第5章 深まる関係編 - 最終話 前編「縁の気配」へ
「今日はありがとうございました!」
美月が種族支援課の窓口前で勢いよく頭を下げると、縁は頬へ片手を当てた。
「美月ちゃん、あれだけ荒れてたのに元気ねぇ〜」
「帰ったら魚があるんです!今日はご馳走なんです!」
「......今度、ランチでも奢るわぁ......」
「ひもじい生活してたとかじゃないですからね!?」
妙に憐れむような視線を向けられ、美月は慌てて両手を振る。
隣では百之鬼が、くすりと笑っていた。
「では、また。きっと近々来られますよね」
「はい!多分明日とかに来ます!」
「行政に週三とかで来てる子、なかなかいないわぁ」
「バイトのようですね」
「働きません!」
美月が即座に否定する。
「部署はどこになるかしらぁ?」
「美月さんは以前、保育士資格を持っているとのお話がありましたから、幼怪課でしょうね」
「守命流さんが上司ならぁ、美月ちゃん週三でしょっぴかれてそうねぇ〜」
「何その週三の呪い!」
結局、今日も最後まで管理所らしい会話になった。
美月が受付を通ると、写仝がこちらへ顔を向けた。
「美月さん、お帰りですか?」
「あっ、写仝さん!今日は念願のお魚が食べられるんですぐ帰ります!」
「......今度、何かお送りしましょうか」
「んひぃ皆私に同情の眼差しを送ってくるぅ⋯」
美月は胸元へ両手を寄せる。
「違います!今日、熱烈な求愛してきた爬虫類系男性人魚に貰ったから、早く食べたいだけです!」
「......求愛?」
「はい」
ザザッ。
「なんで今ザザしたんですか」
「そんな言葉はありません」
「論点すり替えないでください」
「なんでもありません」
美月は納得しないまま、ふと思い出したように自分の首筋を指差した。
「っていうか痛かったんですよ!?ほら!」
髪を退け、東につけられた甘噛み痕を見せる。
ザザザッ!ブゥンッ!ザザッ!
「ヴァァァァ唐突な通信障害!」
「......すみません。来徒が急に素肌を晒したので、災異治安対応課を呼ぶべきか迷いまして」
「被害報告のつもりなのに救済じゃなくて前科持ちになりかけた!」
そんな会話をしながら、美月はようやく管理所の扉へ辿り着く。
「じゃあ愛しい魚が待ってるので!失礼します!」
ぱっと手を振り、その姿が扉の向こうへ消えた。
少し離れた場所から見ていた縁が、にんまりと笑う。
「うふふ。“愛しい魚”とか言っちゃってぇ〜。素直じゃないんだからぁ」
「本当ですね。“愛しい”他の存在がご自宅にいらっしゃるのに、魚へ逃げましたね」
「......」
ザザッ。
「こらこら、怖い顔しないわよぉ」
「顔はありません」
「あるじゃなぁい。概念顔が」
「ふふっ。私にも見えますよ」
「......定時なので失礼します」
写仝は淡々と言い残し、二人へ背を向ける。
縁と百之鬼は、満面の笑みでその背中を見送っていた。
管理所を出ても、夕日はまだしっかりと空に残っていた。
「これなら明るいうちに帰れそう」
美月は軽い足取りで歩く。
魚。
それも大量。
帰ればジャジーと鳳が待っている。
最高の気分。
「......でも、なんか忘れてる気がするんだよなぁ〜......」
足を緩め、首を傾げる。
管理所には行った。
赤の伝承も聞いた。
東の求愛についても、なぜか報告した。
「......ま、いっか!」
考えても出てこないものは仕方がない。
再び歩き出して、しばらくすると。
「......あ!」
道の端に、一人の男が座っていた。
灰色の着物に、ぼさぼさの白銀髪。
右側だけ長く伸びたもみあげ。
そして、足元には。
「また切れてる!」
以前、美月が縫い合わせた草履の鼻緒が、綺麗に切れていた。
「この前名前聞きそびれた人!」
「......お前は......」
男が顔を上げる。
「あ!私も名前教えてないじゃん!」
美月は当然のように、その隣へ腰を下ろす。
「私、美月って言います」
「......以前、私に近寄るなと言ったはずだが」
「なんのことでしょうか」
「お前は話を聞いていないのか」
「“聞”いてますよ。“効”いてないだけで」
男は黙った。
「あなた、名前は?」
「............」
「あれ?全員に名前があるとは限らないんだっけ?族名を聞くべきだった......?」
「......名は、ない」
「ないのかぁ⋯⋯じゃあ、種族名は?」
また沈黙。
妙に考えるような間だった。
自分の名や種族名など、よほど伝えづらいものでなければ、ここまで考えずとも出るはずだが。
美月は少し首を傾げる。
「⋯⋯あ。もしかして、言いづらい種族だったりします?」
「......まぁ、そうだな」
「大丈夫ですよ。ある程度の耐性はあります」
ふんす、と鼻を鳴らす。
「仮に垢嘗とか天井なめだったとしても引きません」
「なぜ舐る妖怪に限定した」
男は眉間に皺を寄せる。
「ごめんなさい特殊性癖みたいなのを生まれながらに持ってたら言いづらいよなぁとか考えた結果、出てきたのが垢嘗と天井なめだったんです」
「⋯⋯そんな癖はない」
男は再び黙ると、短いため息を吐く。
そして、ゆっくりと美月へ顔を向けた。
「......疫病神だ」
「勝った」
即答だった。
「⋯⋯」
男の顔が怪訝そうに歪む。
「一体、何に勝った」
「自分の強靭な免疫です」
「......確かに以前も、お前は体調に変化がなかったな」
「もしかして、これも座敷わらしパワー?」
「......お前は、座敷わらしなのか」
「そうみたいです。ニュータイプの」
「にゅーたいぷ......」
男の目がわずかに細まる。
美月は立ち上がった。
「あいにく今日、裁縫セット持ってないんです。家がすぐそこなんで、寄っていきません?」
「そんなことをすれば、家にいる者まで......」 「大丈夫」
確かな根拠があるわけではない。
だが以前も、自分にも、ジャジーにも、鳳にも何も起こらなかった。
「じゃ、行きましょうか」
美月は手を差し出す。
「......」
男の視線が美月の手に集まるが、その手は動かない。
美月は困ったように笑う。
「ほら、レディーを待たせるものじゃないですよ?」
「......まだ、返事を返していないのだが」
「人間の時、無言は肯定って誰かから学びました」
「それがなんだ」
「さっき無言を挟んだ時点で答えはYESです」
「......横暴だな」
美月は微笑む。
「困ってる人を助ける時は、それで良いんですよ」
美月は想いを馳せるように、空を見上げた。
「困ってる人って、みんな『私なんかが......』みたいな顔してる人が多いんですもん」
「......」
「だから横暴で良かったことが、経験的に多かった気がします」
「⋯⋯そうか」
「まぁ、当社比ですけど」
しばしの沈黙。
やがて男は、小さく息を吐いた。
「......なら⋯⋯」
ゆっくりと、美月の手を取る。
「⋯⋯少しばかり、世話になろう」
「んふふ。はい!」
二人は並んで歩き始める。
その途中。
「やっぱり私、何か忘れてるんだよなぁ......」
美月は再び首を傾げた。
その頃。
魚を捌き終えたジャジーと鳳が、迎えを求める妖力文を今か今かと待っていることなど。
美月の頭からは、綺麗さっぱり抜け落ちていた。
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