第8章 本格始動編 - 第6話「未分類の感情」
それから。
鳳と東の昔話は、もう少しだけ続いた。
好き勝手に魚を喰らい、海を荒らしていた者達を二人で叩きのめしたこと。
その時、相手が掲げていた旗を奪い、真っ二つに裂いて、それぞれ分け合い、持ち帰ったこと。
美月はふと、二人の腰元へ視線を落とした。
「どおりで同じような布を下げてるなと思ったよ」
鳳と東の腰には、古びながらも今なお鮮やかな赤い布が揺れている。
東が嬉しそうに胸を張った。
「おう!俺らの友情の証だからな!」
「置き場がないゆえ、仕方なく巻いているだけでござる」
二人の発言にはかなりの温度差があった。
「家広くなったし、置き場所死ぬほどあるぞ」
ジャジーの容赦ない指摘が飛ぶ。
鳳は一瞬黙り、顎に指をかける。
わずかに考えるような素振りのあと。
「......お主の羽で飛ばされるやもしれぬ。このままでよい」
鳳は真顔でジャジーの羽へと視線を向けた。
「考えた結果俺のせいにすんなよ!」
ジャジーの声が飛んだ。
そのやりとりを見ている美月はくすくす笑う。
その横で。
癒凪だけは、静かだった。
手元の湯呑みへ視線を落としたまま、ほとんど口をつけていない。
美月はちらりとその横顔を見る。
そして。
「......さて」
立ち上がった。
「私、癒凪に畑のこと色々レクチャーしてくるから、皆はゆっくりしてて」
そのままキッチンへ向かい、水筒へ温かい茶を注ぐ。
小さな手提げへしまう美月を見て、癒凪がようやく顔を上げた。
「おう。わかった」
ジャジーはいつもの調子で片手を上げる。
「うむ。冷えるゆえ、温かくするでござる」
鳳は玄関前の羽織を取り、美月の肩へそっと掛けた。
「ありがと」
そこへ東まで駆け寄ってくる。
「戻ってきたら一番に俺のとこ来いよ!」
当然のように予約を入れようとする東に、ジャジーの顔が険しくなっていく。
「この魚野郎!そろそろ調子こくのも大概にしろ!」
朝から比較的大人しく耐えていたジャジーのこめかみに、とうとう青筋が浮かんだ。
東も負けじと声を張る。
「今日ぐれぇ主役にさせろよ!」
「この家の主役は美月殿でござる」
「別に主役二人いたっていいだろ!」
三人の声が重なった、その時。
「......喧嘩するなら」
美月の声だけが、妙に静かだった。
三人が止まる。
美月は腰に手を当て、にっこり笑っている。
ただし、目は一切笑っていない。
「今日一切、触らせません」
「悪ィ」
ジャジー、即答。
「申し訳ござらぬ」
鳳は目に見えて肩を落とす。
「黙る」
東だけは、なぜかキリッとした顔で親指を立てた。
まるで“自分はデキる恋人です”とでも言いたげだった。
「よし」
美月は満足そうに頷く。
そして癒凪の着物の裾を軽く引いた。
「さぁ行こっか、癒凪!」
「......あぁ」
二人が外へ出ていく。
残されたリビングでは、ジャジーが扉を見ながら眉を寄せた。
「そういやあいつ、妙に冷たかったり、変に静かすぎなかったか?」
今朝、東と美月が恋人になってから。
空気が甘いと言えば事実だけを返し、気づけば黙り込み、湯呑みばかり見ていた。
鳳が小さく息を吐く。
「朝からあれだけ東が浮かれておったのだ。苛立つこともあろう。拙者もそうでござる」
「冷てぇな!俺のせいかよ!」
「確かにあれは俺もイライラしたわ」
「満場一致やめろ!」
癒凪の異変は、三人の中でひとまず“東がうるさかったせい”という結論に落ち着いた。
その頃。
美月と癒凪は、広くなった畑の前にいた。
「よいしょ」
美月は畑脇のベンチへ腰掛ける。
癒凪は、その姿を見下ろした。
ヤッケもない。
軍手もない。
鍬も鎌もない。
畑へ来たというのに、農作業をする気配が一切ないように見える。
「何か、用意はないのか」
「んー......」
美月は少し考えると、にこっと笑う。
「じゃあ、覚悟かな」
癒凪の目がわずかに開いた。
覚悟。
美月の神になりたい。
この家で受け取ったものを、美月へ返していきたい。
そう願った。
名を受け取った日。
譚生日だと言われた日。
この家を贈り、「美月の側にありたい」と告げた日。
覚悟など、とっくに決まっている。
次は、この家の一員として、自分の役割を受け持つだけだ。
「わかった」
重々しく頷く。
「私はまず、何をすればいい」
すると美月は、自分の隣をぽんぽん叩いた。
「とりあえず、まずは座ろうか」
「............」
癒凪はベンチを見る。
二人掛け程度の、小さな休憩用ベンチだ。
自分まで座れば、かなり近い。
眉間へ皺が寄る。
「癒凪?」
下から覗き込んでくる美月から、反射的に顔を逸らした。
「......私は、立ったままでいい」
「いやいや、話するんだし座ろうよ」
「......近い」
「でも前、私を膝にのせたじゃん」
「あれは事故だ」
即答。
美月がぱちぱちと瞬く。
「でもあれ、今考えれば避けられたよね?」
「............」
痛いところを突かれた。
以前、鳳にも似たようなことを言われた。
「......その話は、もういいだろう」
