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第19話 読まれていた

 7階の入退館記録は、引けない。試す前から分かっていたことだ。

 役員フロアだけ、別系統だった。

 管理しているのは外部のセキュリティ会社で、社内のシステムとは繋がっていない。専用の回線で、専用のサーバに、専用の担当者が触る。

 当然といえば当然の設計だ。俺が設計しても、そうする。

 つまり、あの深夜に7階の端末を叩いた人間が誰なのかは、正面からは絶対に分からない。

  ◇

 俺は昼過ぎのベッドで、天井を見ていた。

 火災報知器から、線が2本。その先に、白い箱がある。

 今回は箱を外していない。触っていない。向こうに気づかせたくないからだ。だから頭上には、いまも、手つかずのそれがある。

 だが、今夜それは動かない。動かす必要がない。俺は鍵をかけて閉じこもったりしないからだ。

 来るのは、主系統だ。

 残り時間を計算した。夜勤に入るまで6時間。夜勤の中で自由に使えるのは、定例ログ点検を片手で流しながらの数時間だけだ。

 正面から無理なら、横から入る。

 バックアップだ。

 あの建物の全システムのバックアップ運用は、東和とうわシステムズの委託範囲に入っている。毎晩それを回してきたのは俺たちだ。

 保存先も、世代数も、復元手順も、全部知っている。

 というより、あの手順書を書いたのは俺だ。

 俺の権限で、正規に触れる。越境する必要すらない。

  ◇

 9月19日、木曜日。20時、入館。3日連続の変則勤務。

 芦原千種あしはらちぐさの申し送りを聞いた。日中は平和でした。バッチは全部通っています。今夜は月次の定例ログ点検の当番ですよ。

「知ってる」

「うわ、その顔で。代わりましょうか」

「いい」

 彼女はしばらく俺の顔を見ていた。

「黒瀬さん、最近ずっと変ですよ」

「そうか」

「そうかじゃないです」

 彼女は上着を取って、ドアの前で立ち止まった。

「明日の明けは、ほんとに休んでくださいね」

 明日の明けに、俺はいない。

「休む」

「前も同じこと言ってましたけど」

 言った。1回目の夜にも、同じ言葉で言った。

「今度は本当に休む」

 彼女は納得していない顔のまま、出ていった。

  ◇

 22時。俺はバックアップの復元を始めた。

 全部を戻す必要はない。欲しいのは1つだけだ。

 チケット管理システムの、先月分。

 俺が起票した4件が、まだ生きていた頃のデータ。

  ◇

 復元には1時間40分かかった。

 その間、俺は定例ログ点検を進めた。ログを流し見ながら、片方の目でバックアップの進捗を見る。二重作業には慣れている。この現場ではいつも人が足りていなかった。

 23時40分、復元完了。

 俺は現在のデータベースと、復元したものの差分を取った。

 1件だけ、差分が出た。

  件名:No.7ラック背面 台帳未記載機器の確認依頼
  起票者:黒瀬彰くろせあきら

  【復元データ】状態:未対応
  【現在データ】状態:クローズ済/対応不要

 知っている変化だ。1回目の、19日の夜勤で、俺はこれを自分の目で見た。あのとき俺は、対応者の欄が空欄なのを見て、「手順を知らない人がステータスだけ変えるとこうなる」と思った。たまにあることだと思った。

