ホーム町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~第九話 乙女の誓いと、杯交わす開拓の地
← 前の話目次次の話 →

第九話 乙女の誓いと、杯交わす開拓の地

 霊峰ヴァルグヴェルドにある大魔女の館、その執務室にはどこか重厚な緊張感が漂っていた。

 十五歳を迎え、凛とした気品と芯の強さを身につけたエレアノーリエは、「コードリア辺境女伯」としての正装に身を包み、黒檀の机に向かう大魔女モルガナの前に堂々と立っていた。


「モルガナ様。わたくしが弟子入りする際、修行の等価交換として出されていた『ノラン先生のお嫁さん探し』のことですが......」


 エレアノーリエは一度深く息を吸い込み、背筋をぴんと伸ばしてまっすぐにモルガナの瞳を見つめた。


「そのお嫁さんとして、わたくし自身が名乗り出ますわ!」


 静寂が破られた。

 黒檀の机に頬づえをついていたモルガナは、ニヤニヤと楽しげに口元を歪め、「ほう?」と眉を跳ね上げる。

 そしてその傍らで魔道具を整理していた当のノランは、手にしていた水晶をガシャーンッと床にぶちまけ、「ええぇっ!?」と喉を詰まらせたような悲鳴をあげて大混乱に陥っていた。

 立ち尽くすノランを横目に、エレアノーリエの脳裏には数年前の王宮での記憶が鮮やかによみがえっていた。


 ――あれはまだ、自分が十三歳、父王が崩御する少し前のことだった。

 王宮にある長兄リアリシウスの執務室で、エレアノーリエは山のように積み上げられた令嬢たちの釣書(縁談書)と連日格闘していた。

 そして、ノランを幸せにするための絶好の相手を探そうと、条件を一つひとつ吟味し、ついに「完璧なお嫁さん候補」と呼べる一枚の釣書をついに掘り当てたのだった。

『魔道の理を理解し、無駄のない魔法を愛する者。赤髪を持ち、少々おてんばではあるが気品と慈愛に満ちた人物』

 理想そのものの内容に歓喜したはずだった。しかし、いざお見合いの日程を組み、相手にノランを引き合わせようと計画を進めるにつれ、エレアノーリエの胸の奥にはドロリとした重く黒いモヤモヤ――嫉妬と独占欲が渦巻き、夜も眠れぬほどの苦しさに苛まれたのだ。

 そんな彼女の異変を見抜いたのは、長兄リアリシウスだった。

 胸の苦しみを打ち明けた妹に対し、リアリシウスは柔らかく目を細めて微笑んだ。


『エレア、その釣書は私が作った偽物だよ』


『え......?』


『ノランが以前、語っていた“理想の女性像”......いや、君自身の性格や容姿、魔法への情熱を、そのまま別人として書き落としたものだ。君がノランを他の誰かに引き渡せるか試させてもらったが......やはり無理だったようだね』


 驚くエレアノーリエの肩に優しく手を取り、リアリシウスは続けた。


『ノランを王族との結婚という苛烈な政治闘争や波乱に巻き込む覚悟ができた時、自分こそがその相手だと名乗り出ればいい。それが、彼を真に幸せにするということだよ』


 兄の言葉を受け、彼女は心に強く誓ったのだった。いつか自分が立派な領主となり、彼を守り支えられる立場になった時、必ず自分の口で想いを伝えよう、と。

――――――――――――――――――――――――――――――

 思い出の記憶から意識を戻したエレアノーリエの視線の先で、ノランは真っ赤になった顔を縦横に振り、慌てふためいていた。


「で、殿下! エレアノーリエ殿下、落ち着いてください! 何をおっしゃっているのですか!」


「わたくしは至って冷静ですわ、ノラン先生」


「冷めすぎです! もっと現実をご覧になってください、私と殿下では十七歳も歳が離れているんですよ!?

