ホーム屈折している二つ目落語家は野暮ったい盲目ガールに救われる11
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11

「今日はオネェちゃんのいる店に、行かなくていいんか」
 ガハハと常連客のオヤジが、栄助に絡んでくる。いつもならこんな店には来ないが、思うところがあった。栄助はオヤジの隣の席に、陣取った。

 女郎街から近い、下町の飲み屋だ。
 ここには上品な客なぞ、来ない。
 日雇いか、女郎街でしか働けないような客が大半だ。

周吉しゅうきちって、あんたかい?」
「おっ、兄ちゃん。なんで俺の名前を知ってるんだい?」
 気を悪くした様子もなくオヤジは、栄助に話しかける。
 女将に聞いていた通りの風貌だ。すぐに目的の人物に会えたことにホッとすると、栄助は熱燗を、隣のオヤジの分も合わせて頼む。
 初対面の人間にこんなことをされるのは、はじめてなのだろう。
 きょとん、という顔をするオヤジに、栄助は顔を歪めながらも、お猪口に酒を注いだ。
「なんだ、気持ち悪いな」
 と言いながらも、顔がほころぶオヤジ。店主が適当に出したツマミをあてに、一杯やりながら、栄助は口を開いた。

「八光亭栄助って、知ってるかい?」
「知ってるもなにも......」
 ハッと気づいた様子の周吉を横目に、栄助はお猪口を空けた。
「そうかい、あんたがうめの」
 薄っすら滲んだ涙を拭う周吉を、栄助はしばし観察する。
 肉体労働で鍛えたのだろう。力強い肉体は、生命力に溢れている。


 栄助を師匠に預けたとき、母の梅は病気で、客を取ることができなくなっていた。
 そうなった女郎は、宿に置いておけない。
 女将の尽力と温情で、栄助は師匠・八光亭柳助に弟子入りすることが出来、梅は下男として働いていた周吉に、嫁いでいった。
 もう二度と会うことはないと、思っていた。


「......まだ、生きてるのかい」
 誰を、とは聞かなかった。
 別れたときの体調を考えると、とっくに死んでいても、おかしくはないのだ。

 答えが返ってくるまでの、数秒の沈黙が重い。

 オヤジは栄助の空気を吹き飛ばすように、フッと息を吐く。
「あぁ、元気、というと語弊はあるが、まぁのんびり生きてらぁ。おめぇのことは、常に気にしている。合わせる顔がないみたいだが」
「そうか」
 栄助は押し黙る。
 オヤジが燗を空け、ツマミを食べ尽くして席を立つまで黙ったままだった。

「......明後日に」
「ん?」
 今まで黙っていた栄助が、口を開いた。
「明後日、親子会をする。見に来い、って言ってくれや。俺の名前を言えば、入れるだろうよ」
 オヤジは破顔する。
「言っておく。梅も喜ぶだろうよ」
 栄助の母親の名を呼びながら、再度涙ぐむオヤジを残し、栄助は用件は終わりとばかりに席を立ったのだった。


 ※

 師匠には、親子会で噺をしたい落語があるとお願いをしていた。
 苦笑いしながらも、二つ返事で許可をくれた師匠。
 恥はかかせない。
 あとはこの噺を、自分のものにするだけだ。

 栄助は自分の部屋で、ひたすら一つの噺を繰り返す。

 ここは、どんな感情だったのだろうか。

 新三郎が、美人と評判のお露に会いに行った時は?
「会いにこないと死ぬ」と、お露は何故、言ったのだろうか?
 お露が死んだと、聞かされた時は?
 死んだはずのお露と、再び会えた時は?


