第7章 拡大編 - 最終話 前編「アイスブレイクからのホットリミット」
東は癒凪の近くへ、どかっとあぐらをかく。
鳳もその斜め前に腰を降ろし、円をかくような配置となった。
東は鳳へ顔を向ける。
「じゃあ鳳!お前から行け!」
「なぜ拙者からなのだ!」
「お前のむっつり具合を見てから話してぇ」
「拙者はむっつりではござらぬ!」
二人のやりとりを眺めていた癒凪が、鳳の日頃を思い返す。
寡黙というほどではない。
だが必要のないことを、多くは語らない。
「私ほどではないが、お前も口数は多くないな」
「癒凪殿!」
思わぬ方向から矢が飛んできた。
東は楽しそうに笑う。
「もったいぶってる方が羞恥増すぞ?」
鳳はしばらく俯いたあと、大きく息を吐いた。
「......ならば......申す」
そして。
「......美月殿は......」
一度、止まる。
「己より他者を優先してしまうところは、好ましく思うと同時に、改めてほしいでござる」
沈黙。
東の顔が、みるみる萎んだ。
「......思ってたのと全然違ぇ......」
「“美月に対して思っていること”だろう。なら、的を得ている」
癒凪は真顔だった。
「俺はもっと雄としてわくわくするような話聞きたかった」
東は心底残念そうである。
鳳は気にせず続けた。
「......次に、あの笑顔にござる」
そこで、表情が柔らかくなる。
「あの花のような笑顔に、何度も救われた。ゆえに、その笑顔だけは、死しても守りたいと思うておる」
「おい!」
東が即座に声を飛ばした。
「“死しても”入れんな!美月が生命観を話したばっかだろ!」
「......」
鳳の目が丸くなる。
「......失念していたでござる」
「お前は気を抜くと未だに自己犠牲が出るのだな」
「面目ござらぬ......」
肩を落とす鳳へ、東が容赦なく続ける。
「じゃああと一個。なんだ?」
「......可愛らしいと、思っておる......」
「おぉ!どこがだ!?」
ようやく待ち望んでいた方向へ来たらしい。
東の目が輝く。
鳳は少しだけ視線を落とした。
「普段は元気すぎるゆえ、拙者がついていけぬことも多い。しかし、美月殿は拙者を置いていかぬ」
穏やかな声だった。
「どれほど拙者らの歩幅が違えど、美月殿は必ず一人ひとりのもとへ戻るのでござる。それが......」
一拍。
「たまらなく、愛い」
柔らかく笑う。
「......鳳」
東が妙に感動した顔をする。
だが鳳は、そのまま何かを思い返すように遠くを見た。
「......手離すことが、できぬ」
「......ん?」
東の目が点になる。
「あの小型愛玩魔獣のような目で見上げられると、拙者は―――」
「鳳!」
思わず制止する。
「なんでござるか」
不思議そうに振り返った鳳の瞳孔は、先ほどより明らかに細い。
東の目も細まる。
「お前、なかなか捕食者の顔してんぞ」
「......左様か」
鳳は静かに目元を手で覆った。
「お前、人知れず溜まってんだな」
「東!」
「まぁいい!じゃあ次は俺だな!」
切り替えが早い。
東は顔を上げる。
「俺は、美月の目!あと髪と匂い!噛み心地も最高だ!笑う顔はすげぇ可愛い!飯食ってる時の頬は食っちまいたくなるくれぇ可愛い!怒ってんのも可愛い!あと柔けぇ尻!」
熱量が凄まじい。
鳳と癒凪の目が揃って半分になる。
「それは“思っていること”ではなく、好ましいところではないのか」
「可愛いと思ってる部分だろ」
「回答に品が欠落している」
「三つというルールはどこへ行ったのでござろう」
「“三つくれぇ”っつっただけで、それ以上言うななんて言ってねぇだろ」
屁理屈だった。
そこで東が、何かを思い出したように癒凪を見る。
「つーか、そこの神さんよ」
「なんだ」
「お前も膝に美月乗せたんだろ?美月の尻、柔けぇよな」
会話の品が帰ってこない。
「......あれは、事故だ」
癒凪が、すっと顔を逸らす。
「そうであろうか」
鳳は妙に確信を帯びた顔で、その横顔を見た。
「......何が言いたい」
「癒凪殿は消えていた間も、景色は見えていたのでござろう?ならば、美月殿が腰を下ろした際、なぜ避けなかったのであろうか」
事実確認だった。
癒凪は一拍置いて答える。
「......転んでは、体を痛める」
東が眉を寄せる。
「つーか美月は、見えてる地面に狙い定めて座ろうとしてたんだろ?なら逆に、お前がいることで美月がテンパって転ぶ可能性の方が高ぇだろ」
「......」
沈黙。
「詰んだか?」
東がにやにやする。
長い間を置き。
癒凪が、ようやく口を開いた。
「......触れたかった」
「お!」
東の顔が一気に明るくなる。
「私を恐れぬ者の温かさを、知りたくなった」
疫病神として、長く存在してきた。
避けられることはあっても、自ら手を伸ばされることなど、まずなかった。
鼻緒を縫ってくれた日から、自分へ躊躇いなく手を伸ばしてくる美月の温度を、知りたいと思っていた。
「いい調子だな!」
「黙れ」
癒凪は東を軽く睨むと、再び考える。
「......他は......」
これは、出会った時から変わらない。
「......感謝している」
鼻緒を縫ってもらった。
家へ招いてもらった。
食事を与えられた。
名をもらった。
そして今では。
生きる意味まで、与えられた。
