ホーム町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~第八話 王冠の重みと、受け継がれる誓い
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第八話 王冠の重みと、受け継がれる誓い

 深山を渡る風が静かに館の窓を揺らす、穏やかな昼下がりだった。

 モルガナの館の広間では、十三歳となったエレアノーリエが、ノランや子魔犬たちとともに魔法陣の記述法の比較研究に勤しんでいた。

 その静寂を破ったのは、息を弾ませて館の扉を叩いた王宮からの緊急使者だった。


「エレアノーリエ殿下......! 王宮より、重大なる公報を携えてまいりました......!」


 使者が恭しく差し出したのは、王家の紋章が捺された羊皮紙。

 受け取ったエレアノーリエの視線が、そこに記された数行の文字を追う。


『――国王陛下、病状急変により崩御――』


「......っ......っ、お父様......!?」


 羊皮紙が、エレアノーリエの指先からハラハラと滑り落ちた。

 幼い頃、王宮の陰湿な格差や冷遇に晒され、ひとり震えていた自分に、密かに温かい言葉をかけてくれた優しい父。

 ノランを家庭教師として遣わし、モルガナの元へと送り出してくれた、かけがえのない理解者。


「そんな......お父様......っ! わたくし......まだ何のご恩返しも......できておりませんのに......っ!」


 膝から崩れ落ちるエレアノーリエの姿に、ノランが息をのんで駆け寄り、傍らにいたブランや子魔犬たちが悲しげな鳴き声を上げて身を寄せた。

 手や頬を温かい舌で舐め、悲しみを分かち合おうとする仲間たち。しかし、込み上げる涙を止めることはできなかった。

 溢れる涙を拭おうと、エレアノーリエは床に落ちた書状を拾い上げる。

 その時、彼女の鋭い眼が、公文書の裏側に重なるようにして添えられた「一枚の真っ白な羊皮紙」の存在に気づいた。


(......これは......? 何も書かれていない......? いいえ、違うわ......)


 明晰な頭脳と圧倒的な知識量を誇るエレアノーリエは、即座に思い当たった。

 王家に代々伝わる、極秘の通信魔道具――同じ直系血族の『血』を媒介とすることでしか文字が浮かび上がらない特殊なインクで作られた暗号文だ。


「......先生、ナイフを......」


「殿下? 一体何を――」


 ノランが制止する間もなく、エレアノーリエはノランから受け取った小さなナイフで自らの指先を少しだけ傷つけた。

 一滴の赤い血が、白い羊皮紙の上にぽつりと落ちる。

 朱色の滴は、瞬く間に吸い込まれるように羊皮紙全体へと広がると、美しく力強い自筆の文字へと変貌を遂げていった。そこに記されていたのは、長兄リアリシウスからのメッセージだった。


『愛する妹、エレアへ。
父上の崩御により、私が次期国王として即位することとなった。

悲しみに暮れる暇もなく申し訳ないが、かねてより水面下で温めていた「北方魔法都市計画」を本格的に動かす時が来た。教会の腐敗を断ち、この国に新しい魔道の未来を切り拓くための計画だ。

この都市の領主となれるのは、真の魔道を解し、人々の心に寄り添えるお前しかいない。そして、計画の成就には大魔女モルガナ様の絶対的な協力が不可欠だ。

エレア、どうかモルガナ様との極秘会談の仲介を頼みたい』


 読み終えたエレアノーリエは、指先の血を拭い、ぎゅっと拳を握りしめた。

 その瞳から涙は消え、まっすぐで力強い光が宿っていた。

 指先の傷口に小さな精霊魔法を施し、エレアノーリエは静かに立ち上がった。


「エレアノーリエ殿下......大丈夫ですか?」


 心配そうに見つめるノランに対し、エレアノーリエは凛とした笑みを返した。


「ええ、ノラン先生。わたくし、悲しんでばかりはいられませんわ。お父様が遺してくださった道と、兄様が切り拓こうとしている未来のために......なすべきことがあります」

