第5話
王都に入ってから、道は次第に整えられていった。踏み固められた土が石畳に変わり、荷車の轍が刻まれた大通りには、日暮れ前の商いを急ぐ人の姿があった。焼き上がったばかりのパンの匂いが、開け放たれた店先から流れてくる。
やがて馬車は営門に差しかかった。灰白色の石を積み上げた門柱の上に、ヴェルダリアの紋章が掲げられている。衛兵が二人、槍を立てたまま馬車を検め、御者の言葉を聞くと、無言で通した。
門を抜けると、空気が変わる。喧騒が遠ざかり、車輪の音だけが石畳に反響した。
道の両側には、広い前庭を備えた邸宅が並んでいる。手入れの行き届いた生垣、磨き上げられた鉄柵、正面に据えられた紋章。大臣や側近たちの住まいだった。門前に立つ従僕が、通り過ぎる馬車に向かって形ばかりの礼をする。
その区画を過ぎると、建物の間隔が広がり、代わりに古びた石壁が目につくようになった。
アスタリアの館は、その先にあった。かつては賓客を迎えるために使われていた建物だという。玄関前の車寄せは今も無駄に広く、馬車を何台も並べられそうな石畳が続いている。ただ、その端は苔に覆われ、目地から雑草が伸びていた。
紋章を掲げるための台座が、扉の脇に据えられている。何も載っていない。誰を迎えるための館でもなくなって、ずいぶん経つのだろう。
その車寄せの隅に、見慣れた馬車が一台停まっていた。車体には金の縁取りが施され、扉には男爵家の紋章が大きく打たれている。装いだけは立派だが、塗りの剥げた箇所を上から塗り直した跡が、日の傾いた光の下では隠しきれていない。
馬車が停まり、扉が開かれた。出迎えたのは侍女が二人だけだった。
踏み台を降りると、片方の侍女が半歩ばかり寄ってきて、声を落とした。
「ゴドウィン卿が、お越しでございます」
言い終えてから、わずかに目を伏せる。断りきれなかったのだろう。
「もう中に?」
「はい。応接の間でお待ちいただいております」
アスタリアは掌の木の実を握り直し、それから小さく息をついた。
前触れもなく現れて、こちらの都合を尋ねる前に腰を落ち着けている。門前で待つという発想が、あの人にはないらしい。母がいなくなってから、その頻度はいっそう増した。
悪気がないのは分かっている。分かっているから、追い返す口実も見つからない。
侍女に続いて、アスタリアは館へ入った。
玄関広間は薄暗かった。日が傾く刻限には、この向きの窓からは光が入らない。天井は無駄に高く、かつては幾つも灯りが吊るされていたのだろう金具だけが、今は空のまま残されている。足音が、思ったより大きく響いた。
正面の階段を上がる。手すりの木は所々が擦り減り、絨毯は色が褪せて、縁の房もほつれたままになっていた。踊り場の窓から、傾いた日が細く差し込んでいる。
二階の廊下を進むと、応接の間の扉が半分ほど開いていた。
中から、鼻歌が聞こえてくる。
扉を押すと、ゴドウィンは長椅子に深く沈み込むようにして座っていた。片肘を背もたれに掛け、足を組んでいる。卓の上には、見覚えのない瓶と、注ぎかけの杯が置かれていた。
「おお、これはこれは」
ゴドウィン・ハーロウは腰を上げ、大袈裟に一礼した。四十を幾つか過ぎた男だった。仕立ての良い上着を着崩し、襟元を緩めている。頬は赤く、この刻限にはそぐわない酒の匂いが、扉を開けた途端に鼻をついた。飲み歩いているという割には、体つきに緩んだところがない。
「ああ、ご心配には及びませんぞ。手前で持参いたしましたゆえ」
瓶を軽く持ち上げてみせる。後ろに控えた侍女が、わずかに眉を寄せたのが、視界の端に映った。
「本日はどのようなご用件でしょう」
アスタリアは扉のそばに立ったまま、そう尋ねた。
「いや、なに。北の廊下でございますよ」
ゴドウィンは杯を置き、身振りを交えて話し始めた。