第7章 拡大編 - 第1話「消えないタイプのテトリス」
あれから。
夜も更け込み、状況も状況。
今から帰らせるのはさすがに酷であると判断した美月は、東を泊めることとした。
そして翌日。
柔らかな朝日が窓から差し込み、昨夜あれほど騒がしかった美月の家にも、ようやく穏やかな朝が―――
―――迎えられていなかった。
「痛ぇ! お前なんで魚体に戻ってんだ!」
ジャジーの怒声が居間へ響く。
「まだ気ぃ抜くと戻んだよ」
床には、いつの間にか三メートル近い魚体へ戻った東が寝そべっていた。
黒紫の鱗から生えた無数の針が、寝返りを打つたび周囲へしゃりしゃりと嫌な音を立てている。
「なら気ぃ抜くな!お前の鱗、針みてぇで痛ぇんだよ!」
「寒い」
癒凪は遠い目をしながら壁際へ寄りかかっている。
「ジャジー殿。お主も羽根を動かすたび、先ほどから拙者と癒凪殿へ風が吹き付けておる。落ち着かせよ」
「厚着しろ!」
「俺も風来てて魚体が乾く」
「お前は勝手に干物になってろ!」
誰も譲らない。
そもそも彼らは本来、こんな狭い場所へ密集して暮らすような存在ではない。
広大な森、川、海。
広い縄張りや自然の中で生きてきた者達が、今は人間一人用の平屋へ押し込められている。
「つーか鳳!お前だったらすげぇ数の針が自分の体刺してる時に落ち着けんのかよ!」
「動けばよいだけでござる」
「動けねぇからこうなってんだろ!」
「なら外に出ればいいだろう」
「なんで家主の最初の恋人が家から出なきゃなんねぇんだ!」
「美月殿の最初の恋人はお主だけではない。拙者もでござる」
「今そこ話してねぇ!」
そう。
先ほどから彼らが騒いでいる理由は。
「......狭い」
美月がぽつりと呟いた通りだった。
居間の一人あたり面積が、悲惨なことになっている。
「妖怪テ◯リス出来上がってる......」
隙間なく重なったところで消えてくれないことだけは分かっている。
いや、彼らが消えるのは嫌だ。
しかし、居住スペースの余裕が消えるのも嫌だ。
美月は四人の中心で体育座りになり、苦い顔をした。
「まぁ......うん。ジャジーが来た時点で、すでに圧迫感あったよ」
「今さらそれ言うな」
「拙者も居間をさらに圧迫していることは自負していたでござる」
「そこへ私が来た」
「俺もいるぞ!」
元気いっぱいに笑う大型犬系魚類男子、東へ美月の視線が向く。
「東はまず、人間体になろうか」
美月の目まで遠くなった。
「つーかそんな簡単になれるもんなのかよ」
「拙者も気にはなっていたでござる」
二人の視線が魚体へ集まる。
「んー......」
東は珍しく眉を寄せ、しばらく考えた。
そして、ぽんと手を叩く。
「例えんなら、ケツにめちゃくちゃ力入れる感じだな!」
「すごい嫌な例え!」
「黒いのも人間体の足に変えられんじゃねぇのか?」
「誰が“黒いの”だ!」
ぎゃんっと荒ぶるジャジーを横目に、鳳は顎へ指を添えた。
「妖力や魔力による形態変化の方法は、そこまで大きく変わりはせぬと聞くでござるが......」
「不便してねぇのに無駄にケツに力入れ続けるとかすげぇ嫌だ」
ジャジーの顔が心底嫌そうに歪む。
「じゃ、とりあえず足生やすぞ!」
東が意気揚々と形態を変えようと妖力を動かす。
「待って!」
美月は思わず手を突き出した。
「どうした」
癒凪まで美月を見る。
美月は東の魚体を指差した。
「東、服は?」
「魚体になった時に破れた」
部屋の端を指差され、全員の目が向く。
そこには、鳳から借りた服だったものが、無惨な布片となって散らばっていた。
「......つまり、今人間体になったら?」
「魚体じゃねぇ方のいつもの格好だ」
沈黙。
「全裸じゃねぇか!」
「だからお前もだろ」
「俺は羽根が天然の衣だっつっただろ!」
言い合う二人を無視し、美月は申し訳なさそうに鳳へ両手を合わせた。
「ごめん鳳。また東に服貸してあげて」
「返却の望みが薄いことに“貸す”という言葉を当ててよいものでござろうか......」
それでも鳳は下衣を差し出す。
「ありがとな!」
「......うむ......」
鳳の目から、下衣だけでなく光まで失われていた。
「じゃあ簡単な下衣だったら、私が作るよ」
「美月殿が、拙者の......」
光が戻った。
当然、それを見ている他の者が黙っているわけはない。
「何お前だけ良い思いしようとしてんだ!」
「美月!俺も!俺も欲しい!」
二人が騒ぎ立てる。
