最終話:神様はコンパスを使わない
翌朝、警察と消防を連れて初穂は花守へ戻った。
正確には、戻ろうとした
「この道です」
助手席から言った。
警察官がナビを見る。
「この先?」
「はい。橋があって、赤い郵便ポストが」
が......ない。
「あ......もう少しです」
分岐があった。
「ここ右です」
曲がる。
二十分程走る。
「先生?」
「先生じゃないです」
「すみません。生方さん、この先行き止まりです」
「そんなはず───。」
車を降りた。
道の先に倒木が置かれていた。
その向こうは木が生い茂っていた。
「違う......」
「何がです?」
「ここに道があったんです」
警察官は困った顔をする。
「地図だと?」
タブレット。
表示する。
花守が出ない。
「......」
昨日まで保存していた地図データ。
位置情報も写真もある。
なのに、現在のオンライン地図には花守地区という地名がない。
榧野村北部の山林と表示。
「そんな......」
航空写真を開く。
読み込み。
昨日は家があった。
だが、種馬と呼ばれた墓地も過ごしていた民宿も、その他の家々も全てがない。
ただの山と化していた。
「いつの写真ですか、それ?」
初穂は撮影年月を見る。
最新だった。
「おかしい......」
「生方さん?」
「昨日まで――」
言葉が止まる。
警察官は何も言わない。
杏果は後部座席から静かに森を見ていた。
「杏果ちゃん」
「なにー?」
「ここわかる?」
杏果はしばらく見ていた。
「......分かんない」
「分からない?」
「山は同じに見えるけど......」
「けど?」
「ただ」
杏果が指差す。森の入口。
「初穂さん」
一本の若木。
昨日までなかったように見える。
高さは初穂の腰ほど。
枝先に、一輪の白い花が咲いていた。
初穂は近づかなかった。
警察官が言う。
「珍しい花なんですか?」
「......さあ」
杏果が初穂を見る。
二人とも、それ以上何も言わなかった。
*
花守の住民四十二人は行方不明になった。
そういう扱いになった。
宗介と枝折、杏果の両親、民宿の女将、その他も全員。
だが、そもそも行政記録に奇妙な点が多かった。
住所は存在する。
住民票もある。
税記録もある。
しかし、現地には家屋がない。
過去の航空写真を遡るとある年代には村が映り、別の年代には森しか映っていない。
初穂が保存していた資料と公的記録が、少しずつ食い違っている。
調査は続いた。
だが、何も見つからなかった。
*
杏果は町の児童相談所を経て、遠縁の親族に引き取られた。
両親の失踪扱いが確定するまでには時間がかかった。
初穂は何度か会いに行った。
初めて会いに行ったたとき、杏果は髪を少し切っていた。
「どぉ?似合う?」
「うん、すっごくいい!」
「えへへ、自分で決めました」
「あの日から顔付きも変わったね、なんていうかキラキラしてる」
「えっ、そうかな?」
杏果は少し恥ずかしそうに指で髪をくるくると巻き付けていた。
*
博士論文は一度全部書き直した。
フラワー・オブ・ライフ。
季節外れの花、消えた村、予言。
それらは、論文には書かなかった。
書けなかった、という方が正しい。
代わりに、消滅集落をどこまで「死」と呼べるのか。
人間の移動によって土地の記憶はどこまで継承されるのか。
という、最初の問いへ戻った。
実季のことも書かなかった。
妹の死は研究材料ではない。
意味もつけなかった。
事故だった、悲しかった、今も寂しい。
それでいい。
*
半年後。研究室にて。
「生方さん」
同僚が呼んだ。
「これ見て」
「何?」
「都市圏の人口移動データ」
画面には航空写真。
人の移動(移住先など)、住宅開発、居住区画など、点と線で表されたデータ資料が映る。
初穂の心臓が小さく跳ねた。
「何で私に?」
「集落研究やってるでしょ。都市と比較したら面白いかなって」
「......そう、ね」
見ない方がいい。そう思った。
でも自然に椅子へ座った。
データを見る。
東京、大阪などの主要都市からその他地方都市まで。
人は移動する。毎日何百万、何千万と。家から職場、病院、学校など様々な目的を持って。
同僚が席を外したあと初穂は一人で何となく、円を描いた。
画面を閉じようとしたが気になって閉じられない。
もう一度縮小する。
人口移動の線はあまりにも多い。
何の形にも見えない。
当然だ。初穂は安心した。
そこで、ふと思った。
近すぎるのではないか。
花守も地上から見ている間は、ただの村だった。
日本列島からさらに全体が見えるように地球規模で縮小していく。大量の線が画面を覆い尽くす。
まだ、円ではない。
でも似ている様に見えた。
同じ形ではない。
初穂は画面を閉じた。
*
その日の夕方、杏果からメッセージが届いた。
〈初穂さん〉
〈何?〉
〈これ何か分かる?写真送ります〉
公園のベンチ。
足元には小さな芽。
初穂は笑った。
〈雑草じゃない?〉
〈ひどいなぁー〉
〈何の花?〉
〈分からないから聞いてるのに!〉
次の写真はもっと近い。
芽の根元、種の殻。
初穂の指が止まった。
表面には円が一つ。
周囲に、六つ。
〈これ、何の花だと思います?見た事ある様な、無いような......〉
初穂は返事を打たなかった。
窓の外を見る。
夕方の街、たくさんの人が歩いている。みんな私の知らない誰かのところへ向かっている。
交差点で出会い、重なり、そして別れる。
恋をしている人もいる。今日初めて会う人も、二度と会わない人も、家族で出かけている途中の人も。
そして風に飛ばされる種も一緒。
誰も自分がどこへ向かっているのかを、本当の意味では知らない。
人は生まれてから誰かと重なり、離れ、やがて死ぬ。
そのあとをまた別の誰かが歩いていく。
私たちは自分の人生を、一本の線だと思っている。
始まりがあって、終わりがある。
でも、もっと遠くから見ればその線は、誰かの線と重なっている。
さらに別の誰かと何度も、何度も。
初穂は杏果から届いた写真をもう一度見た。
そしてようやく返した。
〈分からない〉
少し考える。そしてもう一行。
〈咲いたら教えて〉
窓の外では人々が歩き続けている。
神様がいるのかどうかなんて、初穂には分からない。
宇宙に秩序があるのかどうかも。
自分の意思でここまで来たのかさえ、証明することはできない。
それでも今日どこへ歩くかくらいは、自分で決めたことにしていい。
初穂は鞄を持ち研究室を出た。
夕暮れの人波へ混ざる。
そして、初穂は、あの古い帳面を思い出した。
生まれる前から書かれていた名前。 まだ起きていない死、母へ届いた手紙。本当に予言だったのだろうか。
それとも、予言していたのではなく、まだ咲いていない花の形を、先に見ていただけなのかもしれない。
私たちの方が、まだそこまで辿り着いていなかっただけだとしたら───。
花はあの村で咲いていたのではない。
ずっといたるところで生まれて、重なって、実って、次へ渡されていた。
私たちは花を見ていたのではなかった。
私たちが、花だったことに───。