① プロローグ
「お久しぶり」
そう言うと彼女は、いつものように突然目の前に出現した。
いつもの冬物のセーラー服。肩まである黒髪を耳の後ろで二つにまとめた、どこか古風なヘアスタイル。
いつもの雪のように白い肌に、少し吊り上がった大きな褐色の瞳。勝気そうな眉毛。
小さいけれど整った形の小鼻。そしてこれもいつもの、何か企むように笑う小ぶりの唇。
このピンク色と肌色のコントラストから、ボクは心の中でひそかに「雪女」みたいだと思っていた。
もっとも、後年になって、ボクはホンモノの雪女に出逢う事になるのだが......。
実際、彼女の瞳に見つめられると、目が離せなくなり、本当に氷漬けにされそうな妖しさを感じる。
今日まで何度も出会っているのに、未だにそこはかとない恐怖を感じる。どうにも慣れそうにない。
と、同時にあらがえない魅力も感じるのも確かだ。
身長は160cm有るか無いかといったところか。
細身の体なのに、とんでもない腕力を見せられた事が、これまでにも何度かあった。
まあ、アレが"腕力"と呼ぶべきものだったかどうかは、些か怪しいのだが。
時に西暦2025年9月1日月曜日。
ボクは豊田市の山間の矢作川上流で、野鳥撮影の真っ最中であった。
ジッツォの三脚に、焦点距離800mmのレンズを付けたニコンZ9を乗せて、木陰の河岸で、ヤマセミの通過を待っていたのだった。
他には誰も居ない。
シーズンになれば、たくさんのカメラマンが並ぶ場所だが、今日は誰も居なくてホントに良かった。
もっとも、彼女はその辺を計算の上で、いつもやって来るのだが。
「今日も何か忠告に来たのかい?」
今ではすっかり白くなり、頭頂部の髪が、いささか心もとなくなった頭をかきながらボクは尋ねた。
「そうよ」
初秋の山間部に不似合いな服装の、彼女は口を開いた。
あれ?よく見たら足元は、黒いトレッキングシューズじゃないか!いつもの白いスニーカーじゃない!
ボクの視線に気づいて「虫はキライなのよ」と困り顔の彼女。
「ヘビは平気なのに?」とボク。
「ヘビは可愛い顔してるでしょ!虫は何を考えて居るのか解らない。それにヤマビルなんて最悪よ!」
ああ、なるほどね。ボクは納得し、彼女にもう一度本題を尋ねた。
「今月中は山に立ち入るのをやめなさい」
「なんで?」
「さもなくばクマに食い殺されるわよ。だって貴方にはもう、闘うチカラは残ってないでしょう?」
「それは......イヤだな」
最近、SNSでもTVでもその種のニュースをよく見るのは確かだ。
ボクは素直に三脚を畳み、カメラを片付けて、すぐ傍の土手の下に止めてあったベージュ色のシエンタに積み込んだ。
彼女は、いつも正しい。
彼女の言うことには、従うに限るのである。
「貴方も還暦過ぎたし、これで本当に最後かもね」
そのセリフを聞いて、ふと振り返ると、もう彼女の姿は掻き消えていた。
いつもの事である。
運転席に乗り込んで、ハイブリッドのスイッチを押すと、ゆっくりと車道に、アイボリー色のシエンタを出す。
ボクは、彼女に初めて逢った日のことを思い出す。