第6章 縁から宴編 - 第4話「行ってらっしゃい」
美月はしばらく、東が去っていった方角を見つめていた。
もうその背中は見えない。
なのに視線だけは、海へ続く道の先に置き去りになったままだった。
「おい。いつまでそうしてんだ」
隣からジャジーの声が飛んでくる。
「すでにあやつは見えぬでござる。冷えてしまわぬうちに、そろそろ中へ――」
そう言いながら、美月の前へ回り込んだ鳳が固まった。
「なっ......!どうしたのでござるか!?」
美月の顔を見た鳳がぎょっとする。
美月は顔を真っ赤に染め、両手を胸元で握ったまま、ぷるぷると震えている。
ジャジーの表情も変わった。
「おい!去り際にあいつからなんかやられたのか!?」
ジャジーが道の先をキッと睨み、駆け出そうとした瞬間。
「......違う......」
美月の手が、ジャジーの羽根をつまんだ。
美月の指先の熱を感じ取り、思わずジャジーの羽根が震えた。
「っ...じゃあなんだ!」
美月は俯いたまま、口を開く。
「っ......私......」
美月はぎゅっと目を閉じた。
「『行ってらっしゃい』とか普通に言っちゃったよ......!」
「............」
「............」
沈黙。
数秒後、ジャジーの肩が盛大に落ちた。
「セルフ羞恥かよ......」
「美月殿らしいでござる......」
「つーかそこかよ。あいつに抱きつかれたことでも、あいつが陸に来る気満々なことでもなく?」
「そりゃそうでしょ!」
美月は勢いよく二人を振り返った。
「だって私、隠世に来たばっかりの頃、『誰ともそうなるつもりはない』って宣言してたんだよ!?」
美月は熱の集まったままの頬を両手で包む。
「したな」
「しておったな」
ジャジーと鳳は真顔だった。
美月は二人の相槌に気を取られることなく続ける。
「なのに二人を恋人にして、その日のうちに東へ『行ってらっしゃい』だよ!?」
「そうでござるな」
「もう単身赴任の旦那さん見送るみたいになっちゃってる!」
「今さらだろ」
「拙者も、“また会いに来るために抱きしめたい”との申し出を受け入れた時点で、相応に心を許しているように見えたでござるが」
「だってさ...!」
美月は頭を抱えた。
「恋愛するにしても、相手は普通一人じゃん!?」
「それはお前のいた世界の常識だろ」
「今はちょっと話を聞いてて!」
「はい」
「素直でござるな」
「頭蓋ふっ飛ばされたくねぇからな」
「叩きません!」
美月は止まらなかった。
頭を抱えていた手を顔面へと移し、現実から逃れるように一切の視覚情報を遮断する。
「一人の殿方と付き合って!それなりの期間かけて!ようやくプロポーズされて!そこで結婚になるはずなのに!」
美月はしゃがみ込むと膝をバンバン叩きながら、最後には東が消えた方角を指す。
「ここ来てまだ数カ月も経ってないのにいきなり二人を恋人に、その日のうちに別の男の人へ『行ってらっしゃい』とか私の頭どうしちゃったのヴァァァァ」ァァァァァァァァァァァァ!!
