第7章 拡大編 - 第9話「三傑、始動」
四人は昼食を終え、卓を囲んだまま、蜂王印の王蜜を溶かしたホットミルクを飲んでいた。
偶蹄魚という名の高級牛肉魚を腹いっぱい食べた直後である。
普段は食事から栄養を得る必要のないジャジーや鳳までも、妙に満たされた顔をしていた。
「はぁ......甘い......幸せ......」
両手でカップを包みながら、美月がふにゃりと頬を緩める。
「お前、昼からずっと溶けてんな」
「これは溶けない方がおかしいよぉ......」
「溶ける方が新手の妖怪だろ」
ジャジーが呆れたように笑った、その時だった。
何もない空間へ、淡い妖力の線が走る。
四角形を描くように光が広がり、宙へ薄い画面が浮かび上がった。
『美月さん、お疲れ様です』
映し出された大柄な男を見て、美月の目が丸くなる。
「え!? 守命流さん!?」
幼怪課の職員、守命流だった。
『突然の通信、申し訳ありません。少々、美月さんのお力を借りたいことがございまして......』
そこまで言った守命流が、ぴたりと止まった。
美月の後ろには、体格の良い男性妖魔が三人。
黒い羽を持つジャジー。
赤い皿と装甲を備えた鳳。
そして、見るからに海の治安を背負ってきた東。
端から見れば、美月が生贄に見えなくもない。
画面の向こうから、何とも言えない沈黙が落ちた。
「ん?どうしました?」
『......失礼。なんでもありません』
「その間はなんでもあるんだよなぁ......」
美月が半目になる。
ジャジーも画面へ顔を向けた。
「つーか、美月の力借りてぇってなんだよ」
「美月殿の座敷わらしとしての力を借りたいということでござろうか」
鳳も続ける。
しかし、守命流は首を横へ振った。
『いえ、物理的に』
「え!怖っ!」
美月の顔が引きつった。
東も眉を寄せる。
「物理......体力系か?危険はねぇんだろうな」
『怖くはありませんし、危険もございません。詳しい話は管理所でいたしますので、一度来訪していただけると助かります』
「わ、わかりました。ちょうど時間が出来たので、今から向かいます」
美月は空になったカップを卓へ置くと、すぐに立ち上がった。
荷物をまとめ、玄関へ向かおうとしてから、くるりと振り返る。
「じゃあ、行ってくるね」
「待て」
ジャジーも同時に立ち上がった。
「俺も狩猟資格のこと聞きに行く。一緒に行こうぜ」
「あ、そうだね。じゃあ鳳と東はお留守よろしく!」
「うむ。任せよ」
「早く帰ってこいよー!」
東が大きく手を振る。
そうして、美月とジャジーの姿が玄関の向こうへ消えた。
扉が閉まり。
少しだけ静かになった居間で、東は腕を組んだ。
「なんか、お前と二人とか懐かしいな」
「拙者は不本意でござる」
「ひでぇな!」
二人がいつもの調子で言い合い始めた、その瞬間だった。
重々しい神気が、扉の向こうから滲む。
「......これは......」
鳳が振り返ると同時に、玄関扉が再び開く。
そこに立っていたのは。
「癒凪殿!戻られたのでござるか」
昨日、用事があると言って家を出ていた癒凪が帰宅した。
癒凪は室内へ一歩入ると、まず辺りを見回す。
「......美月は......」
「今、管理所に行ったぞ」
東が答える。
「......」
癒凪は無言で二人を見ると、数秒立ち尽くし。
そのまま、すう......と身体の向きを玄関側へ戻した。
「無言で出ていこうとすんな!」
「ま、待つでござる癒凪殿!」
鳳が思わず立ち上がる。
「貴殿は名をいただいたとはいえ、まだ力としては回復が不十分にござる。用事がどのようなものであったかは存ぜぬが、少々休まれよ」
「この場に留まる方が疲れる」
即答だった。
「......」
鳳が隣を見る。
そこには、癒凪の言葉を理解していない東が、きょとんとした顔で座っている。
鳳はそれを一瞥し、再び癒凪へ視線を戻した。
「否定はせぬ」
「いや否定しろよ!」
東も勢いよく立ち上がった。
癒凪は眉一つ動かさず、鳳へ向く。
「九千坊、お前も出ればいい」
「は!?」
東の声が裏返る。
対して鳳は、なるほどとでも言うように静かに頷いた。
「そうであるな。川魚の調達に行く用事があったでござる」
「なっ......!」
今、それを使うのか。
東の額に、じわりと汗が滲む。
さすがに自分でも分かっていた。
美月の恋人ですらなく、正式な同居の許可を得ているわけでもない。
そのうえ、自分一人だけでこの家へ居座るのは、なんとも居心地が悪い。
加えて、気を抜いて魚体へ戻れば全長三メートル。
家具の一つや二つ、簡単に破壊しかねない。
以前なら気にもしなかっただろう。
しかし今は、そのくらいの陸の常識なら、東にも身につき始めていた。