「東は睡眠で形態リセットしなくなったらね!」
「わかった!ならやる!」
「じゃあ私達から見えないところでズボン履いてきて!」
「なら外でいいか?」
「公然わいせつ罪になるから家のどっかでやって!」
美月が風呂場の方向を指差すと、東は素直に居間を出ていった。
「......騒がしい」
癒凪がぼそりと呟く。
「嫌?」
美月が顔を覗き込む。
「......いや」
「それどっちの“いや”だよ」
「......悪くない」
その瞬間。
全員が、にやりと笑った。
「......なんだ、その顔は」
癒凪の目が細まる。
「お前、見事に毒されてきたな」
「この家の毒は進行が早いゆえ、覚悟した方がよいでござる」
戻ってきた東が首を傾げる。
「覚悟する暇なんかあんのか?」
「ないよ」
美月は即答し、にこりと笑った。
「覚悟なんかする暇ないくらい、これからたくさん笑わせてあげるね」
太陽のような笑みに。
「......あぁ」
癒凪の頬も、ほんの少し緩んだ。
やがて騒がしさは、ようやく穏やかなものへ変わっていく。
「とりあえず、部屋割り......っていうより床面積割りする?」
改めて家を見る。
狭いキッチンにカウンター。
居間がリビングとダイニングを兼ね、奥には簡易的な仕切りとベッド。
一人なら十分、二人でも暮らせる。
―――ただし。
人間界基準ならの話だった。
美月は順番に男達を見る。
まず、ジャジー。
身長約二メートル。羽根を広げれば横幅だけで四メートル級になる。
「......モスマンかな」
美月の目が半目になる。
「誰がモスマンだ!」
再びジャジーの怒号が飛んだ。
「大惨事の前兆とされる怪異か」
「人型、巨躯、飛行。条件は満たしておるな」
「そんなこと言ったら隠世の人型飛行種全員モスマンになんだろ!」
「すでにうちのスペースが大惨事だよ!」
「モスマンが証明されたな」
「魚てめぇ!」
次に、鳳。
ジャジーよりわずかに低いが、体格はそう変わらない。
羽根も鉤爪もない。
「なんか急に安心した」
「そうでござるか」
「俺との差、どうなってんだよ」
そして癒凪。
身長は鳳と大差ないが、二人より細身。
「癒凪って細く見えがちだけど、前に癒凪の膝に座った時、ちゃんと男の人だった」
「「「は?」」」
三人の首が一斉に向いた。
「過去形にするな」
「待て待て待て!」
「今非常に重要な話がさらっと出たでござる」
「美月!俺の膝にも座れ!」
「クラスパー押し付けない?」
「“くらすぱー”?」
「あ゛ぁぁ本人専門用語知らないパターンだった!」
最後は東。
人間体なら鳳程度だが、魚体に戻れば全長三メートル。
鱗は針のようで、尾鰭は鎌のようだ。
「魚体が凶器すぎる」
「ケツに力入れとくから平気だ!」
「いつかケツ筋攣りそうだな」
「面積割りの話であったが、なぜ会話が下に寄るのであろうか......」
「あの二人がいる限り会話の質は最下層だろう」
「誰か浮上させて!」
「善処はしておる」
その横で。
癒凪は黙り込み、何かを考えていた。
「癒凪?」
覗き込む美月を、数秒見つめる。
「......少し、用事が出来た」
そう言って、立ち上がった。
「急に?」
「少々、外す。明日の朝には戻る」
「何の用事だよ」
ジャジーが眉を寄せる。
「帰るまで待て」
それだけだった。
「なら、拙者らは待とう」
美月も頷きかけて。
ふと、不安げに癒凪を見上げる。
「......消えないよね?」
癒凪は、美月へまっすぐ向き直った。
「名を貰った。私も受け取った。だから、消えない」
「......うん」
「悪い用ではない。.........だから」
一瞬、言葉が詰まり。
「.........待っていて、ほしい」
小さく告げた。
「......わかった。気をつけてね」
「あぁ」
美月は一歩、距離を詰めた。
「......いってらっしゃい、癒凪」
それは、癒凪にとって初めての。
帰ってくることを前提にした言葉だった。
一瞬だけ、その目が揺れる。
「......あぁ。行ってくる」
そう言って、癒凪は背を向けた。
輪郭は、もう薄れていない。
相変わらず疲れたような空気は纏っている。
それでも、その背中には。
昨日までにはなかった、確かな力が宿っているように。
美月には、そう見えていた。
第7章 拡大編 - 第1話
「消えないテ◯リス」
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