第7章 拡大編 - 第13話「比例して拡大するもの」
穏やかな空気に満ちた室内へ、夕日がゆっくりと差し込んでいた。
大きくなった窓から伸びた光が、二人を照らす。
美月はまだ癒凪の胸元へ寄ったままだった。
先ほどまで胸いっぱいに広がっていたのは、嬉しさばかり。
そんな余韻に浸っていた時だった。
じわり。
じわり。
幸せでいっぱいだった美月の脳が、ゆっくりと現実へ引き戻されていく。
―――『こちらは暫定居住地です』
不意にひとつの声が蘇った。
美月の表情が固まる。
隠世へ来たばかりの頃、この家を案内したのは写仝だ。
そう。
家を与えられた時、美月は支払いについても確認した。
―――『一定期間、支払いは免除されます』
免除。
つまり、この家は――――
「......待って」
美月の声が震える。
癒凪が視線を落とす。
「どうした」
「......癒凪ぃ......」
先ほどと同じ呼び方だった。
しかし。
つい少し前の『癒凪ぃ......!』とは違う。
今の声は、そのまま消えそうなほど弱々しい。
癒凪の目が、わずかに見開かれる。
「......何があった」
美月は、ゆっくり顔を上げた。
「......前の家......」
顔から血の気が引いていく。
「管理所からの......貸家だったんだけど......」
頬が引きつり、目も潤み始める。
「......管理所に、怒られないかな......?」
「............」
「............」
「............」
「............」
ジャジー、鳳、東、癒凪が黙った。
誰も何も言えない。
散々満喫し尽くしたのだ。
突如として頭上から舞い落ちてきた行政手続き。
全員の思考が、一斉に停止した。
「なんだ!?問題でもあっただろうか!?」
大地主大神は首を傾げている。
「あぁ!あやつらへの報告であるな!」
手置帆負命が、何かを思い出したように手を打った。
「そこは某らの管轄外だな!」
彦狭知命が笑う。
すでに増築済み。
土地は広がり、水源は繋がり、 海路まで通った。
二階建てになり、畑も納屋も拡大した。
ここまで見事な出来栄えで、三柱も満足げに胸を張っている。
今さら元に戻してほしいなどと口にした日には、何かしらのバチが当たりそうな気がする。
「......すまない......」
癒凪の肩が、ほんの少しだけ下がる。
「手続きの件など、気にも留めていなかった」
目に見えてしょんぼりしている。
美月は一瞬、そんな癒凪を見つめ。
「......とりあえず......」
ぎゅっと拳を握った。
「私、管理所行ってくる......!」
癒凪から離れ、玄関へ向かおうとする。
「待て」
引き留められる。
振り返ると、癒凪が腕を掴んでいた。
「私が行く」
「え」
今まで、あれほど管理所へ行くことを避けていた。
使いが来ても応じず、支援の手も取らず。
消えることを、受け入れていた。
その癒凪が、自ら管理所へ行くと言っている。
「今回の責任は私にある。だから―――」
「責任なんて言わないで」
美月が遮り、癒凪が止まる。
「心を込めてくれた贈り物なのに、後味悪い記憶で塗りつぶさないで」
真っ直ぐに見上げる。
「だから、一緒に行こう」
「......」
「それで......」
美月は少しだけ笑った。
「いっそのこと、笑いに変えちゃおう?」
その言葉を聞き、癒凪の目元が、ほんのわずかに緩む。
「おい。それなら俺らも行くぞ」
ジャジーが立ち上がる。
「うむ。そなたらだけの問題ではござらぬ」
鳳も続いた。
「俺も行く!」
東が勢いよく手を上げる。
美月は三人を見回すと、ふふっと笑った。
「じゃあ皆で、ひとまず怒られに行こうか」
「......あぁ」
癒凪も静かに頷いた。
そして。
美月達は、管理所へ向けて歩き出した。
その頃。
閉庁まで、あと数刻の隠世管理所。
事件なし。
横暴な来徒の来訪なし。
緊急案件なし。
いたって平和な夕刻だった。
そんな時だった。
窓側にいた一人の職員が、ふと窓の外を見た。
「......何か、来てます」
「まあ」
近くにいた境界管理課の職員。
橋姫の妖、線姫が窓へ近づく。
「あらあら......」
細い目が、遠くを見据えた。
「これは、一線を引かなければいけませんわね......」
直後。
管理所周辺へ張られた、一定以上の神気、妖気、魔力を検知する境界が反応した。
ビー!
ビー!
ビー!
