幕間「苦ッKING」
美月と癒凪が一階へ降りた瞬間。
「............」
「............」
キッチンは、大惨事だった。
流し台には、完全に焦げついたフライパン。
その隣には、料理だったであろう黒い何かが置かれ、黒煙が立ち上っている。
よく見れば、その黒い塊の一部が赤く発光していた。
「火種がある料理ってなに!?」
その直後だった。
ぼんっ!
「ンワァウ!?」
美月の肩がびくっと跳ねる。
鍋の中から、何かが勢いよく宙を駆けた。
べちっ。
床へ落下したのは、どう見ても卵らしきもの。
「............」
「............」
ぽひゅんっ!
ぼんっ!
しゅーっ!
べちっ。
べちべちっ。
「カオス!!」
同じ鍋から、卵が連続して飛んでくる。
どうやら水を張らず、熱だけを加えたらしい。
「うおっ!?」
ジャジーが飛来する卵を避ける。
「蓋を閉めるでござる!」
鳳が叫ぶ。
「熱ぃ!!水!!」
東が右往左往する。
「地獄か」
癒凪だけが、ひどく冷静だった。
ようやく卵ミサイルの飛来が終わり、美月は恐る恐る反対側へ視線を移した。
そこには、卓いっぱいに並べられた、“何か”。
煮物らしきものは、なぜか野菜がやたら細かい。 調味料を入れすぎたのか、全体的に煮付けのような濃い色に染まっている。
副菜は、ひじきのような黒く細いものの集合体。
そして、全面を海苔で覆われた、巨大なおにぎりらしきもの。
問題なのは、全体的に焦げ茶から黒だということだった。
部屋には焦げた匂いが充満している。
流し台にある失敗作の匂いなのか、今並んでいる料理達が焦げているのか、もう分からない。
唯一の救いは、汁物だけはちゃんと汁物だった。
美月は思い出した。
彼らには、野菜を切らせたことはある。
米を炊く当番も、汁物を任せたことも。
だが。
肝心の料理そのものは、いつも美月が作っていた。
「......誰が、どれ作ったの......」
美月が真顔で尋ねる。
すると。
「とりあえず、どれがいちばんひでぇか決めてくれ......」
ジャジーも真顔だった。
美月の目が見開かれる。
「なにそのデスゲーム!」
東が腕を組んだ。
「誰がどれ作ったか言ったら、美月は絶対フォロー入れるからな。純粋にどれがいちばん不味ぃのか教えてくれ」
「クッキングで苦ッKINGを決めろってこと!?」
美月が頭を抱える。
鳳は、今から切腹でも命じられるかのような表情で、静かに頭を下げた。
「評価は全て受け入れ、改善も約束するでござる。屈託なく申されよ」
「なんで料理審査に命懸けの覚悟してるの!?」
その横で。
「......私は茶でいい」
癒凪が、すっと離脱しようとした。
しかし。
「癒凪ぃ......見捨てないでよぉ......」
美月が癒凪の袖を、きゅっとつまんだ。
「............」
癒凪の中で何かが一瞬揺れた。
そして。
癒凪の内なる天秤は、勢いよく美月側へ沈んだ。
「......わかった」
そうして、福゜福゜四天王うち三名による。
クッキングによる、苦ッKING王決定戦が始まった。
一品目、煮物らしきもの。
見た目だけなら、ミックスベジタブルの煮付け。
なぜか、野菜は異様に細かい。
だが、料理は見た目ではない。
美月は箸で一口取り、そっと口へ運んだ。
三人が、無言で見守る。
「......食べれなくは、ない......」
眉を寄せたまま、美月はそう告げた。
その横で、癒凪も一口。
そして。
「濃い。一部硬い。一部溶けるほど柔い。どうしたらここまで食感に差が出る。調味料は何をどの配分で使えば、こんな産業廃棄物のようになる」
「辛辣!」
ジャジーが叫ぶ。
「遠慮が一切ないでござるな......」
鳳の顔が引きつる。
東は逆に感心したように頷いた。
「逆に気持ちがいいわ」
「変な扉開けないで!」
美月はもう一口食べる。
「これ、多分弱火で長く煮込んだんじゃなくて、強火で短時間で作った感じだね」
次に汁を少し飲む。
「うん。だから野菜は芯が硬いままなのに、汁だけ煮詰まってる」
美月が真面目に分析している前で。
「弱火十分なら、強火二分とかでやりゃ効率いいだろ」
ジャジーが言った。
いる。
確かにこういう思考の人はいる。
「単純に考えれば、そうであるな」
まさかの鳳まで頷いた。
「何が問題だ?」
東に至っては本気で分かっていない。
「基礎が問題だよ!」
美月は箸を置いた。
「はい、じゃあ次お願いします!」
二品目、ひじきらしきもの。
ただし、この隠世に人間界と同じひじきがあるのかは分からない。