「それに......私には冒険者時代に作った、ブランの精霊魔法でも消せなかった無骨な傷痕や、幼い頃の手の火傷痕だってあります! 見た目も酷ければ、身分だってただの辺境の冴えない男でしかありません! 殿下のような高貴で美しいお方が選ぶべき相手ではありません!」


 自分の欠点をこれでもかと並べ立て、必死にエレアノーリエを思い止めさせようとするノラン。しかし、エレアノーリエは怯むどころか一歩踏み出し、瞳を爛々と輝かせて捲し立てた。


「年齢も傷も、身分も関係ありませんわ! いつの日か、ノラン先生が『理想の相手』として挙げた条件......赤髪で心優しく、魔法の理を理解する人というのは、すべてわたくしのことですのよ!」


「なっ、それは......っ!?」


「それに! コードリア辺境伯に叙爵されたあの日、わたくしを支えると約束してくださったのは先生ではありませんか!」


「それは領主と従者としての意味で......!」


「言い訳は聞きませんわ! 八歳のあの日、王宮で手を差し伸べていただいてからの七年間、わたくしの目にはノラン先生しか映っておりませんでしたの!!」


 愛の言葉を矢継ぎ早に叩きつけられ、ノランは完全に言葉を失い、顔を耳まで真っ赤にして後退りした。怒涛の勢いに押し切られそうになった彼は、藁にもすがる思いで視線を脇へ投げた。


「モ、モルガナ様! どうか殿下をお諌めください! 師匠として、常識というものを......!」


「くくっ......あははは!」


 助けを求めたノランに対し、モルガナは腹を抱えて大笑いした。


「自業自得だわ、ノラン。弟子が己の感情に素直になるのは実に良いこと。それに、最初から『お嫁さん探し』を命じたのは私よ。身近に最高の相手がいたというだけの話ね」


「そ、そんな......モルガナ様まで......」


 完全に味方を失い、退路を断たれた朴念仁の家庭教師は、ついにその場にへたり込み、頭を抱えて降伏を宣言するしかなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 見事ーーと言うべきかは本人たちに任せるとするが、婚約を果たしたエレアノーリエだったが、余韻に浸る間もなく次なる大仕事へと着手した。

「魔法都市計画」の本格始動と、それに伴う新たな領主館の建設である。

 モルガナの座す山とベイスの町を都市の中心に据える構想だったが、王から拝領した北方領地はあまりに広大であり、現在のベイスの町の規模では新しい行政拠点や領主館を置く適切な土地が存在しなかった。


「――それなら、作ればよろしいのですわ!」


 エレアノーリエはベイスの町の傍らに広がる、見渡す限りの広大な荒野に立っていた。

 彼女が両手を広げ、魔力を高めると、大気を震わせるほどの圧迫感が周囲を満たす。モルガナから叩き込まれた二大魔法の極意が、今ここで遺憾無く発揮された。


(風よ、刈り取れ!――風の刃(エアリアル・ブレード) 土よ、平らげよ!――大地平盤(アースレベラー))


 無数の風魔法の刃が縦横無尽に駆け巡り、広大な草むらや雑木を一瞬で刈り倒していく。間髪容れずに展開された土魔法が地殻を揺らし、凹凸の激しかった荒野を完璧な平地へと整地していく。

 さらに建築魔法の術式を重ね合わせ、巨大な領主館の基礎や、将来的に整備されるであろう区画の石垣を次々と立ち上げていった。

 本来であれば、国家級の魔導士が数十人で数ヶ月かける規模の工事であり、一人で行えば一瞬で魔力枯渇を引き起こす無謀な行使である。

 だが、エレアノーリエの足元には、幼い頃に名前を与えた三匹の子魔犬――ルクス、ノクス、ヴェントがピッタリと寄り添っていた。


「クゥ...ゥオオーンッ!」
『エレア! 無理しちゃダメだよ!』
『力を貸すね!』


 子魔犬たちと紡ぐ精霊魔法の暖かな癒やしの波動が、絶え間なくエレアノーリエの体へと流れ込み、すり減った魔力と体力を即座に循環・回復させていく。精霊の加護を受けたエレアノーリエは、たった一人で広大な更地を作り上げてしまったのだ。

 完璧な基礎を打ち終えたエレアノーリエは、汗を拭いながら空を仰ぎ、精神感応の術を飛ばした。


『モルガナ様ー! 仕上げをお願いいたしますわー!』


 はるか山頂の館でその声を受け取ったモルガナは、「まったく、人使いの荒い弟子だわ」と深いため息をつきながらも、その口元には愛おしそうな笑みを浮かべていた。

 モルガナが窓辺から手をかざすと、山から溢れ出た極大の光の奔流がベイスの町と、新たに築かれた領主館の敷地全体を優しく包み込んでいく。

 それは、あらゆる魔物や外敵を退け、住む者に安らぎを与える、大魔女渾身の強固な大結界であった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 領主館の開拓が進む一方で、山の館ではまた別の「大騒動」が巻き起こっていた。
 ノランとエレアノーリエの婚約が決定したという報せは、館に暮らす魔犬たちの間にも一瞬で広まり、格好の話題となっていたのだ。


