ホーム星粒のリテラエ虹の瞳、約束の続き
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虹の瞳、約束の続き

 時計塔の大鐘が正午を告げたとき、王都議事堂は奇妙な静寂に包まれた。

 澄んだ声が、円形の議場の均衡を破ったからである。

 ――その光景を、私はただ観測していた。

 北に据えられた双王の玉座。
 円形の議場はそれを基準に、東西南へと席が巡っている。

 すべての議題が滞りなく終わり、あとは閉会を待つばかりだった。

 議長が閉会を宣する、その一瞬前。

 この場で最も高貴なる血を引く者が声を上げたのだ。

「両陛下の御前にてひとつ、言上申し上げたい」

 北側の玉座に向かい、東側の席で一人の青年が立ち上がっていた。
 青年が双王の玉座へ一礼すると、金糸の束のような髪が光を受け柔らかく揺れた。

「本日をもって、私スヴェロギ・ハルジオンと、我が従妹ユニワ・ナナリエの婚約を解消する」

 張り上げるでもなく、威圧するでもない。
 それでいてその声は広間の隅々にまで届いた。

「ならびに我々二人の王位継承の再考を求める」

 空気がかすかに震えた。

 本来であれば議会は常に騒がしい。
 議員たちは互いに声を交わし、時に笑い合う。
 衣擦れの音や椅子を軋ませる音が、木の葉のざわめきのように絶え間なく続いている。

 たとえ玉座の御前であろうとも。

 だが今、そのざわめきが一斉に途絶えている。

「本件は私情によるものではない。
 王国の安寧を鑑み、より適切な形を求めんとする熟慮の結果である」

 青年の声はあくまで穏やかである。糾弾も激情もない。
 それゆえにこそ、言葉の重みは逃げ場を持たない。


「瑠璃宮は黙っておるまい」
 ぽつりと呻く声が漏れた。
 おそらく最南、玉座から最も遠い席だ。

「ナナリエ殿下への侮辱と受け取られてもおかしくありませんからね」
 誰かがそれに応じる。

 囁きは各所からあがり、王都議事堂はいつものざわめきを取り戻した。

「ハルジオン殿下の独断か?」
「お二人の神授共鳴が弱いという噂も耳にしましたよ」
「ナナリエ殿下は社交の場でまともに発言もできないと聞きます」
「国民人気が高いハルジオン殿下が支持されるでしょうな」

 風に揺れる木々たちの葉擦れのように、ざわめきは議会を満たした。

「しかし、王位継承の見直しを王子殿下自らが提案するなど......」
「西は......琥珀宮は承知しているのかしら」

 議会の動揺が高まったとき、自然と皆は、並び立つ二つの玉座を仰いだ。

「このような宣言がなされても、双王は沈黙を貫くおつもりか」

 そのとき、円形議事堂の東側で一人の女性が静かに立ち上がった。

 光が揺れた。

 風は再び止まった。

 高窓から降り注ぐ光を反射して虹色にきらめく乳白色の髪。

 背筋は伸びている。

 希少鉱物のような繊細さをまとった女性がゆったりと会釈する。

「ハルジオン殿下の仰せのままに」

 迷いのない声だった。

 対峙する青年の瞳がわずかに揺れた。

「......それでよいのか、ナナリエ」

 低い声。

「はい。殿下がお決めになられたことですから」

 彼女の背中は彫刻のように微動だにしない。

「......承知した」

 一瞬、ハルジオン殿下の表情が儚くかげった気がした。

 だが次に上げた目には、すでに私情は残っていなかった。
 彼の視線はゆったりと議場内を巡った。

 視線を、感じた。
 ――こちらに向けられている?