けたたましい警報音が管理所内へ響き渡る。
『管理所近辺に、異常に高い力の接近を確認しました』
各部署の空気が変わる。
『最前列、小柄な女性妖を確認』
その放送に、書類へ目を落としていた写仝が窓辺へ向かう。
「美月さんですか。先ほど帰られて―――」
最前列。
確かに、美月が歩いている。
しかし。
その後ろが問題だった。
「―――――!?」
放送が続く。
『強大な神気を持つ四柱を確認』
『悪魔系と思われる高密度魔力を検知』
『神格級の水属性男性妖を確認』
『強大な支配系海属性妖力を確認』
「............」
写仝の輪郭が、わずかに揺れた。
放送を聞きつけ、各部署から職員が集まってくる。
「あんだぁ?おっかねぇオーラ出して何してだ」
蔓実が、興味深そうに窓の外を覗く。
「......あれは疫病神か」
フレイフェルが目を細める。
「消えかけていた者が、なぜ美月といる」
守命流も腕を組んだ。
「なにかの示威運動でしょうか」
「美月ちゃんならやりかねないわねぇ〜♪」
縁は何故か楽しそうだった。
「では、私はあちらが到着される前に、踏み入れられぬ境界を引きますわ」
線姫が静かに指を立てる。
近くにいた新米職員が、恐る恐る口を開いた。
「......美月さんという方、囲まれているのではないのですか?」
そこへ。
捜索監視課から百之鬼が歩いてきた。
「あぁ、違います」
にこやかに答えた。
「あれは先導していますね」
「もっと怖い!」
新米職員が叫んだ。
写仝が振り返る。
「百之鬼さん。あなたは感情が読めるはずです。何をしに来たのか、見ることはできますよね」
「うふふ。すでに見ていますよ」
百之鬼の腕にある目は開き、妖しく光っていた。
「結果は?」
「危険ではないとは言っておきます。あとは本人達へ聞いてください」
百之鬼は楽しそうに微笑む。
情報が少なすぎる。
しかし、命の危険はないらしい。
それだけ分かれば、管理所職員としてやることは通常対応だ。
写仝は数秒沈黙したのち。
「......緊急事態ではないのですね?」
「はい」
「......分かりました」
とはいえ、どう見ても侵攻である。
災異治安対応課は万が一に備え、すでに鎮圧のフォーメーションを組み始めていた。
その頃、美月一行。
「皆なんでそんなガチガチなの!?」
美月の声が響く。
全員、足取りが重い。
「謝罪に行くのだろう」
癒凪が淡々と答える。
「なら、軽快に向かうのは違うだろう」
「重すぎちゃってるのよ!」
美月は頭を抱えた。
隣のジャジーを見る。
「謝罪なんか基本するように見えるか!?どういう姿勢で向かったらいいかわかんねぇんだよ!」
「だからって、その魔王軍筆頭みたいな歩き方やめてよ!」
次に鳳。
背筋は伸び、両腕は後ろで組まれ、姿勢だけならなんの問題もない。
しかし。
「魔王軍参謀なのよ......」
美月の目が細くなる。
「管理所と連携を組む青札でござる」
「環境がよくなかった!」
三柱については、もうどうしようもない。
元々が圧の強いガテン系神々だ。
そして。
東は東だった。
何故か楽しそうに笑っている。
「完全に“どういたぶってくれようか”って顔なのよ......」
「顔の治安は仕方ねぇだろ!」
東の声が飛ぶ。
人魚の混血でもあるその大声は、管理所内までしっかり届いた。
「何か、吠えてますね」
写仝が窓の外を見る。
「開戦の狼煙を上げる雄叫びでしょうか」
守命流が真顔で答える。
「縁起でもないことを言わないでください」
「大丈夫ですよ」
百之鬼は笑顔だった。
「あの方は元気なだけです」
やがて。
管理所の扉が開いた。
先陣を切ったのは線姫だった。
「止まりなさい」
美月達の前へ立つ。
「その境界を越えれば燃えますわ。そこから用件を伝えてくださいまし」
すっと指を立て、境界の位置を示した。
「............」
美月は黙った。
そこへ。
写仝が境界を越えない位置まで近づく。
「......美月さん」
静かな声。
「あなたは、隠世の制圧申告でもしに来たのですか」
「......申告、しに来ました......」
美月は俯いたまま告げる。
空気が一層張り詰めた。
「......そうですか」
写仝の首が、ゆっくり下がる。
「百之鬼職員から危険ではないと伺っていたのですが......」
そして。
ゆっくり顔が上がる。
「それは、この方々が“今すぐには飛びかかる危険がない”という意味で―――」
「っすいません!!」
ゴッ!!
凄まじい音が響いた。
美月の額が、床へ叩きつけられる。
非の打ち所のない綺麗な土下座が完成した。
「............は?」
写仝が止まった。
背後では。
百之鬼が、必死に笑いを堪えている。
「おまっ......」
ジャジーの肩も震えていた。
「謝罪の形が最終形態すぎんだよ......っ......!」
「......ふ......っ......」
鳳は口元を手で覆い、顔を逸らす。
ただ一人、東だけは一目散に美月へ駆け寄った。
「いや今すげぇ音したぞ!?笑ってる場合じゃねぇだろ!」
美月が少しだけ頭を上げる。
額は赤く、目は死んでいる。
「東......いいの......」
にこ......と、死にかけの笑顔。
「今は、謝罪の王様にならなきゃいけないから」
「そんなしょーもねぇ王になんな!」
東は慌てて美月の額を擦った。
「......いったい、どういうことでしょうか」
写仝の声が落ちる。
美月は東の手をそっと外すと。
再び綺麗な土下座を作る。
「写仝さん......私、大事な申告を忘れていたんです......」
「......なんでしょうか」
7人が見守る中。
美月の頭が、ゆっくり上がった。
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「比例して拡大するもの」
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