――――――――――――――――――――――――――――――

 彼女はノランや魔犬たちに暗号文の詳しい内容を伏せたまま、一人でモルガナの執務室へと向かった。

 扉を、静かに叩く。


「どうぞ」


 部屋の中では、幼い少女の姿をした大魔女モルガナが、黒檀の机に向かって魔道書を広げていた。

 普段であれば「モルガナ様!」と親しく歩み寄るエレアノーリエだったが、この日は違った。

 彼女はモルガナの数歩前で立ち止まると、スカートの裾を優雅に広げ、王家の完璧な作法をもって、深く、深く頭を下げた。


「モルガナ様。弟子としてではなく、グランセリア王家第三王女、エレアノーリエ=グランセリアとして罷り越しました......身勝手なお願いがございます」


 モルガナは静かに魔道書を閉じると、琥珀色の瞳をエレアノーリエに向けた。


「ほう......? 貴女がそんな畏まるなんて、出会った日以来ではないかしら。いいわ、聞きましょう」


「はい。父王が崩御し、新王となる長兄リアリシウスとお目通しをいただきたいのです。兄様は、この国の未来と真の魔道の在り方、そしてわたくしたちの歩むべき道を本気で変えようとしておられます。どうか......一度だけ、お会いしていただけないでしょうか」


 静寂が執務室を包み込む。

 モルガナは少しの間、沈黙を守った後、ふっと口元を和ませた。

「......顔を上げなさい、エレアノーリエ。お前のその真っ直ぐな眼差しと、覚悟に免じて......会いましょう。大魔女としてではなく、お前の師としてね」


「モルガナ様......! ありがとうございます!」

――――――――――――――――――――――――――――――

 数日後。モルガナの結界と館の隠蔽魔法に守られ、お忍びで山の館を訪れた第一王子リアリシウス。

 重厚な応接室にて、歴史上類を見ない「大魔女」と「新国王」の極秘会談が始まった。

 応接室にはモルガナとリアリシウスの二人のみが着席し、エレアノーリエとノラン、そして三匹の子犬とブランは扉の外で見守っていた。


「初めまして、大魔女モルガナ様。お目にかかれて光栄だ」


「形式的な挨拶は不要よ、新しき王。私に直接会ってまで通したい『我が儘』とは何かしら?」


 リアリシウスは理知的な紫の瞳を輝かせ、机の上に広大な地図を広げた。


「では、単刀直入に申し上げましょう。私は即位後、腐敗した教会の利権を剥奪し、北方の一帯を王家直轄領へと組み換えます。そしてそこに、魔道と科学、人々が調和して暮らす世界最大の『北方魔法都市』を建設する」

「大魔女である貴女が結界を張り、このベイスの町は、辺境では類を見ない教会から離脱した町となりました。そして、魔犬の存在がある...」


 リアリシウスはちらりと扉の方を窺った。


「彼らと人々が絆を交わしたとき、魔法の才能――魔道魔法に限らず、精霊魔法にまで目覚める事例があったと、妹から報告を受けております」


 頭を深く下げ、新王は魔女に懇願した。


「貴女様の弟子を、諜報のように扱ったこと、心からお詫び申し上げます。しかし、私はこの国を率いる王として、この機会を逃すことはできない。現在我が国は、貴族による魔道魔法の技術独占と、精霊魔法を囲う教会からの圧力で、停滞に陥っています。」


「しかし、貴女様の庇護するこの町からなら、そのしがらみを唾棄し、この国の魔法技術を発展することができると確信しています」


 モルガナは興味深そうに眉をひそめた。


「......教会の抵抗や貴族、宮廷魔道士たちの反発は免れないでしょう?」


「ええ。だからこそ、その都市の領主には、既成概念に囚われず真の魔道を修めた王族......エレアノーリエを据えます。そしてモルガナ様、貴女様にはその都市を、そしてエレアを影から支え続けていただきたい」


