第三十三話 南の防衛戦と、二人の騎士
霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。
ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。
宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。
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南方の海を臨むレムリアス辺境伯領。その広大な海岸線と国境を背負う要衝の地に、突如として不気味な海鳴りが響き渡った。
空の色が鉛色へと変わり、押し寄せる大波すらも呑み込むかのような黒い濁流――それは、十年に一度発生すると言われる魔物の大群「スタンピート」であった。
「――来たぞっ! 各船、陣形を崩すな!」
怒号が飛び交う最前線。空気を揺るがすほどの魔力波とともに現れたのは、黒光りする甲殻を持った巨大な魔獣や、狂乱した群れの数々である。
歴戦の騎士たちであっても、この規模の集団発生を前にすれば冷や汗を流さざるを得ない。ましてや、山から降りてきた青き魔犬――「シアラグナ」にとっては、生まれて初めて目にする地獄絵図そのものであった。
「グルルゥウウ...!」
シアラグナは鋭い牙を剥き出しにし、低く唸り声を上げる。その全身の毛が逆立ち、体内で脈打つ魔力が沸騰するように熱を帯びていた。
「おい、シア! 怖気づいたか!?」
船の先端に陣取り、巨大な大剣を軽々と掲げたラインハルトが、豪快に笑い声を上げた。その双眸には恐怖の色など微塵もなく、むしろ高揚感に満ち溢れている。
「ウゥ...ゥワンッ!ワン!」
『 僕を誰だと思っているんだ、ラインハルト!君の友だぞ!!』
シアラグナが放った犬の言葉は、かつてであればただの動物の鳴き声にしか聞こえなかったかもしれない。しかし、人間から魔犬に「名前」を与えられ、お互いを受け入れたときに結ばれる「魂の回廊」は、今や完全に完成していた。
「ハハハッ! その意気だ! いくぞ、我が相棒!」
ラインハルトが突撃の号令を上げる。それに呼応するように、シアラグナの体から眩い群青色の閃光が弾け飛んだ。
かつては魔道魔法の構築が苦手だったはずのシアラグナの周囲に、幾重もの高密度な魔力刃が渦巻く。
「――ウォオオオオオーーーーンッ!!」
シアラグナが吠えた瞬間、海底を抉るほどの巨大な水刃が疾走し、波を割り先頭を駆けていた魔物の群れをまとめて両断した。
遅れて船から飛び降り、突入したラインハルトの大剣が、まるで紙細工のように魔獣の硬い外殻を粉砕していく。人間と魔犬の絆が生み出した奇跡は、押し寄せる魔物の大群を文字通り「圧殺」していくのだった。
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激しい戦闘の末、魔物の群れは跡形もなく撃退された。海岸線に立ち込める潮風と血の匂いの中、生き残った護衛騎士たちはその場に崩れ落ちるように膝をついていた。
「はぁっ...はぁっ...」
「からだが、動かん...」
返り血まみれになり、息を切らせる騎士たちを見下ろし、ラインハルトは不敵に胸を張る。
「おい、貴様ら! 何をヘタレている!この程度の厄災を乗り切った程度で息切れをするな! 訓練が足らんわっ!」
「まただ...また閣下のしごきが始まるぞ...」
「今は...勘弁してくれ...」
「四の五の抜かすな!総員!今すぐ訓練場へ迎え!!」
絶望的な顔をする騎士たちをよそに、ラインハルトは満足げに頷く。しかし、その戦いの喧騒から少し離れた場所で、シアラグナは自分の両前足をじっと見つめて首をかしげていた。
(...変だな。あんな大技を連発したのに、魔力が全然枯渇しないどころか、戦う前よりむしろ体内の魔力量が増えている気がする...)
自分の内側にみなぎる新たな力に驚きつつも、シアラグナの脳裏には、ある重要な約束がよぎっていた。
――そうだ。モルガナ様との約束だ。いつか、あの山の館へ、とれたての大きな魚を転移させて届けると約束していた。
シアラグナは周囲の目を盗み、集中を高める。先ほどの戦いで研ぎ澄まされた魔力の制御力があれば、遠く離れた山の館へ物質を転移させる空間術式すら構築可能だった。
「...いける!」
シアラグナが前足を地面に叩きつけ、強く念じた瞬間、彼の足元に広がっていた空間が波紋のように揺らいだ。
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北方の山頂に佇む館では、賑やかな午後が流れていた。
応接間の大きなテーブルの上には、突如として空間の裂け目から出現した、ピチピチと跳ねる「とれたての大きな魚」がドンと鎮座していた。
「キャウンッ?!ま、魔女さまーー!!」
近くにいた魔犬が驚き、モルガナに助けを求めると、すでに大魔女は転移魔法の余波を感知して確認に来ていた。
そして、ビチビチと跳ねる魚のすぐ側に添えられていた手紙を開くと一つため息を漏らした。
「...シアラグナよ。全く、送る前に一言ほしいものだわ...でも、立派な魚ね。本当に律儀な子」
何事かと館中から駆けつけた魔犬たちは、シアラグナの名前を聞くと、そろって雄叫びをあげた。
「ウォオオーンッ!あいつ!やりやがった!!」
「すごいすごい!こんな大きなお魚、はじめてみたよ!」
仲間の成長と、初めて目にする大きな海の魚に、魔犬たちの興奮は最高潮に達していた。
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巨大は魚はモルガナの魔法によって綺麗に捌かれ、数々のご馳走になって館のテーブルに並んだ。
「こんな量食べきれないわ」と、モルガナから召集を受けたノラン、レオン、エレアノーリエをはじめとした面々も宴席に参加している
「...海の魚ですか!こんな数が作れるとはどれほど大きかったのでしょうか...!」
あまりの量にノランが目を丸くして声を上げる。
ブランやクゥをはじめとする魔犬たちは、海の恵みを目の当たりにして大喜びした。彼らは尻尾を激しく振り回し、喜びのあまりシアラグナに向けて感謝の歌まで歌い出した。
「♪~海をこえてとどいた、ピチピチの大きなお魚!
