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黒犬物語③

 2018年4月、黒犬収容から2ヶ月が過ぎた頃。
 ハルカさん指示のもと、保健所職員たちは黒犬に鎮静剤を打ち、皮首輪とハーネスを装着した。
 鎮静剤が効いている間に保健所の車に乗せられた黒犬は、ハルカさんの家へと運ばれていった。

「あの子に名前を付けて下さい。その名で呼ぶことにします」
「では、ルークと呼んでやって下さい」

 本来は預かりボランティアが名付けをするが、ハルカさんは僕に命名権を譲ってくれた。
 僕とハルカさんが見つめる先には、まだボーッとしている黒犬ルークがいる。

 ルークは、首輪とハーネスそれぞれにワイヤーリードを着けた「ダブルリード」でロープに繋がれていた。
 ハルカさんの自宅は戸建てで、広い敷地には高さ150センチの柵で囲われたスペースが2つある。
 その片方は屋根があり、端から端まで1本のロープが張ってあった。

「ここがルークの仮住まいとなります。野犬は普通の庭では飼えません。こうして柵で囲って、脱走対策をして下さい」

 野犬の飼育には、脱走防止柵が必須だとハルカさんは言う。
 ルークはまだ散歩に行ける状態ではないが、長いロープの端から端まで歩き回ることができるので、ストレスは軽減されるらしい。

「私はあまり長くは預かれません。あなたの家の庭に柵が設置できたら、ルークをそちらへ移動しましょう。それまでに少しでも人馴れするように、いつでもいいのでゴハンやオヤツをあげに来て下さい」

 ハルカさんは御両親の介護で内地に帰ることが多いので、保護活動は休止している。
 僕はハルカさんから野犬の取り扱いを学びながら、ルークにゴハンやオヤツをあげに通い続けた。


 野犬は、普通の庭では飼えない。
 確かにその通りだと、翌日ルークに会いに行った僕は思った。

 皮首輪モハーネスもダブルリードも、ルークを拘束することはできないようだ。
 保健所からハルカさんの家に移った翌朝、ルークは装着されていた物を全て自力ではずし、屋根付き庭でフリーになっていた。
 もしも柵がなかったら、いなくなっていたに違いない。

「これでは、お散歩トレーニングができませんね」

 ハルカさんが溜息混じりに言う。
 その視線の先にいる黒犬は、それ以上行けないだろってくらい距離をとりながら、こちらを見つめていた。
 僕たちがちょっと動いただけで、ビクッと身体を震わせて柵沿いに走る。
 絶対に捕まるもんかという気合の入った逃げっぷりだ。

「とりあえず、オヤツを見せびらかしながら置いてみましょう」
「小さくちぎって一列に並べて、少しずつ近づきながら食べるように誘導してみます」

 散歩ができないなら、食べ物で釣って近寄らせて、人間が近くにいることに慣らす作戦だ。
 庭の真ん中にオヤツを置く僕を、柵に身を寄せるように立つルークがじっと見つめてくる。
 僕が小さくちぎったオヤツを点々と置きながら離れていくと、ルークはサッと走ってきてオヤツを口にした。
 しかし、食べたのは僕から5メートル離れた位置までで、そこから先には踏み込んでこなかった。


 ハルカさんの家には、貰い手がつかずに残った3頭の犬たちがいた。
 いずれも10歳超えのシニア犬で、もう保護犬というより飼い犬と思って看取るつもりだとハルカさんは言う。
 そのシニア犬たちの1頭、マメちゃんと呼ばれるおじいちゃん犬は世話焼きで、ルークをとてもかわいがってくれた。
 人間には絶対触れようとしないルークが、マメちゃんにはピッタリくっついている。

