
黒犬物語①
触れられることを拒み続けた犬が、愛を知るまでの物語
僕とルークとの出会いは、保健所の犬舎の中だった。
その日、保健所には、3頭の犬が収容されていた。
生後2ヶ月くらい、人懐っこくて元気な黒白仔犬。
20キロくらいありそうな、落ち着いた大型の虎毛の犬。
10キロくらいの、ビクビク怯えている黒白の中型犬。
3頭の中で、1頭だけビクビク怯えている犬が、捕獲機で捕まった野犬ルークだった。
保健所には「譲渡ボランティア」というシステムがある。
譲渡ボランティアは、保健所から収容動物を引き出して保護した後、里親に譲り渡すことで殺処分を防ぐボランティアのことだ。
当時の僕は、譲渡ボランティアの知人が引き出した犬を代わりに飼育する「預かりボランティア」をしていた。
その日は、新たに預かる収容犬の下見で、保健所を訪れていた。
「仔犬はすぐ貰われそうですね」
「はい、既に問い合わせがきています」
元気いっぱいケージから鼻先や前足を突き出してくる仔犬は、ボランティアの手を借りなくても貰われていきそうだ。
僕が預かるとしたら、虎毛の大型犬か、黒白の中型犬になるかな。
そう思いつつオヤツを差し出すと、大型犬は迷わずパクリと食べた。
中型犬はというと、おずおずと躊躇いがちに顔を近づけて、オヤツを咥えるとケージの奥まで後ずさりしていった。
「ビビリですね」
「貰い手が見つかればいいのですが......」
ケージの奥で縮こまりながらオヤツを食べる犬を見つめて、僕と保健所職員は心配そうに呟いた。
保健所の動物たちが、殺処分から免れる方法は3つある。
①飼い主が迎えに来る
②里親希望の人に引き取られる
③譲渡ボランティアに引き出される
譲渡ボランティアが保健所から動物たちを引き出すには、預かりボランティアの存在が重要になる。
特に犬は散歩などの労力を必要とするため、1人の預かりボランティアが引き受けられるのは、基本的に1頭だけだった。
「少し考えてから決めますね」
「はい、よろしくお願いします」
僕は、どの子を預かるか保留にして、一旦保健所から出た。
仔犬はボランティアの手を借りなくても里親に引き取られるだろう。
預かるとしたら人懐っこい大型犬か、ビビリの中型犬か、どちらかになりそうだ。
20キロ超えの人懐っこい大型犬か、10キロのビビリ野犬か。
僕が預かれる犬は、今のところそのどちらか片方だ。
といっても、その頃の僕に保健所から犬を引き出す権限は無く、譲渡ボランティアの知人に決定権があった。
「全てを救えるわけではありません。里親に繋がりそうな子を選びましょう」
譲渡ボランティアの知人は、僕によく考えるようにと告げる。
大型犬は、石垣島では貰い手がつきにくい。
人馴れしていない野犬は、譲渡しても脱走する可能性がある。
選択に困っていたところに、新たな犬が保健所に収容された。
柴犬に似た明るい茶色の短毛。
栗色の瞳が美しい、立ち耳の中型犬。
新入りは、すぐに寄ってくる人懐っこい犬だった。
「先にこの子を引き出すので、預かってもらえますか?」
「分かりました」
保健所は、収容可能頭数の限界近くなれば、殺処分をするしかなくなる。
犬が増えれば、殺処分に近づく。
譲渡ボランティアはそれを防ぐため、早く譲渡できそうな犬を選ぶ必要があった。
こうして、僕は新入り犬を預かることになった。
預かり犬には「さくら」と名付けた。
さくらは愛らしい見た目と性格のおかげで、すぐに貰い手が見つかった。
里親希望の家族が見学に来て、その場でトライアル決定となり、立ち会った譲渡ボランティアが届けに行ってくれた。
保健所の譲渡ボランティア登録者は複数いる。
しかし、当時この島で活動していた譲渡ボランティアは1人だけで、救えるものがとても少なかった。
初めての預かり犬「さくら」が新たな家族に引き取られた後。
僕は次の預かり犬を選ぶため、再び保健所の犬舎を訪れた。
ビビリの黒犬は、相変わらず人の手を避けて後ずさる。
その左右のケージは、どちらも空っぽだ。
仔犬は里親希望がきていると聞いていたけど、あの大型犬も貰われたのだろうか?
「あれ? あの大きい子、貰われたんですか?」
「いえ、あの子は......譲渡見込みが無かったので......」
大型犬について聞くと、職員のナツさんは言葉を濁した。
当時、里親希望やボランティアが引き出す可能性が低い犬は、譲渡見込み無しとされて殺処分されることがあった。
大きすぎたから。
フィラリア強陽性で長くはなさそうだったから。
誰も引き取ってくれなさそうだから。
20キロ超えの大きな虎毛の犬は、そうした事情から殺処分となった。
石垣島には殺処分機は無いので、薬物注射による安楽死だと知らされた。
初めて会ったとき、大きな虎毛の犬は穏やかで、ケージから出されたら尻尾を振ってすり寄ってきてくれた。
こんなに優しい子なら、大きくても誰か貰ってくれるかもと期待していたのに。
彼の命は、救いの手から零れ落ちてしまった。
全てを、救えるわけじゃない。
分かっていたつもりだったけど、その死は鉛のように重く、心の底へ沈んでいった。