「私を計画に巻き込もうというの? 大魔女を動かすための『対価』は何を用意されたのかしら。王宮の金銀財宝や権力など、私には雑草ほどの価値もないけれど」


 モルガナの鋭い問いかけに対し、リアリシウスは不敵に笑った。


「勿論、分かっております。王宮からの全面的な援助や金貨の確保は当然として......私が用意した真の対価は、ひとつの『名』です」


「名......?」


「はい。かつて幼き頃の貴女様が魔物の襲撃によって奪われ、二度と戻らなかった生家の姓......『コードリア』この名を、北方魔法都市の公的な爵位名とし、エレアノーリエに『コードリア辺境女伯』として名乗らせます」


 モルガナの瞳が、一瞬だけ大きく見開かれた。

 『コードリア』――幼い頃、魔物によって両親も家もすべてを失い、歴史から消え去った自らの真のルーツ。


「教会の影響を完全に払拭し、新しい魔道の象徴となる都市に、貴女様の原点である『コードリア』の名を刻む。これが、私の提示する契約です」


 モルガナは静かに目を閉じ、過去の記憶を反芻するように深く息を吐いた。そして、くすりと微笑んだ。


「......ふふ、新たな王よ。悪くない提案だわ。あの子の中に咲く誇りに、私の失われた家名を託しましょう。その申し出、受け入れます」


 そして、琥珀に瞬く視線を伏せ、魔女は小さく「ありがとう」と呟いた。

 その言葉を受け、新王リアリシウスは大魔女モルガナと固い握手を交わしたのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 モルガナとの密約を果たしたリアリシウスは、王都へと戻り、厳粛な雰囲気の中で新国王として戴冠した。

 この時、リアリシウスは25歳。若き王にが国の頂点に座することを憂慮する民もいた。しかし、盛大なパレードを催し、その王の威光に負けぬ荘厳な姿を民草に示したのを皮切りに、先王を凌ぐ技量で国政を進めていった。

 そして、戴冠式から一ヶ月後。

 王宮の大ホールにて、第二王子ラインハルトの叙爵式が執り行われた。


「第二王子ラインハルト・グランセリア! 汝に『レムリアス辺境伯』の爵位と領地を授け、南方海域の防衛を命じる!」


 豪華な儀礼服に身を包んだラインハルトが、力強く膝をつき、兄である新王リアリシウスから剣による祝福を受ける。

 「レムリアス辺境伯領」は、かつて大災害の歴史を持ち、旧コードリア子爵領を含んだ南方防衛の要所であった。ラインハルトは15歳の成人と同時に領地入りし、騎士と領主としての修行に励んできた。この度、兄が戴冠したため、王弟としての伝統に乗っ取り、叙爵の儀が執り行われたのであった。

 儀式が終わり、控室に戻った兄弟は、普段通りの笑みを交わした。


「ハハハ! 兄上、いや陛下! お堅い式典は肩が凝るな!」


「相変わらずだな、ラインハルト。......だが、南方の防衛はお前にしか任せられない。頼んだよ」


「任せとけって! 南方の海は俺がガッチリ守ってみせる。その間に兄上は王宮の掃除を終わらせて、エレアが安心して戻ってこられる場所をしっかり作ってやってくれよ!」


 ラインハルトは豪快に笑いながら兄と固い握手を交わし、自らの任地である南方へと旅立っていった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 ラインハルトを見送った後、新王リアリシウスの前には、凄惨で孤独な政治闘争の渦が広がっていた。

 急進的な魔法都市計画と教会の利権解体に対し、既得権益にしがみつく腐敗した教会勢力、そして「アイゼンハルト」の魔道理論を激しく敵視する「旧態依然とした宮廷魔道士たち」が、一斉に反旗を翻したのだ。


