最終章 真・案内人編 - 第4話「案内人」
カードが、静かに脈打つ。
強くはない。
目に見えて反応を示しているわけではない。
けれど、“揃った”と告げる震えだった。
咲がフールを見ると、フールはカードに目を奪われていた。
視線を外せない。
ただ、じっとカードを見ている。
その瞳は初めて、手の届く位置に希望を置かれた者のような色を帯びていた。
出口の見えなかった彼の物語に、一筋の光が差し込んだ。
期待。
同時に、苦悶。
言えない。
手を伸ばせば届くのに。
伝えることができれば、通じるのに。
言えば、また自分を縛ることになる。
この国が、フールをしまい込んでしまう。
なくさないように。
勝手に動かないように。
「......違う」
咲の言葉に、フールは顔を上げた。
「一人に、背負わせ続けるのは、違うよ」
フールの目が細まる。
「だって......フールはこんな......」
咲はフールの顔へと手を伸ばす。
反転した目。
鋭い赤。
全てを諦めかけて、濁っている。
でも、自分は。
さらにその奥に、別の色を見た。
「こんな、泣きそうな顔してるじゃん......」
フールの瞳が大きく揺れる。
「こんなの、違う......」
咲の指がぐっと握られ、ふるふると震えた。
「こんなの、おかしいよ......」
目からは熱い大粒の涙が、頬に向かってまっすぐに落ちる。
役割。
どんな世界にも存在する役目の割り当て。
それは、喜びにも、足枷にもなる。
咲は、カードをフールへと向けた。
フールも、差し出されたカードに触れないまま、手を伸ばした。
これは、“鍵”。
そして、“道”。
そして、これは―――。
「―――次は」
咲がフールへ一歩近づく。
「私が、フールを導くから」
咲は、カードを彼の胸元へ近づけた。
「ア......」
カードが触れた、その瞬間。
―――カードが、“溶けた”。
光は爆ぜない。
粒となって、ゆっくりと彼の胸へ吸い込まれていく。
抵抗はない。
逃げることもない。
止めることもない。
彼はただ、それを受け入れた。
長い間、手を伸ばすことすら許されなかったものが、ようやく彼自身の中へ帰っていく。
咲には、そう見えた。
次の瞬間。
空気の重さが、抜けた。
“キィィン”と、見えない鎖が外れる音がする。
城が、光とともにほどけていく。
鎌が、音もなく消えていく。
森も。
壊れかけた城門も。
全てが、光となって消えていく。
「......軽、イ......」
彼の口から、初めて零れた本音。
言葉を選ぶ必要は、もうない。
感じたまま、ただそう口にした。
カードがほとんど彼の中へと“戻り”、赤く尖っていた色が、ゆっくりと和らぐ。
歪みに染まっていた瞳が、本来の形に戻る。
―――そして。
胸元で、最後の光が静かに収束していった。
カードは、もうない。
けれど。
欠けていたものが戻り、フールはようやく、ひとつの存在として、そこに在った。
彼は、ゆっくりと息を吸う。
それは、役割のための呼吸ではない。
「......自由、なノ......?」
かすれた問い。
咲は、大きく頷く。
胸の奥では、まだ怖さが波を立てていた。
それでも、今ここで首を横に振る理由だけはなかった。
フールが初めて自分で息をして、自分の足で立とうとしている。
その事実だけは、咲にも確かに分かった。
その瞬間。
世界の規則が、止まった。
肌を刺すようなあの視線も、たちまちほどけていく。
“終わった”のだと、空気が理解していた。
彼が背負っていた役割が、音もなく外れる。
フールは、自分の両手を見る。
そして、咲を見る。
狂気も、義務もない目で。
「......アリス」
フールは咲の指先に触れる。
伝わる温度が、ぎこちない。
「私、アリスって名前じゃないよ」
咲は顔を上げる。
「私は―――」
咲の口から名が出る前に。
フールは、咲を抱きしめた。
縋るのではなく、対等な力で。
「まダ、言わないデ」
抱きしめたまま、告げる。
「今、聞いたラ」
ほんの少しだけ、腕に力がこもる。
「マイ、まタ......」
「待つだけニ、なル」
咲は、息を呑んだ。
「......今度ハ」
腕は緩めない。
ほんのわずかに、力がこもった。
「マイガ、選ブ」
顔も上げない。
咲との距離を、一切開けない。
「道モ」
「役目モ」
「場所モ」
一拍。
「マイガ、決めル」
それは、案内人としての言葉ではなかった。
初めて、自分自身の行き先を選ぼうとする者の声だった。
その言葉が落ちた瞬間。
白が、世界を満たす。
光ではない。
重力がなくなる感覚だった。
石の道から、咲の足が浮く。
最後に聞こえたのは、耳元で囁かれた声。
「......必ズ」
「迎えニ、行くヨ」
それは、約束だった。
そして。
―――世界が、ほどけた。
【最終章 真・案内人編 - 第4話「案内人」- 完 -】
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