「おいブラン! ノランの奴がお嫁さんをもらうんだってな!」


「お前はいつまで一匹でいるんだ? さっさと良い番(つがい)を見つけろよ!」


 親や兄弟にあたる年上の魔犬たちに囲まれ、黄金の毛並みを持つ魔犬ブランは、「クゥ~ン......」と困り顔で頭を掻いていた。ノランの相棒として共に駆け抜けてきたブランにとって、恋愛や番探しなど考えたこともない領域だったのだ。

 しかも、ブランの年の頃ともなると、既にメスの魔犬たちはとっくに伴侶を得ており、見つけようにも相手がいない状態。さらに言えば、ブランは魔犬たちのなかで特別能力が高いわけではなくーー幼い頃は言うなれば落ちこぼれの部類であった。

 押し寄せるお見合いのプレッシャーに参っていたブランだったが、そのすぐ横には、一匹の小さな影が自然な動作でピタリと寄り添っていた。

 エレアノーリエの相棒である三匹の子魔犬の一匹、漆黒の毛並みを持つノクスである。

 ノクスはブランの脚に体をすりすりと擦り付け、「ブラン、あっちで遊ぼう?」と愛らしく見上げている。

 鈍感なブランは「ん? うん、いいよー?」と首をかしげるばかりで、「なんだか最近、ノクスがやたらとついてくるな」程度にしか思っていない。

 しかし、その光景を遠くから眺めていたモルガナやクゥたちは、あたたかい呆れ顔を浮かべていた。


「......あちらも、友人に似て相当な朴念仁ね」


「ノクスちゃんは完全にブランに気がありますね。ノランとエレアノーリエ様を超える、歳の差カップルの誕生も時間の問題でしょうか?」


「そうかもね...ところでクゥ、あなたもそろそろ...」


「...?!わ、私もレオンに呼ばれていたのでした!魔女様それではっ!」


 周囲の微笑ましく騒がしい視線も露知らず、ブランとノクスは並んで陽だまりの中へと歩いていくのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 領主館の基礎が整い、正式にコードリア辺境女伯としての統治が始まるにあたり、エレアノーリエには果たさなければならない大切な儀礼があった。

 婿として迎えることになったノランの実家――すなわち、ノランの家への訪問である。


「え、え、エレアノーリエ殿下が......うちに来るの!?」


 ノランの実家は大パニックに陥っていた。

 かつては王宮の雲の上の存在であり、今や自分たちの住む町を含む、広大な領地の「領主様」となった高貴な姫君が、あろうことか身内のノランの嫁として挨拶に来るというのだ。

 狭い家の中で、レオンもその両親もガチガチに緊張し、目を白黒させてしどろもどろになっていた。お茶を持つ手はガタガタと震え、まともに会話すら成り立たない。

 それを見たエレアノーリエは、ドレスの裾を静かに持ち上げると、質素な床の上に深々と膝をつき、頭を下げた。


「皆様、どうぞそんなに緊張なさらないでください。わたくしは『領主』としてではなく、ノラン先生を愛し、皆様と家族になりたい一人の女性として参りました。どうか、未熟なわたくしを温かく迎え入れていただけないでしょうか」


 王族の気品を保ちながらも、溢れんばかりの誠意が込められた言葉と態度に、レオンたちもようやく息を吹き返し、感涙とともに彼女を受け入れるのだった。

 しかし――問題は「町での挨拶」だった。

 その後、視察を兼ねてベイスの町を巡ったエレアノーリエだったが、町の人々は「偉大な大魔女様の弟子」「王宮から来た新しい領主様」という肩書に畏まり、全員が最敬礼で深々と頭を下げてしまう。


「お、お召し上がりください、領主様......」


「あ、ありがとうございます......」


 どこへ行ってもピンと張り詰めた緊張感が漂い、心の壁を取り払うことができない。


(修業中に、もっと山を下りて、町の人々と直接触れ合っておけばよかった......わたくしが恐ろしく見えているんだわ......)