「新王はお狂いになられた! 伝統ある宮廷魔道術を捨て、怪しげな街の魔女と手を組むなど!」


「北方直轄領化など断じて認めん! 教会の聖域を侵す者は神の罰を受けるであろう!」


 連日のように王宮の執務室に投げ込まれる抗議文、貴族たちの不穏な動き。

 しかし、リアリシウスは怯まなかった。


「無駄な詠唱と冗長な魔法陣に溺れ、権力に甘んじる愚か者どもめ。お前たちの時代は終わったのだ」


 リアリシウスは卓越した冷徹な政治手腕を発揮した。

 宮廷魔道士たちの予算や人事、利権の不透明さを徹底的に調べ上げて不正を暴き、一人また一人と失脚・追放へと追い込んでいく。

 同時に、北方の貴族たちが、教会の腐敗した司祭から賄賂を受け取り悪事を黙認していた証拠を突きつけ、反論の余地を与えずに北方領地の権利を王家へと奪還していった。

 ーーこの「北方の貴族たち」というのは、魔獣の跋扈する前人未到の北の地を、武力によって制圧した騎士たちが叙爵した子孫であり、モルガナの座すベイスの町を領地に含んでいた、ジャルダン男爵と、隣領のガルニエ男爵を指す。

 ーーそして、両男爵はクゥ、レオンが追及した、魔道具による魔獣襲来事件を起こした司祭と繋がっており、莫大な賄賂を受け取る代わりに、司祭を野放しにしていたのである。

 また、裏ではモルガナの館と極秘裏に連絡を取り合い、ベイスの町を中心とした「魔法都市」の施設整備や法整備を着々と進めていく。

 ベイスの町は『ベイス=アルカ』――魔道の方舟としての名前を与えられ、「魔法都市」の中心部になることを見越した施策がとられた。

 エレアノーリエが成長し、15歳となって正式に領主として立つことができるその日までの二年間。

 新王リアリシウスは、血のにじむような王宮内での奮闘によって、妹のための居場所と新しい国家の基盤を勝ち取っていったのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 リアリシウスの死闘から二年の歳月が流れた。

 教会の抵抗勢力は完全に無力化され、ベイスの町周辺は魔法都市としての美しき基盤を整えていた。

 そして迎えた晴れやかな日。15歳となったエレアノーリエの「コードリア辺境女伯」叙爵式が、王都の王城前にて厳かに執り行われた。

 宮殿の楽団による、重厚な音楽が響く中、王家の色を表す、紫の絨毯を歩む人物に、参列した貴族たちから溜息が漏れる。

 そこにいたのは、燃える艶やかな赤髪を気品高く結い上げ、王家の気品と大魔女の弟子としての洗練された威厳を纏った、美しき15歳のエレアノーリエだった。

 玉座の前で優雅に膝をつくエレアノーリエ。

 玉座から降り立った国王リアリシウスが、厳かに語りかける。


「エレアノーリエ・グランセリア。汝の優れた魔術的見識と高潔なる精神を称え、本日より『コードリア辺境女伯』の爵位を授ける。北方魔法都市の領主として、人々の光となりなさい」


「謹んで、お受けいたします。我が王よ」


 リアリシウスから授与されたのは、大魔女モルガナの生き様と亡き父の願い、そしてかつて失われた太古の家名を宿した、金色の紋章だった。

 式典の列席席には、感慨深そうに涙を浮かべる家庭教師ノラン、誇らしげに胸を張る黄金の魔犬ブラン、そして客席の最前列で静かに微笑む少女の姿をした大魔女モルガナの姿があった。

 式典が終わり、王城のバルコニーに出て王都の青空を見上げるエレアノーリエ。

 寄り添うノランとブランに、彼女は眩しいばかりの笑顔を向けた。


「ノラン先生、ブラン。ついに始まりましたわ。わたくしたちの、新しい魔法都市が!」


「ええ、エレアノーリエ殿下......いいえ、コードリア辺境女伯様。必ずやお支えいたします!」


「ワフッ!」
『とっても素敵なところにしようね!』


 父への感謝、兄たちの深い愛、そして師や仲間たちと共に歩む未来。

 15歳となった「コードリア辺境女伯」エレアノーリエの胸には、新しい時代を照らす希望の花が、力強く咲き誇っていたのだった。

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第九話 乙女の誓いと、杯交わす開拓の地
町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~作者:あづみ
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第八話 王冠の重みと、受け継がれる誓い

