第9話 あなたの外側と、内側。——惑星シリカの座標
「......失敗、した」
ナナリエは自室につくなり布団に倒れ込んだ。
「そう?最後に良いこと言ってたじゃん」
私は髪の毛を梳かしながら返事をした。
ゴワゴワして櫛が何度もひっかかる。
「明らかに、場が盛り下がってた」
盛り上げようとしていた......のか?
「話題に的確に答えたつもりだった......」
枕に顔を埋めているから何を言っているのか聞き取りにくい。
「間違えたことは明確。でも何を間違えたのか、わからない」
鼻をすする音がする。
「ナナリエ、面白かったよ」
私はお世辞は言わない。
ナナリエの話はよくわからなかったけど、ナナリエ自体は面白かった。
そしてなんか好き。
「アンリ......」
ナナリエが顔を上げた。ちょっと涙ぐんでいる。
「話はさ、難しかったけど、ナナリエが一生懸命伝えようとしてることはわかった」
私も布団にごろんと寝転がってみた。
「ナナリエは物の仕組みとか、働きとか、それを解き明かすのが好きなんでしょ?」
「......そうなのかしら?」
「私はね、いろんな場所に行って、いろんな人たちと生活して、そこにいる人たちが何を大切にしているのか、知ることが好き」
「なぜ?」
「当たり前と思っていたことが誰かにとっては特別だったり、他の人には些細なことが、自分にとっては大切だったり......」
ナナリエは純真な子供のような目で私の話を聞いている。
「自分の外をよく観察すると、自分の中も自然と見えてくる」
私もナナリエを見つめ返す。
「観察......」
「そう。暮らしとか習慣とか、どうしてそうするのか、ずっと見て、聞いて、考えて、やっと『あ、こういうことかも』って気づいた瞬間って、すごく嬉しいの」
「わかるわ。それは」
ナナリエの頬がほんのり赤みを帯びた。
その反応を見ながら、私は続けた。
「そしてそれを誰かに伝えたくなる。『ねえ聞いて、こんな仕組みになってるかもしれないよ』って」
「そう。そうなの」
萎れていたナナリエが息を吹き返してきた。
その表情が可愛くて、私は笑った。
「でも、長くなるし、重いし、だいたい相手は困惑してる」
「正にその通りね」
ナナリエも小さく笑った。
「アンリは人々の暮らしを暴くのが好きなのね」
「え?いやいや、暴くって......」
私が慌てて訂正しようとすると、ナナリエがふふっと吹き出した。
ああ、こんな悪戯好きな一面もあるんだな。
笑いをおさめたナナリエがほんの少しだけ真面目な顔をした。
「アンリはどこから来たの?」
そう問われて、私は言葉に詰まった。
喉の奥に痛みを感じる。
私はどこから来たのだろう。
そしてここはどこなのだろう。
目の前の新しい経験に夢中で、今ここに至る経緯にきちんと目を向けていなかった。
これまで日本国内も国外も、興味が赴くままに出掛けていたけど、それは自分で行き先を決めて自分の意志で向かっていった場所だ。
太陽が二つあって。
ナナリエの瞳は虹色に輝いていて。
私は、私ではない別の誰かの体の中にいる。
初めて感じる焦りだった。
私は消えてしまったのか。
それとも、最初から今ここにいる私が“私”だったのか。
――だったら、この少女の記憶はどこへいったのか。
「アンリ」
静かな声がした。
「ここはシリカのカレンダエよ。そして西の琥珀宮」
ナナリエがいつになく強い眼差しで言った。
でも、独特な固有名詞を聞き取るのは難しかった。
「シリカの......ごめん、なんて言った?」
いや、今の不安に沈んだ頭では意味を拾えないんだ。
ナナリエは、さっきよりもずっと、ゆっくりと、丁寧に言った。
「私たちの星、シリカは連星系に属しているの。互いに引き合う二つの恒星があって、その重心の周りを、シリカは静かに回り続けている」
静かな声だった。
感情を押し付けるでもなく、ただ、事実を正確に置いていくような話し方。
だけど三週間前に覚えた言語で天体の説明をされるのは厳しい。
私が首を捻っていると、ナナリエは手を伸ばして私の髪を手に取った。
「直接見た方が早いわ」
ナナリエの髪がふわりと浮き上がり、引き合うように私の髪も引っ張られた。
――初めて会ったときと一緒だ。
頭の中にイメージが流れ込んできた。
二つの光。
互いを追うように回る白と赤の恒星。
その二つの間の、何もない一点。
さらに遠く、それらを回る小さな星。
――見えた。
二つの太陽の周りを回っているんじゃない。
二つの太陽が互いに回っていて、その真ん中ごと、この星が回っている。
絡んでいた髪がするりとほどけた。
頭の中に流れ込んでいた光景が消えて、目の前のナナリエが戻ってくる。
「......ふたつの太陽」
「そう。あなたが最初に獲得した単語」
ソラ。この国の太陽はソラ。
ナナリエと言葉が通じた瞬間が蘇った。
「そして――」
ナナリエは、ほんの少しだけ言葉を区切る。
「惑星シリカの中で、あなたが今いるのが“双神王国カレンダエ”」
私の表情を確認してから、ナナリエは続けた。
「カレンダエには、常に二人の王がいる。この国を興した二柱の神々の子孫よ」
二人の王様、二柱の神様。双神王国カレンダエ。
私はひとつひとつ頭の中に記録した。
ノートに記したい。
「太陽が二つあるから神様も二柱なのか......」
私が考え込むと、ナナリエはほんの少しだけ笑った。
「神々の構造を分析すると、気分を悪くする人もいるから気をつけて」
しまった。ナナリエとの会話がなぜか懐かしくて、つい......。
ナナリエは私の表情を見て、「大丈夫よ」と言った。
「双王の下に、十二宮――神殿や学術、武門など、それぞれ役割を持った十二の家門が配置されているの。そして、ここ琥珀宮はカレンダエの一番西にあって、記録と伝統を担う場所」
十二の家門?待って、どこかに記録しないと......
神殿と学術......いや、無理、覚えられない。
ナナリエの手が私の手に重なって、ひんやりした。
「つまり、あなたは今、連星系の惑星シリカ、その中の双神王国カレンダエ、さらに西の琥珀宮にいる」
彼女の声は噛んで含めるように静かだった。
けれどそのひとつひとつが、不思議と輪郭を持って、私の中に落ちてくる。
「――ここまでは、確かなこと」
言葉を探すように、少しだけ間が空く。
「あなたが今いる場所の、“座標”」
虹色の瞳が力強く瞬いた。
わからないことは、まだたくさんある。
自分がどうしてここにいるのかも、説明できない。
それでも、“ここがどこか”だけははっきりした。
点が、ひとつ打たれたような感覚。
狭かった視界が開け、急に世界が身近になるのを感じた。
「あなたの外側のことは、私が何度でも説明する」
ナナリエは、また悪戯っぽく笑った。
だけど視線は外さない。
「私には、あなたの内側を見せて」