 自分自身は、10歳で弟子入りしてから五年、すっかり町に受け入れられた気でいたのに、こうも打ち解けられないもどかしさに、エレアノーリエは小さく肩を落とし、悔しさに瞳を伏せるのだった

――――――――――――――――――――――――――――――

 すっかり落ち込んだエレアノーリエは、修行時代にノランと何度か足を運んだことのある、町外れの小さな飯屋兼酒場、「錆びた鉄剣亭」へ昼食をとるために駆け込んだ。

 気さくな店主の親父さんは、領主となった彼女を特別扱いすることなく、温かいスープを出してくれた。


「はぁ......どうすれば、町の人たちと本当の意味で打ち解けられるのでしょうか......」


 エレアノーリエがポツリと愚痴をこぼすと、冒険者上がりの豪快な店主は木樽を拭きながらガラガラと笑った。


「ハハハ! 領主様、そりゃ考えすぎですよ! ベイスの人間なんて単純なもんです。お上だなんだと気取らずに、町中で一緒に酒でも飲んで腹を割って話せば、一発で仲間入りですよ!」


 冗談めかして言われたその言葉に、エレアノーリエの瞳がキラリと怪しく輝いた。


「......それですわ!!」


 思い立ったら即行動。その日の夕刻、ベイスの中央広場には突如として無数の酒樽と料理が運び込まれ、「領主就任・ノランとの婚約記念」を理由に盛大な無礼講が緊急開催された。

 短い時間での開催には、言い出しっぺの酒場の亭主が全面協力し、町中に声を掛け合い、酒と飯と人を寄せ集めたのだった。


「さあ皆様! 今夜は無礼講ですわ! 遠慮なく飲み明かしましょう!」


 気迫に押されて集まった町民たちだったが、主役として引っ張り出された「新郎」のノランは、あいにく酒にはめっぽう弱かった。


 町のおじさんたちに「ノラン、まさか王女様を射止めるたぁ良い度胸だ!」と祝福され、注がれたエール酒を数杯煽っただけで、早くも顔を真っ赤にして千鳥足になる。
「エレアノーリエ殿下......私、もう......ダメです......」

 情けない声を漏らしたノランは、そのまま目を回して撃沈。傍らにいたブランのモフモフとした暖かい背中に頭を預け、スヤスヤと気持ちよさそうに寝こけてしまった。


「あらあら、ノラン先生ったら......。皆様、先生の代わりにわたくしがお相手いたしますわ!」


 撃沈した婿を横目に、エレアノーリエの本領が発揮された。

 彼女は王族としての美しい立ち振る舞いを崩さぬまま、並み居る町の酒豪たちが差し出す杯を笑顔で次々と受け取り、豪快に干していく。果実酒、エール酒、強烈な蒸留酒――どれを飲んでも顔色一つ変えない、底なしの酒豪だったのだ。


「が、ガハハ! あの美しい領主様が酒樽を空けていくぞ!?」


「ノラン先生より全然強いじゃないか! つまみを持ってこい!」


 予想外すぎる領主様の姿に、町民たちの緊張は一瞬で吹き飛んだ。大爆笑と歓声が広場を包み込み、人々は次々とエレアノーリエと肩を組み、乾杯を交わす。


「ベイスの皆さん! わたくしはこの町が、皆さんが大好きなのです!」


「俺たちも領主様が大好きだー!」


 酒杯を交わし、腹を割って笑い合う。格式ばった挨拶よりも遥かに深く、固く、彼女は町の人々と心を通わせたのだ。これが、コードリア辺境女伯エレアノーリエが最初に示した「領主の顔」となった。

 以降、味を占めたエレアノーリエは、町村を周り酒をのみ、それに付き合わされるノランは目を回すのだが、ーーそれはまた別の話である。

 ――夜は更け、満天の星空が広がる。

 大賑わいを見せる広場と、ブランの背中でイビキをかく情けない弟子の姿を、山の上の館の窓から静かに眺める人物がいた。大魔女モルガナである。


「......まったく。なにをしているのかしら」


 モルガナは呆れたように首を振ったが、その瞳はどこまでも優しく潤んでいた。

 月光が差し込む静かな執務室で、大魔女は一人嬉しそうに目を細め、遠くの喧騒に乾杯を捧げるように、静かにワイングラスを傾けるのだった。
シェア
← 前の話
第八話 王冠の重みと、受け継がれる誓い
次の話 →
第十話 ふたりの魔女と、手のひらの小さな光
町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~作者:あづみ
目次を見る
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません
ホーム町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~第九話 乙女の誓いと、杯交わす開拓の地
← 前の話目次次の話 →