これには、人参も大豆も入っておらず、ただただ黒い。
美月は遠い目になる。
「見た目はすごくダークマター......」
意を決し。
「い、いただきます」
口へ運んだ。
「ン゜ッ!?」
美月は思わず口元を押さえた。
口の中へ広がる鮮烈な海の香り。
ぷちぷちと弾ける食感。
絶妙な塩気。
そこへ、少し酸味のあるタレが絡む。
美月の目が、一気に輝いた。
「美味しいぃぃぃ......!」
癒凪も食べる。
「......なんだ、これは」
先ほどまでの罵倒が消えた。
もう一口。
「......やや塩気が強い。だが、悪くない」
それは、ひじきではなかった。
「ぷちぷち......!見た目が暴力的にひじきなのに、海ぶどうみたい......!」
美月の箸が止まらない。
そして。
「あ、答え合わせはあとだもんね!」
名残惜しそうに一口だけ追加し、箸を置く。
すると。
「......もう、終わりで良くない?」
唐突に目が遠くなる。
せっかく味覚が幸せになったのだ。
もう、この記憶のまま終わりたい。
だが。
「良くない」
ジャジー、即答。
「まだ一品あるでござる」
鳳も逃がさない。
「こっちの方が美味ぇかもしれねぇだろ」
東まで希望を持っている。
癒凪が静かに言った。
「逆も然りだろう」
「当たり前だ」
「当たり前にしないでよ!」
そして、三品目。
おにぎりらしきもの。
やたら大きい。
しかも全面を海苔で覆われている。
美月は一つ掴み、持ち上げ―――
「ん?」
―――られない。
両手で持つ。
「え......砲丸......?」
明らかに、おにぎりの重量ではない。
「これ、ほんとに食べていいやつ?」
「米と海苔だぞ。良いに決まってんだろ」
東は自信満々だ。
ジャジーが美月と巨大おにぎりを見比べる。
「まぁ確かに美月が持つと、なんかやべぇ古代の呪物に見えんな」
「呪物にするでない」
鳳が眉を寄せる。
そして、美月は慎重に齧りついた。
もぎゅっ。
おにぎりから鳴ってはいけない音が鳴った。
癒凪が見る。
「どうした」
もぎゅっ。
もぐもぐ。
もぎゅっ。
もぐもぐ。
「............」
美月がゆっくり癒凪を見る。
「......癒凪、あげる」
「食いかけの呪物を渡すな」
「“食いかけの呪物”って日常の単語に出んだな」
東が妙な感心をする。
「通常であれば一生出ぬ」
鳳も即答した。
「お腹いっぱいなんだよぉ......」
美月は半べそだった。
「絶対今の三口で、お茶碗一杯半くらいの米あったよ!?」
特級呪物と化した砲丸団子を癒凪へ差し出す。
「............」
なぜか。
癒凪は受け取ってしまった。
「ほら、食べてみて」
「急かすな」
「癒凪の感想聞きたい〜」
ジャジーが二人を横目で見る。
「なんでそこだけ甘ぇ空気出てんだよ」
それもそうだった。
美月の食べかけなど、癒凪にとっては間接キス。
だが。
意を決して。
もぎゅっ。
「............」
「やっぱりおにぎりから鳴らない音鳴ったね」
美月が真顔で言う。
「癒凪殿。味はどうでござるか」
鳳が尋ねる。
しかし、癒凪は。
「......わからない」
「なんでだよ!」
ジャジーの声が飛んだ。
さすが呪物。
味覚まで麻痺させたのかもしれない。
もっとも、本当に味覚を麻痺させている原因が、圧縮米の呪いではなく。
恋という厄介なものによって、美月フィルターがかかっているせいだとは。
まだ癒凪自身も、完全には理解していなかった。
そして。
食べても食べても、具は出なかった。
「......無駄な胃袋を使った」
癒凪が低く呟く。
ジャジーが首を傾げる。
「にぎり飯って、握りゃ良い話じゃねぇのか?」
「そこは間違いではないから何も言えないけど......」
美月が遠い目をする。
「もうあれ、“おにぎり”っていうか、“鬼握り《おににぎり》”だよね......」
「下手すりゃ鬼も泣くくれぇの力で握られてんだろ」
ジャジーが半目で告げた。
そして。
とうとう結果発表となった。
「美味しくなかったのが一位ってことは、最下位から発表していけばいいんだよね?」
「そうだな」
「じゃあ結果発表いきます!」
三人が、裁判を待つ被告のように美月を見た。
「じゃあ第三位!」
全員、固唾を飲む。
「......二品目の副菜!」
その瞬間。
鳳が立ち上がった。
「かたじけない」
「え!?あれ鳳だったの!?」
美月の顔が一気に明るくなる。
「うむ。味付けが濃くなってしまったゆえ、口に合うか案じておった。だが、美味であったなら良かったでござる」
