第6章 縁から宴編 - 第7話「消えない約束」
管理所を出る頃には、空はまだ十分に明るかった。
美月は一人、家へ向かって歩いていた。
「今日は迎えのことはなんにも言われてないし、怒られる心配はないよね」
手には、受け取ったばかりの決済札。
今日の目的は無事に終わった。
怪力怪異にはならなかった。
東を平手一発で海の向こうまで吹き飛ばせるような化け物にもなっていない。
ひとまず安心。
そのはずなのに。
『東ちゃんが、自分の縄張りである海を出て、慣れない陸まであなた一人のために会いに来た。......それってねぇ』
縁の声が、頭の中で勝手に再生された。
『ものすごぉく、心からあなたを愛してるってことなのよぉ』
「............東......」
名前を口にした途端、自分でも分かるほど頬へ熱が集まった。
妖力を覚え、足を作ってきた。
妖力文も覚えた。
ズボンとはまだ和解できていないが、それでも。
全部、自分に会うためだった。
「......ちゃんと、向き合わなきゃね」
美月は小さく呟き、顔を上げた。
その時だった。
道端の一角へ、何気なく視線が落ちる。
草が、不自然に寝ている。
風で倒れたというより、何かに長時間押しつけられていたような形だった。
「......ここって......」
美月は足を止める。
「確か、前に疫病神さんと出会ったの......ここだったっけ......」
最初に草履の鼻緒を縫った場所。
少しだけ懐かしくなり、美月はその場所を眺めた。
誰もいない。
「よい、しょ......」
特に深く考えもせず、そのまま草の上へ腰を下ろす。
次の瞬間。
「......っ......!」
低い声が、真後ろから漏れた。
「......ん?」
美月の身体が止まった。
尻の下にあるのは、草の柔らかさではない。
硬い。
それでいて、妙に温かい。
まるで―――
「え゛!?」
美月は勢いよく飛び退き、振り返った。
「ぃ疫病神さん!?」
そこには、男がいた。
灰色の着物に、ぼさぼさの白銀髪。
片膝を立てた姿勢のまま、完全に処理落ちした顔で美月を見上げている。
耳が、ごく微かに赤い。
「なんっ......え......今、いな......ゑっ!?」
「落ち着け」
「いやだって今いなかったですよね!?」
「いた」
「見えなかった!」
「それは正しい」
「正しいの!?」
美月は目を丸くした。
「ていうか待って......見えないってどういうこと?」
男は一瞬黙り、視線を逸らした。
「......妖としての、能力だ」
「............怪しい」
美月の目が細くなる。
「誰もいないのに、わざわざ消えるの?」
「......誰もいないからこそ、景色に溶けたい時もある」
「景色に溶けると同時に妖力まで溶けて消費するじゃん」
「私は妖力ではなく神力を使う」
「話逸らさないで」
「......お前は、容赦がないな」
疫病神の目元へ、わずかな疲労が滲む。
美月はしばらくその顔を見た。
そして。
「......『誰もいないからこそ』って言うならさ」
そして、隣へ腰を下ろした。
今度はちゃんと、草の上に。
「私がいたんだから、もう消えなくてもいいよね?」
「......」
疫病神が、美月を見る。
「......なぜ、私にそこまでする」
「なぜって......」
美月は少しだけ考えた。
けれど、考えたところで大層な理由など出てこない。
「知ってる人が笑ってる方が、なんか気分上がるじゃん」
「......私は、お前の気分で左右されているのか」
「だって、見えないとどんな顔してるか分からないし」
美月は膝の上で指を組んだ。
「隠れて泣いてたりしたら、嫌じゃん?」
「............」
「私、自分に縁がある人には、笑っててほしいなって思うよ」
少しだけ笑う。
「......だから」
疫病神を見る。
そして、おもむろに立ち上がると、片手で拳を握る。
「今日はこれからうちで、一緒にご飯食べよう」
「............」
その言葉に、疫病神は停止した。
しばらくぽかんと美月を見上げると、ゆっくりと口を開く。
「......今、なんと言った」
「ご飯」
「......」
「夕餉」
「言い方の問題ではない」
「じゃあなんで黙ってるの」
疫病神はゆっくり眉間へ皺を寄せた。
「......私は、疫病神だ」
「知ってる」
「病を運ぶ」
「配送された覚えがありません」
「......何故か、お前達には届かない」
「宛て名間違えてるんじゃない?」
「宛て名を間違えていたなら、私のもとへ帰ってくるはずだ」
「帰って来ないの?」
「帰ってこない」
「物流事故発生してるじゃん!」
美月の目が見開かれる。
「また管理所に聞かなきゃいけないこと増えたぁ!」
「......管理所か......」
男の声が、ほんのわずかに沈んだ。
美月は気づかず、ぱっと顔を上げる。
「というわけで、明日一緒に管理所でレントゲン受ける予定が出来ました」
「出来ていない。私はあの場には行かない」
即答だった。
レントゲンという言葉も綺麗に流された。
「......はぁ〜ん......」
美月の目が細まる。
「......なんだ、その顔は」
疫病神まで目を細めた。
「怖いんだ?」
美月の口角がニタァと上がる。
「......その煽りには乗らない」
「なんで行きたくないの?」
「......行きたくないからだ」
「答えになってません」
「......」
その沈黙で。
ふと、美月の頭に以前聞いた言葉が蘇った。
『例の者、まだ支援を受け入れないのか』
『こちらから何度伺っても、“去れ”としか言われん』
『本当に消えるぞ』
「(......まさか、ね)」
美月はその場にしゃがむと、そっと疫病神の顔を覗き込んだ。
「......なんか、事情があったりする?」
長い沈黙のあと。
「............あぁ......」
それだけだった。
美月は追及しない。
「じゃあ、しょうがない。無理に聞かないことにするね」
すると、再び立ち上がった。
疫病神が少しだけ目を見開く。
「その代わり」
美月はくるりと振り返る。
「次は、一人で消えないでね」
にこりと、柔らかく笑う。
「......」
疫病神は、わずかに目を見開いた。
そして。
「......善処する」
ぼそりと、吐息のような声で告げる。
「だめ」
「......」
「リピートアフターミー」
美月はびしっと指を立てる。
「消・え・な・い」
「......」
「消ーえーなーい!」
疫病神はしばらく美月を見上げていた。
やがて観念したように、小さく息を吐く。
「............消えない」
「よし。じゃあご飯行こう」
「それも消えないのか」
「私が消すわけないでしょ」
美月は当然のように言った。
「それに、『いつでも来て』って言ったし」
「だからといって、翌日に食事へ招くのは飛躍しすぎだろう」
「嫌?」
「......」
少しだけ間が空いた。
「......嫌ではない」
美月の顔が、ぱっと明るくなる。
「じゃあ行こう」
疫病神は、その笑顔をしばらく見つめていた。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
「......あぁ」
二人は、美月の家へと並んで歩き出した。
疫病神にとって、まだほんの二度目。
けれど確かに。
“来てもいい”と言われた場所だった。
第6章 縁から宴編 - 第7話
「消えない約束」
→第6章 縁から宴編 - 第8話
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