第九話 乙女の誓いと、杯交わす開拓の地

 霊峰ヴァルグヴェルドにある大魔女の館、その執務室にはどこか重厚な緊張感が漂っていた。

 十五歳を迎え、凛とした気品と芯の強さを身につけたエレアノーリエは、「コードリア辺境女伯」としての正装に身を包み、黒檀の机に向かう大魔女モルガナの前に堂々と立っていた。


「モルガナ様。わたくしが弟子入りする際、修行の等価交換として出されていた『ノラン先生のお嫁さん探し』のことですが......」


 エレアノーリエは一度深く息を吸い込み、背筋をぴんと伸ばしてまっすぐにモルガナの瞳を見つめた。


「そのお嫁さんとして、わたくし自身が名乗り出ますわ!」


 静寂が破られた。

 黒檀の机に頬づえをついていたモルガナは、ニヤニヤと楽しげに口元を歪め、「ほう?」と眉を跳ね上げる。

 そしてその傍らで魔道具を整理していた当のノランは、手にしていた水晶をガシャーンッと床にぶちまけ、「ええぇっ!?」と喉を詰まらせたような悲鳴をあげて大混乱に陥っていた。

 立ち尽くすノランを横目に、エレアノーリエの脳裏には数年前の王宮での記憶が鮮やかによみがえっていた。


 ――あれはまだ、自分が十三歳、父王が崩御する少し前のことだった。

 王宮にある長兄リアリシウスの執務室で、エレアノーリエは山のように積み上げられた令嬢たちの釣書(縁談書)と連日格闘していた。

 そして、ノランを幸せにするための絶好の相手を探そうと、条件を一つひとつ吟味し、ついに「完璧なお嫁さん候補」と呼べる一枚の釣書をついに掘り当てたのだった。

『魔道の理を理解し、無駄のない魔法を愛する者。赤髪を持ち、少々おてんばではあるが気品と慈愛に満ちた人物』

 理想そのものの内容に歓喜したはずだった。しかし、いざお見合いの日程を組み、相手にノランを引き合わせようと計画を進めるにつれ、エレアノーリエの胸の奥にはドロリとした重く黒いモヤモヤ――嫉妬と独占欲が渦巻き、夜も眠れぬほどの苦しさに苛まれたのだ。

 そんな彼女の異変を見抜いたのは、長兄リアリシウスだった。

 胸の苦しみを打ち明けた妹に対し、リアリシウスは柔らかく目を細めて微笑んだ。


『エレア、その釣書は私が作った偽物だよ』


『え......?』


『ノランが以前、語っていた“理想の女性像”......いや、君自身の性格や容姿、魔法への情熱を、そのまま別人として書き落としたものだ。君がノランを他の誰かに引き渡せるか試させてもらったが......やはり無理だったようだね』


 驚くエレアノーリエの肩に優しく手を取り、リアリシウスは続けた。


『ノランを王族との結婚という苛烈な政治闘争や波乱に巻き込む覚悟ができた時、自分こそがその相手だと名乗り出ればいい。それが、彼を真に幸せにするということだよ』


 兄の言葉を受け、彼女は心に強く誓ったのだった。いつか自分が立派な領主となり、彼を守り支えられる立場になった時、必ず自分の口で想いを伝えよう、と。

――――――――――――――――――――――――――――――

 思い出の記憶から意識を戻したエレアノーリエの視線の先で、ノランは真っ赤になった顔を縦横に振り、慌てふためいていた。


「で、殿下! エレアノーリエ殿下、落ち着いてください! 何をおっしゃっているのですか!」


「わたくしは至って冷静ですわ、ノラン先生」


「冷めすぎです! もっと現実をご覧になってください、私と殿下では十七歳も歳が離れているんですよ!?

