6.嵐前
翌朝も、客は訪れました。
昨日より客の数は減りましたが、その分ひどく粘るのです。
今日こそはハサミを砥いでほしい。切羽詰った口調で押し迫られて、赤毛の女の子もたじろいでしまいました。
「料金は倍額......いや、もっと出してもいい! 望む金額を言ってくれ!」
「これもお慈悲だと思って。どうか、研いでくださいまし」
悲しそうに潤ませた眼、血走った眼。それらが赤毛の女の子に訴えてくるのです。
なぜ、ハサミを研いでほしいというだけなのに、こう必死なのだろう?
今までのお客様とは、何か違う......。
さすがに、赤毛の女の子も不審を募らせていきました。だって明らかに異常......そう、目の色が「異常」なのです。何か覆い隠すかのような薄暗さ......嵐の前のどんよりとした雨雲のような色なのです。
お気楽な口調ながらもねちっこく強請る若い娘さん、涙ながらに訴えてくる老齢のご婦人や、しつこく食い下がってくる壮年の男......赤毛の女の子はそれぞれ応対しているだけでもうヘトヘトでした。背中のハサミをちらつかせても効果はありません。あげく、「それを貸してくれるのでもいい」とまで言ってくる者もいるのです。訳が分かりませんでした。
ハトリ氏の言いつけ通り「臨時休業」の看板を突き付けても、納得してくれません。
師匠、助けてーっと叫ぼうとした、その時でした。
「休業の文字が見えないのか」
工房に引きこもっていたハトリ氏でしたが、さすがに弟子の女の子に任せきりにできないと察したようです。
「ここではもうハサミは研がない。どうしてもというのなら、まずは死神のところ行くがいい。そちらの方が手っ取り早いだろう」
言って、ハトリ氏は客を追い出し、無慈悲にドアを閉めました。閉め出しをくらった来客たちの文句など、一切聞く耳を持ちません。ハトリ氏はあらゆるドア、窓を閉ざしました。
赤毛の女の子はハトリ氏が「ハサミを研がない」と言ったことに、心底驚きました。
刃物を研ぐということ。それがハトリ氏の存在を示すものなのに。
休業は分かるけれど、「研がない」だなんて!
「師匠、ちょっと待ってください」
「............」
ハトリ氏は再び工房へ入ろうとしました。けれど、女の子は慌ててそれを止めます。
ハサミを研がないなんて、どういうことですか? そう訊こうと思ったのですが、その時また、ドアを叩く音がしたのです。トントン、トントントントンと、ひどくしつこいノックでした。そして時折、木を削るガリガリッとした音もそれに混じっていました。
ハトリ氏と赤毛の女の子は顔を見合わせました。
嫌な音、嫌な......予感がしました。
「出た方がいい?」
「そうだね、こじ開けられても面倒だ」
「ハサミ研ぎの依頼だったら?」
「断りなさい。それ以外も」
「............わかりました」
ただならぬ雰囲気を感じ取って、女の子はハトリ氏の言葉に従うことにしました。こういう空気感の時は、ハトリ氏の言うようにした方がいい。それに、ハトリ氏も工房にこもろうとはしなかったのです。いくらか安心して、女の子はそろりとドアを開けました。
玄関ドアを叩いたのは、昨日、森の途中で赤毛の女の子を呼び止めた、赤いベストを着た山猫でした。口が裂けるほどのニヤニヤ笑いを浮かべて、玄関先で立っています。
「やあやあ、こんにちは、お嬢ちゃん」
「............」
あからさまな迷惑顔をして、女の子は山猫を睨みつけました。ドアを閉めて追い返そうとしたのですが、山猫はするりと隙間を縫って部屋の中に入り込んでしまったのです。
「ハトリ氏はご在宅かな?」
揉み手をしながら山猫が訊きます。赤毛の女の子が振り返ると、そこにハトリ氏の姿はありませんでした。けれど、どうやら工房に閉じこもったのではないようです。近くに、気配を感じます。
「ずいぶんと強引ですね、招かれもしないのに勝手に入り込むなんて」
ドアを開け放しにしたまま、赤毛の女の子は山猫の前に立ちはだかりました。これ以上家の奥には入らせない。女の子の威嚇を山猫は受け流します。
「商売は素早くがアタシのモットーですからね。逃しゃしませんよ。契約独占のためにもね」
「契約? なんのことです? 昨日言ってた、儲け話とかいう?」
「そうそう。お嬢ちゃんは可愛いうえに記憶力もいいねぇ」
「おだてようったってそうはいきませんよ! 本当のことなんだから、おだてられようがありません」
「ハハハハ、そうでしたなぁ。で、師匠さんはおいでになりなさるんだろう?」
「............」
一旦は背負いなおした大きなハサミに、赤毛の女の子は手をかけました。いつでもこのハサミを振りかざせるのだぞと、山猫を威圧しました。
それに気づかぬふりをしているのか、山猫は作り笑顔を崩しません。
なんていやらしいニヤニヤ笑いなんだろう。
赤毛の女の子は苛立ちと、不吉さに怖気が立つ思いでした。
「直接ハトリ氏に話をしなきゃ埒が明かないからねぇ」
「師匠はあなたの話になんか乗りません」
「さぁてそれは、ハトリ氏に直接聞かなきゃねぇ。さて、どちらにおいでになるのかな、お嬢ちゃんのお師匠さんは?」
「............」
無作法な客人を師匠に会わせるわけにはいかない! 女の子は強硬手段に出るため、ついに背負っていたハサミをおろしました。
不思議な透明感のある、三日月のハサミです。シャキンッと刃が擦りあう音がします。女の子がハサミを鳴らしました。片手では持てないほど大きいハサミです。女の子が両手で柄の部分を持つと、それだけでハサミは切れ味の鋭そうな音と光を発するのです。
一瞬、さすがに山猫も怯んだようでしたが、丸まった背をさらに丸めて警戒姿勢で女の子に対峙しました。「脅し」には慣れているぞ、とでも言いたげなニヤニヤ笑いを女の子に向けて、煽っているかのようです。
ぴりりと鋭い空気を切るように、落ち着いた声が割って入りました。
「――私に話とは」
足音もなく、滑るようにしてハトリ氏が姿を現しました。
驚いたのは、山猫ではありません。弟子の女の子の方でした。
なぜなら、ハトリ氏の姿はいつもの少年の姿ではなかったからです。
すらりとした背の高い、美しい青年のハトリ氏がそこにいたのです。