最終章 真・案内人編 - 第2話「変化」へ
城へ向かう道は、途中から形を失っていた。
踏み出すたび地面がきしみ、紙の上を歩くような、不安定な感触だった。
咲はカードをポケットに戻し、地面の痕に触れる。
裂け目はまだ新しく、壊されたばかりのように見えた。
そして、咲が立ち上がった瞬間。
霧が、ゆっくりと引いていった。
まるで、道を開けるように。
咲は開かれたその道を、ただひたすらに進んでいった。
途中までの道は、以前通った道と同じだった。
ねじれた木に、大きな時計。
小さな休憩小屋。
お茶会用のテーブル。
不自然に並べられたティーセット。
登場人物だけが揃わない、歪んだ不思議の国。
以前ならまだ笑って見ていた。
しかし、今は違う。
咲の足が止まる。
「......ひどい......」
咲は目の前の光景から、目が離せなかった。
時計は板が外れ、歯車はむき出しになり。
小さな休憩小屋があった場所には、木の残骸。
お茶会用のテーブルは真っ二つに裂かれ、ティーセットは陶器の砂利と化している。
「誰が、こんなこと......」
咲は進む先に目を向ける。
すくむ足に無理やり力を込め、咲は再び歩き出した。
やがて、ようやく城の全貌が見えてきた。
トランプの意匠が塔に描かれ、茶器を思わせる装飾や、薔薇の彫刻を纏った城。
使われていたのかどうかは分からない。
兵も。
門番も。
女王もいない。
城自体が物語の装飾のように、ただそこに在るだけ。
閉じられていたであろう城門は半ば剥がれ落ち、古いインクと鉄の匂いが漂う。
そして、進んだ先に見えた、壁の模様。
スペードとクローバー。
だが。
その上から乱暴に塗り潰された、赤いインク。
その中心に。
“それ”は、立っていた。
大きな鎌を持ち、舞台に立つ役者のように。
「......オカシイ」
軽い声。
「コンナニ、壊シテル」
「......ナノニ」
聞いたことのある声。
そして。
その姿にも、見覚えがあった。
「ナンデ、終ワラナイ?」
まさか。
そんなはずは、ない。
咲の足は、無意識のうちに踏み出していた。
靴底と石畳が擦れる音が、息を止めたような世界に響く。
すると。
それは、ゆっくりと振り返った。
咲の息が止まる。
赤黒い髪。
反転した色の目には、点のように細い瞳孔。
頬には、ダイヤとハートのマーク。
“彼”ではないと思いたかった。
しかし。
目の前にいる存在の纏うものが、咲の否定しようとする思考を崩していく。
―――ジェスター、衣装。
そして、目の前にいる者の視線が、咲を捉える。
「......アリス?」
咲を見るなり、そう言った。
「......アハ」
ゆっくりと、口角が上がった。
「マイノ、アリスダ」
狂気的な歓喜が、滲む。
自分を“マイ”と呼ぶ存在。
咲には、ひとりしか浮かばなかった。
「......フール......?」
震える唇から、彼の名前を零す。
彼の目が光ったかと思うと、次の瞬間には距離を詰められていた。
フールの片手が、咲の肩を掴む。
その勢いで体が後ろに押され、足が下がる。
一瞬で奪われた距離と、目の前に寄せられた凶器に、咲の体が震えた。
「ヤット、キタ」
「ズット、待ッテタ」
フールは、嬉しそうに続ける。
まるで、解決策を見つけたみたいに。
「マイ、気ヅイタ」
ぐっと顔を寄せる。
「人間、都合ノイイコト、覚エル」
「デモ、都合ノ悪イコト、忘レル」
瞬きすらない。
「物語、好キニ変エル」
「デモ、壊レタページ、置イテイク」
なんの話をしているのか分からない。
しかし。
それが、彼の中に積もった狂気の一部であることは、なんとなく分かってしまった。
鎌が、ゆっくりと持ち上がる。
「マイ、ズット......」
「ズット、見テタ」
「見送ッタ」
「待ッテタ」
そこで、言葉が不自然に途切れた。
フールの喉が、小さく鳴る。
まるで、声そのものを何かに押し潰されたように。
「......ナラ」
「全部、壊セバイイ」
笑みは崩れない。
「道モ」
「扉モ」
「城モ」
一拍。
「全部」
「ナクナレバ、終ワル」
鎌を持つ腕が、完全に伸ばされる。
「マイニハ、モウ」
続く言葉は出なかった。
唇だけが、何かを形作る。
けれど、声にはならない。
「......アリスダケ、アレバイイ」
それは、愛ではない。
欠けた穴を埋めるための、所有の宣言だった。
けれど。
咲には、それだけではないように聞こえた。
言いたいことがあるのに言えず。
伝えたいものがあるのに潰され。
残った言葉だけで世界を壊そうとしている。
そんな、ひどく歪な声だった。
「生キテタラ、考エル」
「物語、マタ続ク」
「続イタラ、マタ―――」
そこで、言葉が途切れる。
フールの喉が、また押し潰されたように鳴った。
彼が何を訴えているのか、全てを理解することはできない。
だが。
狂気に染まったその目の奥には、別の色が滲んでいた。
「......ダカラ」
「静カニ、ナッテ」
彼の目がギラつく。
何かを確定した目だった。
そして。
破壊した果てに、彼が望むもの。
すべてを壊してでも終わらせようとしている彼が、唯一側に置きたいもの。
それは―――
―――“世界を壊す者”だった。
「永遠ニ」
「マイノ
アリス
ニ
ナッテ」
鎌が、振り上げられる。
その鎌が、自分の命までも刈り取ろうとしているのか、逃げる手段を断ち切ろうとしているのかは分からない。
―――それでも。
咲の足は、逃げなかった。
【最終章 真・案内人編 - 第2話「変化」- 完 -】
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