「それに......私には冒険者時代に作った、ブランの精霊魔法でも消せなかった無骨な傷痕や、幼い頃の手の火傷痕だってあります! 見た目も酷ければ、身分だってただの辺境の冴えない男でしかありません! 殿下のような高貴で美しいお方が選ぶべき相手ではありません!」


 自分の欠点をこれでもかと並べ立て、必死にエレアノーリエを思い止めさせようとするノラン。しかし、エレアノーリエは怯むどころか一歩踏み出し、瞳を爛々と輝かせて捲し立てた。


「年齢も傷も、身分も関係ありませんわ! いつの日か、ノラン先生が『理想の相手』として挙げた条件......赤髪で心優しく、魔法の理を理解する人というのは、すべてわたくしのことですのよ!」


「なっ、それは......っ!?」


「それに! コードリア辺境伯に叙爵されたあの日、わたくしを支えると約束してくださったのは先生ではありませんか!」


「それは領主と従者としての意味で......!」


「言い訳は聞きませんわ! 八歳のあの日、王宮で手を差し伸べていただいてからの七年間、わたくしの目にはノラン先生しか映っておりませんでしたの!!」


 愛の言葉を矢継ぎ早に叩きつけられ、ノランは完全に言葉を失い、顔を耳まで真っ赤にして後退りした。怒涛の勢いに押し切られそうになった彼は、藁にもすがる思いで視線を脇へ投げた。


「モ、モルガナ様! どうか殿下をお諌めください! 師匠として、常識というものを......!」


「くくっ......あははは!」


 助けを求めたノランに対し、モルガナは腹を抱えて大笑いした。


「自業自得だわ、ノラン。弟子が己の感情に素直になるのは実に良いこと。それに、最初から『お嫁さん探し』を命じたのは私よ。身近に最高の相手がいたというだけの話ね」


「そ、そんな......モルガナ様まで......」


 完全に味方を失い、退路を断たれた朴念仁の家庭教師は、ついにその場にへたり込み、頭を抱えて降伏を宣言するしかなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 見事ーーと言うべきかは本人たちに任せるとするが、婚約を果たしたエレアノーリエだったが、余韻に浸る間もなく次なる大仕事へと着手した。

「魔法都市計画」の本格始動と、それに伴う新たな領主館の建設である。

 モルガナの座す山とベイスの町を都市の中心に据える構想だったが、王から拝領した北方領地はあまりに広大であり、現在のベイスの町の規模では新しい行政拠点や領主館を置く適切な土地が存在しなかった。


「――それなら、作ればよろしいのですわ!」


 エレアノーリエはベイスの町の傍らに広がる、見渡す限りの広大な荒野に立っていた。

 彼女が両手を広げ、魔力を高めると、大気を震わせるほどの圧迫感が周囲を満たす。モルガナから叩き込まれた二大魔法の極意が、今ここで遺憾無く発揮された。


(風よ、刈り取れ!――風の刃(エアリアル・ブレード) 土よ、平らげよ!――大地平盤(アースレベラー))


 無数の風魔法の刃が縦横無尽に駆け巡り、広大な草むらや雑木を一瞬で刈り倒していく。間髪容れずに展開された土魔法が地殻を揺らし、凹凸の激しかった荒野を完璧な平地へと整地していく。

 さらに建築魔法の術式を重ね合わせ、巨大な領主館の基礎や、将来的に整備されるであろう区画の石垣を次々と立ち上げていった。

 本来であれば、国家級の魔導士が数十人で数ヶ月かける規模の工事であり、一人で行えば一瞬で魔力枯渇を引き起こす無謀な行使である。

 だが、エレアノーリエの足元には、幼い頃に名前を与えた三匹の子魔犬――ルクス、ノクス、ヴェントがピッタリと寄り添っていた。


「クゥ...ゥオオーンッ!」
『エレア! 無理しちゃダメだよ!』
『力を貸すね!』


 子魔犬たちと紡ぐ精霊魔法の暖かな癒やしの波動が、絶え間なくエレアノーリエの体へと流れ込み、すり減った魔力と体力を即座に循環・回復させていく。精霊の加護を受けたエレアノーリエは、たった一人で広大な更地を作り上げてしまったのだ。

 完璧な基礎を打ち終えたエレアノーリエは、汗を拭いながら空を仰ぎ、精神感応の術を飛ばした。


『モルガナ様ー! 仕上げをお願いいたしますわー!』


 はるか山頂の館でその声を受け取ったモルガナは、「まったく、人使いの荒い弟子だわ」と深いため息をつきながらも、その口元には愛おしそうな笑みを浮かべていた。

 モルガナが窓辺から手をかざすと、山から溢れ出た極大の光の奔流がベイスの町と、新たに築かれた領主館の敷地全体を優しく包み込んでいく。

 それは、あらゆる魔物や外敵を退け、住む者に安らぎを与える、大魔女渾身の強固な大結界であった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 領主館の開拓が進む一方で、山の館ではまた別の「大騒動」が巻き起こっていた。
 ノランとエレアノーリエの婚約が決定したという報せは、館に暮らす魔犬たちの間にも一瞬で広まり、格好の話題となっていたのだ。


