第9章 風聞交錯編 - 第1話 「尾ひれは泳ぐ」
数日後。
美月の福゜福゜農園の評判は、あっという間に広がっていた。
「............」
「............」
「............」
「............」
「............」
朝のリビングには、妙な沈黙が落ちていた。
本来なら、喜ぶべきこと。
初開店の日は想像を遥かに超える盛況で、用意していた野菜はほぼ完売した。
管理所の広報にも取り上げられることが決まり、蔓実からも高い評価を受けた。
それなのに、なぜ全員がここまで静かなのか。
東がリビングの一角を覗き込んだ。
「美月が見えねぇ」
正確には、いる。
いつもの椅子へ座っているはずなのだが、膝から上がほとんど見えない。
朝起きた時にはすでに無数の妖力文が、美月の周囲を飛び交っていた。
半透明の文が幾重にも重なり、ふわふわと浮かびながら美月の身体を取り囲んでいる。
一枚返信すれば、また一枚。
二枚返せば、その間に三枚。
とうとう妖力文は美月の膝まで覆い隠していた。
「返事を返しても返しても新しい妖力文が来るよぉ......」
文の隙間から情けない声だけが聞こえる。
鳳がその様子を眺め、顎へ手を当てた。
「妖力文の繭になっておる......」
「繭なら羽化すんだろ。でも一向に出られそうな気配ねぇぞ」
「棺桶だな」
「これずっとこのまま!?」
癒凪のあまりにも淡々とした一言に、美月の声が一段高くなった。
「なんか一箇所に纏める方法ないの!?このままじゃ私、妖力文に埋葬される!」 「落ち着かれよ」
鳳が静かに前へ出た。
「美月殿。妖力の網を作る要領で、文すべてを包み、手元へ引き寄せるのでござる」
「こ、こう?」
美月は鳳に言われた通り、両手を広げた。
ひとつひとつを掴むのではなく、飛び交う文全体を大きな網で包むように意識する。
淡い白色の妖力がふわりと広がった。
次の瞬間。
ばさばさばさっ!
「わっ!」
散らばっていた妖力文が一斉に動き、美月の前へまとまった。
「できた!」
「うむ。次に、内容ごとに分けるのでござる。例で言えば、“再販売はいつか”、“遠方への配送を頼めるか”など、区分を作るような形でござるな」
「脳内でキーワード検索みたいにやればいいってことなんだ......」
美月は目を閉じ、妖力文へ意識を集中させた。
再販売、要望、定休日、その他。
頭の中で内容を分けると、文の束がするすると動き、それぞれ小さな塊へ分かれていく。
「おぉ......!」
目を開けた美月が感動したように声を上げた。
一番多かったのは、当然ながら農園についての問い合わせだった。
『とっても美味しくて、また購入したいです。再販売はいつですか?』
『今後販売予定の野菜はありますか? ぜひ南瓜や甘藷をお願いしたいのですが』
『ポイントや、固定客としての割引はありますか?』
『定休日はいつですか?』
美月の目が一気に輝く。
「わぁぁ......!嬉しい言葉ばっかり......!」
あまりにも嬉しそうな顔に、ジャジー達の表情までもが少しだけ緩む。
今朝は客からの文に混じり、管理所からの妖力文も届いていた。
そこには、あの開店初日、トマト以外の野菜も購入した蔓実が、福゜福゜農園の全品目へ最高評価を付けたことが記されている。
美月はその部分を指差した。
「“SSS+”だって!」
「すげぇじゃねぇか!」
「レア度高そう」
「笑ってられんのも今のうちな気がしてきた」
ジャジーが嫌な予感でも覚えたように半目になる。
そもそもSSS評価そのものは、福゜福゜農園だけが持つ特権ではない。
美月の周囲の生産者にも、SSS評価を受けた農作物は存在する。
ただし、その評価は農園単位ではなく、品目ごとにつく。
一つの農園が大根でSSSを取ったからといって、人参や茄子、玉ねぎまで同じ評価になるわけではない。
つまり。
全品目SSSというのは、それだけでもかなり異常だった。
美月は首を傾げる。
「でも、“+”ってなんだろ?」
続きを読み進める。
そこへ記されていたのは、品質や味とは別の項目だった。
“摂取後、明確に基礎能力の向上が見られたか”。
「......ん?」
ジャジーの視線が、妖力文から美月へ移った。
「お前、またなんか願いながらやっただろ」
「え」
「何か願われたのでござるか」
鳳も首を傾げる。
美月はそろそろと顔を逸らし、両手の指先を胸元で、つん、つん、と合わせた。
「......みんながお腹も元気も、ぷくぷくになるようにって......」
「基礎能力までぷくぷくになるたぁ誰も思わねぇよ......」
ジャジーが額へ手を当てた。
報告書には、品目ごとの結果まで細かく記載されている。
じゃがいもは基礎体力向上。
人参は視力向上。
玉ねぎは疲労回復。
大根は持久力向上。
茄子は肌艶向上。