一息で言い切った。
「括弧閉じを飛び越えてんぞ。とりあえず息しろ」
美月は頭から湯気が出そうな勢いで首をブンブン振っている。
「だめだ。深刻なエラーが発生してる」
「美月殿、申されたいことは理解できる。されど、何をそこまで荒れておるのでござるか」
「......だって......」
勢いが途端に萎む。
美月は視線を落とした。
「私がまるで、二人じゃなんか足りない人みたいじゃん......」
「足りねぇの?」
「手に余る!」
「なら問題ねぇな」
「問題ありまくりだよ!」
即座に返した美月へ、鳳が静かに首を振った。
「拙者らは、美月殿が思っておるようなことを感じておらぬ」
鳳の表情は、至極真面目だ。
「鳳......」
「美月殿が何か足りぬからと、相手を増やしているのではござらぬ。拙者らが勝手にそなたを求め、勝手に集まってきただけでござる」
当たり前のように告げる鳳に、美月はようやく立ち上がる。
「......ありがと⋯」
「要するに、お前に釣られたやつが勝手についてきてんだよ」
綺麗に纏められていた話に、一気に雑味が入った。
「“ハーメルンの笛吹き男”みたいじゃん!」
「“ハーレムの増え不帰男”だろ」
「無理やりすぎるひっどい語呂合わせ!」
「美月殿は女性でござるが」
「訂正箇所そこじゃない!」
ジャジーは鼻で笑ったものの、すぐに表情を少しだけ落ち着かせた。
「......正直、俺はこれ以上、美月に男が増えんのは嫌だ」
美月の笑いが止まる。
「......ごめん⋯⋯」
胸元で手を重ね、ぎゅっと握る。
「やっぱり、東は――」
そう言いかけた時。
「そういうことを言いたいんじゃねぇ」
「え......」
「嫌なのは、ただの俺の感情だ」
ジャジーは腕を組んだまま、美月を真っ直ぐ見る。
「男が増えたからっつって、お前の俺らに対する気持ちが減るとも思ってねぇ。それに、今じゃそれが普通なんだろ」
少しだけ眉を寄せる。
「だったら、お前がやりてぇようにやりゃあいい」
「......うん」
「無理やり増やせっつってんじゃねぇぞ。本気で想ってんなら、追い出すまでしなくていいってことだ」
「わかってる。......ありがと」
「......おう」
鳳も頷いた。
「気に病む必要はござらぬ。美月殿は美月殿の道を歩めばよい。拙者らは共に行くだけでござる」
「......うん。鳳もありがと」
ようやく肩から力が抜けたところで、美月はふと思い出した。
「そういえばさ。鳳と東って、友達なんだっけ?」
「腐れ縁でござる」
即答だった。
ただし、目には光が消えている。
「腐れ縁ってカテゴリ的には知り合いになるの?それともギリギリ友達?」
「腐れ縁でござる」
「無理やり腐れ縁カテゴリ作んな」
ジャジーが呆れた声を出す。
美月は少し考えたあと、ぽん、と手を叩いた。
「今度、改めてみんなのことを知る会議を作ろうか」
「それ会議じゃなくて、ただの自己紹介だろ」
「ジャジーのことも教えてね?」
「......おう」
ジャジーは頬を掻きながら、視線を逸らす。
「美月殿を求める者が増えるたび、この拠点の情報が濃くなっていくでござるな」
「もはや“家”じゃなくて“拠点”になってる!」
「庭が職場なら、拠点っつーより寮じゃね?」
「私は寮母じゃない!」
美月は拳を握ると、声を張り上げた。
ジャジーは腕を組むと、眉間に皺を寄せながら思考を巡らせる。
「俺らの魔力補給して、存在まで支えて、んでもって男が増える家ってなんだよ」
「なんか相撲部屋感!」
「......ただよ」
ジャジーが急に真顔になる。
「さすがに限度はあるからな?」
「うむ」
鳳まで重々しく頷く。
美月は両手を振った。
「さすがに五人も十人もするつもりはないよ!」
その言葉に、二人が固まった。
「............」
「............」
「な、なに......?」
ジャジーと鳳が、何かを確信したような視線を交わす。
「......フラグ」
「立ったでござるな......」
「二人で示し合わせないでよ!」
美月は叫ぶと、気を取り直すようにぱん、と手を叩いた。
「じゃ、私、管理所に行ってくるから!」
荷物を持ち上げて中身を確認すると、美月はジャジーを指差す。
「ジャジーは剪定よろしく!」
「また雑用かよ!」
続いて、指先を鳳へと滑らせる。
「鳳は畝を立てといて!」
「畝とはなんでござろうか」
「納屋の入り口にあるノート見て!高畝の方で作ってね!じゃあよろしく!」
勢いのまま踵を返しかけた、その時。
「美月」
「美月殿」
二人が美月を呼び止める。
「ん?」
美月が振り返ると、ジャジーと鳳が、妙に悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
そして、声を揃える。
「「行ってらっしゃい」」
普段なら、ジャジーは『行ってこい』、鳳なら『行ってくるでござる』と言うだろう。
それを、わざわざ『行ってらっしゃい』にした。
「〜〜〜っ......!」
意味を理解した瞬間、美月の顔が耳まで真っ赤になった。
「行ってきますよバカァァァ!!」
叫びながら駆けていく小さな背中を見送り、ジャジーと鳳は顔を見合わせる。
「......効いたな」
「まことに愛い」
「お前、ほんと遠慮なくなったよな」
「我慢大会はせぬゆえ」
昼下がりの庭に、美月の絶叫と二人の笑い声が、しばらく楽しげに残っていた。
第6章 縁から宴編 - 第4話
「行ってらっしゃい」
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