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黒犬物語②

 人に飼われた経験の無い野犬は、なかなか心を開かなかった。
 撫でることはできず、首輪やリードを着けることもできない。
 散歩に連れ出すなんて夢のまた夢という感じだった。
 このままでは、譲渡見込み無しとされて、殺処分されるかもしれない。
 僕はなんとかして黒犬の心を開こうと、仕事休みの日には会いに行き、オヤツをあげた。

「オヤツ持ってきたよ、食べにおいで」

 ケージの前にしゃがみ、声のトーンを普段よりも下げて話しかけながら、格子の間からオヤツを差し出す。
 黒犬は少し躊躇った後、そーっと近づき、パクリと咥えて後ずさる。

「私たちの手からはオヤツを食べないのに、何故かあなたからは食べますね」

 ナツさんが、その様子を眺めて言う。
 黒犬は「人間の手」を怖がる。
 職員たちは毎日餌や水をあげているのに、オヤツを差し出しても黒犬は怯えて近寄らないらしい。
 でも、僕は初対面からオヤツを受け取ってもらえた。
 その違いは何だろう?

 オヤツは受け取ってくれるけど、手だけ差し出すとビクッとして後ずさる。
 この子が懐く日はくるのだろうか?
 保健所に通いながら、僕は焦りを感じていた。


 黒犬が保健所に収容されてから1ヶ月が経った。
 彼は相変わらず触れられることを拒み、オヤツを咥えるとケージの奥へ下がっていく。

「私たちが保護できる数には限りがありますから、首輪も付けられないような犬は引き出せません」

 譲渡ボランティアのカヲルさんは言う。
 少人数での保護活動故に、全ては救えない。
 譲渡ボランティアと預かりボランティアができることは、収容頭数が限界にならないように、早く譲渡できる犬を引き出すことだけだった。

「虐めたりしないよ、怖くないよ」

 話しかけても、黒犬は出来る限り距離をとろうとケージの後方にへばりつく。
 黒犬を見に来たボランティア仲間が、反対側に回ってケージ越しに手を伸ばすと、器用に身をよじって避けてしまう。

「噛んだりはしないんだね」
「噛んでる暇があったら逃げたいみたいだよ」

 絶対に触られるもんかという気合を感じる避けっぷり。
 噛むという行為も触れることになるから嫌がっている感じがする。
 ここまで気合の入ったビビリ犬を見たのは初めてだった。


「譲渡ボランティアになりませんか?」

 黒犬を懐かせようと保健所に通い詰める僕に、ナツさんが言った。
 預かりボランティアには、収容動物を引き出すことはできない。
 譲渡ボランティアになれば、申請書を提出することで動物たちを救い出すことができる。
 このとき、収容期間が1ヶ月半近くなった黒犬に対して、保健所側は殺処分を検討し始めていた。
 動物愛護精神の高いナツさんはそれを憂えて、僕に譲渡ボランティア登録を提案してきたのだ。

「保健所から動物を引き出すことは、その子の未来を背負うことになります。途中で投げ出すことはできません。譲渡ボランティアになるのなら、その手で救う命たちへの責任と覚悟が必要ですよ」

 長年譲渡ボランティアを続けるカヲルさんは言う。
 預かりボランティアは、きちん世話ができればいい。
 譲渡ボランティアは、保健所から引き出した子に安心できる環境と、幸せな未来を与えなければならない。

(カヲルさんは、譲渡が難しい犬は引き出さない。このままだと、あの大きい虎毛の子みたいに黒犬も殺処分されてしまう......)

 救えなかった虎毛の大型犬の顔が、脳裏に浮かぶ。
 穏やかな表情で尾を振って、すり寄ってきた子。
 一度会っただけなのに、今も悲しい記憶として残っている。

「譲渡ボランティアになります」

 僕は、ナツさんとカヲルさんに告げた。
 こうして、僕は預かりボランティアから、譲渡ボランティアへ登録変更となった。


 僕が引き出しを希望したことで、黒犬の殺処分の話は白紙に戻った。
 譲渡ボランティアは、複数の預かりボランティアと手を組んで保護活動をする。
 新米の僕には、まだ協力してくれる預かりボランティアがいない。
 とりあえず自宅で保護するとして、次の問題は首輪と散歩だ。
 黒犬は職員たちに取り押さえられて首輪を着けられたが、器用にはずしてしまった。
 首輪抜けが得意で、逃げることばかり考えている犬の散歩は、かなり難易度が高い。

「とにかく、人に慣れさせるしかないですね」

 そう話してオヤツを手に保健所に通い続ける僕に、意外な人から預かりボランティアの申し出があった。
 僕にとっては大先輩といえるその人は、現在は一線を退いており、保健所の犬たちの引き出しはしていない。

「私が預かりボランティアになりましょうか。うちで黒犬を預かりながら、あなたに野犬の取り扱い方法を教えますよ」

 その人との出会いが無ければ、今の僕は無かったと思う。
 二十年以上も前に譲渡ボランティアとなり、犬たちのために尽力してきたことで知られるハルカさん(仮名)
 年間数百単位だった保健所の殺処分数を、1桁まで減らした人だ。
 多くの命を救った伝説的な人物が、僕の師匠になってくれた。


