第7章 拡大編 - 第3話「失格だけど大成功」
「“愛してるゲーム”をしよう」
美月が、妙に真剣な顔でそう告げた。
「「ん゜?」」
二人分の濁った声が重なった。
先ほどまで「恋人らしいことをしたい」と主張していたジャジーと鳳が、揃って固まる。
「“愛してるゲーム”です」
「無論、聞こえていたでござる」
「じゃあなんでそんな顔してるの」
「それは......なんだ。遊びか?」
ジャジーが眉間を押さえた。
「つーか、恋人としての過ごし方として正しいのか?」
「もちろん。当社比だけど」
「だからお前の“当社比”は当てにならねぇんだよ」
即座に返され、美月が頬を膨らませる。
「でもまず、そういう言葉を言えるようになるのって大事じゃない!?」
美月が声を張る。
「その前段階があるのではござらぬか?」
「そこは私が顔の良い二人に言われてみたいから割愛しました」
「なら仕方ないでござる」
「お前、美月のこととなるとポンコツになんのやめろ」
ジャジーが鳳を睨む。
しかし鳳は至って真面目だった。
「これが所謂“乙女の夢”というものなのでござろう。ならば恋人として心頭滅却し、真剣に向き合うのが道理であろう」
「恋人とのじゃれ合いに心頭滅却しないで!」
美月が全力で止めた。
「わぁったわぁった。で、ルールは?」
ジャジーに促され、美月は嬉しそうに人差し指を立てる。
「説明します!」
一対一で向かい合う。
相手の目を見て、『愛してる』と告げる。
言われた側が照れれば負け。
照れなければ攻守交代し、それを繰り返す。
ただ、それだけ。
甘酸っぱさだけで構成された、人間界の遊びである。
しかし説明を聞く二人の表情は、これからの妖生を左右する契約条件でも提示されたかのように重々しい。
「要するに」
ジャジーが口角を上げた。
「お前から『愛してる』って言われても、照れなきゃいいんだろ」
「『愛してる』一回で終わらすつもりはないからね!」
「楽勝だろ」
「では拙者は、まず審判に回ろう」
こうして、第一試合が始まった。
ジャジー対、美月。
くじ引きの結果、先行はジャジーとなった。
「じゃ、どうぞ」
美月はわくわくした面持ちで、正面へ座り直す。
ジャジーも向き直った。
距離は近く、目もしっかり合っている。
「............」
金色の瞳が、美月をまっすぐ見つめる。
「......あ」
ジャジーの唇が動いた。
が。
「あい......」
止まる。
「し......」
また止まる。
急速に、ダークグレーの顔が朱に染まっていく。
美月の目が、すっと細くなった。
「通信障害起きてる」
「随分遠くにおるのだな」
「情緒は一生懸命走ってるけど、『愛してる』が早すぎて通信障害起きちゃったんだ」
「このゲームが俺にとって早ぇんだよ!」
ジャジーが耐えきれず叫んだ。
開始十数秒。
ジャジー、敗北。
「楽勝って言ってた人どこ行ったの?」
「うるせぇ!」
愛してるラリー以前の問題であった。
今度は、美月が先行。
そう決まった瞬間。
「ひぃぃ無理ぃ......」
美月は両手で顔を覆った。
「いきなりサレンダーかよ!」
「彼氏いない歴=年齢の喪女にはハードルが高層ビルすぎる!」
その言葉に。
ジャジーの顔から、怒りが消えた。
「......待て」
何かが、繋がった。
以前から、美月は時折“喪女”という聞き慣れない言葉を自分へ使っていた。
正直、意味までは知らなかった。
だが今、確かに聞いた。
彼氏がいない歴が、そのまま年齢。
なら。
「お前......じゃあ最初の頃、俺が夜這いしてキスした時......」
「そうだよ初めてだよファーストキスだったよ!」
「ここで再度聞くことになるとは思わなんだ......」
鳳は以前、美月の愚痴から恋愛経験がないことを知っていた。
だがジャジーにとっては、今初めて知る事実だった。
ジャジーの口角がゆっくりと上がる。
「ニヤニヤしないでよ!」
美月が顔を真っ赤にして睨む。
しかしジャジーの口元は、どうしても緩んでいた。
以前、彼は願った。
この世界では、一人の女性へ複数の伴侶がつくことも珍しくないため、男が増えることは仕方がない部分もある。
それでも。
美月にとっての一番は、自分でありたい。
一番最初に振り向くのも。
一番最初に戻ってくるのも。
一番最初に声をかけてくるのも。
今、恋人としては鳳と同時に選ばれた。
同率一位。
けれど、あの夜のキスだけは―――
「俺......」
ジャジーが、小さく呟く。
「それは、お前の一番になってたんだな......」
「......それは......うん......事故だったけど......」
美月は頬を赤らめたまま、視線を落とした。
次の瞬間。
「わ......」
ジャジーの腕が伸び、美月の身体をゆっくり引き寄せる。
そのまま、大きな腕に包まれた。
「......悪かった」
美月の目がわずかに見開かれる。
あの頃のジャジーにとって、寝ている女から精気を補給することなど、呼吸と大差のない行為だった。
淫魔として、生きるための補給。
相手の許可を取るという発想すらなかった。
だが、今は違う。
美月が大切だ。
彼女の表情を歪めてまで、何かを奪いたいとは思わない。
「お前にとっちゃ、事故だった」
腕に、ほんの少しだけ力がこもる。
「あの時は、俺も別に気持ちなんざ込めてなかった」
それでも。
「......それでも、今は俺が最初だったっつーのがよ......」
