
黒犬物語④
2018年10月。
遂に我が家の庭のフェンス設置工事が終わった。
ハルカさんの家の庭を参考にした、高さ150センチのポールとワイヤーメッシュで作られた柵だ。
ルークはタカオさんに捕獲棒で取り押さえられ、ナツさんに鎮静剤を注射され、動けなくなったところで首輪2つとリードを着けられ、保健所の車でハルカさん宅から僕の家まで搬送された。
「半年間ありがとうございました」
僕はハルカさんにお礼を言って、ルークを自宅に迎え入れた。
飼育スペースは家の東側をフェンスで囲ったエリア。
端から端まで張ったロープに、ダブルリードでルークを繋いだ。
しかし、工事を請け負った会社も僕も、ルークの身体能力を甘く見ていた。
「えっ、これ通り抜けたの?!」
真夜中。
クンクン鳴く声がするので様子を見に行った僕は、想定外の事態に慌てた。
なんと、体重10キロ中型犬のルークが、15センチ角のワイヤーメッシュを通り抜けてしまったのだ。
首輪やリードがはずれなかったので脱走には至らなかったものの、通り抜けられるフェンスじゃ意味がない。
「10センチ角のワイヤーメッシュを買って、結束バンドで取り付けたらいいよ」
近所に住むアサダさんが、アドバイスをくれた。
アサダさんは動物好きであり、いろいろと物知りでもある。
彼はワイヤーメッシュの取り付け作業まで手伝ってくれた。
「ルークちゃん抜け出して鳴いてたから、戻しておいたよ」
向かいの家に住むナガワさんは、僕の留守中にフェンスを通り抜けたルークを、中へ押し戻してくれていた。
隣人たちが助けてくれるのは、離島の小さな集落の良いところ。
ルークは近所の人々に見守られながら、ゆっくりと変わっていった。
ルークは、色々とやらかす犬だった。
ワイヤーメッシュをくぐり抜けられなくなってホッとしたのも束の間、首輪を噛みちぎり、柵の中でフリーになってしまった。
(またタカオさんに捕まえてもらうか......。 でもその前に、自分で捕まえられるか挑戦してみよう)
僕は散歩用に買っておいたリードを使って簡易投げ縄を作り、それを手にルークに近づく。
ルークは右往左往しながら、フェンスの角へと下がっていった。
投げ縄を構えてジリジリ近づく僕と、どっちへ逃げようかとキョロキョロと辺りを見回すルーク。
しばし見つめ合った後、僕は投げ縄を横にスライドさせるように放った。
牧場バイト時代、親方に投げ縄を習ったものの、あんまり上達はしなかったけど。
多分このとき、僕は運が良かったんだろう。
投げ縄は完璧にルークを捕らえた。
「もう逃げられないぞ。観念しろよ」
僕の言葉を理解したかのように、ルークはその場に座り込む。
逃げることを諦めたルークは大人しかった。
石像みたいに固まった犬に、首輪とリードを着けるのは簡単だ。
「よしよし、よく我慢したね」
僕はリードの端をロープに繋ぎ、首輪を掴んだままルークの頬をそっと撫でてみた。
そこがルークのツボだったのかもしれない。
拘束されながらとはいえ、初めて撫でられた元野犬は、少し表情を和らげて大人しくしていた。
人を怖がる野犬が、人を慕う愛犬に変わったのは、2019年1月のこと。
あのときのルークのまなざしは、何年経っても鮮やかな記憶として残っている。
(あれ? 今日は避けないのか......?)
いつものように、ルークの様子を見に行ったとき。
犬小屋の中で座っているルークに触れようとした僕は、その手が拒まれないことに気づいた。
ルークはオスワリしたまま、尻尾の先を振っている。
つぶらな黒い瞳は澄んでいて、静かにこちらを見つめていた。
「この手は怖くないって、分かってくれたんだね」
話しかけると、答えるように尻尾を少し持ち上げて振る。
僕が片手を近づけると、ルークは大人しく撫でられた。
今までなら、手を近づけたらビクッとして避けていたのに。
保健所の犬舎で出会ってから1年近く。
この子が完全に懐くことはないと思っていたのに。
ルークはまるで奇跡のように、心の扉を開いてくれた。
「ルークは、うちの子にします」
僕は、保健所に譲渡報告書を提出して告げた。
人馴れしたら里親探しをする予定だったけれど。
僕はルークと暮らすうちに手放せなくなり、保護犬ではなく家族として迎えることを決めたのだった。
エピソード「黒犬物語」END