ホーム愁月のノクトゥーラ第2話
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第2話

 雨は三日前から降り続いていた。上がる気配もないまま、路地の泥を練り上げ、あちこちに濁った水たまりを作っている。ドレグ街の道はもともと舗装などされていない。踏み固められただけの地面は、こう長く雨に晒されれば、歩くたびに足首まで沈む泥濘ぬかりに変わる。

 軒先という軒先には、継ぎ接ぎの布や板切れが渡され、申し訳程度の雨よけになっていた。それでも隙間から漏れる雫が、あちこちで小さな水音を立てている。焚き火はとうに使い物にならず、湿った薪から立ち上る煙だけが、燻るように地を這っていた。

 濡れたものを乾かす手立てがないというのは、この街ではただの不便では済まない。湿った布のまま夜を越せば、体温は際限なく奪われていく。咳き込む声が、あちこちの軒下から漏れ聞こえていた。子供のものも、老人のものも、聞き分けがつかないほどに似ていた。

 崩れかけた壁のあちこちに、同じように雨宿りをする影がいくつも張り付いている。

 水路代わりの側溝は、とうに溢れて道と一体になっている。饐えた匂いと、泥の匂いと、煮炊きにもならない何かを燃やす匂いが、雨に押し流されることもなくその場に留まり続けていた。

 雨脚は弱まる気配もなかった。こんな日は、どこの通りも似たようなものだった。商人は雨戸を閉め、荷を運ぶ者もいない。窓の内側には、当たり前のように人の気配があった。目を盗む隙間そのものが、どこにもなかった。

 「今日はもう店じまいだな」

 ガロがそう言うと、誰も異を唱えなかった。モナは濡れた髪を掻き上げながら欠伸を一つ漏らし、ジグはとっくに背を向けて歩き出している。クレスは黙って頷いただけだった。それぞれが、それぞれのねぐらへ向かって散っていく。誰も、誰の行き先を気にしなかった。

 エナとトビアスは、同じ方角へ歩いた。軒先から軒先へ、雨のあたらない場所を選んで渡り歩く。水たまりを避ける癖は二人とも同じで、いつからか、どちらからともなく歩調が揃うようになっていた。

 「さっきのガキ、腕にアザがあった」

 トビアスがぽつりと言った。

 「見てねえよ、そんなとこ」

 「たぶん、他の奴から盗んで、袋叩きにされたんだろうな」

 エナは何も答えなかった。珍しい話でもなかった。

 トビアスはそれきり口をつぐむと、路地の曲がり角ごとに一瞬だけ歩調を緩め、背後を確かめるようにした。雨音に混じる足音を聞き分けようとしてか、時折立ち止まって耳を澄ませる仕草も見せた。あの痩せた孤児が、後をつけてくるとも限らない。金の匂いを嗅ぎつけた者は、思いのほかしつこいものだった。結局、路地の先にも背後にも、それらしい影はなかった。

 倉庫は、通りから一本外れた行き止まりにあった。屋根の半分は落ち、梁がむき出しのまま雨ざらしになっている。壁の煉瓦は所々崩れて、隙間から夕暮れの薄い光が差し込んでいた。それでも、崩れていない側の壁は分厚く、風の通りだけはいくらか凌げる作りになっている。

 エナがこの六人に加わったのは、トビアスがいたからだった。先にこの倉庫を塒にしていたのはトビアスの方で、行き場のなかったエナに、隅の一角を分け与えたのが始まりだった。それから、トビアスが顔を利かせていたこの六人の輪に、エナも自然と加わることになった。

 崩れた棚板を立てかけただけの仕切りを挟んで、倉庫の隅は二つに分かれている。トビアスの側には拾い集めた古い外套が積まれ、エナの側には藁と布切れが敷いてあるだけだった。互いの気配は筒抜けでも、目に入らないというだけで、それぞれの場所ではあった。

