこれでごまかせるでしょ。
「寝坊助にアタシが落書きって事にして誤魔化すから、話を合わせなさい」
「うっす」
用事に関しても話す気はないようだし、水子達に心配かけたくないから手伝ってあげるわ。と口裏を合わせておいて来た道を戻る。
「ところで水子達、前と同じ顔ぶれに見えるけど減ってないんじゃない?」
その戻る道も、黙っていると気まずいので仕事の話で誤魔化す事にする。
「なかなかイイ親が見つからなくって......。“七つまでは神の内”なんて、やってらんないっすよ」
寿命が決まるのは七つを過ぎてから。水子を人間に与えてもそれまでに死ぬとまたコイツのところへ戻ってくる。最近は口減らしとかですぐに死なせてしまうらしく、同じ水子を戻ってきては生ませての繰り返しみたいね。
「あいつらの魂にも良くないんで、最近はこっちで休ませてるっすね」
「あんまり一緒にいると情が湧いて手放しがたくなるわよ」
「いやーまさか、清々するっすね」
「ふーん」
こいつは自称「子供嫌い」で「子供好きな水神なんていやしない」とよく言うけれど、とてもそうは見えないのよね。まぁ「性格のイイ雷神なんていない」ならアタシも思うけど。
「オネーサーン! おかえりなさーい!」
風神の姿が見えた辺りで話を区切り、近づくにつれて水神の落書きを見た風神と水子達が笑い出した。
怪我を誤魔化すための落書きだったけれど、風神達の大笑いで用事に関してもあまり言及されることもなかったのはラクだったわね。まぁアタシも用事のことは気になるけど、どうせ話さないでしょ。
太陽もないのに心地よい日当たりに、ほんのりとどこか心地よい明かり。肌を優しく撫でるどこからか来てどこへも行かない風......。
あー、なんだかここの感じも久しぶりの気がする。
一仕事を終えて幽界に戻ってくると、いつもとなんら変わらない景色。争いの中ですぐに死ぬだろうと思ってた人間が意外にも強くて結局死なれなかったわ。争いが長引いたから次の機会に次の機会にって期待してたら長い事憑くハメに......。
「はぁ、やってらんないわね......」
我ながら見る目がなかった。長いこと騒がしい現世にいたからこっちで休まりたい......。
「でもなぁ......」
こっちでのんびりするのにもいつもの場所は舟渡の橋作りでトンカンギコギコうるさいし。そうでなくてもお人好しの風神やら陰気な水神と水子達やらに懐かれて昔ほどのんびりできないのよね。あいつらの事は嫌いじゃないんだけどさ。
「よーカラス! しばらく見なかったじゃねーか!」
「あーオネーサン! 噂をすれば!」
「どうも姐さん、お久しぶりで」
とりあえずいつものとこの様子を見に来てみれば、見知った顔が三つ......。
「げっ」
「お久しぶりです!」
「そんな嫌そうな顔してやるなよ」
噂をすればなんとやらというか、アタシが噂をされてた方か......。急流の舟渡にお人好しの風神に陰気な水神......、三人揃ってなにやってるのか石材だの木材だのを囲んでなにやら作業しているようで、アタシを見るなりこっちの表情もお構いなしに風神が飛び上がって抱きついてくる。
「なにやってるのよあんた達」
風神を引きはがしながらとりあえず確認してみる。けど、するまでもなくあれよね......。
「作業に難儀してたらそいつが手伝ってくれてな」
「オレはそいつに捕まりました」
そいつ、ってのは今アタシにくっついてるコイツよね。橋造りなんて舟渡の仕事じゃないんだからほっときゃいいでしょうに。水神のヤツは水子を連れてないのを見るに、全員送ってのんびりしてるところを見つけられたってとこかしら。
「そしてオネーサンも捕まえました!」
で、次はアタシか......。
「手伝わないわよ」
言われる前に断っておく、先手必勝。さっきまで憑いてたヤツもこれで生き延びてた。
「なんでですか!」
「なんで手伝わなきゃいけないのよ」
ただでさえ疲れて休みに来たのにアンタのお人好しにまで付き合っていられないわ。
「だってだって、心優しい風神さんは泳げないんですもの!」
「はぁ?」
コイツ、例の腕比べで舟に乗ってたらはしゃぎすぎて川に落ちて溺れたのよ。それを助けたのがアタシで妙に懐かれてるんだけどさ......。それと橋造りになんの関係が。
「橋の脚はできたんだが、オレ一人じゃ設置が難しくってよ」
囲んでたのは橋の脚の部分らしく、相談中にアタシが現れたってとこか。噂してたってのはそういうことね。
「水神がやればいいじゃない」
「いやー、俺も泳げなくはないっすけど。こんなもの抱えてあの急流を潜るのはちょっと......」
「アンタそれでも水神!?」
「水子神っす......」
いやまぁ、アタシだって雷神だけど雷扱うのが特別得意な訳じゃないんだけどさ。元々豊穣の神だし。
「オネーサンなら霊力強いし、材料浮かばせて潜るのはちょちょいっとできるんじゃないかなーっと!」
たしかにアタシはこの中で一番霊力の扱いがうまくて、扱える呪いの種類も遙かに多い。が、それはそれ。
「できなくもないけどさ、だからってアタシが――」
「さっすがオネーサンです! さぁさぁ舟渡さん舟を出しましょう!」
――手伝う義理もないと言う暇もなく今度は舟渡の方へ飛んでいってしまった......。よし、あいつ、これが終わったらちょっといじめて気分晴らそう。
「悪いなカラス」
「あんたが変わり者なのも風神が強引なのにも水神の暗さが鬱陶しいのももう慣れたわよ」
あの風神が相手じゃ断る方が面倒になりそうなのでとっとと終わらせることにする、後で泣かすけど。
「その批難、オレとばっちりじゃないすか?」
ついでよ、ついで。
「で、どこまで運べばいいの」
とりあえず脚と思われるものをいくつか浮かせて舟に乗る。まさか雷神の身でまたこの舟に乗ることになるなんてね......。
「大工の親方に当たりは付けて貰ったからよ、オレは舟を止めるからそこで潜ってくれ」
「心優しい風神さんも! お手伝い! しますから!」
そんなガッシリ掴まらなくても落ちやしないわよ......。というかアタシに掴まるんじゃないわよ、邪魔だから。
「そんなに怖いなら乗らなくたっていいわよ、あんた水の上じゃ役に立たないんだし」
こっちの世界では現世のように体を浮かせたりは簡単じゃない、働き者の風神はいつも現世にいるから尚更こっちの世界に慣れていないのよね。
「オネーサンに頼んだ手前傍観しているわけにはいきません!」
「まぁ、オレらでも運ぶ手伝いくらいはできますから」