「ふふっ。じゃあまた違うタイミングで聞かせてね」
「......保証はしない」
美月は楽しそうに笑いながら水筒を取り出すと、湯気の立つ茶をカップへ注ぐ。
「はい」
「......茶?」
「うん。さっき、お茶ほとんど飲まないまま、冷めちゃってたでしょ?」
差し出された茶を、癒凪はそっと受け取った。
「......あぁ。すまない」
しっかり持ったのを確認した瞬間。
「立ったまま飲むのはお行儀が悪いので、座って飲んでください」
美月がにやりと笑う。
「............」
嵌められた。
今さら返すわけにもいかない。
地面へ座れば、それはそれで不自然すぎる。
「......わかった」
観念し、美月の隣へ腰を下ろす。
近い。
少し足を開けば、簡単に触れられる。
以前なら、こんな距離を気にしたことなどなかった。
まだ疫病神と呼ばれていた頃。
縁側で、美月に鼻緒を縫ってもらった時。
二人並んで座っていたのに、何も感じなかったはずだ。
「じゃあ、始めるね」
「......あぁ。頼む」
癒凪は茶を一口飲み、畑へ視線を向けた。
「癒凪、朝からなんかイライラしてた?」
その言葉に。
「............ん?」
癒凪の目が線になる。
畑の話ではない。
今後の方向性の話でもない。
「ん?」
美月の目も線になる。
「............」
「............」
先に口を開いたのは癒凪だった。
「......農作業についての説明ではないのか」
「違います」
即答。
「ただのお話会です」
「おはなしかい」
思わず復唱した。
美月が少しだけ、身体を向ける。
その拍子に、膝が癒凪の脚へ軽く触れた。
じわり。
そこから伝わる体温に、癒凪の身体が固まる。
「......癒凪?」
今度は顔まで近づいてくる。
「あ、ごめんね。嫌だった?」
「違う」
即座に否定した。
「私を連れ出した理由と、現在起きている事実に相違しかないため、意味を見出す処理に時間を要しているだけだ」
「じゃあ一回その処理中断して」
美月は困ったように笑った。
「朝から癒凪が変だったから、畑を理由に連れ出しただけだよ」
「............」
「もちろん、そのうちお仕事も頼むけど。まずはこっち」
美月は改めて癒凪を見る。
「もしかして、東が“恋人”って繰り返してたの、ちょっとムカついた?」
思い出しただけで、癒凪の眉間へ皺が戻った。
「......あれは、確かにうるさかった」
「あはは......やっぱり?」
「......だが」
視線が茶へ落ちる。
「何かが、違う......」
ただうるさいだけなら。
いつもの自分なら「うるさい」で終わる。
だが、今日はそれだけでは済まなかった。
「うるさいのは事実だ」
一度、言葉を切る。
「だが、美月と東が恋人であることも、事実だ」
美月は黙って聞いている。
恋人同士の戯れに、ただの同居人である自分が入り込むものではない。
以前なら、そう考えて終わったはずだった。
なのに。
癒凪は肘を膝へ乗せ、組んだ手へ額を預けた。
「......少し、落ち着かない......」
何百年と生きてきた。
感情がないわけではない。
ただ、長い時間の中で、大抵のことには心が動かなくなっていただけだ。
それが。
美月と出会ってから、明らかに変わった。
膝へ落ちてきた日。
名をくれた日。
家へ迎え入れられた日。
気づけば自分の内側まで掘り起こされ。
今なお掘られ続けている。
「じゃあさ」
美月が穏やかに笑う。
「何が嫌だったのか、一個ずつ考えてみる?」
「......種族支援課の、心理相談のようだな」
「じゃあ今から縁さんのところ行く? 私よりゴリゴリに掘られると思うけど」
「それはもはや破砕機ではないのか」
「そうかも!......っふ......あはははは!」
美月が耐えきれず笑う。
その笑いにつられるように。
「っ......ふ......」
癒凪の眉間から、ゆっくりと皺が消えた。
目元が柔らかく細まり、口元へ小さな弧が浮かぶ。
「......あ。またお茶冷めちゃったね」
美月がカップを覗く。
「......今は、冷たいものがいい」
「?なんで?」
「......気分だ」
先ほどまでざわついていた胸は、少しだけ凪いでいた。
代わりに。
別の熱が、じわじわと内側へ広がっている。
不快ではない。
むしろ、温かい。
温かすぎた。
「癒凪って圧倒的に温かいお茶派だったはずなのに、変なの〜」
美月はけらけらと笑いながら、茶を飲んでいる。
その隣で。
癒凪は冷めた茶へ視線を落としたまま、顔を上げなかった。
茶へと映り出す色味は暗く、自分の顔の色まではわからない。
だが。
紛れもない事実が、ひとつだけある。
先ほど自分の湯呑みに映っていたのは、ひどく険しい顔だった。
それが、今は。
とても穏やかな表情が、そこへ映っているという事実だった。
第8章 本格始動編 - 第6話
「未分類の感情」
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