2.ハサミ
予約客の一番手は、死神でした。
馴染みの客で、砥ぎに出してきたのは、大きな鎌です。
「よっ、ムショ帰り!」
死神は笑ってからかいます。
「......鎌、折りますよ?」
「や、すまんすまん。なんだ、ジョークも通じないとは余裕ないねぇ?」
「すみません、死神さん」
応じたのは、弟子の女の子です。
「師匠、何度目かの思春期なんです」
「なるほどそりゃ難儀だ。万年思春期って気もするが、しかしまぁ、なんだ、思春期だと言ってもらえるうちが花だぞ?」
「自慢の銀髪を刈り取られたいかい、死神くん?」
ハトリ氏はじろりと死神を睨みつけます。
「おー、こわっ」
死神は笑いながら肩をすくめます。ハトリ氏ならやりかねませんから、これ以上からかうのはやめた方がよさそうです。
ハトリ氏はすっかりふてくされていますが、預かった大きな鎌を持つ手はとても慎重です。大きな大きな「死神の鎌」、とても古めかしい形状です。やや刃こぼれしている鎌ですが、手入れは行き届いているようでした。その点に関しては文句をつけませんでした。
ハトリ氏は大げさにため息をついてみせ、それから鎌をもって工房へ入りました。バタンッと工房のドアを激しく音をたてて閉めました。「入ってくるな」の合図でもあります。もっとも、ハトリ氏は刃物研ぎの作業中は工房に籠り、他人を入れることは一切許さないのが常なのです。赤毛の女の子も、もちろん入ったことはありません。それだけは、赤毛の女の子でも絶対に守っていました。
いつもは黒装束の死神ですが、今日は銀糸の施された灰色のフードつきのマントを羽織っています。痩身で背の高い若い男で、三日月形の鎌を持っていなければ、死神だとは気づかれないでしょう。ハトリ氏が言ったように、長い銀の髪は死神の自慢でした。
世にも有名な砥ぎ師・ハトリ氏を訪れるのは、死神や次の予約客の運命の女神といった特殊な存在だけではありません。
美容師や植木屋、大工に服飾の仕立て屋、料理人もやってきます。ハトリ氏の腕前は、刃物を扱う者ならば誰でも知っているのです。ハトリ氏の住まいさえ見つけることができたなら、なまくらになってしまった刃物を蘇られてくれるはずです。
「それにしても」
待合室に腰を据えた死神が、お茶を用意してくれた弟子の女の子に問いかけます。
「ハトリ氏は、いったいどういう経緯でムショになぞ入れられることになったのか」、と。
刑務所に放り込まれたことまでは聞いていましたが、事の仔細までは聞いていないようでした。
女の子は、笑って答えました。でも、実は笑い事ではなかったのです。
事の起こりは、一ヶ月ほど前のことでした。
いつものように、ハサミを砥いでほしいという客が、ハトリ氏を訪ねてやってきました。
暗い陰りのある若い女の人でした。そして一見の客。
ハトリ氏はちょっと不審に思いました。けれど招じ入れてしまったから、追い返すこともできませんでした。
「ハサミを研いでほしいのです」
差し出したそれは、たしかにハサミでした。女の人の手に乗るくらいの、小ぶりなハサミ。刃の部分は思いのほか太くて、ずっしりとした見た目でした。錆はなく、少し汚れて見えましたが、真新しいハサミに見えました。ハトリ氏が砥いだものではなさそうです。
女が持ってきたのは、特別なものモノを切るハサミだったのです。けれど、どう見てもその女はごく普通の「女の人」なのです。
「あなたのハサミですか?」と、一応は問いました。女は頷いて答えました。それが事実かは、ハトリ氏には分かりませんでした。ただ、その小さなハサミは不思議なほど女の手にぴったりと合っていたのです。吸い付くみたいに、手に馴染んで見えたのです。
ハサミ......刃物を研ぐのがハトリ氏の生業です。まっとうな依頼だろうと判じて、受けることにしました。ちょうど手が空いて暇だったというのもありました。弟子の女の子も遣いに出たままで、まだ戻ってきそうもありません。
このハサミで何を切るのかなんて、訊いたりはしませんでした。ハサミの形状は「糸切鋏」には見えませんでしたが、「糸切」用のハサミです。そのように作られたものですが、糸以外のものもハサミですから切れるでしょう。紙でも、布でも。
そう考えて、ハトリ氏は質問を呑み込みました。
女は「死神」の一人ではありません。ごく普通の女の人でした。その女の人がなぜこのハサミを持っているのか疑問はありましたが、深く追求はしませんでした。とにかく刃こぼれしているハサミを研いで綺麗にしてやらねばと、それで頭がいっぱいになってしまっていたのです。