東が少し複雑そうな顔をする。
「名前をやる意味は、“一緒に生きてほしい”、だっけか?」
「......その意味に準ずるだろう」
「なら、それに対してはどう思ってんだよ」
「......」
癒凪が黙る。
「癒凪殿?」
鳳が心配そうに覗き込む。
やがて癒凪は、ゆっくりと顔を上げた。
「......ここで」
一度、唇を結ぶ。
以前なら。
離れることこそ、相手のためになると思っていた。
疫病神である自分は、誰かの側へいてはいけない。
それが最善なのだと、疑いすらしなかった。
だが、今は。
「......美月のために、返していきたい」
自分の手を見る。
黒紫に染まった、禍々しい手。
美月が、何の躊躇いもなく取った手。
「私は、世話になる期間を『しばらく』と言った」
「言ってたな。それがなんだ?」
東が首を傾げる。
“しばらく”、とは。
限られた期間で、永遠ではない。
癒凪は、開いていた手をゆっくり握り込む。
「もし、許されるのなら―――」
そして。
「私は、美月の神になりたい」
沈黙。
「......」
「......」
東と鳳が、揃って停止した。
なんとも言えない顔で固まっている。
癒凪の眉間へ皺が寄る。
「なんだ、その顔は」
東は絶妙な表情のまま、頭を掻いた。
「悪ぃ。俺らの頭が悪すぎて、やべぇ答えにしか聞こえなかった」
「拙者も、不本意ながらそのように聞こえてしまったでござる」
「お前達の思っているようなことを、美月にするつもりはない」
癒凪の眉間がさらに深くなる。
「美月に私を神として崇めさせる、という意味ではない。また、私が美月へ仕えるという意味でもない」
短く息を吐く。
「美月が困った時、病や災いを遠ざけられる、名に違わぬ存在でいたい」
それが、自分の願いだった。
「この家で受け取ったものを」
癒凪は静かに告げる。
「神として、私のすべてで。一生をかけて、美月に返していきたい」
今まででいちばん、力強い声で癒凪は言った。
「......よい考えでござるな」
鳳が穏やかに笑う。
東も、にやにやと口元を緩める。
「やっと本音掘り起こせたわ」
「だから先程から、その顔はなんだ」
「だって神さんよ」
東は笑ったまま言う。
「今の会話の中で、何回“美月”っつったよ」
「......それがなんだ」
「この前、浜で聞いたんだよ」
東の笑みが深くなる。
「相手の名前をよく呼ぶっつーのは、好きだっつーことだってよ」
「......す......」
癒凪が固まった。
鳳が東を見る。
「どのような状況で、そのような知識を得たのでござる」
「種族調査で陸から来たやつが言ってたんだよ。俺が美月の話したら、『よく名前を呼ぶってことはぁ、よっぽど好きなのねぇ〜♪』ってな」
鳳の目が細くなる。
「......聞いたことのある口調でござるな」
「当然『大好きだ。ぜってぇ美月は俺の番にする』っつったら、黄色い悲鳴上げながら狐の尾めちゃくちゃ振ってたぞ」
「特定したでござる」
鳳の脳裏には、一人の種族支援課職員がはっきり浮かんでいた。
その横で。
癒凪だけが、処理落ちしている。
「......私は......」
口を開く。
止まる。
東はその様子を見ると、にやりと笑った。
「まぁなんにせよ、美月の恋人になるのは、お前より俺が先だからな!」
「待て。私は勝負など―――」
「別に勝負じゃねぇよ」
東の顔から、また冗談が消える。
「要するに」
真っ直ぐな瞳。
「ウジウジしてる間に、俺は行くぞっつー意味だ」
自分とは、あまりにも違う。
思ったことを言い、欲しいものへ手を伸ばし。
拒まれれば学び、また進む。
癒凪は、その目を見続けることができず、わずかに視線を逸らした。
「......勝手にしろ」
「ははっ!たりめーだろ!」
東は大きく笑った。
「じゃあ温まったとこで、美月が帰ってきた時に何するか決めようぜ!」
「まだあるのでござるか......」
鳳の顔には、すでに疲労が滲んでいる。
「美月を喜ばせたくねぇの?」
「......否......」
「なら決定だ!神さん!お前も案出せよ!」
「......少し、休憩する。静かにやれ」
「おう!」
東は立ち上がり、鳳の腕を掴むと、そのまま引っ張り上げた。
「待て!何をするのだ!」
「風呂場!湯でも張っとこうぜ!」
二人が騒ぎながら風呂場へ向かっていく。
その背中を見送り。
壁際へ残った癒凪が、小さく呟いた。
「......熱い......」
室内の気温は、ちょうどいい。
部屋を暖める妖術も使っていない。
少し離れたところから、鳳の声が聞こえる。
「最近は気温も下がってきておるゆえ、冷めることを見越し、やや熱めに入れるのがよいであろうな」
「熱めな!わかった!」
違う。
熱いのは環境ではない。
癒凪は、人知れず顔を伏せた。
先ほど東に言われた言葉が、まだ頭の中に残っている。
名前をよく呼ぶのは、好きだから。
「......馬鹿らしい」
そう呟いた声には、いつもの冷たさが少なかった。
伏せた顔。
その垂れ下がる白銀髪の隙間から覗く耳だけが。
ほんのわずかに、赤く染まっていた。
第7章 拡大編 - 第10話
「アイスブレイクからのホットリミット」
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