ホーム愁月のノクトゥーラ第1話
← 次の話目次前の話 →

第1話

 「――半分は言い過ぎだろ、ガロ」

 「言い過ぎなもんか。見張り二人と、実際に手ぇ突っ込んだ俺とじゃ、割に合う割合ってのがあるだろうが」

 地面を叩きつける雨音に紛れて、怒鳴り合うでもない、ひそひそとした声が崩れかけた軒下に籠もっていた。濡れた布の匂いと、誰かの体臭と、かび臭い土壁の匂いが混ざり合って、狭い空間に淀んでいる。

 エナは壁に背をつけたまま、腕の中の巾着袋の重さを量るように、指先で揺すっていた。中身は銀貨が数枚と、指輪が一つ。たったそれだけのために、ジグは商家の塀を三度も乗り越え、モナは犬に足を噛まれた。

 「あたしの取り分、犬に噛まれた分は上乗せしてもらうから」

 モナが濡れた裾から覗く左足首をさすりながら、そう言い放った。歯型の周りから滲んだ血が、雨に薄まりながらも足首を伝って滴っている。

 「噛まれたのはお前の間抜けさだろ」

 ガロが鼻で笑うと、モナは黙って足元の小石を拾い、彼のこめかみのすぐ横に投げつけた。当たりはしなかったが、ガロの片眉がぴくりと動いた。

 「やめろよ、二人とも」

 トビアスが小声で割って入る。彼だけが少し違う喋り方をした。丁寧すぎるわけではないが、他の五人のようにざらついていない、どこか育ちの違いを感じさせる声だった。

 「金の話をしてるだけだろ、お前は黙ってろ」

 クレスがぼそりと言う。表情はほとんど動かない。彼はいつも、輪の外側から様子を窺うようにして座っていた。

 エナは誰の肩も持たなかった。持つだけの理由が、誰にもないと知っていたからだ。ここでは誰も彼もが、自分の取り分のことしか考えていない。それでいい、とエナも思っていた。情で動けば、その分だけ損をする。

 「――で、今度はどこ狙うんだよ」

 ジグが濡れた前髪をかき上げながら、輪の中心に割り込んできた。声には、湿った疲れの中にもわずかな昂りが滲んでいる。次の獲物の話になった途端、さっきまでの言い争いは、まるで最初からなかったかのように空気から消えていった。

 六人がまとまっているのは、慣れ合いのためではなかった。指図するのは、いつもガロだった。声の大きさがそのまま腕力の強さで、腕力の強さがそのまま発言力になる。それだけの、単純な仕組みだった。エナはその仕組みに従っていた。従っておけば、今日の飯にありつける。損得だけで見れば、それで釣り合いは取れていた。

 ジグの逃げ足の速さと、クレスの何を考えているか分からない沈黙は、エナの中では似たようなものとして片付けられていた。どちらも、いざという時に自分がどちら側に転ぶかを、決して見せない。それだけの違いだった。

 モナだけは少し違う。悪態をつきながらも、犬に噛まれた足を引きずって最後まで歩き通す。それを、信頼と呼んでいいのかは分からない。ただ、隣にいて苦にならない相手というのは、それだけで珍しかった。

 トビアスについては、詮索したことがなかった。知って得することが、何一つ思いつかなかったからだ。

 誰かに寄りかかるということが、エナには最初から欠けていた感覚だった。それでも、腹の減った夜に一人でないというだけで、この六人には意味があった。

 そんな相談の合間に、崩れかけた壁の隙間から、小さな影がこちらを覗いているのに気づいた。

 骨の浮いた肩、痣だらけの向こう脛。裸足の爪先が、水たまりの縁でじっと止まっている。歳の頃はエナよりいくつか下だろうか。それ以上のことは分からなかった。

 「見てんじゃねえ!」

 ガロが怒鳴ると、影はびくりと肩を縮めたが、逃げはしなかった。ただ、そこに立ち尽くしたまま、こちらを見ている。

 モナはちらりと一瞥をくれただけで、すぐに興味を失ったように濡れた髪を絞り始めた。ジグとクレスは、目すら向けなかった。

 エナは、腰に巻いた帯の内側へ巾着を捻じ込んだ。そのまま、孤児のもとへ歩み寄った。

 「お前、あたしらの物、狙ってんのか」

 孤児は答えなかった。生気のない目で、エナの顔をじっと見返しているだけだった。雨に濡れた前髪の下で、その目だけが妙にはっきりしていた。

 沈黙が続いた。ガロが苛立ったように舌打ちする音が、雨音の合間に響いた。

 「......消えな」

 エナはそれだけ言うと、背を向けた。振り返らなかった。裸足の足音が水を跳ねさせながら遠ざかっていくのを、耳の端で聞いていただけだった。
シェア
前の話 →
プロローグ
← 次の話
第2話
愁月のノクトゥーラ作者:Shin
目次を見る
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム愁月のノクトゥーラ第1話
← 前の話目次次の話 →