 深山を渡る風が静かに館の窓を揺らす、穏やかな昼下がりだった。

 モルガナの館の広間では、十三歳となったエレアノーリエが、ノランや子魔犬たちとともに魔法陣の記述法の比較研究に勤しんでいた。

 その静寂を破ったのは、息を弾ませて館の扉を叩いた王宮からの緊急使者だった。


「エレアノーリエ殿下......! 王宮より、重大なる公報を携えてまいりました......!」


 使者が恭しく差し出したのは、王家の紋章が捺された羊皮紙。

 受け取ったエレアノーリエの視線が、そこに記された数行の文字を追う。


『――国王陛下、病状急変により崩御――』


「......っ......っ、お父様......!?」


 羊皮紙が、エレアノーリエの指先からハラハラと滑り落ちた。

 幼い頃、王宮の陰湿な格差や冷遇に晒され、ひとり震えていた自分に、密かに温かい言葉をかけてくれた優しい父。

 ノランを家庭教師として遣わし、モルガナの元へと送り出してくれた、かけがえのない理解者。


「そんな......お父様......っ! わたくし......まだ何のご恩返しも......できておりませんのに......っ!」


 膝から崩れ落ちるエレアノーリエの姿に、ノランが息をのんで駆け寄り、傍らにいたブランや子魔犬たちが悲しげな鳴き声を上げて身を寄せた。

 手や頬を温かい舌で舐め、悲しみを分かち合おうとする仲間たち。しかし、込み上げる涙を止めることはできなかった。

 溢れる涙を拭おうと、エレアノーリエは床に落ちた書状を拾い上げる。

 その時、彼女の鋭い眼が、公文書の裏側に重なるようにして添えられた「一枚の真っ白な羊皮紙」の存在に気づいた。


(......これは......? 何も書かれていない......? いいえ、違うわ......)


 明晰な頭脳と圧倒的な知識量を誇るエレアノーリエは、即座に思い当たった。

 王家に代々伝わる、極秘の通信魔道具――同じ直系血族の『血』を媒介とすることでしか文字が浮かび上がらない特殊なインクで作られた暗号文だ。


「......先生、ナイフを......」


「殿下? 一体何を――」


 ノランが制止する間もなく、エレアノーリエはノランから受け取った小さなナイフで自らの指先を少しだけ傷つけた。

 一滴の赤い血が、白い羊皮紙の上にぽつりと落ちる。

 朱色の滴は、瞬く間に吸い込まれるように羊皮紙全体へと広がると、美しく力強い自筆の文字へと変貌を遂げていった。そこに記されていたのは、長兄リアリシウスからのメッセージだった。


『愛する妹、エレアへ。
父上の崩御により、私が次期国王として即位することとなった。

悲しみに暮れる暇もなく申し訳ないが、かねてより水面下で温めていた「北方魔法都市計画」を本格的に動かす時が来た。教会の腐敗を断ち、この国に新しい魔道の未来を切り拓くための計画だ。

この都市の領主となれるのは、真の魔道を解し、人々の心に寄り添えるお前しかいない。そして、計画の成就には大魔女モルガナ様の絶対的な協力が不可欠だ。

エレア、どうかモルガナ様との極秘会談の仲介を頼みたい』


 読み終えたエレアノーリエは、指先の血を拭い、ぎゅっと拳を握りしめた。

 その瞳から涙は消え、まっすぐで力強い光が宿っていた。

 指先の傷口に小さな精霊魔法を施し、エレアノーリエは静かに立ち上がった。


「エレアノーリエ殿下......大丈夫ですか?」


 心配そうに見つめるノランに対し、エレアノーリエは凛とした笑みを返した。


「ええ、ノラン先生。わたくし、悲しんでばかりはいられませんわ。お父様が遺してくださった道と、兄様が切り拓こうとしている未来のために......なすべきことがあります」

