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謹慎が寄席だけだったのは、師匠の温情だった。
今日もまた、茶屋に呼ばれて一席を打ったあと、部屋で休んでいたときだった。
「栄さん、謹慎になったんだって?」
顔見知りになった店員の女が話しかけてくる。
「もう噂になってんのかい」
「当たり前でしょう。人気若手落語家、三光亭 栄助の噂なんて、一瞬で伝わるわよ」
笑みを浮かべながら話す、この女の名前はなんだったか。
栄助は思い出そうとしたが、結局面倒くさくなって考えるのをやめた。
「ねえ、生活厳しいなら、しばらくうちに来る?」
流し目で媚を売るような視線を投げつける。
そうだ、松栄だ。同じ「栄」の字が入っていると、嬉しそうに話していた女だ。
しなだれかかってくる松栄を、栄助は煩わしそうに押しやる。一度枕を交わしただけなのに、恋人気取りの女がうっとうしい。
「遠慮しとくよ。これ以上面倒を起こしたら、謹慎どころか破門されちまう」
「あら、残念」
松栄はあっさり引き下がる。その辺は茶屋の女だ。栄助の心の内を読み取って、うまく割りきってくれる。
栄助についている客の女も、これくらい見事に割りきってくれれば。
心の中でしゃべったつもりだが、声に出ていたようだ。
「素人の女には無理よ。特に栄さんについているお客さんには」
役者さんと同じよ、と松栄は栄助にとって嬉しくない言葉を告げた。
「市川団十郎と一緒。あの娘たちは、あなたに本気で恋をしているの。お嫁に行くまでの、つかの間の恋」
「なんとまぁ、......迷惑な」
「そりゃあ、栄さんが悪いわ」
不快そうに眉を寄せる栄助に、松栄は楽しそうに笑う。
「あの頃の女はね、目が合っただけで自分に気があると思うものよ。それなのに栄さんったら。高座の度に、わざわざ彼女たちの方を見るから」
「客を見やるのは、当たり前だろってんだ」
「だから栄さんって駄目なのよ」
女将が松栄を呼ぶ声が聞こえる。
ふふふ、と笑って松栄は栄助の元を離れた。
「栄さんも好きな人ができたらわかるわ。大事な娘ができたら」
師匠に言われたのと同じような言葉を残して、松栄は部屋から去っていった。
「なんだってえんだ、あいつは」
栄助の呟きは誰もいない部屋に響いて、消えていった。
※
しばらく入っていた茶屋での一席も、栄助が謹慎していたと知るとすぐに、お呼びがかからなくなる。
情けない、と思う一方で栄助自身、ホッとしているところもあった。
「おい、栄助!」
師匠の呼ぶ声が聞こえると飛んでいく。
「おめぇ、二つ目になったからって、鈍ってるんじゃねぇか? ちゃんと師匠の世話くらいしろってんだ」
「へぇ」
「返事が小せえ」
「へぇ!」
前座の時のようにどやされ、小間使いのように動き回る。
合間に師匠相手に一席打つ。
「全然だな。それでもおめぇ、二つ目か?」
師匠が呆れたように、首を振るところまでお決まりだ。
だが、今日はそれだけで終わらなかった。
「なぁ、栄助よ。おめぇは何故、落語をする?」
「それは......」
栄助は言葉に詰まる。何もかも見透かすような師匠の視線が痛い。
ふぅー、と煙管から煙を吐き出すと、庭を見ながら師匠は口を開いた。
「答えられねぇのか? 前座の時は、いや、儂のところに来たときには、すぐ答えられてたのにな」
沈黙が二人の間に落ちる。
師匠が煙草を吸い終わるまでの数分、静かな時が流れた。
「別に今の落語が悪いとは言わねぇ。そつなくこなすことができてらぁ。だが自分でもわかっているだろう? 時が来たら、おめぇは真打に昇進する。そうしたら弟子もできる。その時にそんな薄っぺらい落語で、指導できるんか」
淡々と語る師匠の言葉は、栄助に聞こえてはいた。だが響いてはなかった。
師匠は残念そうにため息をついた。
「今の若ぇもんらしい、といえばらしいがな。だが......なぁ栄助。落語は......」
その先の言葉は師匠のため息と一緒に空に吸い込まれた。