第7章 拡大編 - 第12話 「幸せ、拡大」
美月達が室内へ足を踏み入れた瞬間。
「すぅぅぅごぉぉぉい!!」
美月の声が、高い天井いっぱいに響いた。
玄関の先には、以前とは比べものにならないほど広いリビングとダイニングが広がっている。
全員が集まっても肩が触れ合うことすらなさそうな空間に、美月の目が一気に輝いた。
何より目を引くのは、その天井の高さだった。
ジャジーが試しに、翼腕を大きく広げる。
「......俺が羽広げても、全然窮屈じゃねぇ......」
本人の目まで、わずかに輝いている。
外から見た時、二階建てにしては妙に背の高い家だと思っていたが、一階そのものが通常より遥かに高く作られていたらしい。
「ん?これなぁに?」
美月がリビングの一角を指差す。
そこには、細めの丸太ほどある棒が、床からわずかに浮くように固定されていた。
「止まり木だ」
癒凪が淡々と答える。
「その淫魔の足は鳥脚だろう。椅子より、そちらの方が過ごしやすいのではないかと依頼した」
「俺は鳥じゃねぇ!」
即座に反論しながらも、ジャジーは止まり木へ足をかけた。
すると。
「......すげぇ。落ち着く」
黒い羽が、安心したようにふわりと膨らんだ。
「鳥だな!」
「鳥だ」
手置帆負命と彦狭知命が、腕を組んで同時に頷く。
「うるせぇ......」
反論はできなかった。
キッチンは広々としたアイランド型だった。
全員で押しかけても、以前のように誰かの羽や腕が邪魔になることはない。
流し台に至っては、美月なら体育座りで入り込めそうなほど巨大だった。
「これ、もう港の加工場のスケールじゃない......?」
横には大量の氷を作れる製氷機まで置かれている。
「これならデケぇ魚持ってきても問題ねぇな!」
東が満面の笑みを浮かべた。
窓の外には、庭に新しく作られた池が見える。
「川の水を地中から繋げてある!水質も術で固定した。常に清らかな水が巡るぞ!」
大地主大神が豪快に笑う。
鳳はその水面を静かに眺め、穏やかに目を細めた。
「......うむ。感謝するでござる」
次に案内されたのは風呂場だった。
扉を開けた瞬間、美月の目が丸くなる。
「え!? お湯張ってある!」
以前の浴槽とは比較にならない。
まるで小さな銭湯のような広さだ。
「おう!疲れてると思ったから、鳳と一緒に入れといた!」
東が胸を張る。
「湯は張ってあった通りのままだ!同じ温度で足し湯をしている!」
手置帆負命も豪快に笑った。
美月は両手を合わせる。
「神ぃ......!」
「そうだ!」
「なんとも無駄のない会話でござるな......」
そして風呂場のさらに奥。
そこには、まるで室内ガレージのような広い空間があった。
ただし満たされているのは車ではなく、海。
そのまま外へ続く海路へ繋がっており、家の中から直接海へ出られる構造になっている。
「すげぇ!」
東は大喜びで鳳から借りていた下衣を脱ぎ、下半身を魚体へ戻した。
「いきなり脱がないでよ!」
「ケツだから許せ!」
「前後の問題じゃない!」
そのまま海へ飛び込む。
大きな魚体が入ったというのに、不思議なことに海水は一滴も床へ溢れなかった。
「うはぁっ!やっとケツ筋が解放された!」
「そこかよ!」
「人知れず攣るとこだったんだぞ!」
東が海中をぐるぐる泳ぐ。
彦狭知命が満足げに頷いた。
「海側から悪意ある者が侵入できぬよう、結界を組んである。この海路を使えるのは、この家と縁を結んだ者のみだ」
遊泳する東をひとまず置いて、今度は二階へ。
二階には、それぞれの個室と、数個の空室が並んでいた。
ジャジーの部屋だけは吹き抜け構造で、翼を広げても十分な高さがある。
「どこでもよい!壁へ魔力を通せば、天井へ結界が張られる!雨も他の妖魔も入らぬぞ!」
「徹底してんな......」
ジャジーが感心したように呟く。
そして最後。
美月は自分の部屋へ足を踏み入れた。
「え!」
「どうした」
癒凪が美月を見る。
美月は部屋を見回したまま、目を丸くしていた。
「人間の時使ってた部屋そっくり!」
「意図はしておらぬが」
「うむ。一般的な人間界の女子の部屋を参考にしただけだ」
手置帆負命と彦狭知命が顔を見合わせる。
「私の部屋、一般的な女子の部屋ピンポイントだったんだ......」
美月の表情がなんとも言えないものになった。
全ての部屋を見終え、一同は再びリビングへ戻った。
