⑪ 雪村の初めて⑴
幼いころのボクは、とにかく静かだったらしい。
生まれた時から保育園に入るまで、滅多なことでは泣かなかったので、子育て中は、手がかからなかったそうだ。
その点では母親孝行できてたのかな?
ただそれけでなく、笑ったり、怒ったりすることも無かったらしい。
そして、この点に関しては、ウチの三人兄妹全員に共通していたとのことだ。
この件について、父さんは大して気にして無かったけど、母さんはむしろ心配になったらしい。
そんな心配をよそに、小学校に入るころには、ボクは通知表の連絡欄に「落ち着きが足りません。気をつけましょう。」と書かれるほど、元気に動いたりしゃべったりするようになっていた。
まあ、夏休み前にあんな体験をすれば、後の人格形成にも、影響があろうかというものだ。
三年生になって転校してすぐのころにも、まだこの傾向が続いていたので、多分それも、ガキ大将の気に障ったのだろう。
まったく、口は災いの元である。
四年生になると、担任が荒井先生という男の人になった。
「お前は落ち着きが足りない。集中力が無い。見ているとどうにも危なっかしい。だからオレが顧問をしている剣道部に入れ。」
先生はそう言うと、ある日無理やり、ボクを剣道部に入れた。
実は同じ理由で、先日から書道教室とソロバン教室、ピアノ教室に通うはめになっていたので、放課後のボクの自由はすっかり奪われてしまった。(......ピアノは三日で辞めたけどね。)
まあ、でも、荒井先生は厳しいけど、イイ人だった。ボクのテストの点数が悪いと、できるようになるまで、放課後教室に一緒に残って、教えてくれることもあった。
これがきっかけで、それまで全くと言ってイイ程無かった、ボクの学習習慣が、少しずつ定着していったように思う。
そういう意味では、むしろ、ボクの人生の恩人である。
で、コレはそんな先生や親たちのおかげで、ボクが落ち着いた性格を取り戻す直前の話なんだけど......。
アレは確か、夏休みに入ってすぐのことだった。ボクは、趣味の模型飛行機を飛ばしたくなって、家の中を探していたんだ。
模型飛行機といっても簡単なもので、バルサ材の胴体に、竹ひごと薄紙で作った翼を取り付けて、ゴムひもを動力にして飛ばすものだ。
ちょっと前に、珍しく昼間ウチにいた父さんと、一緒に作った大事なものだったので、自分の部屋ではないどこかへ、しまい込んでしまったらしい。普段は入らない客間を開けて覗いてみると、はたして、箪笥の上にソレはあったのだった。
箪笥の前にあるベッドの上に乗ってみたけど、箪笥まで少し距離があるので、まだ身長が発展途上で低いボクでは、上には届きそうにない。悩んだ末にボクは、名案を思いついた。
「そうだ。箪笥の扉を開いて、中にある小さな引き出しを少しずつ出して、階段のような形にすれば、上まで登れるぞ」
我ながら名案だと思ったボクは、すぐに実行してみた。
引き出した段を順調に登り、てっぺんの飛行機に手が届いたその時、事件が起こった。箪笥がボクの方に倒れてきたのだ!
ボクは完全に箪笥の下敷きにはならなかった。前にあったベッドが箪笥のてっぺんをかろうじて受け止めたのだ。
それでも、中の引き出しが、荷物の重みでどんどん出てくる。それが、ボクの喉や胸や腹を圧迫して苦しい。息を吐くことも吸うこともできない。
ああ、こうやってヒトは死んでいくんだな......などとボンヤリ思っていた時、突然ボクの右側から誰かが凄い力で箪笥を持ち上げたんだ。
「ぼやぼやしてないで、早くそこから這い出せ!」
そう言われたボクは、命からがら箪笥の下から抜け出し、振り返ったんだ。
するとそこに雪子さんが居た。
彼女の細い体のどこにそんな力があるのか謎だが、そのまま箪笥を元の位置に戻し、何事も無かったような顔でこちらを振り返っていた。
「まったく、雪村君には呆れるな」
雪子さんは続ける。
「もう少し、その物理的なボディを大切にしろと、あれほど言っておいたのに。不注意極まりない!」
「ごめんなさい。今日もありがとう」とボク。
「でも雪子さん、すごい力だね」
「ああ、今の?まあ軽いサイコキネシスだよ......うん、火事場のバカヂカラとも言うな」
「それにしても、誰だ?こんなところに模型飛行機を......?」
雪子さんはブツブツ言っていたが、ふと我に返り、「今日は忙しいからコレで。」と言って、フッと消えてしまったのだった。
雪子さんはなんでいつもボクの命を助けてくれるのだろう?いったいどこから来てどこへ帰っているのだろう?
「今度はゆっくり話がしたいな。」とボクは独り言を呟いた。
話は変わるけど、二学期が始まったころ、同じクラスで、何でも話せる仲の良い友だちができた。
それは、村田京子さんという女の子だった。
なぜ男の子ではないのか。その理由を解るようにするためには、ボクのルックスについて語るしかあるまい。
ここまで、敢えて語ってこなかったけど、白状すると、ボクの見た目は、男子というよりむしろ、女子に近かった。
Tシャツ・短パンを身に着けて、黒いランドセルを背負っていても、知らない人からは、必ず女子に間違えられる程だった。
......オカッパのヘヤスタイルが良くなかったのかもしれないけど。
また正直に言うと、一部の男子から、友だちとしてではない好意を、何度も寄せられたこともあった。
......もちろん、丁重にお断りしたが。おつき合いするなら、女子がイイに決まっているのである。
そんな訳で、ボクは長い間、自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。
だから、早く歳を取って、オジサンぽくなりたい、なんて思っていたのだった。
こんな事もあった。
ある時、クラスメートのお誕生会に誘われた。
酒井弓子さんという女の子に、誘われたのである。
彼女の事が、ちょっと気になっていたボクは、もちろん参加した。
お誕生会の現場には、女子10名が集合し、男子はボクだけだった。
......何の事はない。ボクは、男子としてカウントされていない。女子の同類として、扱われていたのである。
和気あいあいと会は進行したけれど、ボクの内心は、穏やかでは無かった。
幼いながらも、男子としてのプライドが、傷ついたような気がした。
18時近くになり、会はお開きとなった。
酒井さんがボクに、一緒に帰ろうと言ってきた。
地下鉄の一社駅は、ボクの家とは反対方向だったけど、もちろん一緒に帰ることにした。
「......実は私ね。」
駅に向かって並んで歩きながら、酒井さんは言った。
「女の子としゃべるのが苦手なの......話が合わないっていうか、なんかね、しっくりこないのよ。」
「へえ、そうなんだ。」とボク。
「だから今日は、真田君が居てくれて良かった。」
どうやらこんなボクでも、女子たちの会合の安全装置として、働いていたらしい。
もしそうなら、男子として扱われていたことになるから、少し嬉しいかな。ボクはそう思ったけど、黙っていた。
「......あとね。」
酒井さんは続ける。
「暗くなってから、一人で駅まで帰るのは嫌だったから、一緒に来てくれて嬉しい。」
その後は、二人とも黙りこくって駅まで歩いた。
改札前に着くと、酒井さんは振り返って、ボクにこう言った。
「今日はありがとう、私のナイトさん。じゃあまた明日、学校でね。」
彼女は、にっこり笑って小さく手を振り、駅の中に去って行った。
「ナイトって何だろう?夜だから?」
未だ語彙力の足りない、残念なボクは、そんな事を思いながら、本郷駅方面へ向かって、夜の街道筋の歩道を、歩き出したのだった。