幕間「それぞれの役割」
ゲートが閉じた境界内。
謎の手に引き寄せられた後、咲は何者かに抱きとめられていた。
辺りは紫や青など曖昧な色が揺らめき、実体のない壁に囲まれているようだった。
そして。
抱きとめている存在には、見覚えがあった。
「っ......」
―――ジェスター衣装。
咲は、ゆっくりと顔を上げた。
白塗りの肌。
両頬に、スペードとクローバーのマーク。
大きくて、赤い垂れ目。
間違いない。
また会いたいと思っていた、あの彼だった。
「......大丈夫、だっタ?」
その声を聞いた瞬間。
張りつめていたものが、ふっとほどける。
息が震える。
フールだ。
この世界で最初に出会った、人ならざる者。
しかし、今はそんなことはどうでも良かった。
「フール......っ!!」
咲は思わず、フールへ縋り付く。
やっと、少しでも安心できる存在に会うことができた。
フールは体勢を崩さないまま告げる。
「境界ノ、バグだヨ。危なかったネ」
淡々とした言葉。
けれど、助けに来たという響きがあった。
「私......っ......あれからいっぱい怖い目にあったんだよ......」
フールの腕の中で、咲は泣きたい衝動を抑えながら伝える。
「うン」
声は変わらない。
しかし、空気を乱すようなことは言わず、ちゃんと聞いていた。
「殺されそうにもなって......怖くて......っ」
咲の握る指先に、更に力が入る。
「......うン」
先程よりも、相槌の間隔が開く。
彼なりに、何か思うことがあるのだろうか。
フールは何も言わず、咲の話を聞き続けた。
王子のような毒林檎がいた、白雪姫の世界のこと。
可愛らしい要素が全くない、人魚姫の世界のこと。
立場の逆転した、101匹わんちゃんのような世界のこと。
フールは驚くような素振りもなく、咲を抱きとめたまま、“うン、うン”と聞いた。
このまま、彼の元に踏みとどまりたいと思ってしまう。
咲の指が、フールの服をきゅっと握った。
「......ごめんネ」
何かを察した様子で、フールは言った。
咲の肩に手を乗せ、わずかに距離を開ける。
「え......」
わずかに失われた温もりに、咲は彼の顔へと視線を上げた。
「......マイ、長居ハ、できなイ」
変わらない困り眉。
感情の見えない表情。
しかし、今はそれが、本当に困っているように見えた。
フールは咲を離し、ゲートを開く。
彼の指先が空間をなぞると、揺らめいていた景色に、見覚えのある穴が開いた。
刺々しい植物の蔓が、城に絡みつく世界。
ペッツァートの世界に落ちる前に、境界の先で見た景色だった。
「これガ、正しい道」
何をもって正しい道としているのかは謎だ。
しかし、彼も案内人だ。
迷い込んだ者に合う道を、彼なりに作っているのかもしれない。
「ここデ、お別れだヨ」
フールはゲートに向けていた視線を、咲へと向けた。
「元に戻ス、ネ」
いつもの困り眉が、わずかに下がった気がした。
言葉が、妙に引っかかる。
彼も同じ気持ちなのではないかと、錯覚してしまう。
フールはゲートの先へと視線を戻す。
「キミハ、物語の続キ、作るヒト」
それを聞き、咲はわずかに目を伏せた。
正直、続きを作っているような感じはしない。
ただ、色々な歪んだ童話の中で、良くない終焉を迎えかけたことしか覚えていない。
彼の言う続きとは、なんなのだろう。
フールはずっと次の世界へと視線を向けている。
「......マイハ、案内人だかラ」
それは、咲に言っているようにも、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
咲の足は、止まったままだ。
このゲートを越えてしまえば、再びフールには会えなくなる。
しかし。
「......時間だヨ」
その声とともに、咲の体が次の世界へと強制的に吸い寄せられていく。
「え......待って......!!」
咲の足が、床から離れた。
「フール......っ!!」
フールとの距離が遠くなっていく。
「......次ハ、大丈夫なヤツだかラ」
“大丈夫”の基準は、フール基準だろう。
しかし、ペッツァートの世界から助けてくれた上、あの状況を“危なかった”と分かっていた。
なら、命の危険だけはないのだろう。
安心材料にする情報としては、かなり最低限だが。
「っ......私......」
言葉を探す前に、咲はゲートに吸い込まれていく。
まだ見えている視界には、フールのいつもの笑顔。
ただ、その赤い目だけは。
―――確かに、揺れていた。
「フール!!」
そして、咲の視界が白く弾けた。
咲の消えた境界内で、フールは呟いた。
「......マイハ、待つヨ」
その真意は、咲に届かない。
「......キミハ、“持ってる”かラ」
その直後。
じわ......と、フールの頬のマークが、揺らいだ。
「......あァ」
フールの視界が、わずかに歪む。
「......最後ノ、カード......」
その言葉を残すと。
フールは、自分の持ち場へ戻っていった。
【幕間「それぞれの役割」 - 完 -】
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