第5章 観測者編 - 第2話「静寂」
「......本当に、何もしないの?」
咲は振り返ると、背後にいる男へと問いかける。
「あぁ」
短い肯定。
会話自体も必要最低限。
「じゃあ、私が何かに襲われても、ただ見てるだけってこと?」
咲の問いに、男は表情を崩さないまま答える。
「俺は、そういう役割だ」
ただ淡々と、それが自分の役目であることを告げた。
役割。
数々の物語世界を渡る中で、全員が何かしらの役目を持っていたことに気づく。
道を示す者。
衣食住や平穏を与えてくれた者。
人間を“器”として回収する者。
はたまた“素材”として処理する者。
そして、目の前にいる男は、“観測”と言っていた。
少なくとも、早急に離れなければ危険、という相手ではなさそうだ。
「前の世界と同じような者は、この世界にいない」
男はそれだけ告げると、口を閉ざす。
少なくとも、前の世界のようにすぐ追い立てられることはない、という意味なのだろう。
咲の心を落ち着かせる材料として、それはかなり大きい情報だった。
咲は、城の中へと足を踏み出す。
「......」
男は、一度だけ咲の背中を見つめると、最初についた時と同じ距離を保ちながら、足を進めた。
城の中を歩く。
「......」
会話はない。
咲から話しかけない限り、現時点で男から何か話題が出る様子はない。
カツン、カツンと、乾いた足音だけが城の中に響く。
外観からは想像できないほど、城内はある程度の居住ができるように整っていた。
かといって、豪華な装飾が保たれているわけではなく、あくまで住むには問題がない程度のものだ。
誰かが暮らしている気配はない。
これだけ広ければ、蜘蛛の巣などが張っていてもおかしくないが、そもそも後ろにいる男以外、生き物の気配がない。
「あなたは、ここで過ごしてるの?」
進みながら軽く視線だけを向け、背後の男へと問いかける。
「都合がいい」
短い返事。
ここは、男が役目を終えた後に立ち寄る場所で、視線を休めるための城なのかもしれない。
男は、咲の少し後ろを歩いている。
一定の距離。
意識しなければ気づかないほどの、自然な間隔。
「......思ってた世界より、ずっと静か」
この世界に、他の人間はいない。
声も、足音も、生活の音も、すでに“朽ちて”いる。
誰かを待っている様子もなく、何かを探しているわけでもない“終わった世界”。
それでも男は、ここを離れない。
ただ何も起こらない静けさを、戻る場所として受け入れているようだった。
咲は何度か振り返る。
男は、必ずそこにいた。
視線が合っても、表情は変わらない。
咲は立ち止まり、男の方を向く。
「......あなた、名前は?」
そして、名を尋ねた。
この世界で、誰かの名を知る意味はほとんどない。
それでもなぜか、咲は知りたかった。
そして、男は一瞬だけ目を伏せる。
考える間。
拒むほどでもなく、与えるほどでもない短い沈黙。
「......フレーダーだ」
短い答えを返し、それ以上は語らない。
名だけを渡し、それで終わりだと告げるようだった。
「フレーダー」
復唱された名に、フレーダーの視線が動く。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「......お前は、物語に見つかりやすい」
説明するつもりはなく、ただの事実として告げる。
咲の目がわずかに見開く。
「見つかりやすい......?」
その言葉の意味は、すぐには理解できなかった。
「理由までは、知らなくていい」
そう言って、フレーダーは口を閉ざした。
確かに。
今まで出会った者たちに送り出されても、行き着く先は、別の物語の中だった。
境界のバグにより行き着いた、人間が素材となるあの世界。
あの場所も、本来なら行くはずのない世界だった。
「......あの世界は、二度と行きたくないです......」
ぶるっと、咲の肩が震えた。
「道はすでに閉ざされている。お前が行くことも、向こうから来ることも出来ない」
淡々とした答え。
多少なりとも、安心に結びつくものではあった。
しかし、咲は再び視線を遠くに向ける。
フールの手によってペッツァートから逃げきれても。
示された先にあったのは、今立っているこの茨の世界だ。
「......」
咲の瞳に、影が差す。
新しい世界に降り立つたび、また不安になる。
この世界は、ひどく静かな世界だ。
普段であればそれが、余計に寂しさを際立たせる。
でも。
彼の名を知ったことでこの世界は、わずかに形を変えた。
城は同じ。
静けさも同じ。
けれど、後ろにいる存在は、もはや“誰でもない何か”ではなかった。
会話は常に最低限。
気遣いはない。
一定に保たれた距離は、一切崩れていない。
しかし。
あまり干渉されない状態のおかげか、わずかながら肩の力を抜くことができていた。
そして咲は、この城が数えきれない物語を見届けた後、彼が立ち寄る“休息のための場所”なのだと、そう解釈し始めていた。
【第5章 観測者編 - 第2話「静寂」- 完 -】
→第5章 観測者編 - 第3話「不可解」へ