第7章 拡大編 - 第8話「感謝感激えへえへへ」
そして。
ちょうどいいタイミングで、玄関の方から淡い光がふわりと差し込んできた。
美月が振り返ると、そこには先ほど異常妖稼働のネットスーパーで注文したばかりの荷物が浮かんでいる。
「やった!ベストタイミング!」
嬉々として駆け寄る美月。
「っていうか、今日はあのデュラハンさんじゃなくて転送なんだ」
「品数が少ないからであろうな」
鳳が顎へ指を添えた。
「しかし、タイミングが絶妙でござる。座敷わらしとしての美月殿の運も、関係しておるのであろうか」
「あ?美月、座敷わらしだったのか?」
東が初耳だとでも言いたげに目を丸くする。
「そう!」
直後。
はっと、わずかに目を見開く。
「小さいのも童顔なのも、まな板なのも気にしないでね!」
即時補足した。
「どおりで可愛いわけだ!」
間髪入れず返ってきた。
美月は東を見たまま、動きを止める。
東は美月と目を合わせると、にかっと笑う。
「運だかなんだか知らねぇけど、こんな可愛い美月に会えたんだ。これ以上の幸せなんかいらねぇよ」
一切の計算も照れ隠しもない笑顔だった。
「......」
「美月?」
「......ありがと......」
美月の顔がみるみる染まっていく。
耐えきれず、魚へと顔を逸らした。
「お前、なんでもポイント稼げんだな......」
ジャジーの声だけが妙に低かった。
届いた蜂蜜を確認したところで、いよいよ偶蹄魚を調理することになった。
「やっぱここは、海の主である俺が持つべき役割だよな!」
東が腕をまくる。
「納得いかねぇ......」
「美月殿が待ちに待った食材でござる。一番魚を熟知しておる東へ任せるのが適任であろう」
「わぁったよ......」
渋々引いたジャジーへ、美月が笑いかける。
「ジャジーにはあとで野菜切ってもらうね」 「......あぁ」
途端に少しだけ、機嫌が直った。
東は偶蹄魚の前へしゃがむ。
だが、すぐに爪を立てることはしなかった。
両手を合わせ、静かに頭を下げる。
「......ありがとな。いただくぜ」
「......え......?」
美月が瞬く。
「それ、食事の前に言うやつ......」
美月は東を見つめる。
「食事の直前じゃ、捌き終わっちまってるだろ」
東は目の前の魚へと視線を戻す。
「俺は魚を獲った時と捌く時、それと食う時に言うんだ」
海の主。
しかし、その肩書きは、猛威を振るうものではない。
命を雑に扱うこともしない。
すべての命に感謝ができる、礼儀の通った主だった。
「......そっか」
それを理解した美月は、柔らかく笑った。
東も美月に笑顔を返す。
「じゃ、捌くぞ!」
「うん!お願い!」
その声を合図に、東の爪が鋭く伸びた。
「よっ......と!」
次の瞬間。
シュッ、と空気を裂く音が三度。
一瞬にして巨大な偶蹄魚が、三枚に卸されていた。
「わっ......!すごーい!!」
美月が目を輝かせながら拍手をする。
「そ、そーか?」
東は照れくさそうに笑った。
卸された半身は、それだけで美月の身体の厚みほどある。
見れば、断面はどう見ても魚ではなかった。
水っぽくもなく、乾いてもいない。
深い赤色の身には細かな脂が網目のように入り、きめ細かなサシが光を反射している。
「東!早く!早くスライスして!」
美月の目の輝きがいっそう強まる。
「すらいす?」
「薄く切ること!でも今回はステーキだから厚めでお願い!」
「こんくれぇか?」
「もうちょっと厚く!」
「こんくれぇ?」
「んー......ちょっとそのままいて」
美月は東の隣へ入り込み、その大きな手へ自分の手を重ねた。
「ここ!このくらい!」
「お、おう......」
「東?なんで顔赤いの?」
「急にお前の可愛い手が来たからだ!」
「もー!」
頬を染める美月に、真っ赤な東。
その背後では。
「......人間界の新婚のようでござる......」
鳳がぽつりと呟く。
自分で言った言葉に自分で傷ついたように、みるみる顔から光が失われていく。
「自分で言って自分で傷つくなよ」
そう言うジャジーの目もすでに遠い。
当の東はまるで気にしていない。
やがて、切り分けられた厚切りの身を見て、美月は確信した。
「高級和牛じゃん!」
「また謎単語来たな」
「これは間違いない。絶対美味しいやつ......!」
思わず口元を拭う。
「よし!ジャジーはそこの野菜を粗めに切って!」
「わかった」
「鳳は、ジャジーが切った野菜を半分くらい鍋に入れて汁物当番よろしく!」
「承知」
三人へ次々指示を飛ばし、美月自身も肉へ塩と香辛料を馴染ませていく。
準備が整ったところで。
「いざ、焼成の儀......!」
思わず口角が上がり、笑みを抑えられていない。
「陸にゃそんな儀式あんのか?」
「ない!気分!」
「なら、いい気分だな!」
「すっごく!」
とうとう笑顔満開で笑う美月。
「こいつらテンション似すぎだろ......」
「無心。無心で当番の責務を果たすでござる」
美月はフライパンを温めた。
だが油は引かない。
「これは油引かない方がいい気がする」
「なぜでござるか」
無心だった鳳が、思わず問いかける。
美月は顎に指をかけ、人間界での知識を思い返す。
「呼び油になって、出なくていい脂まで出ちゃう気がして」
そして。
慎重に厚切りの身を乗せる。
ジュワァァァ......!