そういってアタシが浮かせている橋の材料の支配を奪った水神が舟に乗り込む。コイツはコイツでせっかく暇になったところ邪魔されたっていうのに付き合いいいわよね。
「おーし、じゃぁいくぜー」
橋作りが進むのが嬉しいのか、全員が乗ったいつかの光景が嬉しいのか、舟渡はいつもより楽しそうに舟を出した。
深さはそれほどないから苦労しないと思ったけど、足場の根本を埋めたり固定したりが思いの外面倒だったわね。おそらく大工に聞いたことを全部覚えている舟渡も大した物だけど。言いたかないけど水神の手伝いも助かったわ......、風神は役には立たなかったけど。まぁ、賑やかだったわね。
そう、賑やかだったわ。いつのまにかそんな状態をアタシは心地よく感じ始めていた。
「イ...ロ...ハ...」
...............。
「イ...ロ...ハ...ニ...ホ...」
............。
「だぁぁぁぁもぉぉぉ!」
急流の作りかけの橋の側、アタシは雄叫びを上げてイライライラを発散する。
「ちょっとオネーサン、静かにしてください!」
そして舟渡が作ってくれた机の向かい側、同じく文字の読み書きを練習するお人好しの風神に批難された。
「ぐぅ......」
アタシから声を掛けておいてアタシが勉強の邪魔してたんじゃ世話もない、風神の批難にぐぅの音しか出ないわ......。
「おーおー、カラスが珍しく堪えてんなー」
そこへ亡者の魂を運び終えた舟渡が戻ってくる。
ホトケだのがアタシらの死後の世界をまとめるようになってからというもの、三途の川の手前で奪衣婆達が死者の持ち物を死後の旅路の路銀に取り替えてくれるようになった。
悪人でもある程度慕われてれば船賃ぐらいは払えるようになり。おかげで舟渡は忙しくなって、橋造りの進行は目に見えて遅くなっている。
「文字なんてぇ......文字なんてぇ......」
なんて事は、人間達に伝わった“文字”を「こっちも使うからお前らも覚えろ」という難題(?)を出されて、それどころではない。
この世界に新しい神がやってきたり、アタシらの統括に“エンマ”がついたり、色々な変化があったけど、これが一番納得いかないわ。現世で人間達が文字を使いはじめた時は他人事だったのに......。「人間の書いた願い事が読めない」って他の神も読み書き勉強してるのは同じなんだけどさ。
「文字、便利じゃないですか! 風神さんもお付き合いしますから、頑張りましょう!」
仕事の合間に勉強もできるけど、それじゃまるで集中できなくて、風神に付き合って貰ってるけど、コイツは文字を覚えるのを楽しんでいた。今回ばかりはちょっと悔しい。
「水神先生がいないな」
舟を出す前にはいた水神の姿が見えないので舟渡が辺りを見渡している。そういえばアイツ、どこへいったのかしら。水神のヤツは文字の伝来に興味を持って一足先に学んでいたらしい。そこへアタシの無様を見かねて不服にも“先生”になってくれていたのだけど。
「急にいなくなったと思ったらボロボロになって帰ってきますよね......、心配です」
「アイツのアレは他所の神が彷徨くようになってからだったかしら。連中に喧嘩でも吹っ掛けてるのかしらね」
八百万の神はピンからキリまでいるけど、アタシらも神のウチとはいえ相手が他所の神じゃ分が悪そうね。
「今じゃあれらも“ウチの神”だろ。またお上にどやされんぞ」
「エンマの雷なんて大したことないわ、こちらと雷神だっての」
いきなりやってきてアタシらの上に付いたエンマだけど、アタシらの百倍忙しいからそれには別に文句はない。けれど頭ごなしに命令されるのも腹が立ってついつい反発してしまう。文字を覚えろってのもエンマの指示だし。
「雷神といえば、風神さん達の名前変わるそうですねぇ」
「あー、なんかアタシらの仕事に色々決まりが増えるから、それに合わせて名前も変えるって話ね」
「向こうから来た雷神様風神様も凄い人気ですものねぇ」
「ちょっくら見かけたが、いかにもって感じだよな」
新しい雷神風神が現世で人気出て、アタシらの呼び名が紛らわしいから変えてしまおうって話が出ている。
随分前から雷神だと名乗ると「なんで雷神が魂の迎えに?」って疑問を持たれることが増えたから、紛らわしいのは同感だけどね。
「別になんと呼ばれようが構わないけど、後から来たヤツに名前とられるのは釈然としないわねぇ」
「オネーサン達は元々豊穣のカミサマなんですよね」
「アタシが生まれた頃にはほとんど廃れてたけどね」
随分昔の雷神信仰、カミナリが豊作を約束し、食料事情が生死に直結するからアタシら豊穣神がそのまま死を司る神の役割を任された。とかなんとか、イザナミ様に説明された気がする。普段持ってる大鎌なんかはその頃の名残ね。
ってあれ? 鎌どこに置いたかしら? 勉強の邪魔にならないよう橋の梁に立てかけてたはずなんだけど。
(まぁいいか......)
川にでも落ちたかしら、まぁ手元に呼び戻すのは簡単だしあとでいいか。
「ほー、オレはてっきりイザナミ様に仕える八雷神が由来かと思ってたぜ」
「その点、風神は風が病を運ぶ(風邪)から来てるんだからわかりやすいわよね」
「えっへん!」
いや、別に褒めちゃいないわよ?
「別なにが由来でもいいけどね。そういえば水神のほうは名前変わるって話聞かな――」
ドゴン
話の途中、大きな揺れと音に驚いて言葉を止め、全員で音の方角へ目を向けた。
「なに、今の揺れ?」
「凄い音でしたよ......!?」
「賽の河原の方か?」
目を向けても何も見えない、少しの好奇心と少しの不安に駆り立てられて、誰と言わず音の正体を確かめに飛び出した。なによりアタシにはもう一つ、嫌な予感もあったし......。
「へっへへ......、でかい音出せばビビるとでも思ったかよ......」
大きな揺れと音で人だかり、もとい神だかりの出来た賽の河原。音の正体は金棒を叩き付けた、アタシら3人分はあろう巨体の鬼で、それの原因はそれに向かい合ったボロボロになった水神のようだった。
「水神さん、一体なにを......」
「他所の神どころか、まさか鬼に喧嘩売ってたのかよアイツ!」
ここ賽の河原は親より先に死んだ子供の魂が、親を悲しませた罰で石を積む報いを受ける場所。そしてあの鬼はその石が積み終わる前に崩してしまう。
最初にボロボロのアイツを見かけたときに、賽の河原の側だった事をなんで気がつかなかったのだろう、水神が子供達を想っていることはわかっていたのに。
「本気なのはこっちだって同じだぜ、今日こそ決着つけてやる......」
威勢とは裏腹に鬼に対峙した水神の腰はガクガクと震えていて、その震える手には大きな鎌が――
(アタシの鎌!?)