 今回は、その先を見る。

 差分だけでは足りない。誰が、どこから変えたのか。

 俺はチケットシステムの操作ログを引いた。

  更新日時:9月18日 00:31:08
  操作:状態変更(未対応 → クローズ済/対応不要)
  実行アカウント:maint-adm
  接続元:7階

 繋がった。

 2ヶ月前の23分間の空白を作ったのと、同じアカウント。同じフロア。

 そして時刻。

 落雷の夜の0時31分。1回目の夜なら、俺が5階の運用室で、基幹系の復旧作業をしていた真っ最中だ。

 あの夜、俺は必死で回線を切り替えていた。その9分後に復旧して、翌日の全社向けのお知らせに、俺の名前はなかった。

 回線を切り替えていた、その最中に、7階の誰かは、俺の書いたチケットを消していた。

 俺は椅子から立ち上がって、運用室の中を一往復した。座り直して、もう一つ、確かめることにした。

 チケットを消すということは、その存在を知っていたということだ。

 俺の起票した、誰も読まないはずのチケットを。

  ◇

 報告書と作業記録の参照ログを引いた。

 誰が、いつ、どの文書を開いたか。閲覧の記録は残る。残るが、誰も見ない。俺だって、自分の書いたものが読まれたかどうかなんて、確認したことがなかった。

 期間を、9年に設定した。

 処理に時間がかかった。俺はその間、コーヒーを取りに廊下に出た。

 自販機の前は、非常灯の緑色に沈んでいた。エレベーターの階数表示は1階で止まっていた。

 戻ると、結果が出ていた。

 俺が9年間に書いた文書は、4,000件を超えていた。

 作業記録。障害報告書。改善提案。月次点検の報告。指摘事項の一覧。

 そのうち、他人に開かれたことのある文書は、全体の1割にも満たなかった。

 知ってはいた。知ってはいたが、数字で見ると別のものだった。

 俺は自分の9年を、行数で見ていた。4,000件のうちの3,700件が、誰にも開かれずにサーバの中にある。

 沼田ぬまた課長に読まれた形跡すらないものが、山ほどあった。

 俺は少しの間、その数字を見ていた。それから、条件を変えた。参照元を、7階に絞る。

  該当:214件

 214件。

 7階の誰かが、俺の書いたものを、214回開いている。

 開始は、8ヶ月前だった。

 そこから、ほぼ毎月。俺が上げた報告書を、上がったその日か、翌日には開いている。

 電源系統の指摘。ケーブル管理の不備。サポート切れ端末の残置。共用アカウントの運用について。監視の誤検知が放置されていること。

 全部だ。

 俺が書き続けて、誰にも読まれないと思っていたものを、8ヶ月前から、7階の誰かが読んでいた。

 喉の奥が、詰まった。

 最初に来たのは、恐怖ではなかった。

 情けない話だが、一瞬、嬉しかった。

 9年だ。9年間、誰も読まなかった。読んでも「角が立つから」で終わった。予算がないから、動いているものは触るなから、で終わった。俺の書いたものはサーバの肥やしで、俺の仕事は誰の記憶にも残らないものだと思っていた。

 読んでいた人がいた。

 214回。

 その気持ちが引いていくのに、たぶん5秒もかからなかった。

 俺は椅子の上で、ゆっくりと背筋を伸ばした。もう一度、一覧に戻る。214件の最後の1件が、いつ開かれたか。

 先月。

 俺が、No.7ラックの台帳未記載機器について起票した、その日。

 開かれた時刻は、俺が起票してから、11分後だった。

 11分。俺がチケットを保存して、コーヒーを飲んで、次の作業に移るくらいの時間だ。

 誰かが、俺の起票を待っていたみたいに。

  ◇

 4時10分、通知が鳴った。

  >【業務連絡】本日早朝の巡回について
  > 各位
  > 本日5階の設備巡回は不要です。実施済みの扱いとしてください。
  > シラカワ・ワークス 秘書室 桐生紗英きりゅうさえ

 朝まで、このフロアには誰も来ない。

 この連絡は、誰のために出されているんだろう。

 あと40分ある。

 俺は残りの時間で、8ヶ月前より前を調べた。

 7階からの参照は、8ヶ月前に始まっている。それより前は、1件もない。

 つまり、8ヶ月前に何かが起きた。

 俺が何かを書いたか。

 あるいは、俺が何かを見たか。

 8ヶ月前の俺の文書を、日付順に並べた。

 一覧に出るのは文書番号だけだ。8ヶ月前の月に、俺は十数件書いている。番号を見ても、どれが何かは思い出せなかった。

 俺は端から順に開いていった。

 4時40分。

 4時45分。

 目が、一つの行で止まった。
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第18話 7階
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デバッグ・ザ・フューチャー ―不敗の社長と、3日前に戻る限界SE―作者:黒い★彡彗星
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第19話 読まれていた

