第8章 本格始動編 - 第10話「福゜福゜農園へようこそ」
開店十五分前の福゜福゜農園は、とんでもなく慌ただしかった。
つい先ほどまで、長期計画だの宣伝期間だのと穏やかな未来を語っていたはずなのに、今や畑の入口から先には、最後尾すら見えないほどの客が並んでいる。
美月は目の前の光景を一度だけ見渡し、すぐさま振り返った。
「ジャジー!まだ時間あるから、とりあえず葉っぱの除去して!鳳は今すでにある畝に、ノートに書いてあるように一列ずつ各野菜の種を蒔くための穴を開けてって!他は最初の指示通りよろしく!」
「おう」
「承知」
「わかった!」
「あぁ」
返事はほとんど同時だった。
次の瞬間には、四人がそれぞれの持ち場へ散っていく。
ジャジーが片腕を振れば、細く研ぎ澄まされた風が畑を走った。
不要な葉だけが、ざざざっと音を立てて切り落とされる。実や茎には一切触れない。
さらに翼を軽く動かすと、散らばった葉が風に運ばれ、一か所へ集められていった。
「これ袋入れりゃいいんだな!」
「お願い!」
鳳は美月のノートを片手に、畝の前へしゃがみ込んでいた。
間隔、深さ、列の位置。
数センチ単位の細かな指定を一度確認すると、あとは迷いがない。
指先と水の妖力を器用に使いながら、一定の間隔で次々と穴を作っていく。
その横では癒凪が、納屋から運び出された種子や種芋、球根を一つずつ確認していた。
五ミリにも満たない小さな種から、手のひらの半分ほどある種芋まで。
一つも落とさない。
急がない。
それでいて遅くもない。
病の気配がなければ横へ。
わずかでも異変を感じれば、指先から神力を流す。
淡い気配が種へ染み込み、内部にあった小さな病変が消えていく。
その様子を、列の先頭付近にいた蔓実がじっと見ていた。
「......ありゃあ、疫病神かぁ......?」
先ほどまで野菜へ向けていた嬉しそうな顔が、わずかに険しくなる。
蔓実だけではない。
その周囲に並ぶ植物系の妖達も、次々と癒凪へ視線を向けていた。
疫病神。
人にも、妖にも、植物にも、病をもたらす存在。
少なくとも、彼らの中ではそう認識されてきた。
だが、目の前にいる男は病を与えるどころか。
ひとつひとつを確かめ、病んだ種を癒している。
「えぇ」
百之鬼が、蔓実の視線を追うように癒凪を見る。
腕にある目が、静かに開いた。
「先日、管理所へ来られた際に少々視ただけですが。他者へ害を与えるはずの力が、あの方の中で留まっています」
「きっと、美月ちゃんが素敵な名前をあげたおかげねぇ......」
縁が、珍しく少しだけ静かな声を落とした。
「癒凪ちゃん。病を癒やして、荒れたものが凪ぐように、でしょう?美月ちゃんらしい名前だわぁ......」
線姫も、その言葉に目元を和らげる。
「美月さん、素敵な方なんですわね......」
そんな会話が交わされていることなど知らず。
「東!もっと端っこまで耕して大丈夫!」
「おう!」
美月の声が畑へ飛んだ。
東は鍬を大きく振り上げる。
「もっと深く掘って!石とかあったら退けてね!」
「わかった!」
ザザザザザザザザザッ!