どこにいったと思ったら水神が持ち出してたようだけど、金棒相手にあんなもの......。あれらはアタシらの呪いの補助をするモノで、武器じゃない。水神が使ってる風車と扱いに大差ないことはアイツもわかっているでしょうに!
「いくぞおらぁぁぁ!!」
「ダメだっ!!」
あまりの光景に驚いて、困惑して、アイツを止める暇もなかった。
水神はアタシの鎌を振りかぶりながら鬼に突撃し、鬼もそれを迎え撃って金棒を振り上げる。それと気付く前に舟渡が飛び出し、それに釣られてアタシと風神も......。
「うぉっ!?」
舟渡が突撃する水神をかばうように押し倒し。アタシは間に入って振り下ろされた金棒を呪いで吹き飛ばし、風神が鬼の動きを呪いで止めていた。
「なっ、お前ら!? むぐっ」
舟渡の下敷きになりながら思わぬ邪魔が入った水神が抗議をしようとするが、舟渡の腕で口を塞がれる。
「うごぉぉぉ......」
いや、ムリムリムリムリムリムリムリ! コイツラに釣られて飛び出したけど、鬼なんか相手にできないって!
でも舟渡は水神押さえつけてるし、風神は鬼の動きを止めるのに必死だし、アタシしかいないわよね......。
「ま......まぁ待ちなさいよ。アンタ相手に喧嘩吹っ掛けたバカも悪いけどさ、そんなムキになる事ないじゃない」
力でやりあっても勝てる気がしない。風神が鬼の動きを止めてるうちに話をつけてみる。うわぁ、体震えてきた......。
「あんたが強いのはわかってるからさ、今回もこれでアンタの勝ちって事で......。仮にも神を殺しちゃ立場的にもよろしくないでしょ?」
人間の魂なんかと違って、アタシらの魂の「死」は完全な消滅。簡単なことでは消えないだろうけど、鬼が相手じゃそれもどうだか......。
「うご」
「ひっ」
アタシの言葉を納得したのか、落ち着いた様子の鬼が目玉だけ動かして自分の動きを止める風神を軽く睨み付ける。特に敵意もなさそうだけど鬼に睨まれた風神は蛇に睨まれた蛙のように硬直してその呪いを解く。
自由なった鬼は口を塞がれて暴れている水神を軽く睨むと、その巨体であっさり川の中へ消えてしまった。
「はぁぁぁぁ......」
「はふぅぅぅぅ......」
そして緊張の糸が切れたアタシと風神は今更になって腰が抜けて地面にへたり込む。
周りを見れば騒動が片付いたのを確認して散り散りになっていく野次馬と、どこへ避難してたのか石積みの子供達が不安と心配の混じった顔で戻ってきていた。まったく、神の癖に薄情だ、アタシら以外の他の誰もが傍観してただけだなんて......。
「この、バカ! こっちまでどうにかなるかと思ったわ!!」
「そうですよ! もしかしたら無事では済まなかったんですよ!!」
とにもかくにも、腰は抜けたままだけどこみ上げてきた怒りにまかせて後ろの水神を怒鳴りつけてやる。万全ならぶっ飛ばしてやるとこだわ!
「オレは助けなんて求め――あだっ!?」
同じく舟渡の腕から自由になった水神がアタシらの言葉に怒ってくる、が、まさかの舟渡のゲンコツに制された。
「オレ達に心配かけるのはまぁ許すさ。でもな、助けられておいてその態度はなんだ、あぁ!?」
そして、始めて舟渡が怒るところを見た気がする......。
「舟渡のオレにはな、鬼を止めるような力なんてないからよ、お前らがどの程度強いかなんて知らねぇさ。でもな、アイツらが鬼を相手に怖くなかったはずがないだろうが!」
舟渡は腰を抜かしているアタシと風神のために怒っているが、そういう意味ではアタシ達みたいな力もないのに真っ先に飛び出した舟渡のほうが......。
「その......、すんません」
アタシと風神は水神のヤツより力の扱いが上手い。だけど力の強さや上手さは個人差があれど、雷神も風神も水神も、根本的な差はない。水神も舟渡に怒られてそれを思い出したのか、小さな声で頭を下げた。
「まぁ......、みんな無事だしもういいわよ......」
「もうホントに怖かったんですよー!」
思いっきり文句言ってやるつもりだったけど、なんか舟渡が怒ってくれてその気も失せたわ......、いままで放置してたアタシも悪いし。
「アンタが鬼に喧嘩吹っ掛けてた理由は大体察すけるどさ」
周りにいる石積みの子供達の視線は明らかに水神を心配している様子だった。子供達を苦しめる鬼が許せなかったのか、この中に自分が担当した水子がいたのか、その責任を感じたのか......。なんにしても子供達が理由なのは間違いないでしょうね。
「あの鬼だって仕事でやってるんだし、鬼を止めたってダメでしょうよ」
誰が決めたか賽の河原の罰にそれを崩す鬼、その死の運命を自分ではどうすることもできなかっただろう子供達に報いを与える事をアタシだって納得はできないけどさ......。
「......」
アタシの言葉に黙り込む水神。きっと今まで何度も挑んではボロボロにされてたのでしょうね......。そんな水神の行いを称えてやりたい気持ちもあるけれど、こんな危険な目にあっているのを放っては置けない。
「それも、そうっすね......」
簡単には止められないだろうと思っていた水神はアタシの言葉を受け止めて、アタシは僅かばかり安心する。
だけど......。
「姐さん達には心配かけました。舟渡のアニキも、すまないっすけど向こう側まで運んじゃくれないっすか」
「「えっ?」」
アタシの言葉は水神の決心の後押しにしかならなかったみたいで、コイツが諦めるはずなんかなかったのだ。
「向こう側に行って、どうする気なんだ?」
「話をつけてきやす」
子供達のために人知れず傷ついてきたアイツにアタシらは、その覚悟を止める言葉なんてなくて。誰が決めたかもわからない賽の河原の不条理を、水神は止めるために向こう側へ渡った......。誰に話を付けるのかもわからないのに......。役割を捨てた水神がどうなるかもわからないのに......。
そしてそれきり、水神が戻ることもなかった。
水神が向こう側へ渡ってからしばらくして、地蔵という神の救いによって賽の河原で子供達が石積みの報いを受けるような事はなくなり、水子神の仕事も同じく地蔵が代わることになった。
地蔵に子供達が救われたのは向こう側へ渡ったアイツのお陰なのか、それはわからない。だけれど水神そのものがいなくなって、アイツが戻る場所はなくなって......。
いつしか、アタシ達はアイツが消えてしまった事を忘れるように、アイツの存在自体を忘れるように、アイツの事を話さなくなった......。
「だいぶ橋も出来てきたじゃない」
急流の橋は向こう岸まで半分を越える長さまで出来ていた。