――――――――――――――――――――――――――――――

 彼女はノランや魔犬たちに暗号文の詳しい内容を伏せたまま、一人でモルガナの執務室へと向かった。

 扉を、静かに叩く。


「どうぞ」


 部屋の中では、幼い少女の姿をした大魔女モルガナが、黒檀の机に向かって魔道書を広げていた。

 普段であれば「モルガナ様!」と親しく歩み寄るエレアノーリエだったが、この日は違った。

 彼女はモルガナの数歩前で立ち止まると、スカートの裾を優雅に広げ、王家の完璧な作法をもって、深く、深く頭を下げた。


「モルガナ様。弟子としてではなく、グランセリア王家第三王女、エレアノーリエ=グランセリアとして罷り越しました......身勝手なお願いがございます」


 モルガナは静かに魔道書を閉じると、琥珀色の瞳をエレアノーリエに向けた。


「ほう......? 貴女がそんな畏まるなんて、出会った日以来ではないかしら。いいわ、聞きましょう」


「はい。父王が崩御し、新王となる長兄リアリシウスとお目通しをいただきたいのです。兄様は、この国の未来と真の魔道の在り方、そしてわたくしたちの歩むべき道を本気で変えようとしておられます。どうか......一度だけ、お会いしていただけないでしょうか」


 静寂が執務室を包み込む。

 モルガナは少しの間、沈黙を守った後、ふっと口元を和ませた。

「......顔を上げなさい、エレアノーリエ。お前のその真っ直ぐな眼差しと、覚悟に免じて......会いましょう。大魔女としてではなく、お前の師としてね」


「モルガナ様......! ありがとうございます!」

――――――――――――――――――――――――――――――

 数日後。モルガナの結界と館の隠蔽魔法に守られ、お忍びで山の館を訪れた第一王子リアリシウス。

 重厚な応接室にて、歴史上類を見ない「大魔女」と「新国王」の極秘会談が始まった。

 応接室にはモルガナとリアリシウスの二人のみが着席し、エレアノーリエとノラン、そして三匹の子犬とブランは扉の外で見守っていた。


「初めまして、大魔女モルガナ様。お目にかかれて光栄だ」


「形式的な挨拶は不要よ、新しき王。私に直接会ってまで通したい『我が儘』とは何かしら?」


 リアリシウスは理知的な紫の瞳を輝かせ、机の上に広大な地図を広げた。


「では、単刀直入に申し上げましょう。私は即位後、腐敗した教会の利権を剥奪し、北方の一帯を王家直轄領へと組み換えます。そしてそこに、魔道と科学、人々が調和して暮らす世界最大の『北方魔法都市』を建設する」

「大魔女である貴女が結界を張り、このベイスの町は、辺境では類を見ない教会から離脱した町となりました。そして、魔犬の存在がある...」


 リアリシウスはちらりと扉の方を窺った。


「彼らと人々が絆を交わしたとき、魔法の才能――魔道魔法に限らず、精霊魔法にまで目覚める事例があったと、妹から報告を受けております」


 頭を深く下げ、新王は魔女に懇願した。


「貴女様の弟子を、諜報のように扱ったこと、心からお詫び申し上げます。しかし、私はこの国を率いる王として、この機会を逃すことはできない。現在我が国は、貴族による魔道魔法の技術独占と、精霊魔法を囲う教会からの圧力で、停滞に陥っています。」


「しかし、貴女様の庇護するこの町からなら、そのしがらみを唾棄し、この国の魔法技術を発展することができると確信しています」


 モルガナは興味深そうに眉をひそめた。


「......教会の抵抗や貴族、宮廷魔道士たちの反発は免れないでしょう?」


「ええ。だからこそ、その都市の領主には、既成概念に囚われず真の魔道を修めた王族......エレアノーリエを据えます。そしてモルガナ様、貴女様にはその都市を、そしてエレアを影から支え続けていただきたい」