土が次々と返されていく。
もはや鍬の先がまともに見えない。
端から見れば、土煙の中で何かが高速移動しているようにしか見えないだろう。
だが、東はただ力任せに振り回しているわけではなかった。
刃先に石が当たれば、その瞬間だけ軌道を変える。
大きな石は片手で掴み、軽々と畑の外へ。
小さな石すら見逃さず、土だけをふかふかに起こしていく。
写仝が、その光景を静かに眺めた。
「......もはや手元が見えませんね」
「ありゃあ、あやづでねばでぎねぇなぁ」
蔓実は感心したように何度も頷く。
その隣で百之鬼は、口元へにんまりと弧を描いた。
「こちらの目が痛いくらい、美月さんを好きなことが伝わってきますので、とても尊いです」
「そこを見るんですの?」
線姫が思わず横目を向ける。
しかし。
列の後ろでも、似たような反応は起きていた。
「素敵ぃ......」
エルフが胸の前で手を組む。
「海の妖って、もっとプライドが高くて、陸の者の言うことなんて聞かない印象だったけど......」
ドライアドが驚いたように東を見つめる。
木霊も静かに頷いた。
「えぇ。あの小柄な方の指示を、嫌な顔一つせず楽しそうに行なっていますね」
「しかも、かっこいいわ......」
アルラウネがぽつりと零した。
「顔はちょっと怖いけれど」
「そこがいいのよ」
「分かるわぁ」
いつの間にか、別の意味でも東の評価が上がり始めている。
縁は、その会話を聞き逃さなかった。
「あらぁ♡これは海系妖怪の株が上がるチャンスねぇ♪」
何故か一人、商機でも見つけたような顔になっている。
その頃。
「みんな、ちゃんと水分とってね!鳳!水分摂ったら高畝よろしく!私もやる!」
「承知。美月殿も水分を摂るでござる」
「今摂った!すぐやるよ!」
美月は腕まくりをしながら畑へ戻ろうとする。
その首根っこを。
ぐいっ。
「んぎっ」
後ろからジャジーに掴まれた。
「手ぇ空いてるやつ全員でやった方が早ぇだろ」
「でも」
「でもじゃねぇ」
ジャジーはニッと笑う。
「俺は時間になったらすぐ販売に回る。在庫自体はかなりある。体力温存しながらゆっくりやんねぇと、後半ダレんぞ」
「......あはは。ちょっと張り切りすぎたかなぁ......」
「ちょっとじゃねぇよ」
ジャジーは呆れたように笑い。
「誰かが止めねぇと、お前アクセル全開で人知れず無理すんだろ」
そう言って。
美月の額へ、軽く唇を落とした。
「んわっ......」
美月の顔が一瞬で赤くなる。
「ちょ......!人前......!」
畑で作業している三人からはジャジーの翼が壁になり、ほとんど見えていない。
だが。
列からは丸見えだった。
ブゥンッ!
写仝の輪郭が大きく揺れた。
何も言わず、すっと顔を逸らす。
蔓実はにこにこ。
百之鬼と縁は、揃って両頬へ手を添えている。
「まあ......」
線姫まで目を輝かせた。
「先ほどのは、胸に来ましたわ......」
その後ろでは、植物系の妖達まで小声でざわつき始めている。
「美月!俺ぁまだまだ動けんぞ!」
遠くから東の大声が飛んだ。
「こっちも終わった。手伝おう」
癒凪も戻ってくる。
鳳だけが列の妙な空気に気づき、首を傾げた。
「......?皆、なぜあのような顔をしておるのだ?」
「た、楽しみみたいで!」
美月は勢いで誤魔化した。
百之鬼が笑う。
「えぇ。とても今後の皆様が楽しみです」
「百之鬼ちゃん、もう箱推しじゃなぁ〜い♡」
「否定はしません」
「わぁぁ推し活被害が広がってる!」
美月は頭を抱えた。
ジャジーはそんな美月の肩を軽く叩く。
「とにかく、現場の指揮官が後半動けねぇのは困る。だから俺らがいんだろ」
美月は、四人を見る。
ニッと笑うジャジー。
穏やかに頷く鳳。
豪快な笑顔の東。