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八重山諸島の犬猫の話作者:BIRD
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 人に飼われた経験の無い野犬は、なかなか心を開かなかった。
 撫でることはできず、首輪やリードを着けることもできない。
 散歩に連れ出すなんて夢のまた夢という感じだった。
 このままでは、譲渡見込み無しとされて、殺処分されるかもしれない。
 僕はなんとかして黒犬の心を開こうと、仕事休みの日には会いに行き、オヤツをあげた。

「オヤツ持ってきたよ、食べにおいで」

 ケージの前にしゃがみ、声のトーンを普段よりも下げて話しかけながら、格子の間からオヤツを差し出す。
 黒犬は少し躊躇った後、そーっと近づき、パクリと咥えて後ずさる。

「私たちの手からはオヤツを食べないのに、何故かあなたからは食べますね」

 ナツさんが、その様子を眺めて言う。
 黒犬は「人間の手」を怖がる。
 職員たちは毎日餌や水をあげているのに、オヤツを差し出しても黒犬は怯えて近寄らないらしい。
 でも、僕は初対面からオヤツを受け取ってもらえた。
 その違いは何だろう?

 オヤツは受け取ってくれるけど、手だけ差し出すとビクッとして後ずさる。
 この子が懐く日はくるのだろうか?
 保健所に通いながら、僕は焦りを感じていた。


 黒犬が保健所に収容されてから1ヶ月が経った。
 彼は相変わらず触れられることを拒み、オヤツを咥えるとケージの奥へ下がっていく。

「私たちが保護できる数には限りがありますから、首輪も付けられないような犬は引き出せません」

 譲渡ボランティアのカヲルさんは言う。
 少人数での保護活動故に、全ては救えない。
 譲渡ボランティアと預かりボランティアができることは、収容頭数が限界にならないように、早く譲渡できる犬を引き出すことだけだった。

「虐めたりしないよ、怖くないよ」

 話しかけても、黒犬は出来る限り距離をとろうとケージの後方にへばりつく。
 黒犬を見に来たボランティア仲間が、反対側に回ってケージ越しに手を伸ばすと、器用に身をよじって避けてしまう。

「噛んだりはしないんだね」
「噛んでる暇があったら逃げたいみたいだよ」

 絶対に触られるもんかという気合を感じる避けっぷり。
 噛むという行為も触れることになるから嫌がっている感じがする。
 ここまで気合の入ったビビリ犬を見たのは初めてだった。


「譲渡ボランティアになりませんか?」

 黒犬を懐かせようと保健所に通い詰める僕に、ナツさんが言った。
 預かりボランティアには、収容動物を引き出すことはできない。
 譲渡ボランティアになれば、申請書を提出することで動物たちを救い出すことができる。
 このとき、収容期間が1ヶ月半近くなった黒犬に対して、保健所側は殺処分を検討し始めていた。
 動物愛護精神の高いナツさんはそれを憂えて、僕に譲渡ボランティア登録を提案してきたのだ。

「保健所から動物を引き出すことは、その子の未来を背負うことになります。途中で投げ出すことはできません。譲渡ボランティアになるのなら、その手で救う命たちへの責任と覚悟が必要ですよ」

 長年譲渡ボランティアを続けるカヲルさんは言う。
 預かりボランティアは、きちん世話ができればいい。
 譲渡ボランティアは、保健所から引き出した子に安心できる環境と、幸せな未来を与えなければならない。

(カヲルさんは、譲渡が難しい犬は引き出さない。このままだと、あの大きい虎毛の子みたいに黒犬も殺処分されてしまう......)

 救えなかった虎毛の大型犬の顔が、脳裏に浮かぶ。
 穏やかな表情で尾を振って、すり寄ってきた子。
 一度会っただけなのに、今も悲しい記憶として残っている。

「譲渡ボランティアになります」

 僕は、ナツさんとカヲルさんに告げた。
 こうして、僕は預かりボランティアから、譲渡ボランティアへ登録変更となった。


 僕が引き出しを希望したことで、黒犬の殺処分の話は白紙に戻った。
 譲渡ボランティアは、複数の預かりボランティアと手を組んで保護活動をする。
 新米の僕には、まだ協力してくれる預かりボランティアがいない。
 とりあえず自宅で保護するとして、次の問題は首輪と散歩だ。
 黒犬は職員たちに取り押さえられて首輪を着けられたが、器用にはずしてしまった。
 首輪抜けが得意で、逃げることばかり考えている犬の散歩は、かなり難易度が高い。

「とにかく、人に慣れさせるしかないですね」

 そう話してオヤツを手に保健所に通い続ける僕に、意外な人から預かりボランティアの申し出があった。
 僕にとっては大先輩といえるその人は、現在は一線を退いており、保健所の犬たちの引き出しはしていない。

「私が預かりボランティアになりましょうか。うちで黒犬を預かりながら、あなたに野犬の取り扱い方法を教えますよ」

 その人との出会いが無ければ、今の僕は無かったと思う。
 二十年以上も前に譲渡ボランティアとなり、犬たちのために尽力してきたことで知られるハルカさん(仮名)
 年間数百単位だった保健所の殺処分数を、1桁まで減らした人だ。
 多くの命を救った伝説的な人物が、僕の師匠になってくれた。


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