「私を計画に巻き込もうというの? 大魔女を動かすための『対価』は何を用意されたのかしら。王宮の金銀財宝や権力など、私には雑草ほどの価値もないけれど」


 モルガナの鋭い問いかけに対し、リアリシウスは不敵に笑った。


「勿論、分かっております。王宮からの全面的な援助や金貨の確保は当然として......私が用意した真の対価は、ひとつの『名』です」


「名......?」


「はい。かつて幼き頃の貴女様が魔物の襲撃によって奪われ、二度と戻らなかった生家の姓......『コードリア』この名を、北方魔法都市の公的な爵位名とし、エレアノーリエに『コードリア辺境女伯』として名乗らせます」


 モルガナの瞳が、一瞬だけ大きく見開かれた。

 『コードリア』――幼い頃、魔物によって両親も家もすべてを失い、歴史から消え去った自らの真のルーツ。


「教会の影響を完全に払拭し、新しい魔道の象徴となる都市に、貴女様の原点である『コードリア』の名を刻む。これが、私の提示する契約です」


 モルガナは静かに目を閉じ、過去の記憶を反芻するように深く息を吐いた。そして、くすりと微笑んだ。


「......ふふ、新たな王よ。悪くない提案だわ。あの子の中に咲く誇りに、私の失われた家名を託しましょう。その申し出、受け入れます」


 そして、琥珀に瞬く視線を伏せ、魔女は小さく「ありがとう」と呟いた。

 その言葉を受け、新王リアリシウスは大魔女モルガナと固い握手を交わしたのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 モルガナとの密約を果たしたリアリシウスは、王都へと戻り、厳粛な雰囲気の中で新国王として戴冠した。

 この時、リアリシウスは25歳。若き王にが国の頂点に座することを憂慮する民もいた。しかし、盛大なパレードを催し、その王の威光に負けぬ荘厳な姿を民草に示したのを皮切りに、先王を凌ぐ技量で国政を進めていった。

 そして、戴冠式から一ヶ月後。

 王宮の大ホールにて、第二王子ラインハルトの叙爵式が執り行われた。


「第二王子ラインハルト・グランセリア! 汝に『レムリアス辺境伯』の爵位と領地を授け、南方海域の防衛を命じる!」


 豪華な儀礼服に身を包んだラインハルトが、力強く膝をつき、兄である新王リアリシウスから剣による祝福を受ける。

 「レムリアス辺境伯領」は、かつて大災害の歴史を持ち、旧コードリア子爵領を含んだ南方防衛の要所であった。ラインハルトは15歳の成人と同時に領地入りし、騎士と領主としての修行に励んできた。この度、兄が戴冠したため、王弟としての伝統に乗っ取り、叙爵の儀が執り行われたのであった。

 儀式が終わり、控室に戻った兄弟は、普段通りの笑みを交わした。


「ハハハ! 兄上、いや陛下! お堅い式典は肩が凝るな!」


「相変わらずだな、ラインハルト。......だが、南方の防衛はお前にしか任せられない。頼んだよ」


「任せとけって! 南方の海は俺がガッチリ守ってみせる。その間に兄上は王宮の掃除を終わらせて、エレアが安心して戻ってこられる場所をしっかり作ってやってくれよ!」


 ラインハルトは豪快に笑いながら兄と固い握手を交わし、自らの任地である南方へと旅立っていった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 ラインハルトを見送った後、新王リアリシウスの前には、凄惨で孤独な政治闘争の渦が広がっていた。

 急進的な魔法都市計画と教会の利権解体に対し、既得権益にしがみつく腐敗した教会勢力、そして「アイゼンハルト」の魔道理論を激しく敵視する「旧態依然とした宮廷魔道士たち」が、一斉に反旗を翻したのだ。