限りなく真顔に近いのに、ほんの少しだけ口角の上がった癒凪。
「......ありがと」
美月の土のついた頬が、ふっと緩んだ。
「じゃあ開店の挨拶したら、みんなでやろっか!」
開店まで、残り五分。
列は先ほどよりも明らかにざわついていた。
「あなた方は何を狙っていますか?」
木霊が前後へ問いかける。
「断然トマトです!」
アルラウネが即答した。
「私もトマトです♪」
エルフも嬉しそうに手を上げる。
「やはりあの蔓実さんによって、味の保証をされているトマトが欲しい方々が、ほとんどですよね」
ドライアドの言葉が、美月の耳へ届いた。
「............」
美月の目が、すっと細くなる。
「トマトね。十倍増産する」
「言った側から何仕事増やしてんだ」
ジャジーが即座に突っ込んだ。
「大丈夫大丈夫。三倍も五倍も十倍も変わらないよ」
「ブレーキ壊れたな!」
東が笑う。
「おそらく治せない」
癒凪が静かに断言した。
「拙者らがブレーキとなろう」
鳳が使命感たっぷりに頷く。
残り三分。
各自、水分摂取。
役割の最終確認。
そして。
「私達の農園にファン百人つけるぞー!!」
美月が拳を高く掲げた。
「それも今日できんだろ」
ジャジーが半目になる。
「目標はまず、できそうなラインからだから!」
「開店初日で固定客百人を目指すことは、なかなか高めだと拙者は思うのでござるが......」
「え!? 高いかな!?」
「初日でこんだけ来てんだ。感覚バグり続けてもおかしくねぇな!」
東が豪快に笑った。
その時。
「美月」
癒凪が、小さく呼んだ。
「ん?なぁに?」
美月が振り返る。
「......いや......」
言葉が止まった。
残り二分。
「おい、癒凪」
ジャジーが呼んだ。
美月は、少しだけ目を見開く。
ジャジーが癒凪をまともに名前で呼ぶのは、初めてかもしれない。
「言いてぇなら、飲み込むな」
「............」
残り一分半。
美月も、ただ笑った。
「癒凪。大丈夫」
急かさない。
「ちゃんと、待ってるよ」
開店直前。
普通なら一秒すら惜しい時間だ。
それでも、美月は待った。
残り一分。
「......私は......」
癒凪が、ゆっくり口を開いた。
一度止まり。
それでも、今度は閉じなかった。
「......お前の側に在ることができて、嬉しい」
はっきりと。
残り三十秒。
「......これからも、頼む」
わずかに顔が赤い。
美月の目が、柔らかく細くなる。
「私も、癒凪が側にいてくれて嬉しいよ」
太陽のように笑った。
「いつもありがとう!私からもよろしくね!」
三。
二。
一。
美月は畑と、並んで待つ客達と、隣にいる四人を見渡した。
そして。
「よし!」
大きく息を吸う。
「福゜福゜農園直売所、開店しまーす!」
「おー!待ってだど〜!」
蔓実が真っ先に腕を上げた。
「蔓実さん。一人で買い占めないでくださいね」
「おらぁそこまでの妖力ねぁよ!」
百之鬼は楽しそうに笑う。
「やっと近くで推しカプを見られます」
「百之鬼ちゃん、目的変わってるわよぉ〜」
縁がくすくす笑った。
線姫も優雅に一歩踏み出す。
「では、私達も参りましょうか」
待ちわびた妖達が、わくわくした表情でゆっくりと畑へ入ってくる。
自分で育てた野菜。
自分で立てた看板。
一緒に働いてくれる仲間達。
そして、それを楽しみに来てくれた客。
スローライフ労働編。
言葉だけ聞けば、これほど矛盾したものもない。
それでも。
人間だった頃には、きっと手にできなかった光景だった。
美月は、満面の笑みで両手を広げる。
「いらっしゃいませ!」
待ち焦がれていた、新しい日常が、今。
ようやく動き始めたのだった。
第8章 本格始動編 - 第10話
「福゜福゜農園へようこそ」
第8章 本格始動編 - 第11話
「適正妖力量、単位取得」へ