 エナは藁の上に横になると、頬にかかった髪を指先で払い、そのまま瞼を落とした。
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愁月のノクトゥーラ作者:Shin
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 雨は三日前から降り続いていた。上がる気配もないまま、路地の泥を練り上げ、あちこちに濁った水たまりを作っている。ドレグ街の道はもともと舗装などされていない。踏み固められただけの地面は、こう長く雨に晒されれば、歩くたびに足首まで沈む泥濘ぬかりに変わる。

 軒先という軒先には、継ぎ接ぎの布や板切れが渡され、申し訳程度の雨よけになっていた。それでも隙間から漏れる雫が、あちこちで小さな水音を立てている。焚き火はとうに使い物にならず、湿った薪から立ち上る煙だけが、燻るように地を這っていた。

 濡れたものを乾かす手立てがないというのは、この街ではただの不便では済まない。湿った布のまま夜を越せば、体温は際限なく奪われていく。咳き込む声が、あちこちの軒下から漏れ聞こえていた。子供のものも、老人のものも、聞き分けがつかないほどに似ていた。

 崩れかけた壁のあちこちに、同じように雨宿りをする影がいくつも張り付いている。

 水路代わりの側溝は、とうに溢れて道と一体になっている。饐えた匂いと、泥の匂いと、煮炊きにもならない何かを燃やす匂いが、雨に押し流されることもなくその場に留まり続けていた。

 雨脚は弱まる気配もなかった。こんな日は、どこの通りも似たようなものだった。商人は雨戸を閉め、荷を運ぶ者もいない。窓の内側には、当たり前のように人の気配があった。目を盗む隙間そのものが、どこにもなかった。

 「今日はもう店じまいだな」

 ガロがそう言うと、誰も異を唱えなかった。モナは濡れた髪を掻き上げながら欠伸を一つ漏らし、ジグはとっくに背を向けて歩き出している。クレスは黙って頷いただけだった。それぞれが、それぞれのねぐらへ向かって散っていく。誰も、誰の行き先を気にしなかった。

 エナとトビアスは、同じ方角へ歩いた。軒先から軒先へ、雨のあたらない場所を選んで渡り歩く。水たまりを避ける癖は二人とも同じで、いつからか、どちらからともなく歩調が揃うようになっていた。

 「さっきのガキ、腕にアザがあった」

 トビアスがぽつりと言った。

 「見てねえよ、そんなとこ」

 「たぶん、他の奴から盗んで、袋叩きにされたんだろうな」

 エナは何も答えなかった。珍しい話でもなかった。

 トビアスはそれきり口をつぐむと、路地の曲がり角ごとに一瞬だけ歩調を緩め、背後を確かめるようにした。雨音に混じる足音を聞き分けようとしてか、時折立ち止まって耳を澄ませる仕草も見せた。あの痩せた孤児が、後をつけてくるとも限らない。金の匂いを嗅ぎつけた者は、思いのほかしつこいものだった。結局、路地の先にも背後にも、それらしい影はなかった。

 倉庫は、通りから一本外れた行き止まりにあった。屋根の半分は落ち、梁がむき出しのまま雨ざらしになっている。壁の煉瓦は所々崩れて、隙間から夕暮れの薄い光が差し込んでいた。それでも、崩れていない側の壁は分厚く、風の通りだけはいくらか凌げる作りになっている。

 エナがこの六人に加わったのは、トビアスがいたからだった。先にこの倉庫を塒にしていたのはトビアスの方で、行き場のなかったエナに、隅の一角を分け与えたのが始まりだった。それから、トビアスが顔を利かせていたこの六人の輪に、エナも自然と加わることになった。

 崩れた棚板を立てかけただけの仕切りを挟んで、倉庫の隅は二つに分かれている。トビアスの側には拾い集めた古い外套が積まれ、エナの側には藁と布切れが敷いてあるだけだった。互いの気配は筒抜けでも、目に入らないというだけで、それぞれの場所ではあった。

 エナは藁の上に横になると、頬にかかった髪を指先で払い、そのまま瞼を落とした。
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