東もいつの間にか二本足へ戻り、きちんと下衣を身につけている。
広い家と高い天井。
それぞれの特性に合わせた設備。
美月はしばらく室内を見回していた。
以前の家も、嫌いだったわけではない。
むしろ、狭い空間へ皆が集まっている賑やかさは好きだった。
けれど。
ジャジーは羽を広げれば誰かへぶつからないよう気をつけ、鳳は動線を塞がぬよう自然と壁際へ寄り。
東に至っては、気を抜いて魚体へ戻れば、家具との生存競争が始まる。
美月自身も、料理をするたび背後の羽や大きな身体を避けながらフライパンを振っていた。
それが、この家では。
ジャジーは羽を広げられる。
鳳には清らかな水場がある。
東は魚体のまま眠ることだってできる。
それぞれが家へ無理に自分を合わせるのではなく。
家の方が、そこに暮らす者達へ合わせて広がってくれている。
「......そっか......」
美月が、小さく呟いた。
癒凪は、ただ大きな家を贈ったのではない。
ここで皆がどう暮らし、何に困り、どうすればもっと自然に過ごせるのか。
それを見て、考えていた。
そして、自分にできる方法で形にしたのだ。
それに気づいた瞬間。
胸の奥が、じわりと温かくなる。
やがて。
ゆっくり癒凪へ近づいた。
「......癒凪ぃ......」
そのまま、ぽすっと胸元へ寄る。
「美月、俺らから言い寄られすぎて距離感バグって来たな」
ジャジーが呆れたように言う。
そしてその斜め前では。
「.........」
癒凪が前を向いたまま完全に固まっていた。
「処理落ちすんな!」
「......黙れ......」
声が異様に低い。
美月は、ばっと顔を上げた。
「最っっっ高の贈り物だよ......! 嬉しい! ありがとう!」
満面の笑み。
その瞬間。
癒凪の頭の中へ、東の言葉が蘇る。
―――『渡して終わりにすんな』
以前の自分なら。
「そうか」
それだけで終えていただろう。
だが、今は違う。
「......美月」
癒凪はそっと美月の両肩へ手を置くと、視線を合わせる。
「......私は、あやつのようには言えない」
美月は一瞬だけ東へ目を向け、すぐに癒凪へ戻した。
「うん」
「だが、これだけは言える」
静かな声。
けれど、以前よりずっと力強い。
「心から、感謝している」
美月の目がわずかに見開かれる。
「九千坊が、美月の笑顔に救われたと言っていた」
鳳が目を瞬く。
癒凪は続ける。
「......私も、そうだ」
短く息を吐く。
「何度私が愛想の悪い態度を取ろうと、君は私から離れなかった」
「......うん」
「......嬉しかった」
美月の表情が、ゆっくりと柔らかくなる。
癒凪はわずかに視線を落とした。
「以前、私は君の家への滞在を、『しばらく』と言った」
「......うん。言ってたね」
「......訂正させてほしい」
美月の目が丸くなる。
「......私は......」
一瞬、唇を結ぶ。
そして。
「......美月の側に、ありたい」
美月はしばらく癒凪を見つめた。
きっと、相当考えて導き出した言葉なのだろう。
そして。
美月は柔らかく笑うと、ゆっくりと口を開く。
「......癒凪。忘れてない?」
「......何をだ」
唐突な美月からの問い。
「私、癒凪に名前あげたんだよ?」
「......あぁ」
「なら、意味。分かるでしょ?」
ともに生きてほしい。
名を与えることは、それと同等の意味を持つ。
美月は、にこりと笑う。
「私は最初から、癒凪が出ていこうとしたって、出すつもりなんかないよ」
癒凪の目が、ほんの少し細くなる。
「......傲慢だな」
ボソリと呟く。
しかし。
言葉とは裏腹に、その表情は穏やかなものだった。
「癒凪には、それがちょうどいいからね」
迷いのない返事を返す。
「だから」
美月は、太陽のように笑う。
「安心して、うちにいてね」
敵わない。
癒凪はそう思った。
「......あぁ」
短い返事だが、その声に迷いはない。
癒凪が穏やかに笑う。
その様子を見ていたジャジーも。
鳳も。
東も。
そして、三柱の神々までも。
それぞれの表情で、静かに笑っていた。
大きくなった家の中へ。
以前よりずっと大きな幸せが、ゆっくりと満ちていくのであった。
第7章 拡大編 - 第12話
「幸せ、拡大」
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