 7階の入退館記録は、引けない。試す前から分かっていたことだ。

 役員フロアだけ、別系統だった。

 管理しているのは外部のセキュリティ会社で、社内のシステムとは繋がっていない。専用の回線で、専用のサーバに、専用の担当者が触る。

 当然といえば当然の設計だ。俺が設計しても、そうする。

 つまり、あの深夜に7階の端末を叩いた人間が誰なのかは、正面からは絶対に分からない。

  ◇

 俺は昼過ぎのベッドで、天井を見ていた。

 火災報知器から、線が2本。その先に、白い箱がある。

 今回は箱を外していない。触っていない。向こうに気づかせたくないからだ。だから頭上には、いまも、手つかずのそれがある。

 だが、今夜それは動かない。動かす必要がない。俺は鍵をかけて閉じこもったりしないからだ。

 来るのは、主系統だ。

 残り時間を計算した。夜勤に入るまで6時間。夜勤の中で自由に使えるのは、定例ログ点検を片手で流しながらの数時間だけだ。

 正面から無理なら、横から入る。

 バックアップだ。

 あの建物の全システムのバックアップ運用は、東和とうわシステムズの委託範囲に入っている。毎晩それを回してきたのは俺たちだ。

 保存先も、世代数も、復元手順も、全部知っている。

 というより、あの手順書を書いたのは俺だ。

 俺の権限で、正規に触れる。越境する必要すらない。

  ◇

 9月19日、木曜日。20時、入館。3日連続の変則勤務。

 芦原千種あしはらちぐさの申し送りを聞いた。日中は平和でした。バッチは全部通っています。今夜は月次の定例ログ点検の当番ですよ。

「知ってる」

「うわ、その顔で。代わりましょうか」

「いい」

 彼女はしばらく俺の顔を見ていた。

「黒瀬さん、最近ずっと変ですよ」

「そうか」

「そうかじゃないです」

 彼女は上着を取って、ドアの前で立ち止まった。

「明日の明けは、ほんとに休んでくださいね」

 明日の明けに、俺はいない。

「休む」

「前も同じこと言ってましたけど」

 言った。1回目の夜にも、同じ言葉で言った。

「今度は本当に休む」

 彼女は納得していない顔のまま、出ていった。

  ◇

 22時。俺はバックアップの復元を始めた。

 全部を戻す必要はない。欲しいのは1つだけだ。

 チケット管理システムの、先月分。

 俺が起票した4件が、まだ生きていた頃のデータ。

  ◇

 復元には1時間40分かかった。

 その間、俺は定例ログ点検を進めた。ログを流し見ながら、片方の目でバックアップの進捗を見る。二重作業には慣れている。この現場ではいつも人が足りていなかった。

 23時40分、復元完了。

 俺は現在のデータベースと、復元したものの差分を取った。

 1件だけ、差分が出た。

  件名:No.7ラック背面 台帳未記載機器の確認依頼
  起票者:黒瀬彰くろせあきら

  【復元データ】状態:未対応
  【現在データ】状態:クローズ済/対応不要

 知っている変化だ。1回目の、19日の夜勤で、俺はこれを自分の目で見た。あのとき俺は、対応者の欄が空欄なのを見て、「手順を知らない人がステータスだけ変えるとこうなる」と思った。たまにあることだと思った。