第1話

 「――半分は言い過ぎだろ、ガロ」

 「言い過ぎなもんか。見張り二人と、実際に手ぇ突っ込んだ俺とじゃ、割に合う割合ってのがあるだろうが」

 地面を叩きつける雨音に紛れて、怒鳴り合うでもない、ひそひそとした声が崩れかけた軒下に籠もっていた。濡れた布の匂いと、誰かの体臭と、かび臭い土壁の匂いが混ざり合って、狭い空間に淀んでいる。

 エナは壁に背をつけたまま、腕の中の巾着袋の重さを量るように、指先で揺すっていた。中身は銀貨が数枚と、指輪が一つ。たったそれだけのために、ジグは商家の塀を三度も乗り越え、モナは犬に足を噛まれた。

 「あたしの取り分、犬に噛まれた分は上乗せしてもらうから」

 モナが濡れた裾から覗く左足首をさすりながら、そう言い放った。歯型の周りから滲んだ血が、雨に薄まりながらも足首を伝って滴っている。

 「噛まれたのはお前の間抜けさだろ」

 ガロが鼻で笑うと、モナは黙って足元の小石を拾い、彼のこめかみのすぐ横に投げつけた。当たりはしなかったが、ガロの片眉がぴくりと動いた。

 「やめろよ、二人とも」

 トビアスが小声で割って入る。彼だけが少し違う喋り方をした。丁寧すぎるわけではないが、他の五人のようにざらついていない、どこか育ちの違いを感じさせる声だった。

 「金の話をしてるだけだろ、お前は黙ってろ」

 クレスがぼそりと言う。表情はほとんど動かない。彼はいつも、輪の外側から様子を窺うようにして座っていた。

 エナは誰の肩も持たなかった。持つだけの理由が、誰にもないと知っていたからだ。ここでは誰も彼もが、自分の取り分のことしか考えていない。それでいい、とエナも思っていた。情で動けば、その分だけ損をする。

 「――で、今度はどこ狙うんだよ」

 ジグが濡れた前髪をかき上げながら、輪の中心に割り込んできた。声には、湿った疲れの中にもわずかな昂りが滲んでいる。次の獲物の話になった途端、さっきまでの言い争いは、まるで最初からなかったかのように空気から消えていった。

 六人がまとまっているのは、慣れ合いのためではなかった。指図するのは、いつもガロだった。声の大きさがそのまま腕力の強さで、腕力の強さがそのまま発言力になる。それだけの、単純な仕組みだった。エナはその仕組みに従っていた。従っておけば、今日の飯にありつける。損得だけで見れば、それで釣り合いは取れていた。

 ジグの逃げ足の速さと、クレスの何を考えているか分からない沈黙は、エナの中では似たようなものとして片付けられていた。どちらも、いざという時に自分がどちら側に転ぶかを、決して見せない。それだけの違いだった。

 モナだけは少し違う。悪態をつきながらも、犬に噛まれた足を引きずって最後まで歩き通す。それを、信頼と呼んでいいのかは分からない。ただ、隣にいて苦にならない相手というのは、それだけで珍しかった。

 トビアスについては、詮索したことがなかった。知って得することが、何一つ思いつかなかったからだ。

 誰かに寄りかかるということが、エナには最初から欠けていた感覚だった。それでも、腹の減った夜に一人でないというだけで、この六人には意味があった。

 そんな相談の合間に、崩れかけた壁の隙間から、小さな影がこちらを覗いているのに気づいた。

 骨の浮いた肩、痣だらけの向こう脛。裸足の爪先が、水たまりの縁でじっと止まっている。歳の頃はエナよりいくつか下だろうか。それ以上のことは分からなかった。

 「見てんじゃねえ!」

 ガロが怒鳴ると、影はびくりと肩を縮めたが、逃げはしなかった。ただ、そこに立ち尽くしたまま、こちらを見ている。

 モナはちらりと一瞥をくれただけで、すぐに興味を失ったように濡れた髪を絞り始めた。ジグとクレスは、目すら向けなかった。

 エナは、腰に巻いた帯の内側へ巾着を捻じ込んだ。そのまま、孤児のもとへ歩み寄った。

 「お前、あたしらの物、狙ってんのか」

 孤児は答えなかった。生気のない目で、エナの顔をじっと見返しているだけだった。雨に濡れた前髪の下で、その目だけが妙にはっきりしていた。

 沈黙が続いた。ガロが苛立ったように舌打ちする音が、雨音の合間に響いた。

 「......消えな」

 エナはそれだけ言うと、背を向けた。振り返らなかった。裸足の足音が水を跳ねさせながら遠ざかっていくのを、耳の端で聞いていただけだった。
シェア
← 前の話
プロローグ
次の話 →
第2話
愁月のノクトゥーラ作者:Shin
目次
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません