第7章 拡大編 - 14話「比例して拡大するものパートⅡ」
「......借りてた家......」
美月は土下座からゆっくりと顔を上げた。
額には、先ほど床へ打ちつけた赤い跡がくっきり残っている。
「はい」
写仝は、その姿を静かに見下ろしていた。
「神造二階建て池付き海路あり住宅に変えてしまったんです」
「..................」
静寂。
管理所内から、一切の音が消えた。
数秒前まで張り詰めていた戦闘態勢も、警報の余韻も、すべてがスッと消えていく。
「......私、担当部署に戻りますわ」
最初に動いたのは線姫だった。
すっと指を下ろし、くるりと背を向けた。
その背中は、心なしか気まずさを滲ませている。
美月達の前に張られていた境界が消え、それを合図にしたように、災異治安対応課の職員達もぞろぞろと持ち場へ戻り始めた。
「なんだよ......」
「寿命縮むかと思ったわ」
「俺ら寿命なんてあんのか?」
「消滅だろ」
「あっははははそりゃそうだ!」
解散する中で、隠世ブラックジョークが交わされている。
「しったげ勘違いしてらっけなぁ......」
蔓実が頬へ手を当て、大きなため息を吐いた。
「まったく、人騒がせなやつじゃわい......」
守命流も髪を逆立てたまま、腕を組んで息を吐く。
「んもぉ〜。雰囲気だけ見たら、隠世大戦でも始まっちゃうかと思うじゃなぁい......」
縁は困ったように笑いながら、ふさりと尾を揺らした。
その隣で。
「うふふ」
百之鬼だけは、一人楽しそうだった。
「だから危険ではないと言ったじゃないですか」
「もっと詳しゅう言うべきじゃろうが!」
守命流が声を飛ばす。
四人はくるりと背を向けると、百之鬼へ文句を言いながら、それぞれの持ち場へ戻っていった。
その少し後ろで。
フレイフェルが、一人だけ足を止める。
紫の翼がわずかに揺れ、その目が癒凪へ向いた。
「......疫病神」
癒凪の顔が、フレイフェルへと向く。
「何度も使いを向かわせたが、ようやく存在を留めたか」
「......」
癒凪は、少しだけばつが悪そうに視線を逸らした。
そして。
「......今は、癒凪だ」
名前の訂正だけはした。
フレイフェルが静かに瞬く。
「そうか」
それ以上は何も聞かない。
「在魂登録情報はこちらで更新しておく」
くるりと背を向け、そのまま在魂課へ戻ろうとして。
数歩で止まる。
そして。
軽く、顔だけを癒凪へ向けた。
「......良かったな」
短い言葉だけを残し、今度こそ歩き出す。
「............」
癒凪は、その背中を見送った。
ほんのわずかに、口角が上がる。
「......あぁ」
その声はもう、消えることを待つ者のものではなかった。
この世界へ残る。
そう決めた者の声だった。
「......では」
それまで黙っていた写仝が、美月へ向き直る。
「では、どういう経緯でそうなったのか、申告していただきましょうか」
淡々と告げる。
美月は視線を下げ、小さく口を開く。
「......です......」
ぼそり、と。
ほとんど届いていない声で、美月は何かを告げる。
「聞き取れませんでしたので、もう一度お願いします」
写仝は写仝のままだった。
「おい!美月を虐めんじゃねぇよ!」
東が牙をむき出し、明らかな威嚇をする。
癒凪は東に視線を移す。
「やめろ」
静かな声。
「美月が謝罪に行くと言って来た。私たちは無駄なことをしてはいけない」
「でもよ......!」
「気持ちはわかる。今は美月に話させてやれ」
「......わかった」
東はゆっくりと身を引く。
「虐めてはいません。申告の確認を行なっているだけです」
「確認が尋問なんだよ......」
ジャジーが眉間に皺を寄せた。
やがて、美月は顔を上げる。
「......プレゼントが......」
「“ぷれぜんと”?」
聞き慣れない単語に写仝は首を傾げる。
「......贈り物が......土地と家だったんです......」
「............はい?」
「贈り物が土地と家だったんです!!」
美月がヤケになったように叫んだ。
額には見事な日の丸を背負い、まるで今から戦地にでも特攻するかのような面持ち。
「............」
写仝の輪郭が、わずかに揺れた。
もはや、どこから聞けばいいのか分からない。
美月の背後では爆笑する三柱と、恋人であるジャジーと鳳の二名が肩を震わせている。
「そこ!笑ってるの分かるからね!」
美月は首だけをジャジーと鳳に向ける。
ジャジーは「ぶはっ」ととうとう声を出した。
「お前っ...!デコ...!」
腹を抱え、涙目になっている。
「その顔で謝罪はもはやギャグだろ...っ!」
「めちゃくちゃ必死な謝罪だよ!」
「笑ってはいけぬと分かっておる...。しかし...視覚情報が濃いゆえ...っ...」
「鳳まで!」
そんなやりとりを見ながら、写仝は大きくため息をついた。
「......そもそも、なぜ美月さん一人ではなく、この方々までもがついてこられたのでしょうか......」
視線が美月の後ろへ向く。
癒凪が即答した。
「謝罪だ」
「無論、謝罪でござる」
鳳も頷く。
「一応、謝りに来た」
ジャジーが腕を組む。
「とりあえず謝んのと、美月といてぇからな!」
