第2章 与える者編 - 第8話「真実」
日中は、特に用事がなかった。
アッフェルと約束を交わしたわけではない。
だから、会いに行く理由がない。
今までが変だったのだと、気づいてしまった。
アッフェルから香る、あの甘い香りを認識してからだ。
しかし、普段の常識で考える頭が、“それは違うのではないか”と、余計な口出しをしてくる。
散々悩み、そして。
「......聞かなきゃ」
咲は、彼にすべてを聞こうと、部屋を飛び出した。
玄関を開け、屋敷のほうへと体を向ける。
すると。
アッフェルは先に、外に立っていた。
待っていたというより、“ここにいると決めていた”立ち方だった。
「......少し、お話しておきたいことがあります」
咲が飛び出してきたことに、驚いた様子はない。
むしろ、そうなると分かっていたように落ち着いていた。
雑談に入ることもなく、彼は人目のない場所まで歩き出す。
これから何が起ころうとしているのか分からない。
しかし、体は嫌な予感として反応していた。
心臓の音がうるさい。
喉の奥が熱い。
息が浅くなる。
そして、なにより―――
―――あの甘い林檎の香りが、一切なかった。
彼は距離を保ったまま、路地裏で足を止めた。
「ここで、十分でしょう」
そう言ってから、初めてこちらをまっすぐ見る。
視線は穏やかで、何かを訴える色はない。
ただ、“決めた”人の目だった。
しかし。
わずかな沈黙の後、アッフェルの目が冷えた。
こちらに敵意を向けているような冷たさではない。
ただ、普段の穏やかさが“作られたものだった”と分かる程度には、はっきりとした変化だった。
「......私には、役割があります」
短い沈黙が落ちる。
アッフェルは、ほんのわずかに視線を下げた。
「ここに来る人間の中には、“始末すべき存在”がいる」
声は淡々としている。
「美しい者。目立つ者。この世界に不要だと判断された者」
説明しているだけの口調だった。
感情は見えない。
「その命令を出しているのは......」
彼は一拍置いてから、まっすぐに咲へ告げた。
「......我が、主です」
理解が、追いつかなかった。
頭が、思考を放棄しているかのように、動かない。
「私は、その手足として動いています」
アッフェルはそのまま、すべてを教えてくれた。
この世界は、歪んだ白雪姫の世界であること。
たびたび転移してくる人間の中から、“次”の白雪姫が選ばれること。
そして。
彼は魔女によって、毒林檎から形を成した存在であること。
咲は、明らかに動揺した。
指先が震える。
唇が震える。
「......じゃあ、私が前の世界のことを忘れかけたり、あなたに惹かれていたのは......」
アッフェルは、冷えた目をこちらに向けたまま答えた。
「......はい。操らせていただきました」
すべてが、繋がった。
彼はずっと、日常の中に自身を紛れ込ませていたのだ。
転移者の多いあの深い森で待機し、偶然を装って接触する。
不安な心に寄り添い、優しさを与え、じわじわと日常を蝕む。
そして、最後には―――。
「......贈るものが、救済とは限りません」
そこで、彼は初めて言葉に詰まった。
「......ここにいては、私は―――」
数拍の間が空く。
そして、低い声で告げた。
「―――あなたを、殺さなければなりません」
その言葉が落ちた瞬間。
世界が停止したような感覚に襲われた。
脅しではない。
忠告でもない。
ただ、避けようのない事実として、差し出された言葉だった。
「それを避ける方法は、一つだけです」
彼は、話を続ける。
「早く、行ってください」
今までの彼からは想像できないほど、急かすような口調だった。
余裕のなさが、滲んでいる。
「......誤解しないでください。これは、情に流された判断ではありません」
どこか、自分に言い聞かせるような声音だった。
「......ですが、あなたを“対象”として、見られなくなりました」
それは事実です、と。
アッフェルは真剣な眼差しで告げる。
それ以上は、踏み込まない。
名前も、感情の呼び方も与えない。
ただ。
「......それが何故なのかは、私にも分かりません」
そう言って、初めて曖昧な言葉を使った。
「他の方々は、もっと簡単でした」
思い返すように、アッフェルは口を開く。
「丁重に扱い、甘い言葉を囁けば、すぐに手の中に堕ちる」
少しだけ、バツが悪そうに、視線が下がる。
「......ですが、私の誘いに“遅れる”なんて言ったのは......」
アッフェルの視線が戻る。
まっすぐに、咲を見つめた。
「......あなたが、初めてでしたよ」
その時。
彼が一瞬、本当の意味で笑った気がした。
【第2章 与える者編 - 第8話「真実」- 完 -】
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