すごいぞシアラグナ、つよいぞシアラグナ!
お腹いっぱい食べるんだ、うまいうまいの大勝利!~♪」
魔犬たちが大騒ぎしながら魚を頬張る中、招待されていたエレアノーリエは、ふと疑問に思っていたことを口にした。
「あの...モルガナ様。シアラグナは、もともと魔法が苦手な魔犬だったはずですわよね? それが、南の防衛戦で見事な魔法を使いこなして魔物を圧倒したとか...いったい、どうやって魔法の苦手を克服したのでしょうか?」
モルガナは上品に目を細めると、目の前で魚をモグモグと美味しそうに平らげながら淡々と言った。
「簡単よ。あの子はね、ラインハルトが持つ強い魔力を『魂の回廊』を通じて借りているのだわ。もともとシアラグナは魔力が少なくて魔法が使えなかったのよ」
「え...?」
エレアノーリエは思わず絶句した。
「お兄様に...大魔法が使えるだけの、それほど莫大な魔力が...? そんなの、聞いたことがありませんわ! お兄様は筋金入りの体力バ...いえ、肉体強化ばかり極めているものとばかり...」
驚愕するエレアノーリエに対し、モルガナは少し呆れたような、しかしどこか見透かすような目で食器を置いた。
「自分の継承権の順位を上げたり、無用な政争に巻き込まれたりしないため、その莫大な魔力を長年秘匿していたのでしょうね。あの男、表向きは豪快な阿呆のふりをしながら、なかなかの食わせ者よ。あなた、自分の兄の底知れなさについぞ気がつかなかったの?」
そう言いながら、モルガナはエレアノーリエをジト目でじっと見つめる。
エレアノーリエはあんぐりと口を開けたまま硬直した。しかしモルガナはそれを一切気に留めることなく、再び黙々と懐かしい海の恵みの味を堪能し続けるのだった。
かつて自身が全てを失った南の海。そこに渡った魔犬が魔物を退け、これほど見事な贈り物をしてくれた。
モルガナの胸中には、少しの寂しさとじわりと溢れる温かな誇らしさが広がっていた。
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数日後。
南方の地で奮闘するシアラグナのもとに、モルガナからの返礼と労いの品が転移によって届けられた。
それは、魔犬たちの間で垂涎の品となっている至高の嗜好品――農犬ギルドと商犬ギルドの傑作『特上アニス』であった。
「クンクン...っ! こ、この香りは...!」
包みを開けた瞬間、甘くスパイシーで、魂がとろけるようなエキゾチックな香気があたり一面にフワリと広がった。
――嗅いだ瞬間、シアラグナはテンションが上がりすぎてしまい、理性を保つことができなくなった。
「うひゃあぁぁぁーーっ! たまりゃないっ!」
嬉しさのあまり大はしゃぎしたシアラグナは、うっかりその場で強力な魔法を盛大に暴発させてしまった。
ドゴォォォンッ!!
凄まじい爆発音と共に、ラインハルトの誇る領主館の壁が見事に吹き飛び、巨大な大穴がぽっかりと開いた。
「な、なんだぁっ!? 敵襲かっ!?」
執務室から慌てて飛び出してきたラインハルトの目に飛び込んできたのは、アニスの香りに包まれてキャンキャンと嬉しそうに転げ回り、完全に酔っ払ったようになっているシアラグナの姿だった。
そして、その周囲で真っ青になりながら泡を食っている護衛騎士たちの姿。
しかし、被害の大きさに頭を抱える部下たちを尻目に、ラインハルトは豪快に腹を抱えて笑い飛ばした。
「ガハハハハッ! なんたる威力だ! 流石は我が相棒、頼もしきはシアラグナよな!」
「か、閣下! 笑い事ではありません! 領主館の壁に大穴が...!」
「うむ、よし。この修繕費は...『魔物の被害』ということにして、王都にいる兄上から予算を出してもらおうかの!」
「お、お待ちください閣下! 王への報告書にはすでに『被害なし』で提出してしまいました...! 」
「なに?! もう出してしまっただと...うぐぐ...シアラグナー!!!」
大穴の前で頭を抱えて崩れ落ちるラインハルトと、酔っ払ってさらに陽気に吠えるシアラグナ。
こうして、南方の防衛線を守り抜いた二人の騎士のドタバタとした日常は、今日も賑やかに、そして力強く続いていくのだった。