死出の旅路が現世でもある程度広まったのか、六文やそれに見合う価値ものを死者に持たせる事が増えて舟渡の仕事は忙しくなり、橋造りは遅くなる一方だった。元はといえば船賃のない亡者のために作り始めたのだから、船賃を持つようになったなら必要のない代物だけどね。
「カラスや風神には頭が上がらねぇわ」
とはいえ、川で溺れる亡者はまだまだいて、舟渡は暇な時間を見つけては橋造りを続けていて。それを見かねたアタシと風神はこうしてちょくちょく手伝うようになって、橋造りはまた進みだした。
「苦しゅうないわよ」
「へへー」
大した手伝いはしてないしただの暇つぶしなんだけど、感謝されるのに悪い気分はしない。橋桁の足場を運びながらお互いにおちゃらけてみる。
「そういや最近風神のヤツみないな? 現世か?」
ここのところ二人一緒に上にいること多かったけど、アイツもアタシも主な仕事は現世のほうだ。本来なら舟渡に付き合っていられるものでもない。
けどまぁ元々アタシら八百万の神は大らかというかのんびり気ままにって感じだから、統括が付いてもそういう気質までは変える気がないのか様子を見ているのかあんまりうるさく言って来ないのよね。
「なんか改名が気に入らないとかで同士募って緩流のとこで抗議してたわよ」
お人好しの風神も最近では橋造りの手伝いに上に居ることが多かったけど、最近じゃもっぱら改名の反対に忙しいみたいね。
「アイツがなぁ。そんなに名前奪われるのは気に入らないもんなのか?」
気分のいいものではないのはたしかだけど。
「別に名前取られるのは気にしてないわよ、アイツは風神の改名案が気に入らないだけね」
まぁほとんどの連中は舟渡の理由で集まってるみたいだけどね。現世での人気はどうしようもないっていうのに。
「なんて名前なんだ?」
「“疫病神”だそうよ」
「あー......」
自分のことを「心優しい風神さん」なんて呼んでたアイツには、「心優しい疫病神さん」なんて名乗りたくはないわよねぇ。
「疫病神じゃ自分らが憑いてるのが原因で死んでるみたいで、他にも気に入らないって連中は多いみたいだけど」
まぁアタシはどう呼ばれようと気にしないから雷神の改名案すら聞いちゃいないけど......ってそういえば。
「今更聞くのもなんだけどさ、アンタがアタシの事呼ぶ“カラス”ってなんなのよ」
知り合いを呼び分けるのにそういう名前をつけてるのかと思えば、お人好しの風神とかにはそう言う呼び名はなかったし、他のヤツまで真似てカラスって呼ぶようになってたわ。
「あぁ、それなぁ」
話しにくいのかアタシの質問に舟渡は顔をそらして言葉を詰まらせる。
「まぁおおかた死体に群がる黒い姿とか、そんなんでしょうけど」
「そんな理由じゃねぇよ、大体それならお前以外の雷神もカラスになるだろうが」
「うーん?」
自虐を混じりの冗談だったのに舟渡はアタシの予想を怒るように否定してきた。別に事実だしそうだとしても気にしないのに。
「恥ずかしいからあんまり話したくないんだが、その......な」
なんか......そんなあからさまに照れられると聞いてるこっちまで恥ずかしくなってきたんだけど。いや、別に、そんな気になっちゃいないし話したくないなら話さなくてもいいんだけど、今更止めるのもなんか......。
「お前を始めて見たのが、緩流で行水してた時でな」
あれー? いつも人払いの結界張るようにしてるはずなんだけど......。
「そのときのお前の髪が、あんまり綺麗で......」
目に焼き付いたモノを思い出しているのか、舟渡の表情は消えゆく幻を惜しむように切なくて......。
「あーもう、いいだろこの話は! なんで今更聞くんだよ!」
「あ、うん。そうね、今更どうでもよかったわね」
なんか、聞くんじゃなかったかしら。そんな態度されると気まずいわ......。
「そう! 名前だよ名前! この橋の名前! 考えたんだよ!」
「へ、へぇ。完成もまだなのに気が早いわね」
橋の名前なんて正直興味ないけどなんか気まずいので舟渡の話題そらしに乗っかった。そういえば少し前に何かを真剣に考えてる風だったわね。他に橋なんてないんだから名前なんて必要ないでしょうに。
「ちゃーんと考えて付けたんだぜ、命名!」
さっきまでの照れが嘘のように元気になった舟渡は橋の中央に立って、懐から用意してたであろう短冊を取りだして見せつけながらこう言った。
「いろは橋!」
と、短冊には書かれていた。へぇ、コイツも文字学んでたのね。
「ふーん」
「なんだよ、反応薄いな」
「そう言われても特別な名前にも聞こえないわよ」
“いろは”なんて言葉に大それた意味も感じないし。
「そこは聞いてくれよ! この名前には急流より深い意味があるんだぜ!?」
「はいはい、聞いてあげるわよ。なんて意味があんの?」
自分で作っている橋なんだから舟渡は特に愛着もあるでしょうし、そりゃ大層大事な名前を考えたのでしょうけど、アタシの淡泊な反応になんだかグズる子供みたいで可笑しかった。
「いろは歌って知ってるだろ?」
「えぇ」
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
こっちに上がってきたどっかの坊さんがアタシらに文字を覚えるのに教えてくれた歌ね。歌の意味までは覚えちゃいないけど。
「いろは橋の“橋”は歌の“端”と掛けててあってな」
“掛けてる”のも、“橋”だけにって事なのかしら。
「いろは歌の端。つまり最後の句の『あさきゆめみし ゑひもせす(浅き夢見じ 酔ひもせず)』を込めた橋って意味だ」
「ずいぶんと奇をてらった名付け方するのね。要するにどういう事よ」
歌の意味を覚えていないとは言えず、わかりやすく説明を求めてしまう。
「“死出の旅路くらい心穏やかに”って願いを込めた名前だよ」
「あー、なるほど」
コイツらしいというか、まさしくこの橋を作り始めた理由よね。
「まぁ、良い名前なんじゃない」
「へへへ。まぁ名前掘って“完成”しちまうと後は衰退するから縁起が良くねぇってんで、親方には名前は掘らないほうがいいって言われてんだけどな」
「そういうとこまで人間的なのね」
完成した後は衰退するだけ、だからある程度の建物はなにかを未完成のままにしておくって事をするらしい。でも橋を未完成にするのは危険だから、名前を彫らない事で完成させないんだとか。そんな事を残念そうに説明された。
「人間に教わった橋だからな、親方の言いつけは守ってやりてぇ」
「口頭で広めればいいじゃない、暇な時間はいくらでもできるんだし」
問題はこの橋、亡者しか渡らないから往復することがないのよね......。渡ったきり帰ってこないんじゃ口頭で広まるのかしら。
「広まなくたって俺らの胸の内で呼んでやればいいさ」
橋の名前よりも橋があることが大事、そう言って楽しそうに舟渡は今日も橋造りを続ける。