 今回は、その先を見る。

 差分だけでは足りない。誰が、どこから変えたのか。

 俺はチケットシステムの操作ログを引いた。

  更新日時:9月18日 00:31:08
  操作:状態変更(未対応 → クローズ済/対応不要)
  実行アカウント:maint-adm
  接続元:7階

 繋がった。

 2ヶ月前の23分間の空白を作ったのと、同じアカウント。同じフロア。

 そして時刻。

 落雷の夜の0時31分。1回目の夜なら、俺が5階の運用室で、基幹系の復旧作業をしていた真っ最中だ。

 あの夜、俺は必死で回線を切り替えていた。その9分後に復旧して、翌日の全社向けのお知らせに、俺の名前はなかった。

 回線を切り替えていた、その最中に、7階の誰かは、俺の書いたチケットを消していた。

 俺は椅子から立ち上がって、運用室の中を一往復した。座り直して、もう一つ、確かめることにした。

 チケットを消すということは、その存在を知っていたということだ。

 俺の起票した、誰も読まないはずのチケットを。

  ◇

 報告書と作業記録の参照ログを引いた。

 誰が、いつ、どの文書を開いたか。閲覧の記録は残る。残るが、誰も見ない。俺だって、自分の書いたものが読まれたかどうかなんて、確認したことがなかった。

 期間を、9年に設定した。

 処理に時間がかかった。俺はその間、コーヒーを取りに廊下に出た。

 自販機の前は、非常灯の緑色に沈んでいた。エレベーターの階数表示は1階で止まっていた。

 戻ると、結果が出ていた。

 俺が9年間に書いた文書は、4,000件を超えていた。

 作業記録。障害報告書。改善提案。月次点検の報告。指摘事項の一覧。

 そのうち、他人に開かれたことのある文書は、全体の1割にも満たなかった。

 知ってはいた。知ってはいたが、数字で見ると別のものだった。

 俺は自分の9年を、行数で見ていた。4,000件のうちの3,700件が、誰にも開かれずにサーバの中にある。

 沼田ぬまた課長に読まれた形跡すらないものが、山ほどあった。

 俺は少しの間、その数字を見ていた。それから、条件を変えた。参照元を、7階に絞る。

  該当:214件

 214件。

 7階の誰かが、俺の書いたものを、214回開いている。

 開始は、8ヶ月前だった。

 そこから、ほぼ毎月。俺が上げた報告書を、上がったその日か、翌日には開いている。

 電源系統の指摘。ケーブル管理の不備。サポート切れ端末の残置。共用アカウントの運用について。監視の誤検知が放置されていること。

 全部だ。

 俺が書き続けて、誰にも読まれないと思っていたものを、8ヶ月前から、7階の誰かが読んでいた。

 喉の奥が、詰まった。

 最初に来たのは、恐怖ではなかった。

 情けない話だが、一瞬、嬉しかった。

 9年だ。9年間、誰も読まなかった。読んでも「角が立つから」で終わった。予算がないから、動いているものは触るなから、で終わった。俺の書いたものはサーバの肥やしで、俺の仕事は誰の記憶にも残らないものだと思っていた。

 読んでいた人がいた。

 214回。

 その気持ちが引いていくのに、たぶん5秒もかからなかった。

 俺は椅子の上で、ゆっくりと背筋を伸ばした。もう一度、一覧に戻る。214件の最後の1件が、いつ開かれたか。

 先月。

 俺が、No.7ラックの台帳未記載機器について起票した、その日。

 開かれた時刻は、俺が起票してから、11分後だった。

 11分。俺がチケットを保存して、コーヒーを飲んで、次の作業に移るくらいの時間だ。

 誰かが、俺の起票を待っていたみたいに。

  ◇

 4時10分、通知が鳴った。

  >【業務連絡】本日早朝の巡回について
  > 各位
  > 本日5階の設備巡回は不要です。実施済みの扱いとしてください。
  > シラカワ・ワークス 秘書室 桐生紗英きりゅうさえ

 朝まで、このフロアには誰も来ない。

 この連絡は、誰のために出されているんだろう。

 あと40分ある。

 俺は残りの時間で、8ヶ月前より前を調べた。

 7階からの参照は、8ヶ月前に始まっている。それより前は、1件もない。

 つまり、8ヶ月前に何かが起きた。

 俺が何かを書いたか。

 あるいは、俺が何かを見たか。

 8ヶ月前の俺の文書を、日付順に並べた。

 一覧に出るのは文書番号だけだ。8ヶ月前の月に、俺は十数件書いている。番号を見ても、どれが何かは思い出せなかった。

 俺は端から順に開いていった。

 4時40分。

 4時45分。

 目が、一つの行で止まった。
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