 一つの噺に渦巻く、人間の複雑な感情。
 その一つ一つを、深く掘っていく。

 寝食も忘れ、何度も、繰り返し繰り返し。

 人間の欲。煩悩。恨みつらみ。
 恋に焦がれるもの。
 金に魂を売るもの。
 ニコニコしながら取り繕うもの。
 偽善の塊のようなもの。

 人はなんて、強欲なのだろうか。

 だけど、栄助は知っている。

 恋でも金でも。欲を持った人間の、狡猾で恐ろしいことを。

 深く登場人物に、寄り添えば寄り添うほど、その凄まじいまでの熱気に、捕らわれる。
 熱気は狂気。
 狂気は栄助に取り憑いて、離れない。

 ――オマエも、堕ちてこい。
 ――オマエも、元々はこちら側の人間だろう。

 人の形を為した何かが、手を変え、言葉を変え、栄助をがんじがらめにする。

 溺れる。

 真っ暗な闇に、堕ちていく......。


(栄助さん)
 タエ子の声が、聞こえた。

 声の方を見ると、細く頼りない糸が一本垂れ下がっていた。

(頼りねぇ糸だなぁ。千切れそうだ)
 軽く糸を引っ張ると、思いの外弾力があり、しなやかだ。
 タエ子のようだ。

(いつでも垂らしますから。安心して、堕ちてください)
 安心して、堕ちろって。
 励ましているのか、突き放しているのか。
 よくわからない物言いだが、タエ子らしい。

 きっと、「大丈夫、助けます」と言われたところで、今の栄助は信じないだろう。

 俺は、欲深い。
 深淵を覗くのが、怖かった。
 覗いたら最後、そこに魅了されることは、わかっていたからだ。
 初めて師匠の、八光亭柳助の落語を聞いて、その場で弟子入りを嘆願したように。
 いざ弟子入りしたら、上っ面でチヤホヤされたから、それに満足していた。
 いや、違う。

 落語の闇の深さに溺れるのが、怖かったのだ。

 ドロドロの人間の感情。大好物ってぇんだ、全く。
 本音を隠して、取り繕って。それでも垣間見える、濁った欲望。
 好きで好きで堪らねぇ。

 堕ちてどうしようもなくなったら、タエ子が、糸で引っ張りあげてくれる。
 今なら心置きなく、沈んでいける。


 栄助は落語に取り憑かれたように、深い人間模様の闇に落ちていった。
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屈折している二つ目落語家は野暮ったい盲目ガールに救われる作者:雪本風香
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「今日はオネェちゃんのいる店に、行かなくていいんか」
 ガハハと常連客のオヤジが、栄助に絡んでくる。いつもならこんな店には来ないが、思うところがあった。栄助はオヤジの隣の席に、陣取った。

 女郎街から近い、下町の飲み屋だ。
 ここには上品な客なぞ、来ない。
 日雇いか、女郎街でしか働けないような客が大半だ。

周吉しゅうきちって、あんたかい?」
「おっ、兄ちゃん。なんで俺の名前を知ってるんだい?」
 気を悪くした様子もなくオヤジは、栄助に話しかける。
 女将に聞いていた通りの風貌だ。すぐに目的の人物に会えたことにホッとすると、栄助は熱燗を、隣のオヤジの分も合わせて頼む。
 初対面の人間にこんなことをされるのは、はじめてなのだろう。
 きょとん、という顔をするオヤジに、栄助は顔を歪めながらも、お猪口に酒を注いだ。
「なんだ、気持ち悪いな」
 と言いながらも、顔がほころぶオヤジ。店主が適当に出したツマミをあてに、一杯やりながら、栄助は口を開いた。

「八光亭栄助って、知ってるかい?」
「知ってるもなにも......」
 ハッと気づいた様子の周吉を横目に、栄助はお猪口を空けた。
「そうかい、あんたがうめの」
 薄っすら滲んだ涙を拭う周吉を、栄助はしばし観察する。
 肉体労働で鍛えたのだろう。力強い肉体は、生命力に溢れている。


 栄助を師匠に預けたとき、母の梅は病気で、客を取ることができなくなっていた。
 そうなった女郎は、宿に置いておけない。
 女将の尽力と温情で、栄助は師匠・八光亭柳助に弟子入りすることが出来、梅は下男として働いていた周吉に、嫁いでいった。
 もう二度と会うことはないと、思っていた。


