第7章 拡大編 - 第2話「向き合うということ」
拠点に残った四人だった。
癒凪が出ていったことで、一人分の床面積は空いたが、居間にはまだ妙な圧迫感がある。
美月は改めて、向かいに座る東を見た。
先ほど再び人間体へ変化したため、三メートル近い魚体が床を占領していた時ほどではないが、それでも十分に大柄だ。
「......そういえばさ」
「ん?」
「東の種族って、なに?」
ふとした疑問だった。
東は一瞬だけ目を丸くすると、「......あー......」と、妙に歯切れの悪い声を出した。
「確かに、言ってねぇ」
ばつが悪そうに頭を掻く。
そんな東を見て、鳳が静かに頷いた。
「すでに節度のない求愛までしておるゆえ、隠すものでもなかろう」
「鳳、お前それ何のフォローにもなってねぇよ......」
東の肩が、がくりと落ちた。
ジャジーは頬杖をつきながら、以前見た東の本来の姿を思い返す。
「上半身は人間体で、下半身は魚体。人魚辺りは入ってんだろ」
「......おう」
「だが、人魚にしては禍々しすぎる」
容赦がない。
無数の針のような鱗と、物騒な尾鰭。
そこに、馬鹿力。
見た目からして、小さな船程度なら簡単に沈められそうだ。
「東って何か、サメっぽいよねぇ」
美月が何気なく口にした瞬間。
東の表情が、わずかに変わった。
「......怖ぇ?」
いつもの豪快さが、ほんの少しだけ陰る。
美月はぱち、と瞬いた。
「ううん。かっこいいよ。治安は悪めだけど」
「かっこいい!!」
瞬時に目が輝いた。
「そこだけ拾うのかよ」
ジャジーが呆れる。
顔面の治安問題は、完全に流された。
美月は腕を組み、人間界で読んでいた漫画や妖怪図鑑の記憶を引っ張り出す。
海の妖怪。
サメのような姿。
無数の針。
それだけでなく、人魚との混血だ。
多少のズレは生じるかもしれない。
「......あ!」
美月の声に、東の肩がぴくりと跳ねた。
けれど、美月は気づかない。
「......磯撫で?」
その答えが出た瞬間。
東は、静かに視線を下げた。
「......おう」
「やった!正解!」
ぱっと顔を明るくする美月。
予想していたものとはまるで違う反応に、東が拍子抜けしたように顔を上げた。
「......怖くねぇの?」
「だから、かっこいいって言ったでしょ?」
「顔じゃなくてよ」
東は少しだけ眉を寄せる。
「俺ぁ一般的に恐れられる方の妖だぞ」
美月の笑顔が、少しだけ薄くなる。
「......何か、引っかかってる?」
東は答えず、視線を逸らした。
「......努力じゃ、どうしようもねぇもんだってある」
その言葉で、美月は思い出した。
もし自分が選ばれなかったなら、それは自分の努力が足りなかっただけ。
東は、確かにそう言った。
努力で変えられないものはある。
生まれた種族、伝承、周囲から向けられる恐怖。
磯撫でという名が持つ、禍々しい印象。
美月は東の顔をじっと見た。
そして。
「うちの面子見て言って」
「......」
東の視線が、ゆっくり横へ流れる。
まずジャジー。
淫魔とハーピーの混血。
次に鳳。
九千坊河童と僵尸の自主的混血。
「......あぁ」
東の目が細くなった。
「いや納得すんな」
ジャジーの眉間に皺が寄る。
「いや、納得せざるを得ないでござろう」
鳳はいたって冷静だった。
美月は東の側へ寄ると、柔らかく笑う。
「種族とか、偏見とか。そんな気にしなくていいよ」
東の目が、少しだけ見開かれる。
「私、種族とか周りからの印象だけで付き合い方決めてないでしょ?」
「......」
「東も同じ」
美月は、まっすぐ彼を見る。
「東が磯撫でだから嫌とか、そういうのはないよ」
その言葉を聞いた瞬間。
東の中で、どこかざわついていた海が、ゆっくりと静まっていくようだった。
そして。
「......そーか!」
東は、いつものように大きく笑った。
しばらくして。
東は、ふと思い出したように立ち上がる。
「さて。じゃあ俺もそろそろ行くわ」
「もう?」
「おう!海のこと、あいつに任せっぱなしだからな!」
以前、東が口にしていた名前があった。
「もしかして、前に言ってた“ひいみ”って人?」
「おう。愛想はねぇけど、頼りにしてんだ」
「へぇ......」
美月の顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ今度私、会ってみたい」
「......」
その瞬間、東が停止した。
「東?」
東は一度唇を結ぶと、ゆっくりと口を開いた。
「......あいつは、男だ」
「そうなんだ。で、なに?」
まるで分かっていない美月の表情を見て、東は一瞬言葉を詰まらせた。
「......男に、会わせたくねぇ」
「わかる」
「分かるでござる」
ジャジーと鳳が、ほぼ同時に頷いた。
「なんでよ!」
美月が声を張る。
ジャジーは呆れた顔で腕を組んだ。
「新しい男と出会うたび、高ぇ確率でこの家に来てるからだろ!」
「......否定はできぬでござる......」
「無節操に連れてきてるわけじゃないよ!」
「わかってる!」
東も声を張り返す。
「でもこれ以上はマジで嫌だ!」
東の知らないうちに、ジャジーと鳳は恋人に格上げされていた。
そして、さらには恋人でなくとも、癒凪まで同居している。
彼らは抑えてはいるが、独占欲は高い。
「......そんなに私、信用ないかなぁ......」
しょも......と、目に見えて美月の肩が落ちた。
そのまま再び床へ体育座りになり、小さく縮こまる。
東の目が見開かれた。
「分かった!な、なんとかする!」
返事が早い。
「だから頼むから落ち込むな!」
東は慌てて美月へ駆け寄った。
だが。
あと一歩のところで、ぴたりと止まる。
触れない。
前に交わした約束を、ちゃんと覚えていた。
「俺......バカだからよ......」
いつもは釣り上がっている眉が、見るからに下がっていた。
「そんな顔されたら、どうしたらいいか分かんねぇんだよ......」
美月は膝へ顔を埋めかけた姿勢のまま、視線だけを上げる。
「......海流だったら?」
「海、流......?」
東が瞬く。
「うん。海側の、ご機嫌の取り方」
美月はゆっくり顔を上げた。
「教えて?」
東が黙る。
美月は真剣だった。
陸のルールを教えるだけでは、フェアではない。
東へこちらへ合わせるよう伝えるだけなら、それは一方的だ。
向き合うと決めた。
なら、自分も東が生きてきた海のことを知るべきだ。
「......美味ぇもんとか」
東がぽつりと答える。
「綺麗なもんとか、穫ってくる」
「......なるほど」
美月は頷く。
そして次の瞬間。
勢いよく立ち上がり、親指を立てた。
「じゃあ今度来る時、その“美味ぇもん”持ってきてくれたら許す」
「分かった!」
東は大きく頷く。
「美味ぇもんで釣られたな」
「またも相互漁業でござる」
「魚食べたいもん!(美味しいに勝るものはないんだよ!)」
「本音と建前がほとんど同じじゃねぇか!」
美月は再びタンパク質に飢えていた。
「美味ぇ魚持ってくる!ちったぁ準備が必要だが、日忌にも会わせる!それでいいか?」
「オフコース!」
「分かんねぇけど分かった!」
元気よく返事をすると、東はくるりと背を向けた。
そして、数歩進んだが、そこで止まる。
「......」
そしてまた戻ってきた。
「あ、あのよ......」
「うん?」
数拍の沈黙。
「手ぇ握ってもいいか」
美月は微笑んだ。
「うん。いいよ」
その言葉を合図に、東はそっと手を取る。
大きな手。
最初に出会った時とは違い、力任せに引き寄せることはない。
ただ、黙って手のひらを重ねている。
そして、互いの体温が馴染み始めた頃。
東の口元が、一度だけ固く結ばれた。
「......あとさ......」
「うん」
「......抱きしめてもいいか......?」
「うん。それもいいよ」
「は?」
聞いた本人が固まった。
美月はそんな東を見つめると、ゆっくり両腕を広げた。
頬が、じわじわと赤くなっていく。
「向き合うって、決めたから」
「......」
「ゆっくりだけど」
美月の声も、少しだけ震える。
「ちゃんと本気で考えるから......だから......」
それでも、目は逸らさない。
「少し、時間ちょうだいね」
そして。
今度は、美月の方から一歩踏み出した。
東の大きな身体へ腕を回す。
「っ......」
東の呼吸が止まった。
「......あぁ!」
次の瞬間には、顔いっぱいに笑みが広がっていた。
「もちろんだ!」
美月の背中へ、そっと腕が回る。
力いっぱい抱きしめることはしない。
ただ、腕を置くだけ。
そこにいることを確かめるだけの、優しい抱擁だった。
しばらくすると、どちらからともなく、ゆっくりと離れる。
「じゃあ、行ってくる!」
「うん」
美月は笑う。
「行ってらっしゃい、東」
「あぁ!」
東は大きく手を振り、海へ続く道を歩いていった。
やがて、その背中も見えなくなる。
癒凪と東が立て続けに外へ出たことで。
さっきまで妖テ◯リス状態だった居間は、明らかに広くなった。
「......」
美月は、その空間を見回す。
誰かが動けば、誰かが邪魔になる。
朝はあれほど狭く、少しストレスになるほどだったのに。
「......何か、寂しいなぁ」
ぽつりと落ちた声が、やけに響いた。
そして、静寂が訪れる中。
「美月」
ジャジーの声が落ちた。
「ん?なぁに、ジャジー」
振り返る。
そこにいたジャジーは、先ほどまで東と騒いでいた時とは違い、真剣な顔をしていた。
「今は、あいつらはいねぇ」
「うん」
「ならよ」
ジャジーは美月へ数歩近づく。
「そろそろ俺、恋人らしいことしてぇ」
「っ......」
美月の頬が、一気に熱を持つ。
「拙者も、同じ想いでござる」
「鳳も......?」
「無論」
鳳も、まっすぐ美月を見ていた。
ジャジーが腕を組む。
「当たり前だろ。普段どんだけ俺らが抑えてると思ってやがる」
「それはごめん!」
反射的に謝ってから、美月は口を閉じた。
―――そうだ。
向き合うと決めたのは、東だけじゃない。
ジャジーと鳳は、もう恋人なのだ。
東より一歩も二歩も深いところへ、自分の意志で招き入れた二人。
なら。
なおさら、ちゃんと向き合うべきだ。
―――いや。
“べき”じゃない。
自分が、ちゃんと向き合いたい。
「......二人とも」
「なんだ」
「なんでござるか」
美月は、胸の前で手を重ねた。
心臓が、少しだけ速くなる。
それでも。
「じゃあ、まずは―――」
二人を見ながら、ゆっくりと口を開いた。
第7章 拡大編 - 第2話
「向き合うということ」
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「失格だけど大成功」へ