「また、ナナリエに侍従している、そこなる魔女よ」

 無機質な声が、真っ直ぐに飛んできた。

「そなたの纏う磁場はこの王国の均衡を乱している」

 殿下の鋭い視線が突き刺さる。こちらに。

「理に外れた力は、王国の監督下に置くべきである」

 さ、刺さる。
 でも何を言われているのか、まるで頭に入ってこない。

 串刺しになりそうな息苦しさを感じたとき、
 目の前で、柔らかに落ちる滝のような髪が、虹色に波打った。

「......ハルジオン殿下」

 彼女が一歩詰め寄ったのだ。
 ハルジオン殿下は、こちらを見据えたまま言葉を続ける。

「これより、そなたの身元は琥珀宮で預かる」

「ハルお兄様!」

 彼女が初めて昂りを見せた。

「磁場管理は、瑠璃宮の管轄で......」

 声が震えている。緊張ではない。

 そうだ。

 彼女はいつだって、
 言葉をひとつひとつ、この世界の中から手探りで探り当てる子なんだ。

「たとえお兄様のご意向であっても」

 虹色の髪が風をはらみ、
 瑠璃色のマントの裾が静かに弧を描いた。

 彼女は振り向いた。

 そして虹を閉じ込めた瞳が、私を見つけた。

「私の大切な友人を委ねるわけにはまいりません」


 そう、

 ナナリエは、この広い世界の中から私を見つけたんだ。





 眩しい。

 顎が痛い。

 腕の感覚が、ない。

「あんり」

 優しい声。

「あんり、朝だよ」

 オニオングラタンスープの匂い。

「またこんなところで寝て」

 肩にブランケットがかかる感覚。

「風邪ひくよ」

 遠のく足音。

 待って。

「まって」

 ブランケットが床に落ちるかすかな音がした。

「おはよう」

 ぼやけた視界の中で私を覗き込む人がいる。

「だいちくん......」

 大地くんはくすっと笑って、湯気のたった大きなマグカップを差し出した。

「ありがとう」

 なにか、夢を見ていた気がするけど、思い出せない。
 とても遠い懐かしい記憶を。

 私のことを大切だと言い切った、誰かのその真っ直ぐな瞳を。

「また徹夜?寝ないと作業効率悪いよ」

 温かい。

 私の大好きなオニオングラタンスープだ。

 玉ねぎの甘さが五臓六腑に染み渡って、私は思考を取り戻した。

 机の上には開きっぱなしのノート。
 寝落ちした時の鉛筆の跡が、ノートを斜めに横切っている。
 私のよだれが染み付いているのはこっそり隠した。

 そうだ。
 昨日はずっと、フィールドワークの記録をまとめていたんだ。

 先週まで、私は東海地方のとある山あいの集落にいた。
 春のはじめに行われる“水迎え”の祭りを調べるためだ。

「なんだっけ。水の祭りだっけ?」
 大地くんはコーヒーを飲んでいる。
 メガネが少し曇って、眉間に皺を寄せていた。

「祭りってほど派手ではないよ」
 私はスープで温まりながら答えた。
「朝五時に集まって水路を掃除して、神社に雪解け水を供えて、みんなで味噌汁を飲むだけ」

 でも、その「だけ」の中に、ものすごくたくさんの意味が詰まっている。

 普通の村。
 普通の行事。
 普通の人たち。

 その「普通」が、どうやって続いてきたのかを調べる。

 誰が準備しているのか。
 いつから始まったのか。
 そして、今の人たちはそれをどう思っているのか。
 そういうことを、現地に行って、話を聞いて、観察して、記録する。

 でもそれだけでは見えてこないものもある、とも思う。
 文化は、誰かに説明してもらって理解するものじゃない。

 私は、まず一緒に生活する。
 一緒にご飯を食べて、同じ景色を見て、笑って、困って、その土地の「当たり前」の中で過ごす。
 そうしているうちに、その人たちが何を大切にしているのかが、少しずつ見えてくる。

 ......と、私は考えている。

「それが文化人類学というものか」
 大地くんが深く感じ入るように何度も頷いた。

 そう。私は文化人類学の研究をしている、少し落ち着きのない27歳。

 文化人類学というと、遠い異国の部族を思い浮かべる人も多いけど、
 私の場合はどちらかというと、「普通の人たちの普通の暮らし」の方に興味がある。

「なるほど。味噌汁を飲むのが、あんりのフィールドワーク」

 そして、目の前で腕組みをするメガネ男子は、私と正反対の堅実で動じない幼馴染。

 最近は......いや、昔から保護者のような存在で。
 ......いやいや。ちゃんと、お互いに大切な人。な、はず。

「あと、これ」

 大地くんが差し出した、文庫本くらいの小さな箱。

「定形外郵便来てたよ」
「郵便でいいじゃん。細かいね」
「郵便だとニュアンスが違うんだよ」

 大地くんは妙なところに細かいけど、私はそこが好き。

「てか、みんなに俺の住所を教えてるの?」
 呆れてるみたいな声を聞きながら、私は箱を受け取った。
「え?だって帰ってくるのここだし」

 箱は思ったより軽かった。

 揺らすと、からん、からんと音がする。

 箱から伝わる振動は、妙に身体に響き、
 鈴の音のようでもあり、大きな鐘の音のようでもあった。

 なんの飾り気もない普通の小包。

 ―――ただ、

 送り主の欄は空白だった。

 それでも、なぜかそれが、大切な約束の続きみたいに感じた。
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星の欠片と、黒い瞳
星粒のリテラエ作者:はなちゃん
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虹の瞳、約束の続き