「ルークって、犬は好きなんですねぇ」
「野犬は、他の犬と一緒にいることを好むのですよ」

 マメちゃんは人懐っこくて、僕にも親し気に寄って来てくれた。
 ルークはマメちゃんに釣られてこちらへ近づきかけて、ハッと気づいて柵の方へ逃げていった。

「残念、釣られてはくれないか」

 僕が呟く声に反応して、ルークはビクッと身体を震わせた。
 ルークはビクビクしながら柵の近くをウロウロしている。
 マメちゃんはルークに背を向けて、僕に頭を寄せてきた。
 撫でてあげると、マメちゃんは嬉しそうに目を細めて尻尾を左右に振る。
 それはまるで、ルークに「この人は怖くないよ」と教えているみたいだった。

 マメちゃんの存在は、ルークの心に少しずつ変化をもたらしていく。
 賢くて穏やかな老犬は、野犬の人馴れへの道しるべとなった。


 ハルカさんの家に預けてから1ヶ月後。
 マメちゃん効果で、ルークの心が開き始めた。

 半径5メートル以内には近づいてこなかったのに。
 むしろ逃げられるところまで逃げたい感じだったのに。

 ルークが、自分から近づいて来るようになった。
 オヤツを袋から出そうとガサガサやってると、匂いを嗅ぎに来る。
 触れそうで触れないギリギリ距離まで近づいて来る。
 オヤツを差し出すと、保健所のケージにいた頃よりも躊躇わずパクリと食べた。

「凄い変化ですね」
「まだ撫でさせてはくれないんですけどね」

 鼻息がかかるくらい顔を近づけてくるくせに、こちらから触ろうとするとサッと避ける。
 自分から近づくのはいいが、近づかれるとビクッとして逃げる。
 興味はあるけど、ちょっと怖いという感じだろうか?
 自分で鼻づらを近づけるくせに、人の手が頬や顎に近づくと、触れる前に素早く避けてしまう。
 特に、首回りに人の手が近づくことを警戒しているようだ。
 拘束されると思っているのかもしれない。
 ルークの中で好奇心と警戒心が入り混じった状態は、その後半年以上も続いた。
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八重山諸島の犬猫の話作者:BIRD
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 ハルカさん指示のもと、保健所職員たちは黒犬に鎮静剤を打ち、皮首輪とハーネスを装着した。
 鎮静剤が効いている間に保健所の車に乗せられた黒犬は、ハルカさんの家へと運ばれていった。

「あの子に名前を付けて下さい。その名で呼ぶことにします」
「では、ルークと呼んでやって下さい」

 本来は預かりボランティアが名付けをするが、ハルカさんは僕に命名権を譲ってくれた。
 僕とハルカさんが見つめる先には、まだボーッとしている黒犬ルークがいる。

 ルークは、首輪とハーネスそれぞれにワイヤーリードを着けた「ダブルリード」でロープに繋がれていた。
 ハルカさんの自宅は戸建てで、広い敷地には高さ150センチの柵で囲われたスペースが2つある。
 その片方は屋根があり、端から端まで1本のロープが張ってあった。

「ここがルークの仮住まいとなります。野犬は普通の庭では飼えません。こうして柵で囲って、脱走対策をして下さい」

 野犬の飼育には、脱走防止柵が必須だとハルカさんは言う。
 ルークはまだ散歩に行ける状態ではないが、長いロープの端から端まで歩き回ることができるので、ストレスは軽減されるらしい。

「私はあまり長くは預かれません。あなたの家の庭に柵が設置できたら、ルークをそちらへ移動しましょう。それまでに少しでも人馴れするように、いつでもいいのでゴハンやオヤツをあげに来て下さい」

 ハルカさんは御両親の介護で内地に帰ることが多いので、保護活動は休止している。
 僕はハルカさんから野犬の取り扱いを学びながら、ルークにゴハンやオヤツをあげに通い続けた。