声が、わずかに震えた。
「すげぇ嬉しくて、たまんねぇ」
腹の底から湧き上がった歓喜を、隠すこともできない。
「ジャジー......」
美月がその顔を見上げると、ジャジーはふっと息を吐いた。
「......だからよ」
そして、少しだけ身体を離すと、美月の肩に両手をかけた。
「その先の一番も、俺が担当していいよな」
当然のように言った。
「............」
美月の思考が停止する。
「昼間っから淫魔の営業しないで!」
意味を理解すると同時に、顔が耳まで赤くなった。
「拙者は何を聞かされているのでござろうか......」
審判席の鳳が、疲弊した顔で紙へ結果を書き込んだ。
『ジャジー ×』
『美月 ×』
「両方負けなの!?」
「勝者がおらぬゆえ」
「勝者がいねぇっつーことは両者実質1位だろ」
「屁理屈を申すな」
そして第二試合。
鳳対、美月。
「ネバギバ!」
「さっき『ひぃん無理ぃ』って言ってただろ」 「気合い!」
くじ引きの結果、美月が先行となった。
鳳は背筋を伸ばす。
「受けて立とう」
美月も向き直った。
深呼吸し、今度こそ。
「......ア」
「......」
「イ」
「......」
「シ」
「......」
「......テ」
「......」
美月の顔が再び真っ赤に染まる。
「......コロ......シテ......」
美月は羞恥により混乱した。
「デスゲームにすんな!!」
ジャジーの怒声が響く。
鳳は真面目な顔で首を傾げた。
「愛の言葉からの殺傷依頼。結婚は人生の墓場という人間界の言葉と、何か関係があるのでござろうか」
「真面目に分析すんな!」
当然、美月の敗北だった。
今度は鳳が先行する。
「............」
開始から数秒。
鳳は顎に手をかけ、何やら考えはじめた。
「鳳?始まってるよ」
「......分かっている」
「なんで固まってんだよ」
鳳はしばらく美月を見つめていた。
やがて。
「愛の言葉は、戯れの中で申すものではござらぬ」
きっぱりと、至極真面目な表情で告げる。
「急に現実帰んな!」
ジャジーが叫んだ。
「おっふ無理イケメン」
美月はそう言いながら床に突っ伏した。
わずかに見えている首すら赤く、湯気が出そうなほどだった。
「そ、そうでござるか......」
鳳の頬が赤くなる。
「誰もルール遂行してねぇのに結果だけ出んのなんなんだよ......」
ジャジーが頭を抱えた。
結局。
誰一人としてまともに『愛してる』を言えないまま、愛してるゲームは崩壊した。
そして、少しだけ静かになった居間。
「......でもさ」
美月が、膝の上で手を握る。
先ほどまで笑っていた顔が、ほんの少しだけ真剣になる。
やがて。
ゆっくりと顔を上げた。
ジャジーと鳳を、まっすぐ見る。
「ちゃんと、二人のことが好きだよ」
にへっと、飾り気のない無邪気な顔で笑った。
ジャジーは一瞬黙り、視線を逸らして頬を掻いた。
「......何か、負けたのとかどうでもよくなったな」 「うむ。もとより恋人としての時間ゆえ、勝ち負けが主ではござらぬ」
鳳も、美月へ向き直る。
「俺も好きだ」
「拙者も、好きでござるよ」
誰も言い淀まない。
美月の顔が、幸せそうに綻んだ。
「じゃあ、はい。ジャジーから」
腕を広げる。
先ほど東へも向けた、美月からの抱擁。
ジャジーの目が柔らかく細まった。
「あぁ、来い」
美月がその腕の中へ飛び込む。
大きな身体が受け止めるために屈んだ、その瞬間。
「んっ」
「っ......!?」
唇へ。
柔らかな感触が、ほんの一瞬だけ触れた。
抱擁だけだと思っていたジャジーが、完全に停止する。
少し離れたところで、鳳は静かに視線を逸らした。
「......どう......?」
美月はジャジーの首へ腕を回したまま、真っ赤な顔で見上げる。
「恋人らしい、かな......」
「......お前......」
「なぁに?」
ジャジーはしばらく美月を見つめたあと、掠れた声を落とした。
「普段からそのままでいてくれ」
「?」
美月が首を傾げる。
「お前、照れたりテンパるといつも甘ぇ空気が死ぬんだよ」
「ふふっ」
美月が小さく笑った。
「じゃあ今日は、空気殺さないように頑張るね」
そう言って、今度は鳳へ向き直る。
反射的に、鳳の背筋が伸びた。
「もちろん、鳳もだよ」
にこり。
「......承知」
言葉は硬いが、その表情は柔らかかった。
鳳が、ゆっくりと腕を広げると、美月はその腕の中へ入り、胸元へ身体を預けた。
視線を上げれば、黄色い瞳がまっすぐ自分を見ている。
距離が少しずつ縮まり、鼻先が触れ合う。
そして、自然に唇を寄せた。
短く、柔らかい。
互いがそこにいることを確かめるような口付け。
離れたあと、美月は二人を見比べる。
「んふふ。ちゃんと恋人らしいことできたね」
鳳は美月を抱いたまま、小さく息を吐いた。
「......予想を上回る程には、恋仲らしい時間でござった」
ジャジーも隣で満足そうに笑う。
東と癒凪が去り。
つい先ほどまで、妙に広く、寂しく感じていた居間。
そこにはやがて、三人分の体温と、幸福で暖かな空気が。
ゆっくりと、満ちていくのであった。
第7章 拡大編 - 第3話
「失格だけど大成功」
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