とはいえ。
美月の匂いが残るこの家から、わざわざ出ていきたくもない。
玄関へ向かおうとする二人を見ながら、東の頭が全力で回転する。
「......ぁ、おい!」
癒凪と鳳が振り返る。
「なんだ」
「なんでござるか」
雑談。
無理だ。
茶。
それだけで食いつくとは思えない。
遊び。
もっと無理だ。
東は口元を引きつらせながら、人差し指を立てた。
「た......たまには美月を労わねぇ......?」
「労うための本人がいない」
「......」
即死だった。
鳳まで頷く。
「左様。何もできぬ」
援護射撃まで飛んでくる。
だが、東はめげなかった。
「労う準備があんだろうよ!」
必死である。
癒凪は一度、窓の外へ目を向けた。
「......それに」
一拍。
「私は、すでに美月へ渡すものを用意している」
「は!?」
東が前のめりになる。
鳳もわずかに目を見開いた。
「癒凪殿。それは拙者も聞き捨てならぬ」
「聞き捨てろ」
「容赦なさすぎねぇ?」
東は腕を組み、眉間へ皺を寄せる。
「じゃあ一つだけ聞かせろ。物か?食いもんか?それとも概念系か?」
最後に飛び出した謎の分類に、鳳の顔が険しくなった。
「概念系とはなんでござるか」
「知らねぇよ!けどこの家、概念がよく出んだろ!」
二人が話す言葉など入っていない様子で、癒凪は一度考える。
そして。
「......物だ」
癒凪が小さく答える。
「物か!なら話は早ぇ!」
東の顔が一気に明るくなった。
「何が早い」
癒凪が怪訝そうに見る。
東は得意げに胸を張った。
「美月は物より気持ち派だ!」
「......何」
癒凪が、ほんのわずかに食いついた。
「もちろん、お前が持ってきたもんを否定するわけじゃねぇ。ただ、渡して終わりにすんなってことだ」
確かに、そこは癒凪が最も不得意とするところだった。
感謝、心配、嬉しさ。
持っていても、それを口に出すまでが遠い。
一方、東は正反対だ。
思ったことは即座に口から出る。
それが陸の文化では事故になることも多いが、美月の頬を染める回数でいえば、明らかに多い。
鳳も静かに頷いた。
「......確かに、東の言葉は美月殿に効いておる」
「だろ! 海側の求愛スキルは応用できんだよ!」
東が得意げになる。
癒凪の眉間へ皺が寄った。
「だが、それはお前の真似事だ」
「だったらお前流に組み直せ!」
「......私流、だと......」
癒凪が考え込む。
そこで鳳が口を開いた。
「癒凪殿の言葉は固くとも、傷つけまいとする芯があるでござる。ならば、それを保ったまま、美月殿に対して普段思っていることを伝えるのはいかがであろうか」
「美月に、思っていること......」
癒凪が顎へ指を添える。
東は満足げに頷いた。
「おう!どうせ男三人しかいねぇんだ。全員三つずつくれぇ言やぁ、お前らの羞恥も公平だろ」
「なっ......!拙者を巻き込むでない!」
鳳が珍しく声を張る。
そんな鳳の様子に、東の目が細まる。
「言えねぇの?」
「......内心など、人様に晒すものではござらぬ」
「ふーん。降参か!なら俺は不戦勝だな!」
「......なんだと」
鳳のこめかみに、ぴしりと青筋が浮かぶ。
「煽りだろう。乗るな」
癒凪が低温のまま忠告する。
「別に煽ってねぇよ」
しかし東の顔から、そこでふっと冗談めかした色が消えた。
腕を組み、二人へ真っ直ぐ向き直る。
「俺は、美月に対しての想いに恥ずかしさなんか持ち合わせてねぇ」
迷いのない声だった。
「雄として生まれたなら、堂々と胸張って、大衆の前だろうが言えるくれぇでいる。じゃなきゃ、本気なんか伝わるわけがねぇからな」
鳳と癒凪が一瞬だけ黙る。
やがて。
鳳が短く息を吐いた。
「......お主は、美月殿のこととなると馬鹿なのか阿呆なのかわからぬ」
「選択肢が罵倒しかねぇじゃねぇか!」
「......だが」
鳳は口角を緩める。
「拙者は、その真っ直ぐな心だけは買っておる」
「だろ!」
東は嬉しそうに笑った。
鳳はそのまま癒凪を見る。
「癒凪殿。ここは一つ、東の提案に乗るのはいかがであろうか」
ようやく助け舟が出た。
癒凪は大きくため息を吐くと、玄関から離れ、居間の壁際へ腰を下ろした。
「......三つだけだ」
「よっしゃあ!」
東は拳を高く掲げる。
これより、まるで性格の違う三人の男性妖による。
美月を労うための会議〜アイスブレイク編〜
それが今、幕を開けようとしていた。
第7章 拡大編 - 第9話
「三傑、始動」
→第7章 拡大編 - 最終話
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