「......まだ、生きてるのかい」
 誰を、とは聞かなかった。
 別れたときの体調を考えると、とっくに死んでいても、おかしくはないのだ。

 答えが返ってくるまでの、数秒の沈黙が重い。

 オヤジは栄助の空気を吹き飛ばすように、フッと息を吐く。
「あぁ、元気、というと語弊はあるが、まぁのんびり生きてらぁ。おめぇのことは、常に気にしている。合わせる顔がないみたいだが」
「そうか」
 栄助は押し黙る。
 オヤジが燗を空け、ツマミを食べ尽くして席を立つまで黙ったままだった。

「......明後日に」
「ん?」
 今まで黙っていた栄助が、口を開いた。
「明後日、親子会をする。見に来い、って言ってくれや。俺の名前を言えば、入れるだろうよ」
 オヤジは破顔する。
「言っておく。梅も喜ぶだろうよ」
 栄助の母親の名を呼びながら、再度涙ぐむオヤジを残し、栄助は用件は終わりとばかりに席を立ったのだった。


 ※

 師匠には、親子会で噺をしたい落語があるとお願いをしていた。
 苦笑いしながらも、二つ返事で許可をくれた師匠。
 恥はかかせない。
 あとはこの噺を、自分のものにするだけだ。

 栄助は自分の部屋で、ひたすら一つの噺を繰り返す。

 ここは、どんな感情だったのだろうか。

 新三郎が、美人と評判のお露に会いに行った時は?
「会いにこないと死ぬ」と、お露は何故、言ったのだろうか?
 お露が死んだと、聞かされた時は?
 死んだはずのお露と、再び会えた時は?


 一つの噺に渦巻く、人間の複雑な感情。
 その一つ一つを、深く掘っていく。

 寝食も忘れ、何度も、繰り返し繰り返し。

 人間の欲。煩悩。恨みつらみ。
 恋に焦がれるもの。
 金に魂を売るもの。
 ニコニコしながら取り繕うもの。
 偽善の塊のようなもの。

 人はなんて、強欲なのだろうか。

 だけど、栄助は知っている。

 恋でも金でも。欲を持った人間の、狡猾で恐ろしいことを。

 深く登場人物に、寄り添えば寄り添うほど、その凄まじいまでの熱気に、捕らわれる。
 熱気は狂気。
 狂気は栄助に取り憑いて、離れない。

 ――オマエも、堕ちてこい。
 ――オマエも、元々はこちら側の人間だろう。

 人の形を為した何かが、手を変え、言葉を変え、栄助をがんじがらめにする。

 溺れる。

 真っ暗な闇に、堕ちていく......。


(栄助さん)
 タエ子の声が、聞こえた。

 声の方を見ると、細く頼りない糸が一本垂れ下がっていた。

(頼りねぇ糸だなぁ。千切れそうだ)
 軽く糸を引っ張ると、思いの外弾力があり、しなやかだ。
 タエ子のようだ。

(いつでも垂らしますから。安心して、堕ちてください)
 安心して、堕ちろって。
 励ましているのか、突き放しているのか。
 よくわからない物言いだが、タエ子らしい。

 きっと、「大丈夫、助けます」と言われたところで、今の栄助は信じないだろう。

 俺は、欲深い。
 深淵を覗くのが、怖かった。
 覗いたら最後、そこに魅了されることは、わかっていたからだ。
 初めて師匠の、八光亭柳助の落語を聞いて、その場で弟子入りを嘆願したように。
 いざ弟子入りしたら、上っ面でチヤホヤされたから、それに満足していた。
 いや、違う。

 落語の闇の深さに溺れるのが、怖かったのだ。

 ドロドロの人間の感情。大好物ってぇんだ、全く。
 本音を隠して、取り繕って。それでも垣間見える、濁った欲望。
 好きで好きで堪らねぇ。

 堕ちてどうしようもなくなったら、タエ子が、糸で引っ張りあげてくれる。
 今なら心置きなく、沈んでいける。


 栄助は落語に取り憑かれたように、深い人間模様の闇に落ちていった。
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