完成が見えてきてからは“舟渡が作った橋”であることを邪魔したくなくて、アタシも材料を運ぶだけで実際の橋造りは舟渡の背中を見つめているだけだった。ただ、こうして見ているだけで何故だかアタシも楽しかった。
いろは橋。まだアタシと舟渡しか知らない名前の橋の上。船賃を持たないいくらかの亡者達がせめて途中までと渡る光景をポツポツと見るようになった。そしてその様子を見ながら頭を悩ませてるのはいつもの舟渡。
「いろは橋 路銀足り無き はした金......うーん」
と、そこで歌が止まって亡者達と短冊に交互に目をやって唸る。以下繰り返し。
珍しく橋造りを休んでると思ったら、なにやってんだか。こないだの幽界巡りしてた歌人の影響ねコレは。
「馬鹿の考え 亡者に似たり」
近くにいるアタシに気付かないのも腹が立ったから、横から皮肉を込めて歌の続きを作ってやる。
「うわ、ひっでぇ」
その歌でようやくアタシが近くに居たのに気がついたらしい舟渡が傑作を台無しにされて怪訝な顔でこっちを見る。
「はした金も持たない亡者のための橋なんて、人間くさいアンタらしいわよね」
そんな様子がおかしくって、歌の意味を勝手に解説しながら舟渡の隣の梁へ腰掛ける。
「そいつはどうも。橋の歌のつもりがオレの歌になっちまった」
気にくわないなりにそれで納得したのか、舟渡は短冊にアタシの歌を書き加えた。
「ふむ」
しかし書いてみれば意外と悪くないのか、予期せぬ合作に舟渡は満足げに笑う。
「ちょっ、皮肉を真に受けないでよ。気持ち悪い」
別にそういうつもりで横やり入れたわけでもないのに、その反応は予想外だわ。
「いいじゃねぇか、合作合作。お返しにお前の歌も作ってやるから上の句はお前な」
ニヤニヤ笑いながら歌の書かれた短冊を見せつけてくる。“お返し”は“お礼”なのか“仕返し”なのかはたまた両方か......。くっそう、余計なことしたわ。
「はぁ? いやよ恥ずかしい!」
「なーに恥ずかしがってんだ、イヤならオレ一人でもっと恥ずかしい歌作っちまうぞ?」
「くっ」
半分とはいえ自分で自分の事を歌うなんてそんな恥ずかしい! でも全部コイツ任せなのも何を歌われるか......。
「こんにちはー! 何のお話ですかー?」
ここで少し久しぶりに聞く間の抜けた元気な声、しめた!
「あらお人好し、久しぶりじゃない」
「よぉ風神、久方ぶり。反対の方はもういいのか?」
「はい! ようやく良さそうな改名案が出たので抜けてきました!」
まだ抗議してる連中はいたと思うけど、コイツは改名先が気に入らないだけで名前奪われることは気にしちゃいなかったから一足先にって事ね。残った連中が諦めるのも時間の問題でしょうけど。
「それでそれで! なにか楽しそうなお話していませんでしたか!」
久しぶりにアタシらと話せるのが嬉しいのか、反対運動の連中が愛想悪かったのか、いつも以上に元気がいい気がするわね。まぁ話は変えられそうにないけど好都合。
「この馬鹿がさぁ、アタシの歌作るから上の句は自分で作れっていうのよ」
「ステキじゃないですか!」
まぁアンタならそういう反応でしょうね。人一番人間の文化や娯楽に熱心なヤツだし、こういう話は大好きに決まっている。だからこそ。
「そう思うならアンタが代わってよ」
「いいんですか!? これは責任重大ですよ!!」
歌なんてほとんど作ったこと無いアタシが自分のこと歌ったって感性の無さで恥をかくだけでしょうけど、コイツの感性なら多少の期待はできる。舟渡の感性は知らないけどアイツに全部作られるよりかは恥ずかしくもないしね......。
「お前がいいならそれでもいいけどよ」
大喜びする風神の様子に舟渡も不服ながらも異議は唱え難いらしい。残念でした、もうからかわれないんだから。
「うーん、それではしたためまして......」
やっぱりこういう事が好きなのか懐から短冊と筆を取りだし、アタシの姿を見ながらゆっくりと一筆走らせる。
「いとをかし――」
“とても素晴らしい”とか“趣があるとか”そういう意味の言葉ね。色々な意味があるから後に続く言葉によるけど、少なくともアタシを称える感じの歌よね......なんかこそばゆいわ。
「せせらぎさやか――」
川の中にハッキリ(さやか)と......て、この流れは。
「ぬれがら――」
「「ちょっと待った!」」
「ひぁ!?」
予感してた言葉に思わず体が動いて、気分の良さそうに読み上げる風神を妨害してアタシと舟渡が二人して短冊と筆を取り上げる。
「なんですかもう! いい感じでしたのに!!」
風神から当然の抗議。うん、まぁ、全面的にアタシが悪いんだけどさ。って――
「しかもなんですか! 舟渡さんまで!」
そうそう、なんで舟渡まで......。いや、むしろコイツのせいか......。
「いや! その! なんだ! そういえばそろそろ舟出さねぇと!」
「ちょっと舟渡さーん!」
ほとんど考えず体が動いたらしく舟渡は誤魔化しの言葉も浮かばずに風神の筆を持ったまま逃げてしまい、それを風神が追いかけていった。
「濡烏ねぇ......」
取り残されたアタシはため息を零しながら自分の長い髪を指で遊ぶ。まさか風神のヤツにまで見られていたとは。いつも人払いの結界張ってるはずなんだけどな......。
呼び名なんてどうでもいいと思っていたけど、その意味を知ってからなんだか名前を呼ばれるのがこそばゆい。舟渡のヤツと変な雰囲気になるし、聞くんじゃなかったわ......。
「“死神”か。悪くないわね」
改名案の反対で随分揉めたようだけど、ようやくアタシら雷神の名前が正式に変わって、同時に色々な取り決めと命名の変更があった。橋より少し離れた場所でエンマに渡された教本を読みながらそれを確認してみる。
「逝霊機? あぁ、これの事か」
ていうかこの大鎌、元の名前なんて言ったかしら......。道具の名前なんて呼ばないから忘れちゃったわ。
「で、こっちが霊携機。っと」
そして新しく支給された少し小さめの髑髏の形をした道具。これで自分が担当する地域の運命が一目瞭然なんだとか。
「随分便利になったものねぇ」
少しこづいてやると頭の中に死にそうな連中の顔と死の情景が思い浮かぶ。現世で手頃な人間を見つけては簡単な運命とかを呪いで見て、自分で判断して憑いてたけれど、この道具を使えば誰がどうやって死にそうか力を使うまでもないようだ。
「もっと早く欲しかったわ」
といっても、のんびりながらもアタシもこの仕事をやって長い。仕事の評価もだいぶ貯まってきたからそろそろ潮時ね。
「でもなぁ、出世したらもうここにいられないのよね......」
ここ最近の大改革でアタシらの出世先もだいぶ増えたようだけど、三途の川付近での仕事は末端の神ばかりだ。そこそこの神となるともう少し上の層にいる事になる。
「へぇ、人間にもなれるんだ」