 時計塔の大鐘が正午を告げたとき、王都議事堂は奇妙な静寂に包まれた。

 澄んだ声が、円形の議場の均衡を破ったからである。

 ――その光景を、私はただ観測していた。

 北に据えられた双王の玉座。
 円形の議場はそれを基準に、東西南へと席が巡っている。

 すべての議題が滞りなく終わり、あとは閉会を待つばかりだった。

 議長が閉会を宣する、その一瞬前。

 この場で最も高貴なる血を引く者が声を上げたのだ。

「両陛下の御前にてひとつ、言上申し上げたい」

 北側の玉座に向かい、東側の席で一人の青年が立ち上がっていた。
 青年が双王の玉座へ一礼すると、金糸の束のような髪が光を受け柔らかく揺れた。

「本日をもって、私スヴェロギ・ハルジオンと、我が従妹ユニワ・ナナリエの婚約を解消する」

 張り上げるでもなく、威圧するでもない。
 それでいてその声は広間の隅々にまで届いた。

「ならびに我々二人の王位継承の再考を求める」

 空気がかすかに震えた。

 本来であれば議会は常に騒がしい。
 議員たちは互いに声を交わし、時に笑い合う。
 衣擦れの音や椅子を軋ませる音が、木の葉のざわめきのように絶え間なく続いている。

 たとえ玉座の御前であろうとも。

 だが今、そのざわめきが一斉に途絶えている。

「本件は私情によるものではない。
 王国の安寧を鑑み、より適切な形を求めんとする熟慮の結果である」

 青年の声はあくまで穏やかである。糾弾も激情もない。
 それゆえにこそ、言葉の重みは逃げ場を持たない。


「瑠璃宮は黙っておるまい」
 ぽつりと呻く声が漏れた。
 おそらく最南、玉座から最も遠い席だ。

「ナナリエ殿下への侮辱と受け取られてもおかしくありませんからね」
 誰かがそれに応じる。

 囁きは各所からあがり、王都議事堂はいつものざわめきを取り戻した。

「ハルジオン殿下の独断か?」
「お二人の神授共鳴が弱いという噂も耳にしましたよ」
「ナナリエ殿下は社交の場でまともに発言もできないと聞きます」
「国民人気が高いハルジオン殿下が支持されるでしょうな」

 風に揺れる木々たちの葉擦れのように、ざわめきは議会を満たした。

「しかし、王位継承の見直しを王子殿下自らが提案するなど......」
「西は......琥珀宮は承知しているのかしら」

 議会の動揺が高まったとき、自然と皆は、並び立つ二つの玉座を仰いだ。

「このような宣言がなされても、双王は沈黙を貫くおつもりか」

 そのとき、円形議事堂の東側で一人の女性が静かに立ち上がった。

 光が揺れた。

 風は再び止まった。

 高窓から降り注ぐ光を反射して虹色にきらめく乳白色の髪。

 背筋は伸びている。

 希少鉱物のような繊細さをまとった女性がゆったりと会釈する。

「ハルジオン殿下の仰せのままに」

 迷いのない声だった。

 対峙する青年の瞳がわずかに揺れた。

「......それでよいのか、ナナリエ」

 低い声。

「はい。殿下がお決めになられたことですから」

 彼女の背中は彫刻のように微動だにしない。

「......承知した」

 一瞬、ハルジオン殿下の表情が儚くかげった気がした。

 だが次に上げた目には、すでに私情は残っていなかった。
 彼の視線はゆったりと議場内を巡った。

 視線を、感じた。
 ――こちらに向けられている?