ネギは妖魔力循環促進。
そして。
トマト、魅力向上。
「魅力向上ってなに!?」
美月が妖力文へ前のめりになった。
報告書は無慈悲にも続く。
トマトを摂取した者に、一時的なフェロモン増強、および僅かな外見の若年化が確認された。
その日、森の一角が一夜にして異性の妖魔が集まる逢瀬の場となったものの、重大な争いや、その場で成立した関係性の崩壊は確認されていない。
今後の妖少化に終止符を打つ第一歩になる可能性もある。
「私のトマトが禁断の果実みたいになってる!」
美月は涙目で四人を振り返った。
ジャジーが肩を竦める。
「お前の“ぷくぷく”って、フェロモンと精力まで視野に入れてんだな」
「入れてないよ!」
「なら、“みんな”とは世界的規模であろうか」
「そんな壮大な目標立ててないって!」
美月は慌てて次の妖力文へ逃げた。
『福゜福゜農園さんのトマトを食べると、必ず恋人ができるというジンクスがあるので、再販したら報告お願いします!』
「待って!」
美月の目がぎょっと開かれる。
「“必ず恋人ができる”なんて誰が言ったの!?」
「噂盛られてんな」
「数日で尾ひれって付く!?」
恐る恐る次を開く。
『生贄を捧げないと売っていただけないという話を聞いたのですが、生贄は小型魔獣でもよろしいのでしょうか?』
「............」
美月の目が遠くなる。
ゆっくり、ジャジーへ顔を向けた。
「......これ言われてるの、ジャジーでしょ」
「誰が魔王だ!」
ジャジーは反射的に妖力文をぺしっと叩き落とした。
次。
『そちらには病を癒せる神様がいらっしゃるとのことなので、持病の腰痛を治していただきたいのですが』
美月は半目のまま癒凪を見る。
「癒凪、言ってた副業外科内科の出番だよ」
「腰痛は整形外科ではないのか」
「じゃあ副業整形外科で」
「やるとは言っていない」
癒凪は真顔で妖力文を閉じた。
その後ろにあった文を、美月が開く。
『イケメンな海の方がスマイルを無料でくれるというのは本当ですか?』
「マクド◯ルドみたいになってる!」
美月が頭を抱えた。
東だけは、別の場所へ食いつく。
「俺、イケメンか?」
「うん。イケメン。治安は悪いけど」
「イケメン!」
東の顔が一気に明るくなる。
鳳が静かに息を吐く。
「また後半が削がれておる」
「次は前後入れ替えろ」
「同じことだろう」
ジャジーと癒凪の声が重なる。
そして、最後に開いた妖力文。
『並ぶことに飽きた子供達へ、畑の方から水の妖力で遊んでくださった濡れ女さん、ありがとうございました』
「ぶっ......!」
美月が吹き出した。
ジャジーが鳳を見る。
「性別も種族も変わってんじゃねぇか」
「まぁお前、髪長ぇしな」
「濡れ女ではござらぬ」
鳳の声には、珍しく深い疲労が滲んでいた。
こうして。
美月の妖力文への返信作業は、ほとんど丸一日を費やした。
再販について。
営業日について。
新しい野菜について。
私生活について。
事実と違う噂への訂正。
そこには、たった数日の間に尾ひれのついた話が、いくつも混ざっていた。
トマトを食べれば必ず恋人ができる。
魔王へ生贄を渡せば野菜が買える。
神様が病を治してくれる。
海の男が無料で笑顔を配る。
濡れ女が水遊びをしてくれる。
どれも、事実とは違っている。
けれど。
今のところは、笑って訂正できるものばかりだった。
誰かを傷つけるわけでもない。
美月達を陥れる意図もない。
広がる過程で、少しずつ形を変えただけの話。
美月は最後の妖力文へ返信を飛ばし、ようやく力を抜いた。
「終わったぁぁ......」
朝から付き合っていた四人も、同じように息を吐く。
「次から問い合わせ窓口作れ」
「妖力文の受付時間を決めるのも良いかもしれぬ」
「俺が変なの全部消してやるぞ」
「お前は客まで消しそうだからやめろ」
いつものような声が、リビングへ広がっていく。
美月は疲れ切った顔のまま、それでも満足そうに笑った。
自分の育てた野菜が、誰かの口へ届いた。
美味しかったと言ってもらえた。
また欲しいと願ってもらえた。
なら。
この忙しさも悪くないと、そう思っていた。
まだその頃。
隠世のどこかでは、誰かが口にした言葉が、また違う誰かへ渡り。
少しずつ形を変えながら、ひとつの事実へひとつの思い込みを絡め。
ひとつの記憶へ存在しなかった隙間を埋めるように、静かに広がり始めていた。
笑って訂正できる噂ばかりではない。
事実と異なる言葉が誰かを導き。
そして、誰かを惑わせる。
隠世そのものを混沌へ巻き込もうとする空気が、足音すら立てず。
美月達の知らない場所から、少しずつ迫っていた。
第9章 風聞交錯編 - 第1話
「尾ひれは泳ぐ」
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