褒賞の目録を読み進めてると出世(?)先にそんな項目を見つけた。でも人間の生活を見ているアタシらの中に人間に憧れを持つヤツなんているのかしら。他にも色々褒賞なんかも貰えるみたいだけど......“自分だけの空間”? ちょっと惹かれるわね。でもこういうの貰うと出世が遅れるのだろうなぁ。
「オネーサーン」
何か面白いものはないかとぼんやり読んでいると、いつもの声に呼びかけられる。
「久しぶりね、お人好しの風神......、じゃないわね」
やってきたのはお人好しの風神、もとい。
「天使ですっ」
「そう、それ」
天からの使いで天使、ね。疫病神よかいいけど、名前に“神”がついてないのはいいのかしら? 仮にも神のウチでしょうに。
「心優しい天使さんですっ!」
新しい名前を気に入ってるのか、無い胸を張っていつもの感じで名乗る。そういえば着物もアタシらと同じ黒だったのが対になるように赤いのに変わってるわね。赤い着物といえばあいつらだったけど......これ以上考えるのはよそう。
「オネーサンの方は代わり映えしないですね」
「アンタらもアタシの事、雷神なんて呼んでないしね」
もっと禍々しい感じの着物なんかもあったけど、あんまり趣味じゃなかったわね。アタシらはそのままでもいいそうだからしばらくはこのままかしら。
「決まりの方は死神さんの方も結構変わりました?」
「んーまぁね。人間に関わるなとかそんなところかしら。今時そんな酔狂なやついないだろうし、やることに関してはほとんど変わらなそうよ」
ただまぁ、あんまり長く仕事しないでいると罰則が設けられたのはちょっと面倒ね、そこまで長く休むこともないとは思うけど。
「あはは......。そこは天使も死神も同じなんですね......」
あぁ、いたわ。酔狂なヤツが......。
このお人好しの明らかな落ち込み具合を見るに、人間に関わらないようにする決まりは大体こちらと同じみたいね。
「アタシら雷......死神は事故から助けられるけど、あんたらは関わっても寿命は覆せないでしょうにね」
それこそ、アタシら死神に性格のいいやつがいない理由だと思うけど。
「そうですよ! こっちはちょくちょく姿まで見られるんですよ!」
コイツは見えようが見えまいが自分から姿を見せて人間にお節介を焼く訳だけど。たまに姿が見られる天使にまで人間に関わるな、なんて言うのはたしかに酷よね。その辺の事情は上には伝わってないのかしら。
「人間さんのお世話をしていいのは信仰を受けたカミサマだけだなんてズルいです! 心優しい天使さんもお世話焼きたいです!」
逆に信仰も受けてないアンタが世話焼く理由ってなによ......。
「所詮アタシらは名前もない末端の神って事よ」
あるいはアタシらも信仰を失った神のなれの果てかしら......。他所から来た神に名前を取られるし、最近生まれた死神や天使はアタシらより明らかに力も弱いらしい。信仰が神の力になるなら、もっともな話よね。
案外、アタシらに人間に関わるなってのはアタシらへの信仰が戻らないようにするためだったりね。
天使と並んで歩きながらそんなことを疑心しながら愚痴をこぼした。
「おいおい、目出度い日に美人二人が辛気くさい面してどうしたよ」
「はぁ......、一番変わらないのはこの人でした......」
「どこが目出度いんだか。ホトケサマの信仰侵略おめでとうって?」
橋の様子を見に来てみれば、丁度仕事を終えた舟渡がふらりと。あぁ、なんかお人好しと話してたらアタシまで腹立ってきたわ。この脳天気な顔に天使のヤツまでため息零してる。
「信仰も何も、神も仏も混ざり合ってよくわかんねーじゃねーか」
ごもっとも、コイツもアタシももうどっちに仕えてるんだか。現世の人間もどっちを信奉してるんだか。
「アンタはいいわよね、何にも変わらなくってさ」
ここのところの改革の中で、舟渡らの仕事にはほとんど変化はない。元々大した仕事でもないんだし当然か。ってなんか八つ当たりみたいになってきたわね......。
「まぁそう言うなよ、お前らの仕事がラクになるよう色々手配もしてくれてるんだしよ」
「そりゃ楽にはなったかもしれませんけど......」
お人好しの視線が落とした先には『奇跡教本』なる、天使達の力の使い方をまとめたと思われる指南書。アタシが渡された『呪教本』と同じようなものならアレで力の使い方とか学べる訳だ。
アタシらの代なんて先人に教わるしかないからそれぞれ使える呪いが違ったりしてたんだけどね。アタシなんかは一度見たら覚えられるけど、他の連中は何日とかかるみたいだし。
「せっかくできることも増えたのに......」
だけど、せっかく覚えた力の使い方も、新しい決まりによって使うことはないのでしょうね......。
「アタシは別に愚痴るほど困っちゃいないんだけどね」
八つ当たりの言い訳じゃないけど、そう言って落ち込んでるお人好しへ目を向ける。コイツの人間への世話の焼きっぷりをよく知っていると、どうしてもね。
「やっぱり! 納得いきません!」
と、なんと慰めたモノかと見つめてると途端にお人好しのヤツが声を張り上げて顔を上げる。
「舟渡さん!」
「おう?!」
そこで何か決心したお人好しに、呼ばれると思ってもいなかった舟渡が間抜けな声で答える。
「舟を出して下さい! 話をつけてきます!」
「はぁ!?」
そしてその言葉が意外だったのは舟渡以上に、アタシだ。
「別にオレが舟出さなくても橋から跳べばよさそうなもんだが......」
「そんな事はどうでもいいのよ! そこじゃないでしょ!?」
橋もだいぶ出来ているとはいえ、泳げないコイツが急流を飛び越えるのが怖いというのはわかる。だけど問題はそこじゃない。
「そんな今更な事、アンタ一人が行ってどうにかなるものじゃないでしょ!? 大体誰に話しつけるっていうのよ!」
改革とか改名とか、色々ゴタついてようやく落ち着いたらしいのに、それをコイツのわがままでどうにかできる訳がない。それこそ人間に関わろうとするヤツは少数だっていうのに。
「やってみなきゃわからないじゃないですか!」
「わかるわからないじゃないでしょ!!」
いくら怒鳴ったって、コイツはこういう事には頑固で......。
「水神さんのことだってあるじゃないですか!」
「アイツのおかげだって決まったわけじゃないでしょ!!」
水神の前例があるからって、そんな、簡単な事じゃないのに......。いえ、水神の例があるからこそ......。
「アイツが......水神が賽の河原の不条理を変えたっていうなら......」
もし本当に、それがあいつのお陰だったとしても。
「なんで、帰ってこないのよ......」
アイツは、帰ってこなかった。アイツの帰るべき“水子神”は、居なくなってしまった。
