3話 味のない煙草
今日も今日とて人を轢き殺す。相変わらず死にかけの客や物言わぬ客を直視するのは怖ぇが、慣れればそう悪くもない職場だ。
遺体の処理は専門の清掃業者がやるし、遺族への報告や事後処理もそれ専門の部署がある。人が足りないから滅多に有休は取れないが、給料はほどほどにもらえ、一日のノルマさえこなしてしまえば後は何をしても自由。公務員なので余程のことがない限りクビにもならない。
人を殺す仕事なんて......と数少ない良識人とはなかなか良好な関係は築けないものの、親に捨てられてまともな人生を送れなかった俺には過ぎた待遇だ。
「さて、一服するか」
愛車のハニーちゃんを綺麗に洗車した後、喫煙所で煙草を燻らすのが俺の日課だ。
禁煙が推奨されて久しいが、役場の裏手にあるおかげで咎めるものは誰もいない。いるのは山梨ちゃんがこっそり餌付けしている野良猫ぐらいだ。
じじ、と微かに赤く光る先端から立ち上る煙は火葬場の煙とよく似ている。それを眺めながら、ぼんやりと呟く。
「......人間、配られたカードで勝負するしかねえんだよな」
ただ、勝負ができるのは予めカードを手にしている人間だけで、世の中にはカードがあることすら知らずに一方的に殴られるやつも、どう欲しても手に入れられずに歪んだカードを自作するやつもいる。
今日の客もそうだった。子供の頃から馬鹿がつくほど真面目で、出会う人間全てに利用され続けて絶望し、異世界なら望むカードを手に入れられると信じて旅立っていった。
最近、特にこういう手合いが多い。この調子で送り続けていたら、いずれ誰もいなくなるんじゃないかと思う時もある。......だが、まあ、きっと大丈夫だろう。
電子煙草が広まっても紙巻き煙草が残り続けたように、この世界で生き続ける人間もいるはずだ。
たとえ、俺みたいに人殺しに手を染め、染みついた死臭で鼻が麻痺していても。
飯も、煙草も、味がしなくなったのはいつ頃だろう。この仕事を始めた頃はまだ美味しいと感じていたはずだ。今では何を食べても全く心が動かない。まるでロボットかアンドロイドになったみたいに。
「そろそろ戻るか......。山梨ちゃんに飲み物でも買っていってやろう」
短くなった煙草をすり潰し、自販機でいちごオレを買って役場に戻る。その途端、耳をつんざく叫び声が閑散としたホールに響き渡った。
「あんたじゃ話にならないわ! 責任者を呼びなさいよ!」
異世界移民推進課の窓口で山梨ちゃんに掴みかかっているのは、ケバケバしい服を着た中年女性だった。その脇には涙で頬を濡らした若い女性もいる。
一瞬でクレームだとピンときた。異世界に行くのに家族の承諾はいらない。だから、本人が異世界に旅立った後に遺族が知ることも往々にしてある。
そのために専門部署の人間が懇切丁寧に報告しに行くのだが、中にはそれに納得できずに役場に乗り込んでくる遺族もいる。今回もそのパターンのようだった。
警備員はまだ来ていない。課長は相変わらずサボりで不在。本来ならただの下っ端の俺が出しゃばるのは悪手だが、困っている山梨ちゃんを放っておくわけにもいかない。腹を括って、中年女性を引き剥がす。
「責任者は外出しています。彼女は新人ですので、私がお話をお聞きします」
時代が何度移り変わっても、ある程度年齢のいった男には大人しく従う人間は多い。山梨ちゃんにはあれだけ叫んでいた中年女性も、俺の姿を見るなり静かになった。
そのまま別室に連れて行こうとしたところで、そばにいた若い女性が何かに気づいた様子で立ち止まる。どうしたんだろう。さっきよりも顔が青いような......。
「ちょっと待って......。あなた、運転手じゃないの?」
わなわなと唇を震わせる女性の目線の先を追う。ダサいブルーの作業着の袖に飛び散る黒ずんだ血痕。しまった。ハニーちゃんを綺麗にすることに頭がいっぱいで、自分の汚れを落とし忘れていた。
「何が異世界よ! あんたのやってることはただの人殺しじゃないの! 返してよ! 優也を返して!」
金切り声を上げる女性に胸ぐらを掴まれる。それに触発されたのか、中年女性も再び喚き出して現場は騒然となった。俺の背後には震える山梨ちゃん。周囲には逃げ出す市民の皆様。とても収拾がつけられない。
揺さぶられた弾みで、脇に抱えていたいちごオレのパックが床に落ちる。ぐしゃり、とトマトが潰れたような音がして、ピンク色の液体が無情に床に広がっていく。
それからはもう大変だった。警備員に取り押さえられた女性たちは警察に引き渡され、俺はこういう時ばかり上司面する課長から事情聴取を受けることになった。
とはいっても、何かお咎めを食らったわけじゃない。ああいうトラブルはこの仕事にはよくあることだし、役場としても貴重な運転手に辞められるのは困るから、立場も弁えずに中年女性に触れてしまった件を軽く注意されただけだ。
形ばかりの謝罪をして会議室を出る。入り口を閉めた後の役場は薄暗い。唯一明かりがついた異世界移民推進課の窓口には、事務服を着たままの山梨ちゃんがぽつんと座っていた。今日の騒動の報告書を書いていたんだろう。
「轟さん、お疲れ様です」
俺に気づいた山梨ちゃんが、いつも通りの優しい口調で労ってくれる。でも、その表情は暗い。それもそうだよな。新人の山梨ちゃんには強烈な体験だっただろうし。
「今日は庇ってくださってありがとうございました。私、固まっちゃって何もできなくて......」
「初めてなんだから仕方ねえよ。俺こそ、もっと上手くやれたらよかったんだけどな。もう落ち着いた?」
山梨ちゃんがこっくりと頷く。
「轟さんこそ大丈夫ですか? 随分長く課長と話していましたけど......」
「大丈夫大丈夫。別に怒られたわけでもねえし。あんなのよくあることだから」
笑いながら、山梨ちゃんが仕上げた報告書を見る。
案の定、あの女性たちは異世界へ旅立った客の遺族だった。中年女性は母親、若い女性は恋人だったそうだ。よくあるのは妊娠した恋人から逃げるために異世界行きを選ぶ場合だが、そうじゃないようで少しだけ安心した。
「......どうして、あれだけ想ってくれる家族や恋人に何も言わずに旅立っちゃったんでしょう。何か事情があったのかもしれないけど、せめて事前に一言あれば......」
「? なんで相談しなきゃダメなんだよ。死ぬのに承諾が必要か? 未成年ならともかく、もう一端の大人なんだぞ。生きる権利があるなら、死ぬ権利だってあるはずだろ」
「え......?」
山梨ちゃんの眉が大きく下がる。顔も青ざめ、笑みの形を保っていた唇も震え出した。何かまずいことを言っちまっただろうか。今回は特に心当たりねえんだけどな。
「轟さんは......。轟さんは黙っていなくならないですよね......? ねえ!」
ひどく取り乱した山梨ちゃんが、報告書を持つ俺の腕に縋り付く。
当たり前だろ、といつもの俺なら言っていただろう。でも、必死な顔で何度も俺の腕を揺する山梨ちゃんの姿があの遺族たちみたいに見えて、どうしてだか答えられなかった。