第6章 縁から宴編 - 第8話「新たな道」
「たっだいまぁ〜!」
玄関を開けた美月の声が、家の中へ明るく響いた。
居間にいたジャジーと鳳が、ほぼ同時に顔を上げる。
そして。
「............」
「............」
美月の後ろに立つ男へ、二つの視線が移った。
灰色の着物に、ぼさぼさの白銀髪。
疲れたような三白眼。
昨日も連れてきた、名のない疫病神。
ジャジーの肩が、がくりと落ちた。
「もはやなんの罪悪感もなく連れてくるようになったな」
「なんとなくは察していたでござる......」
「だって追い出すまでしなくていいんでしょ?」
「ぐぅの音も出ねぇ」
美月は満足げに頷くと、後ろを振り返った。
「疫病神さん、入って!」
男は玄関の境目で足を止めたまま、眉間へ皺を寄せる。
「......何が起きても知らんぞ」
「起きない!」
「その自信はどっから来んだよ」
「今まで何も起きた試しがないから!」
「まぁ、確かにそうだな......」
ジャジーまで納得しかける。
鳳は静かに頷いた。
「美月殿が招いたのであれば、拙者らは受け入れるのみにござる」
「お前、見事に美月に侵食されてんな......」
「ウイルスみたいに言わないで!」
疫病神が、ほんのわずかに目を細めた。
「あ!」
美月が止まる。
「ご、ごめんなさい!疫病神さんのことじゃないから!」
「いや。別に構わん」
そう言って男は、ようやく家の中へ足を踏み入れた。
夕餉の準備は、ほとんど終わっていた。
給水させていた米を火にかけ、汁物は最後に味噌を溶くだけ。
昨日作っていたおかずも並べていく。
大根の煮物、人参しりしり、玉ねぎのソテー、そして。
再び登場、肉無し肉じゃが。
もとい、じゃが。
美月が堂々と皿を置いた。
疫病神は卓上を眺める。
「......根が多いな」
「前に鳳に煮物攻めしたけど、今回は根菜攻めすぎる」
ジャジーが腕を組んだ。
「摂取による付与効果。提供場所への根付きってとこか」
「魔法カードみたいに言わないで!」
鳳は箸を整えながら、穏やかに口を開く。
「拙者らは用意していただけただけで十分でござるゆえ、まずは美月殿が満たされるまで食されよ」
「まぁ俺らは、食いもんより良いもん食ってるしな」
「ジャジー殿」
「ジャジー!」
二方向から咎められ、ジャジーが眉を上げる。
「......お前達は、何を糧としている」
疫病神が静かに問う。
「拙者らは......その......」
鳳が珍しく言葉を濁す。
ジャジーは何の躊躇いもなく答えた。
「俺ら、美月しか糧にしてねぇよ」
「......?」
疫病神の眉間に皺が寄る。
美月が慌てて両手を振った。
「疫病神さん、聞いただけならちょっと甘く聞こえるけど、中身は聞かなかったことにして」
「聞かれたんだから答えんのが筋ってもんだろ」
ジャジーは悪びれない。
「俺は美月と触れ合わねぇと補給できねぇし、鳳は美月から血ぃ貰わねぇと回復できねぇしよ」
その瞬間。
空気が、冷えた。
「な、何......?」
美月の身体が後ろへ引かれる。
「わっ......!」
「美月!」
「美月殿!」
ジャジーと鳳が立ち上がった。
美月の手を掴んでいたのは、疫病神だった。
「疫病神さん......?」
「......お前は」
手に、ぎゅっと力がこもる。
「この者達から、搾取されているのか」
ずしり、と。
身体が沈むような感覚。
物理的な圧ではない。
呼吸すら重くなるような、疫病神の。
“神”としての圧だった。
「ちょ......っ、空気でプレスされる!」
「なぜ、自分ではない相手のためにそこまでする」
「待って待って!誤解!誤解だから!」
ジャジーが牙を覗かせる。
「おい、俺らは別に美月に強制してねぇ!」
「左様。美月殿の意思にて頂戴しておる!」
疫病神の目が、美月へ向いた。
「......それは、本当か」
「本当!」
美月は即答する。
「それに......私ばっかり、あげてるわけじゃないよ」
声量が落ち、声に柔らかさが帯びる。
「二人から生活を助けてもらってるし、心も満たされてる。......あと......」
少し照れながら。
それでも、曇りのない笑顔で口を開く。
「いっぱい、愛情もらってるよ」
疫病神の目が、わずかに見開かれた。
「......そうか」
重かった空気が消える。
美月の手も、そっと解放された。
「......疑って、すまなかった」
「大丈夫。この説明不足王が大事なとこ抜かしただけだから」
「誰が説明不足王だ!」
「美月殿、そろそろ米が炊けるでござる」
「やったー!お腹すいた!じゃあ話はおしまいにしてみんなで食べよ!」
切り替えが早い。
あまりにも早い。
疫病神は呆れたように美月を見たが、ほんの少しだけ、口元の力が抜けていた。
その夜は。
いつもより、少しだけ。
ほんの少しだけ、賑やかな夕食となった。
「では、世話になった」
玄関先で疫病神が振り返った。
空には既に、細い三日月が昇っている。
「また来てくださいね」
「......あぁ」
「とか言いながら、またお前が連れて帰ってくんだろ」
ジャジーが後ろから口を挟む。
「場合による」
「否定しねぇのかよ!」
「美月殿がそう申すなら、そうすればよい」
「お前、美月信仰しすぎだろ!」
疫病神は三人を見回したあと、最後に美月を見る。
「......では、また」
静かな声で、そう告げた。
「はーい!」
美月は大きく手を振った。
男の姿が森の向こうへ消えるまで見送ってから、ようやく扉を閉める。
しばらく歩いた先。
疫病神は、小さな祠の前で足を止めた。
風雨に削られた文字。
“疱瘡神”。
「......友よ」
静かな声だけが落ちる。
「私は、お前と共に消えるつもりだ」
返事はない。
「......その、つもりだった」
風が、木々を揺らす。
「......わからなくなった」
疫病神は俯いた。
「一人で消えるなと。また来いと。そう言われた」
ざぁ、と。
向かい風が強く吹きつける。
まるで背を押すのではなく、ここから追い払おうとするような風。
その向かう先には―――
先ほどまで卓を囲んでいた、美月の家があった。
「......」
疫病神は、自分の右手を見る。
先ほど、美月を庇うように掴んだ手。
小さく、暖かかった。
あの二人に搾取されているのではないかと思った瞬間、考えるよりも先に、身体が動いた。
そして、確かに思ったのだ。
守りたい、と。
「......」
だが。
それも、このままならば。
じきに出来なくなる。
「......美月......」
彼女の名を呟きながら、空を見上げる。
大部分が欠けている三日月が、こちらを見ている。
それは疫病神にとって、まるで自分に残された時間のように思えた。
答えは出ない。
疱瘡神も、当然何も言わない。
昨日まで自分には、消える道しかなかった。
消える道しか、思いつかなかった。
だが、今は違う。
もう一本。
新しい道の気配を、確かに感じていた。
第6章 縁から宴編 - 第8話
「消えない約束」
→第6章 縁から宴編 - 第9話
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