「また、ナナリエに侍従している、そこなる魔女よ」

 無機質な声が、真っ直ぐに飛んできた。

「そなたの纏う磁場はこの王国の均衡を乱している」

 殿下の鋭い視線が突き刺さる。こちらに。

「理に外れた力は、王国の監督下に置くべきである」

 さ、刺さる。
 でも何を言われているのか、まるで頭に入ってこない。

 串刺しになりそうな息苦しさを感じたとき、
 目の前で、柔らかに落ちる滝のような髪が、虹色に波打った。

「......ハルジオン殿下」

 彼女が一歩詰め寄ったのだ。
 ハルジオン殿下は、こちらを見据えたまま言葉を続ける。

「これより、そなたの身元は琥珀宮で預かる」

「ハルお兄様!」

 彼女が初めて昂りを見せた。

「磁場管理は、瑠璃宮の管轄で......」

 声が震えている。緊張ではない。

 そうだ。

 彼女はいつだって、
 言葉をひとつひとつ、この世界の中から手探りで探り当てる子なんだ。

「たとえお兄様のご意向であっても」

 虹色の髪が風をはらみ、
 瑠璃色のマントの裾が静かに弧を描いた。

 彼女は振り向いた。

 そして虹を閉じ込めた瞳が、私を見つけた。

「私の大切な友人を委ねるわけにはまいりません」


 そう、

 ナナリエは、この広い世界の中から私を見つけたんだ。





 眩しい。

 顎が痛い。

 腕の感覚が、ない。

「あんり」

 優しい声。

「あんり、朝だよ」

 オニオングラタンスープの匂い。

「またこんなところで寝て」

 肩にブランケットがかかる感覚。

「風邪ひくよ」

 遠のく足音。

 待って。

「まって」

 ブランケットが床に落ちるかすかな音がした。

「おはよう」

 ぼやけた視界の中で私を覗き込む人がいる。

「だいちくん......」

 大地くんはくすっと笑って、湯気のたった大きなマグカップを差し出した。

「ありがとう」

 なにか、夢を見ていた気がするけど、思い出せない。
 とても遠い懐かしい記憶を。

 私のことを大切だと言い切った、誰かのその真っ直ぐな瞳を。

「また徹夜?寝ないと作業効率悪いよ」

 温かい。

 私の大好きなオニオングラタンスープだ。

 玉ねぎの甘さが五臓六腑に染み渡って、私は思考を取り戻した。

 机の上には開きっぱなしのノート。
 寝落ちした時の鉛筆の跡が、ノートを斜めに横切っている。
 私のよだれが染み付いているのはこっそり隠した。

 そうだ。
 昨日はずっと、フィールドワークの記録をまとめていたんだ。

 先週まで、私は東海地方のとある山あいの集落にいた。
 春のはじめに行われる“水迎え”の祭りを調べるためだ。

「なんだっけ。水の祭りだっけ?」
 大地くんはコーヒーを飲んでいる。
 メガネが少し曇って、眉間に皺を寄せていた。

「祭りってほど派手ではないよ」
 私はスープで温まりながら答えた。
「朝五時に集まって水路を掃除して、神社に雪解け水を供えて、みんなで味噌汁を飲むだけ」

 でも、その「だけ」の中に、ものすごくたくさんの意味が詰まっている。

 普通の村。
 普通の行事。
 普通の人たち。

 その「普通」が、どうやって続いてきたのかを調べる。

 誰が準備しているのか。
 いつから始まったのか。
 そして、今の人たちはそれをどう思っているのか。
 そういうことを、現地に行って、話を聞いて、観察して、記録する。

 でもそれだけでは見えてこないものもある、とも思う。
 文化は、誰かに説明してもらって理解するものじゃない。

 私は、まず一緒に生活する。
 一緒にご飯を食べて、同じ景色を見て、笑って、困って、その土地の「当たり前」の中で過ごす。
 そうしているうちに、その人たちが何を大切にしているのかが、少しずつ見えてくる。

 ......と、私は考えている。

「それが文化人類学というものか」
 大地くんが深く感じ入るように何度も頷いた。

 そう。私は文化人類学の研究をしている、少し落ち着きのない27歳。

 文化人類学というと、遠い異国の部族を思い浮かべる人も多いけど、
 私の場合はどちらかというと、「普通の人たちの普通の暮らし」の方に興味がある。

「なるほど。味噌汁を飲むのが、あんりのフィールドワーク」

 そして、目の前で腕組みをするメガネ男子は、私と正反対の堅実で動じない幼馴染。

 最近は......いや、昔から保護者のような存在で。
 ......いやいや。ちゃんと、お互いに大切な人。な、はず。

「あと、これ」

 大地くんが差し出した、文庫本くらいの小さな箱。

「定形外郵便来てたよ」
「郵便でいいじゃん。細かいね」
「郵便だとニュアンスが違うんだよ」

 大地くんは妙なところに細かいけど、私はそこが好き。

「てか、みんなに俺の住所を教えてるの?」
 呆れてるみたいな声を聞きながら、私は箱を受け取った。
「え?だって帰ってくるのここだし」

 箱は思ったより軽かった。

 揺らすと、からん、からんと音がする。

 箱から伝わる振動は、妙に身体に響き、
 鈴の音のようでもあり、大きな鐘の音のようでもあった。

 なんの飾り気もない普通の小包。

 ―――ただ、

 送り主の欄は空白だった。

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