考えないいようにしていたそれを言葉にしたせいで、アイツの事がこみ上げてきて......、アタシは泣き崩れるようにお人好しの肩を抱いた......。
「オネーサン......」
いつになく気弱なアタシに、見せたことがない姿に、お人好しのヤツは戸惑いながらもアタシの腕を、抱き留めようとするアタシを......優しく押し返す。
「大丈夫です、必ず帰ってきます。もしかしたらまだ向こうにいる水神さんも、一緒に連れ帰ってきますから」
「あんた......」
根拠のない自信で、子供をなだめるような笑顔で、アタシに言った。
「舟渡さん、お願いします」
戻ってくるつもりだからお別れの言葉はないと言わんばかりに、お人好しはアタシに背を向ける。
「わかったよ......」
アタシ達のやりとりを見守り、お人好しの覚悟を受けた舟渡は肩を落として頷いた。もしかしたらコイツは、川が怖いのじゃなくて水神と同じ方法で、舟渡の手で向こう側へ渡りたかっただけなのかもしれない。それが、舟渡の“仕事”なのだから。
そしてそれきり、あのお人好しの姿を見る事はなかった......。
結局、あいつが向こうに行ってからもアタシら死神はもちろん、天使の決まりが変わることはなかった。あるいは、それが変わらないからもう天使でいるのがイヤになったのか。
変わったことと言えば、アタシの周りがなんだか静かになった事と
アタシとあいつが残した教本なんかに“存在意義 失イ者 消ユ”という一文が、付け足されたくらい。
「自分の仕事をちゃんとしろ」程度の警告文だけど、アタシにはそれがまるで、自分の仕事の範疇越えたアイツらの事を言っているような気がして、気にくわなかった。
久しぶりの幽界で、アタシは大きくため息を零す。
「なーにが、“霊携機”よ......」
天使が見る寿命のように、霊携機で見られる運命なら確実に魂を回収できるものかと思ったら全然そんなことはない。エンマ曰く人間の運命は些細なことで変わるからだのなんだの......。
「まぁ全部確実ならアタシらいらないか」
天使と死神になんて分ける必要もないわよね。その都度迎えに行けばいいんだから見張る必要もないし。
「“天使”か......」
些細なことで思い出す。一度も“天使”として働くこともなく消えてしまったアイツを。
幽界にいるとひょっこりあの騒がしい声が聞こえてきそうで、そんな期待をする自分がイヤで、最近はずっとらしくもなく仕事に熱心だった。人間が死の悲しみを仕事で誤魔化そうとしているところは見てきたけれど、こういうことなのかしら。
「あー、やだやだ、誰かさんのせいでアタシまで人間くさくなっちゃって」
その誰かさんとも、気まずくてあまり顔を見ていない。
アイツら二人を舟で送ったのが舟渡だから、その責任を感じてか対岸に舟を置いたままアイツらの帰りを待つばかり。
底抜けに明るいアイツのそんな姿と、静かになったここにいるのがイヤで、アタシも逃げるように現世へ......。
「あら......」
どんな顔して会ったモノかと考えながら、意を決していつものところにきてみれば。あれから放置されていた橋がもうほとんどできていた。
「舟渡......」
橋の向こう側、対岸のあたりで黙々と最後の板を打ち付ける舟渡の姿を見つける。
最後の仕上げの邪魔にならないよう人払いの結界をお札で張っているようで、橋の上には他の人影もない。アタシが平気なのはアタシが作ったヤツだからね、まさしく橋造りの邪魔にならないよう舟渡にあげたヤツ。
「あー......」
「よぅ、カラス」
結局かける言葉を思いつかずに来てしまって、とりあえずなにか言おうと舟渡に近づいてみれば、それより早く舟渡に気付かれる。
「久しぶりだな」
「そう、ね。久しぶりね」
舟渡に合わせて適当な返事をして、言葉に詰まる。顔を見ればなにかアタシらしい憎まれ口でも思いつくかと思ったんだけどな......。
思えば、舟渡と死神が仲良くする理由なんてなくて、もうここで寝ることもなくなったのに、なんで会いに来ているんだろう......。
「スッカリ姿が見えなくなったから、出世しちまったのかと思ったぜ」
と思ったら、向こうから憎まれ口が飛びだした。
「それならそれで一言くらい残すわよ。ちょっと褒賞色々貰いすぎて遠ざかったけどね」
物欲ってものに慣れてないからダメね。一つ貰うともっともっとと際限無くてすっからかんだわ。あるいはアイツの居なくなった寂しさを埋めたかったのか......。別に出世に拘ってるわけでもないし、いいんだけどね。
「アンタの方こそ、いい加減結構貯まったんじゃないの」
舟渡が貯めた金をどうするかは知らないけれど、出世や褒賞みたいなのはあるんじゃないかしら。
「そんなモン、橋の材料費にほとんど消えちまったよ」
「え!? この橋の材木買ってたの!?」
たしか幽界にある木から適当に見繕ってたと思うんだけど......。
「最初の頃はその辺の木使ってたんだが、怒られちまってよ。仕方ねぇから舟や櫂の材料頼んでそれ使ってたんだわ」
「へぇ......」
てことは舟や櫂って自前だったんだ......。えらく手際が良いと思ってたけど舟渡には元々そういう力というか技術があるものなのね。
「なんだ、意外そうだな」
「いや、まぁ。アンタの事は結構見てたつもりだけど、案外知らないものだなって」
「そりゃま、仕事場が違うしこうして舟渡と死神が仲良くしてる方が妙な話だしな。オレもカラスの事は知らない事の方が多いだろうよ」
「そう、ね......」
お互い自分のことを話すような性分でなく、かつてはアタシが寝てるか、二人とも仕事の愚痴が大概。
人間に比べて遙かに長く過ごしてるアタシ達が、あまりに希薄な関係だった事を今更に気がついて、なんだか寂しい気持ちになる......。
「でもさ、お互いに出世が遠のいたんならこれからも長い付き合いになりそうね」
アタシだけでなく舟渡までそうなっていることに、嬉しく思う。
「そうだな......」
だけど、そう思っていたのはアタシだけなのか今日の舟渡は素っ気なくて......。
「これからアンタも暇になりそうだし、もう少し仲良くしてあげていいわよ」
だから、つい照れ隠しで偉そうな態度で背中を向けながら、そう言った。
「......」
そう、橋が出来れば舟渡はこれまで以上に暇になる、これからは一緒に過ごす時間も......。
「......?」
だけど、背中の舟渡から返事がない、アタシの尊大な態度なんてアイツなら笑って答えてくれるはずなのに。
「舟渡......?」
不安に駆られて振り向いてみれば、そこに舟渡の姿はなくて、最後の一枚の板が橋に打ち付けられていて......。
橋は完成していた。
だけど、そこに舟渡の姿は無くて......。
(存在意義 失イ者 消ユ......)
