⑤ 英二の回想⑴
「あの頃は楽しかったな」
昼のお得意様の接待で、したたかに酒を飲んでしまったオレは、まだ夕方だというのに、千鳥足で歩きながら、初めて仕事をしたときの事を思い出していた。あの頃のオレは若く、とにかく元気でがむしゃらで。夢中で働いた。そしてその最初の職場が、今の妻との出会いの場となったんだ。
「ただいまあ。今帰ったぞ!」
社宅兼モデルハウスの我が家。
玄関に何とかたどり着くと、その場に座ってノロノロと革靴を脱いだ。
時刻は17時を回ったころ。
突き当りのリビングのドアから、テレビの音が漏れていた。
今日は、義姉さんが来る日だっけ?もしそうなら気まずいな。
オレはゆっくりと、ドアを開けてみた。
リビングでは3才になる息子が、テレビ画面に釘付けになっていた。
オレが汗水垂らして働いた金で買ってきたテレビだ。
しかも最新型のカラーテレビ。
木製の立派なフレームに収まったブラウン管と、丸いチャンネルなどのスイッチ類、素敵な音を奏でるモノラルのスピーカー。
いつ見ても惚れ惚れするぜ。
なのに何だ雪村のやつ。白黒画面を見てやがる。
ああ、モノクロ映画のゴジラか。
そういや近々テレビでやるって職場で誰かが言ってたっけ。
こいつの怪獣狂いには困ったものだ。
いや、そもそもこのオレが、英才教育を施したんだっけ。封切られるゴジラ映画を、片っ端から見せてやったことを思い出した。
でもコレは確か、まだこいつが生まれる前の映画だったな。
そんなことを思いながら、オレはおもむろにテレビの前に行き、チャンネルを回した。さて夕方のニュースを見なくちゃ。
するとすかさず、雪村がチャンネルを回し、NHKのゴジラに戻した。
オレはまたチャンネルを変えた。また息子がチャンネルを回した。
酔っていたオレは、だんだん頭に血が登っていった。
おいおい、オレが買ったテレビだぞ。
なに偉そうに、チャンネルを独占しようとしてんだ!
......気がついたら、息子を突き飛ばしていた。
まだ3才だった息子は軽々と宙を舞い、右目の上辺りをテレビの角にぶつけた。
切り傷から流れ出る血で、顔の右半分を染めながら、息子は泣きもせず、呆然とした顔でその場にへたり込んで、コッチを見ていた。
コイツはいつもそうだ。赤ん坊のころから、転んでも腹が減ってもオムツが汚れても鳴き声一つ上げない。
その時、息子の隣に、どこからともなく寄り添うように女が現れた。
義姉さんじゃない。セーラー服の少女だ。
その横顔はまるで雪のように白い......。
振り向いたそいつが立ち上がり、細い眉を吊り上げて、怒りに震える褐色の瞳で、オレを睨みつけた。
「......今、止血したわ」
少女は言う。
「私は、家族の問題には介入しないつもりだったけど......コレは許せないわ!」
美しく白い肌なのに、どこか鬼気迫るような恐ろしい顔。
まるでセーラー服の雪女だ。
オレはこのまま氷漬けにでもされるのかな?
......などと考えながら、生まれて初めての深酒のせいで、オレは意識を失ってしまったのだった。