そして、そのハサミを研ぎ終わってから数日のことでした。
若い夫婦が、とつぜん死んでしまったのです。
不自然な死に方でした。自然死に見えましたが、自然死ではありませんでした。
命を断ち切られたのが、原因だったのです。
元死神だった警官が判じました。命の糸が切られている、と。
そして、「犯人」はすぐに捕らえられました。「凶器」のハサミをまだ所持していたからです。「犯行」も認めました。半ば茫然と、半ば歓悦として。
犯人は、ハトリ氏のところにやってきて、ハサミを研いでほしいといったあの女の人だったのです。
そう、あのハサミは特別なハサミだったのです。ハトリ氏も気づいていたように。
――命の糸を断ち切る「糸切鋏」だったのです。
ごく平凡な、ただの人間の女が、そんなハサミを持っているはずがない。......と、そのハサミを研いだハトリ氏に「共犯」の容疑がかけられてしまった、というわけなのです。
ハトリ氏の、自称「優秀な弟子」の女の子は、自分のハサミを布で拭きながら、話を続けました。
「その女の人、ずっとずっと好きだったんですって。命を断ち切ってしまった男の人のこと」
――ずっとずっと好きだったのに、自分ではない女と結婚してしまった。優しく微笑みかけてくれたのに。私の気持ちも知っていたはずなのに。それなのに結婚式にまで招いて、幸せそうに「ありがとう」なんて。
そうして、女の人は心を壊してしまった――
「好きになりすぎて、見境なくしちゃったのかな?」
赤毛の女の子は笑いませんでした。失恋は悲しいねと言い、けれど女の人の恋の闇深さが怖くもありました。
「そのハサミは、俺たち死神の持ち物なんだけどねぇ」
「お仲間の誰かがうっかり落としちゃったってこと? 仕事の道具を落とすなんて、職務怠慢じゃない?」
「や、手厳しい」
死神はぺちりと額をたたいて、苦っぽく笑いました。
「俺はまだ鎌を使っているが、最近では軽量化が進んでいてね。ハサミの形状が人気で、いまの主流になってるんだ。持ち運びが楽なのは良いんだが、それが仇になったってわけだね、今回のことは」
「なるほど。そういえば、ほかの死神さんが持ってるの見たことあります。小さいハサミだとさくさく仕事進められて楽だよって言ってましたねー......」
命を切るのに、なんかお手軽だなぁと思ったんですよねぇ、と女の子はこぼしました。これに死神も同意してくれました。
「鎌でなきゃいけないってことはないんだが、もうちょっと厳かに......っていうと、堅苦しいと言われてね。しかし堅苦しいくらいでいいと思うんだがなあ」
「ですよねぇ」
と、死神と赤毛の女の子は同時にため息をつきました。
「いろんな型があるのはいいなと思いましたけど。けど、あんまり小さくて驚きましたよ? わたしのおっきいハサミもかっこいいと思うんだけどなぁ。小さくしたらたしかに持ち運びは便利かもだけど......」
「君のは小型にしちゃマズいんじゃないかな? 俺たちが切るのは『糸』だから、まあ、小型化していくのは納得なんだがね」
「そっかー」
「小型であっても、ハトリ氏に砥いでもらえばそう問題にならないからね。なにしろハトリ氏の砥いだハサミは切れ味抜群、仕損じるということがないからね」
「そりゃもうっ、切れ味に関しては古今随一ですから!」
赤毛の女の子はにっこり笑って応えます。ハトリ氏のことを褒められるのは、なにより嬉しいのです。
「まったく、君のお師匠さんの腕は本当に素晴らしい。俺の鎌も、あんな大物なのに、じつに繊細で綺麗な切れ味なんだ。命の糸も、あれほど綺麗に切られたら、命自慢というものだろうね」
命自慢ってなんだろう、と首をかしげる女の子でしたが、たぶん迷いなく昇天できるってことなんだろうと、ぼんやりとですが、理解できました。
とすると、女の人に命の糸を切られてしまった若い夫婦は......どうなったのだろう?
死神の仕事は、綺麗にスパッと断ち切ることが肝心だと死神はよく言っていました。それができてようやく一人前の死神になるんだとかなんとか。
とすると、若夫婦はスパっとは切れなかったかもしれないな......
そんなことを考えていると、待合室のドアがノックもされずに開かれました。
次の予約客が入ってきたのです。
「勝手に入らせてもらったわよ? よろしくて?」
「いらっしゃいませ、運命の女神様」
女の子は立ち上がり、新たな来客を迎え入れました。