「新王はお狂いになられた! 伝統ある宮廷魔道術を捨て、怪しげな街の魔女と手を組むなど!」


「北方直轄領化など断じて認めん! 教会の聖域を侵す者は神の罰を受けるであろう!」


 連日のように王宮の執務室に投げ込まれる抗議文、貴族たちの不穏な動き。

 しかし、リアリシウスは怯まなかった。


「無駄な詠唱と冗長な魔法陣に溺れ、権力に甘んじる愚か者どもめ。お前たちの時代は終わったのだ」


 リアリシウスは卓越した冷徹な政治手腕を発揮した。

 宮廷魔道士たちの予算や人事、利権の不透明さを徹底的に調べ上げて不正を暴き、一人また一人と失脚・追放へと追い込んでいく。

 同時に、北方の貴族たちが、教会の腐敗した司祭から賄賂を受け取り悪事を黙認していた証拠を突きつけ、反論の余地を与えずに北方領地の権利を王家へと奪還していった。

 ーーこの「北方の貴族たち」というのは、魔獣の跋扈する前人未到の北の地を、武力によって制圧した騎士たちが叙爵した子孫であり、モルガナの座すベイスの町を領地に含んでいた、ジャルダン男爵と、隣領のガルニエ男爵を指す。

 ーーそして、両男爵はクゥ、レオンが追及した、魔道具による魔獣襲来事件を起こした司祭と繋がっており、莫大な賄賂を受け取る代わりに、司祭を野放しにしていたのである。

 また、裏ではモルガナの館と極秘裏に連絡を取り合い、ベイスの町を中心とした「魔法都市」の施設整備や法整備を着々と進めていく。

 ベイスの町は『ベイス=アルカ』――魔道の方舟としての名前を与えられ、「魔法都市」の中心部になることを見越した施策がとられた。

 エレアノーリエが成長し、15歳となって正式に領主として立つことができるその日までの二年間。

 新王リアリシウスは、血のにじむような王宮内での奮闘によって、妹のための居場所と新しい国家の基盤を勝ち取っていったのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 リアリシウスの死闘から二年の歳月が流れた。

 教会の抵抗勢力は完全に無力化され、ベイスの町周辺は魔法都市としての美しき基盤を整えていた。

 そして迎えた晴れやかな日。15歳となったエレアノーリエの「コードリア辺境女伯」叙爵式が、王都の王城前にて厳かに執り行われた。

 宮殿の楽団による、重厚な音楽が響く中、王家の色を表す、紫の絨毯を歩む人物に、参列した貴族たちから溜息が漏れる。

 そこにいたのは、燃える艶やかな赤髪を気品高く結い上げ、王家の気品と大魔女の弟子としての洗練された威厳を纏った、美しき15歳のエレアノーリエだった。

 玉座の前で優雅に膝をつくエレアノーリエ。

 玉座から降り立った国王リアリシウスが、厳かに語りかける。


「エレアノーリエ・グランセリア。汝の優れた魔術的見識と高潔なる精神を称え、本日より『コードリア辺境女伯』の爵位を授ける。北方魔法都市の領主として、人々の光となりなさい」


「謹んで、お受けいたします。我が王よ」


 リアリシウスから授与されたのは、大魔女モルガナの生き様と亡き父の願い、そしてかつて失われた太古の家名を宿した、金色の紋章だった。

 式典の列席席には、感慨深そうに涙を浮かべる家庭教師ノラン、誇らしげに胸を張る黄金の魔犬ブラン、そして客席の最前列で静かに微笑む少女の姿をした大魔女モルガナの姿があった。

 式典が終わり、王城のバルコニーに出て王都の青空を見上げるエレアノーリエ。

 寄り添うノランとブランに、彼女は眩しいばかりの笑顔を向けた。


「ノラン先生、ブラン。ついに始まりましたわ。わたくしたちの、新しい魔法都市が!」


「ええ、エレアノーリエ殿下......いいえ、コードリア辺境女伯様。必ずやお支えいたします!」


「ワフッ!」
『とっても素敵なところにしようね!』


 父への感謝、兄たちの深い愛、そして師や仲間たちと共に歩む未来。

 15歳となった「コードリア辺境女伯」エレアノーリエの胸には、新しい時代を照らす希望の花が、力強く咲き誇っていたのだった。

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第九話 乙女の誓いと、杯交わす開拓の地
町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~作者:あづみ
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