一瞬で香ばしい音と匂いが広がった。
「ほあぁぁぁぁあ......!!」
美月の目が輝き、声まで焼ける。
ばっと三人を見ると、テンションそのままに告げる。
「ほら!!油引かなくて正解!!天才!!」
「すげぇな美月!天才だ!」
「くっそ......俺ら飯食っても意味ねぇのに、すげぇ腹減る......」
「これは......確かに魚と呼ぶには、いささか違和感があるでござるな......」
表面へ美しい焼き色がついたところで肉を休ませ、美月は先ほど届いた蜂蜜を開けた。
「異常妖稼働、バルサミコ酢はなかったんだよねぇ......」
少しだけ肩が落ちる。
「どんどん知らねぇ言葉が出るな!」
「ふふっ。なので先程届いた蜂蜜を使って、ソースと酢と蜂蜜で、バルサミコソースもどきを作ります!」
美月は早速、“蜂王印の王蜜”を開ける。
決め手となったビーポーレンもたっぷり入っていた。
美月はフライパンへ残った偶蹄魚の脂へ、調味料を加えていく。
じゅわぁ...と甘酸っぱい香りが立ち、とろりと艶のあるソースへ変わっていく。
それを、まだ湯気の立つ肉へ、そっとかけた。
脂とソースが混ざり、表面をつやつやと覆っていく。
「んんん......もう匂いが美味しい......!これだけでご飯何杯も食べられる......!」
「俺が前に美月へ『匂いも美味ぇ』っつったら、『ダクト飯みたいなことしないでよ!』って言ったよな?」
「あ゛ぁぁカウンターパンチされた!」
そして、出来上がった料理を卓へ並べる。
「フレンチのメインディッシュがここにある......!」
「うむ。すでに美味であることが分かるでござる」
「ちなみに私はレア派なので、焼成を半生にしてみました」
「なら中と外、両方楽しめるな」
全員が席につく。
「いざ実食!」
美月がナイフを入れる。
力はほとんど必要ない。
刃がすっと沈み、二、三度動かしただけで身が切り離される。
断面は表面の焦げ茶から中心の鮮やかな赤へ、美しいグラデーションが出来上がっている。
三人はなぜか自分の皿へ手をつけず、美月を見ている。
「なんで見てるの?」
「いや、念願にしてた肉だろ?」
「拙者も、その御尊顔を拝見しようかと」
「俺は見るのが楽しみなだけだ!」
「正直!」
美月は三人へツッコミを入れると、ごくりと喉を鳴らす。
「じゃあ......いただきます」
ぱくっ。
「んっ......!?」
美月の目が見開かれた。
次の瞬間。
―――ばたっ。
真後ろへ倒れた。
三人は弾かれたようにナイフとフォークを離し、美月の周りに集まった。
「美月!?どうした!?」
東の表情には焦燥が滲んでいる。
「おい!!まさか毒入ってたんじゃねぇだろうな!?」
「入ってねぇ!陸の奴らも御用達だ!」
「美月殿!意識は......」
鳳が美月の顔を覗き込み。
―――止まった。
「......」
「おい!鳳!どうし―――」
覗き込んだジャジーも止まった。
美月は聖母のように穏やかな表情で、床へ倒れたまま口だけをもぐもぐ動かしていた。
「......美味死......」
ごくり。
飲み込んだあと、ぷはぁ、と幸福そのものの息を吐く。
「.........」
「.........」
「.........」
当然、三人は絶句した。
やがて、鳳が短く息を吐く。
「......少々、心臓が止まりかけたでござる......」
表情に疲労が滲む。
「紛らわしいことすんな!」
ジャジーも叫んだ。
「いやぁ......これは倒れるってぇ......」
えへ、と笑いが止まらない美月。
両頬へ手を添える。
「......はぁ......っ......幸せ......」
鳳が再び停止した。
ジャジーは額を押さえる。
「妙に色っぺぇ声出すなよ......」
「そんな美味ぇのか?」
東の問いに、美月は飛び起きた。
「実食あるのみ!」
今度こそ全員が食卓へ向き直る。
「いただくでござる」
鳳手を合わせ、一礼をする。
見事な手つきでナイフとフォークを使い、肉を切る。
が、対して。
「いただくぜ」
東は、フォークだけで大きな肉を持ち上げ、そのまま一口。
ジャジーも同様だった。
「野生児!」
美月の声が飛ぶ。
そして、先に東の目が見開かれる。
直後、一瞬にして輝いた。
「すげぇ!この魚、こんな美味かったのか!」
感動が声にも表出している。
「生も美味かったが、歯ごたえが増してやがる!美月の作った、ばるさみこなんちゃらもさっぱりしてて美味ぇ!」
「バルサミコソースね。もどき、だけど」
その横で、ジャジーが自分の手を握ったり開いたりする。
「......つーか、妙に力湧くのなんでだよ」
超回復というほどではない。
だが今朝、美月の隣で一晩耐え抜いた結果、理性維持に消費してやや減っていた魔力が、明らかに戻っている。
美月は首を傾げた。
「もしかして......私が、“みんな美味しく食べて元気になるといいなぁ”って思ったから?」
「可能性はあるでござるな」
「美月!マジで天才だな!」
東が大喜びで笑う。
美月も嬉しそうに目を細めた。
「うふふ。美味しい?」
「あぁ。忖度なく美味ぇ。魚の質もあるだろうが、美月の調理方法がマジでドンピシャに美味ぇ」
「えへへ、大成功〜!♡」
美月は両手を大きく掲げた。
待ち焦がれた肉。
厳密には魚。
しかし、そんな細かいことはどうでもいい。
美月が幸せそうに笑う横で、その笑顔を見ながら。
ジャジーも。
鳳も。
東も。
心から楽しそうに、笑っていた。
第7章 拡大編 - 第8話
「感謝感激えへえへへ」
→第7章 拡大編 - 第9話
「未定」へ