 野犬は、普通の庭では飼えない。
 確かにその通りだと、翌日ルークに会いに行った僕は思った。

 皮首輪モハーネスもダブルリードも、ルークを拘束することはできないようだ。
 保健所からハルカさんの家に移った翌朝、ルークは装着されていた物を全て自力ではずし、屋根付き庭でフリーになっていた。
 もしも柵がなかったら、いなくなっていたに違いない。

「これでは、お散歩トレーニングができませんね」

 ハルカさんが溜息混じりに言う。
 その視線の先にいる黒犬は、それ以上行けないだろってくらい距離をとりながら、こちらを見つめていた。
 僕たちがちょっと動いただけで、ビクッと身体を震わせて柵沿いに走る。
 絶対に捕まるもんかという気合の入った逃げっぷりだ。

「とりあえず、オヤツを見せびらかしながら置いてみましょう」
「小さくちぎって一列に並べて、少しずつ近づきながら食べるように誘導してみます」

 散歩ができないなら、食べ物で釣って近寄らせて、人間が近くにいることに慣らす作戦だ。
 庭の真ん中にオヤツを置く僕を、柵に身を寄せるように立つルークがじっと見つめてくる。
 僕が小さくちぎったオヤツを点々と置きながら離れていくと、ルークはサッと走ってきてオヤツを口にした。
 しかし、食べたのは僕から5メートル離れた位置までで、そこから先には踏み込んでこなかった。


 ハルカさんの家には、貰い手がつかずに残った3頭の犬たちがいた。
 いずれも10歳超えのシニア犬で、もう保護犬というより飼い犬と思って看取るつもりだとハルカさんは言う。
 そのシニア犬たちの1頭、マメちゃんと呼ばれるおじいちゃん犬は世話焼きで、ルークをとてもかわいがってくれた。
 人間には絶対触れようとしないルークが、マメちゃんにはピッタリくっついている。

「ルークって、犬は好きなんですねぇ」
「野犬は、他の犬と一緒にいることを好むのですよ」

 マメちゃんは人懐っこくて、僕にも親し気に寄って来てくれた。
 ルークはマメちゃんに釣られてこちらへ近づきかけて、ハッと気づいて柵の方へ逃げていった。

「残念、釣られてはくれないか」

 僕が呟く声に反応して、ルークはビクッと身体を震わせた。
 ルークはビクビクしながら柵の近くをウロウロしている。
 マメちゃんはルークに背を向けて、僕に頭を寄せてきた。
 撫でてあげると、マメちゃんは嬉しそうに目を細めて尻尾を左右に振る。
 それはまるで、ルークに「この人は怖くないよ」と教えているみたいだった。

 マメちゃんの存在は、ルークの心に少しずつ変化をもたらしていく。
 賢くて穏やかな老犬は、野犬の人馴れへの道しるべとなった。


 ハルカさんの家に預けてから1ヶ月後。
 マメちゃん効果で、ルークの心が開き始めた。

 半径5メートル以内には近づいてこなかったのに。
 むしろ逃げられるところまで逃げたい感じだったのに。

 ルークが、自分から近づいて来るようになった。
 オヤツを袋から出そうとガサガサやってると、匂いを嗅ぎに来る。
 触れそうで触れないギリギリ距離まで近づいて来る。
 オヤツを差し出すと、保健所のケージにいた頃よりも躊躇わずパクリと食べた。

「凄い変化ですね」
「まだ撫でさせてはくれないんですけどね」

 鼻息がかかるくらい顔を近づけてくるくせに、こちらから触ろうとするとサッと避ける。
 自分から近づくのはいいが、近づかれるとビクッとして逃げる。
 興味はあるけど、ちょっと怖いという感じだろうか?
 自分で鼻づらを近づけるくせに、人の手が頬や顎に近づくと、触れる前に素早く避けてしまう。
 特に、首回りに人の手が近づくことを警戒しているようだ。
 拘束されると思っているのかもしれない。
 ルークの中で好奇心と警戒心が入り混じった状態は、その後半年以上も続いた。
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