そう、橋が出来れば舟はいらない、“舟渡”はいらない。当然のことじゃないの。
「ふふっ......」
膝から崩れ落ちて、溢れそうになった涙をこらえて、アタシは笑う。
「どこまでも、馬鹿じゃない」
人間なんかのために橋を造って、そのために自分の存在意義を失って、消えてしまうなんて......。
「それを手伝ったアタシは、なんなのよ......」
アタシも馬鹿の一人じゃない。
アタシ一人取り残されて、アタシ一人が馬鹿じゃない......。
「なによ、どいつもこいつも、人間なんかのために......」
水神が消えて、風神が消えて、舟渡が消えて。みんなみんな、人間のために消えてしまった。
自分の仕事の範疇を越えて、自分が得るものなんてないはずなのに、人間のためを想って。
消えてしまった......。
「アタシは違うからね......」
人間達の言葉に、こんな言葉がある。「イイヤツから先に死んでいく」と。なるほど、そういうことなら。
「アタシは絶対、“イイヤツ”なんかにならないんだから!!」
一人取り残された橋の上で、溢れる涙に溺れないよう、消えてしまったアイツらに向けて叫んで、アタシは心に誓った。
現代。現世。
“イロハ”は新しい連れ合い、死神となったミツルと共に目付の側で時間を潰していた。
「さぞな春 つれなき老いと 思ふらむ 今年も花の 後に残れば」※(春よ、私をつれない老人と思っただろうな。愛する妻が逝って一年、また桜が散っても、まだ生き残っているのだからな)
イロハが歌うと、対面したミツルは真剣な面持ちで頭をひねり、うなり、答えを探す。
「んーーー......」
そう、これは歌人当てクイズ。和歌好きが高じて歴史好きになったミツルが考えたちょっとした遊びだ。しかしイロハのほうも多趣味で百人一首を初めとして和歌好きということもあり、勝負は拮抗していたが......。
「前大僧正行尊!(さきのだいそうじょうぎょうそん)」
「ぶっぶー新納(ニイロ)忠元でしたー」
「うわっきったねぇ! 戦国武将じゃねぇか!」
「別に歌人に限定されてないもーん!」
ルールを決めたのはミツルなのだからそっちが悪いと言わんばかりに、イロハはイタズラが成功した子供のように無邪気に笑う。
「でもミツルの答えも良い線言ってるわよ」
「くっそー」
クスクスと笑いながらフォローされると返って惨めである。思えば勝負が拮抗しているのに問題が簡単だったはずもないと、ミツルは悔しがる。
「じゃ、アタシの勝ち1ね。ミツルもじっくり問題考えなさい、別に歌人に限定はしないわよ?」
「よーし、みてろよー......」
例え歌人に限定しなくても自分なら答えてやると言った風に、イロハの挑戦的な態度にミツルもムキになる。
しかし、ミツルも歌人の歌は多く覚えていてもあとは偉人の有名な歌くらいしか思い当たらない。それじゃイロハには勝てないだろう。
さて、どうやって裏をかいてやろう、ミツルはさっき以上に頭を悩ませる。
どうでもいいが、まだその時期ではないとはいえ二人がかりで憑いているのに目付の事などそっちのけである。
「おっ!」
「ん?」
そしてミツルに名案が浮かび、不適に笑う。
流石にルール違反だが、ちょっとした遊び心である。それに、イロハなら答えられるかもしれない、とミツルは二つの期待を胸に、静かに歌った。
「いろは橋 路銀足り無き はした金 馬鹿の考え 亡者に似たり」
「......」
身構えてたイロハはその歌を聞いてキョトンとした。
「どうだ!」
「え......、ごめん。ちょっとわからないわ」
イロハは本当にどんな難問が来ても答えられるつもりでいたし、答えられなくてもどこかで聞いたはずだと頭を悩ませることだろうと思っていた。
しかし、ミツルの歌は歴史に残るにしてはあまりに拙い出来映えで悩ませるどころではなかったのだ。
「そうかー、イロハでもわからないかぁ。実はオレも誰の歌か知らないんだよ」
「はぁ!? 答え知らないのに問題にしたの!?」
イロハの言葉はもっともで答えを知らないのではクイズとして失格である。しかも歌の出来映えを見るに、本当に歴史の人物が歌ったかも怪しい。
「そんなどこの誰が作ったかわからない雑な歌、わかるわけないでしょう!!」
少しはミツルの難問に期待し、思わず謝ってしまったのだから怒るのも無理はない。勿論それほど本気ではないが。
「いや、悪い悪い。随分昔から頭に残ってるんだが、調べても誰が歌ったのか全然わかんなくてよ」
いつの頃からか頭に残っている歌。決して出来が良いとは言えない歌なのに、何故か頭から離れないでいて、ミツルが和歌好きになったきっかけでもある。イロハなら知っているかもしれない、そんな期待を込めていたのだがこの反応は本当に知らない様子だった。
「お前ならもしかしてとおも――イロハ?」
「なによ?」
自分の剣幕をなだめようと笑って誤魔化していたミツルが途端に真顔で名前を呼ぶものだから、イロハもつい素に戻る。いや――
「どうしたんだよ、お前?」
「どうしたって、なにが――え?」
なだめるどころか心配するようにミツルが自分の頬に手を触れて、そこでイロハは始めて自分の違和感に気がついた。
「あれ......なんで......」
ミツルが触れたのは、何故だか自分の目から頬をつたっていてた涙で。それに気がついた途端、ダムが決壊したかのように、溺れるほどの涙があふれ出る。
「おい、なんで泣くんだよ!?」
「わ、わかんないわよぉ、アタシだって......」
ミツルは泣かせるほどのイタズラであったつもりはないし、イロハも何も悲しくないのに、何も痛くないのに、その暖かい涙は止まらなくて。
「もぅ、馬鹿ぁぁ!」
きっとこの涙の原因はミツルなんだと、イロハは心配して抱き寄せるミツルの胸で、訳も分からず泣きじゃくった。
数百年来の恋心が叶ったことなど、夢にも思わないだろう......。
そんな事を知って知らずか
「袖触れ合うも“他生”の縁ってね」
どこかの“舟渡”が、ぼやいていた。