癒凪が尋ねる。
「あれはなんだったんだ」
「あれは川に住む、黒曜魚の卵でござる」
「どうりでぷちぷちしてたわけだぁ......」
「産み落とされた卵は水草のような見た目となり、他の魚から見つかりにくくなるのでござる。空気に触れると黒く変色するが、質に問題はござらぬ」
「美味しかった!ありがとう!」
美月はそのまま鳳へ抱きついた。
「......うむ。また調達するでござる」
鳳も、ぎゅっと抱き返す。
「こいつだけなんか褒美もらってんな」
ジャジーが半目になる。
東も頷いた。
「確かに濃かったが、美味かったもんな。アレ」
そして残るは、ミックスベジタブル煮と特級呪物砲丸団子。
「では第二位を発表します!」
「来い!」
ジャジーが拳を握る。
「頼む!」
東も祈る。
美月は目を閉じ、そして。
「......一品目の煮物らしきやつ!」
「っしゃあ!」
ジャジーが拳を突き上げた。
「ぐっ......俺が苦ッKINGかよ......」
東が露骨に項垂れる。
「いや正直、大差ないからね!?」
美月が慌てて補足した。
癒凪がジャジーを見る。
「なぜ野菜があそこまで細かい」
「大根の煮物失敗して時間なくなって、風刃使ったらああなった」
「じゃあ、あの火種ジャジーの失敗作だったの!?」
流し台で現在もぷすぷすと黒煙を上げている暗黒物質の正体は、大根の煮物だったものらしい。
そして。
「なんで俺のが苦ッKINGなんだよ......」
東がさらに沈んでいる。
「硬い。重い。中身がない。粒もない。焼く前の餅に海苔を巻いたような、料理とは言えない仕上がり。食い進めても具が出ない徒労感。米の良さをことごとく握り潰している」
癒凪の追撃が振り注ぐ。
「でも握ってんだから合ってんだろ!」
またもや一部合っていれば百点の東理論。
ジャジーが真顔になる。
「米が圧死してんじゃねぇか」
鳳も静かに続ける。
「米に謝れ」
「そこまでかよ!」
その時だった。
美月がゆっくり立ち上がる。
「苦ッKINGになった東には、禊を課します」
少しだけ圧を出した声。
東の背筋が伸びた。
「急に審査員特別ルール来たぞ」
ジャジーが眉を上げる。
鳳は重々しく頷いた。
「東、甘んじて受けよ」
「お、おう......」
いつも大きな背中が、妙に小さく見える。
美月は一度目を閉じ、そして。
カッと開いた。
「東の禊は......」
全員が息を呑む。
「私の料理講習一日受講を命じます!」
「............」
「............」
「............」
「............」
沈黙。
美月の目が丸くなった。
「え、なんで皆黙るの」
そして。
「......禊?」
東がぽつりと言う。
「うん。禊」
「それ、褒美じゃなくてか?」
「なんでご褒美!?」
今の関係を考えれば、恋人と二人で台所に立ち、教えてもらいながら一緒に料理する。
東にとっては完全にイチャイチャイベントだった。
すると。
ガタッ。
ジャジーが立ち上がる。
「大差ねぇなら、俺も禊受けるわ」
妙に凛々しい顔だった。
「拙者も、技術を磨くための禊であるならば、受講しとうござる」
鳳まで当然のように頷く。
「禊ってこんな任意参加するものだっけ?」
美月の疑問はもっともだった。
その後ろで。
「......私も受ける」
癒凪が静かに立ち上がった。
「もはや選手ですらない!」
「お前から渡された呪物の効果で、正しい評価が出来なかった。禊というなら、私も参加する理由はある」
「俺の握り飯のせいにすんな!」
「もうなんでもありじゃん!」
美月が頭を抱える。
だが、誰も嫌そうな顔はしていなかった。
こうして。
その日は最後まで、とても賑やかな一日になった。
癒凪は、まだ想いを告げていない。
けれど。
自分の中に芽生えたものを知った。
美月の側にいたいと思った。
理由がなくても、同じ時間を過ごしていいと知った。
そして今。
恋人達と同じ輪の中へ、何の役目も資格もなく。
ただ自分がそうしたいという理由だけで、自然に入ることができた。
「じゃあみんな任意参加の禊!意味わかんないけどこれで誰も文句ないね!」
美月が両手を腰へ当てる。
「おう」
「うむ」
「おう!」
三人の声が重なる横で。
「あぁ」
癒凪が頷く。
その返事は、以前より少しだけ柔らかかった。
癒凪は、美月達の輪の中で。
穏やかに。
本当に穏やかに、微笑んだのだった。
幕間「苦ッKING」
→第9章 風聞交錯編 - 第1話
「尾ひれは泳ぐ」へ