東が元気よく手を上げた。
「叱られる経験などないからな!」
大地主大神が胸を張る。
「はっはっは!俺は面白そうだからついて来た!」
手置帆負命が豪快に笑う。
「某もだ!」
彦狭知命まで拳を上げた。
「後半にかけておかしいグラデーションできてる!」
美月が叫ぶ。
写仝は額へ手を当てた。
「......確認します」
額に手を当てたまま、淡々と問う。
「あちらの家は、私が確かに美月さんへ、暫定居住地の借家としてお貸ししたものですよね?」
「はい......すみません......」
美月が再び小さくなる。
その時だった。
「まぁまぁ職員殿らよ、こちらの言い分も聞け!」
大地主大神の豪快な声が響いた。
「神々の争いが起きぬよう、隠世そのものと誓約を交わし、住居の管理を貴殿らが担うこととなったのは承知している」
そして。
空気が変わった。
「......だが」
低い声。
大地主大神がギロリと写仝を睨む。
その圧倒的な神気溢れる眼力に、写仝は硬直した。
大地主大神は続ける。
「まさか、土地そのものまで、己らの所有物とは申すまいな......?」
刹那。
神威が落ちた。
「んひぃっ!!」
美月の肩が跳ねる。
空気が一気に冷え、見えない巨大な岩を背負わされたような圧力が、管理所内へ瞬時に広がった。
近くにいた数人の職員の膝が折れる。
しかし。
写仝だけは、なんとか一歩前へ出た。
「......っ......申しておりません」
大地主大神は写仝をじっと見る。
そして。
「......ならいい!」
ぱっ。
一瞬にして神威が消えた。
「急に神威出すんじゃねぇよ......!」
ジャジーが肺いっぱいに息を吸う。
「死ぬかと思った......」
美月も胸を押さえる。
「並大抵の者でなければ失神するでござる......」
「かなり抑えたはずだが?」
「近くにいる俺らにはとばっちりなんだよ!」
東の怒声が飛ぶ。
癒凪は平然と佇んでいた。
「......情けないな」
「本当に現代の妖は忍耐力が足りないな!」
「あぁ。某達はなんともないというのにな!」
手置帆負命と彦狭知命は不思議そうに首を傾げている。
「お前ら三人同類だからだろ!」
ジャジーは思わずツッコんだ。
「......私どもは、美月さんに対して怒っているわけではありません」
写仝はゆっくり話を戻す。
「問題は、増築、水源接続、海域との境界接続に事前の届出が必要だった点です」
「ならば仕方ないな!」
大地主大神が即答する。
美月は勢いよく大地主大神を見上げた。
「少しはフォローしてください!」
「難しい話は分からん!」
「さっきまで土地所有権の話してましたよね!?」
美月の声が響く。
写仝は淡々と続けた。
「住居構造変更申請、水源接続届を提出していただければ、現地確認の上で登録変更いたします」
「はぁい......」
「それと」
「はい?」
美月は目を丸くした。
「今回の海路接続という事由は、一般家庭には前例がありません」
「......つまり?」
「新たな申告様式を作成します」
「行政の仕事まで拡大しちゃったぁぁあ!」
美月は頭を抱える。
しかし、写仝の依頼は続く。
「また、こちらでの手続き後、妖魔力環境課の蔓実職員へ、環境改変届の提出もお願いします」
「ンァァア手間まで拡大したぁ......」
「手間は圧倒的にこちら側にかかっているのですが」
「ごもっとも!」
その横で。
「っ......」
小さな音がした。
反射的に美月が振り返ると、そこには。
「......癒凪、今笑った?」
口元を引き結び、視線を下げている癒凪。
「......笑っていない」
口角がわずかに引きつっている。
「嘘だ!今もほぼ笑ってるよ!」
美月の言葉に、癒凪はしっかりと顔を逸らした。
耳が、ほんの少しだけ赤い。
「はっはっは!我らはいい仕事をしたな!」
手置帆負命が腹を抱えて笑う。
「まことに良い仕事だった!」
彦狭知命も満足げに頷いた。
「お前ら笑いながら見てただけだろ!」
ジャジーが叫ぶ。
「では我は戻る!」
大地主大神が空間へ手をかけた。
「癒凪殿!また助太刀が必要なら呼べ!代わりにこちらの方も頼むぞ!」
「あぁ。わかった」
「あ、あの!色々とありがとうございました!」
「いい!何かあれば呼べ!」
大地主大神は空間を裂き、その向こうへ豪快に消えていった。
「では俺らも戻ろうか!」
手置帆負命も空間へ手をかける。
「お二人も、素敵なお家をありがとうございました!」
「いい!久方ぶりの隠世は面白い者達ばかりであった!」
彦狭知命が上機嫌に笑う。
「完全に社会科見学だった!」
三柱が去り、ようやく。
管理所へ、いつもの静けさが戻りかけた。
その時。
「美月! 俺ぁ腹減ったぞ!」
東の大声が響いた。
「お主は自分で用意せよ」
「冷てぇな!」
「館内ではお静かにお願いします」
写仝の声が落ちる。
「すみませぇぇん!!」
美月の謝罪だけが、今日いちばん元気よく管理所内へ響き渡った。
しかし。
そこにいた者達は、それぞれの形で。
今まででいちばん、笑っていた。
第7章 拡大編 - 14話
「比例して拡大するものパートⅡ」
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