「おいブラン! ノランの奴がお嫁さんをもらうんだってな!」


「お前はいつまで一匹でいるんだ? さっさと良い番(つがい)を見つけろよ!」


 親や兄弟にあたる年上の魔犬たちに囲まれ、黄金の毛並みを持つ魔犬ブランは、「クゥ~ン......」と困り顔で頭を掻いていた。ノランの相棒として共に駆け抜けてきたブランにとって、恋愛や番探しなど考えたこともない領域だったのだ。

 しかも、ブランの年の頃ともなると、既にメスの魔犬たちはとっくに伴侶を得ており、見つけようにも相手がいない状態。さらに言えば、ブランは魔犬たちのなかで特別能力が高いわけではなくーー幼い頃は言うなれば落ちこぼれの部類であった。

 押し寄せるお見合いのプレッシャーに参っていたブランだったが、そのすぐ横には、一匹の小さな影が自然な動作でピタリと寄り添っていた。

 エレアノーリエの相棒である三匹の子魔犬の一匹、漆黒の毛並みを持つノクスである。

 ノクスはブランの脚に体をすりすりと擦り付け、「ブラン、あっちで遊ぼう?」と愛らしく見上げている。

 鈍感なブランは「ん? うん、いいよー?」と首をかしげるばかりで、「なんだか最近、ノクスがやたらとついてくるな」程度にしか思っていない。

 しかし、その光景を遠くから眺めていたモルガナやクゥたちは、あたたかい呆れ顔を浮かべていた。


「......あちらも、友人に似て相当な朴念仁ね」


「ノクスちゃんは完全にブランに気がありますね。ノランとエレアノーリエ様を超える、歳の差カップルの誕生も時間の問題でしょうか?」


「そうかもね...ところでクゥ、あなたもそろそろ...」


「...?!わ、私もレオンに呼ばれていたのでした!魔女様それではっ!」


 周囲の微笑ましく騒がしい視線も露知らず、ブランとノクスは並んで陽だまりの中へと歩いていくのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 領主館の基礎が整い、正式にコードリア辺境女伯としての統治が始まるにあたり、エレアノーリエには果たさなければならない大切な儀礼があった。

 婿として迎えることになったノランの実家――すなわち、ノランの家への訪問である。


「え、え、エレアノーリエ殿下が......うちに来るの!?」


 ノランの実家は大パニックに陥っていた。

 かつては王宮の雲の上の存在であり、今や自分たちの住む町を含む、広大な領地の「領主様」となった高貴な姫君が、あろうことか身内のノランの嫁として挨拶に来るというのだ。

 狭い家の中で、レオンもその両親もガチガチに緊張し、目を白黒させてしどろもどろになっていた。お茶を持つ手はガタガタと震え、まともに会話すら成り立たない。

 それを見たエレアノーリエは、ドレスの裾を静かに持ち上げると、質素な床の上に深々と膝をつき、頭を下げた。


「皆様、どうぞそんなに緊張なさらないでください。わたくしは『領主』としてではなく、ノラン先生を愛し、皆様と家族になりたい一人の女性として参りました。どうか、未熟なわたくしを温かく迎え入れていただけないでしょうか」


 王族の気品を保ちながらも、溢れんばかりの誠意が込められた言葉と態度に、レオンたちもようやく息を吹き返し、感涙とともに彼女を受け入れるのだった。

 しかし――問題は「町での挨拶」だった。

 その後、視察を兼ねてベイスの町を巡ったエレアノーリエだったが、町の人々は「偉大な大魔女様の弟子」「王宮から来た新しい領主様」という肩書に畏まり、全員が最敬礼で深々と頭を下げてしまう。


「お、お召し上がりください、領主様......」


「あ、ありがとうございます......」


 どこへ行ってもピンと張り詰めた緊張感が漂い、心の壁を取り払うことができない。


(修業中に、もっと山を下りて、町の人々と直接触れ合っておけばよかった......わたくしが恐ろしく見えているんだわ......)


 自分自身は、10歳で弟子入りしてから五年、すっかり町に受け入れられた気でいたのに、こうも打ち解けられないもどかしさに、エレアノーリエは小さく肩を落とし、悔しさに瞳を伏せるのだった

――――――――――――――――――――――――――――――

 すっかり落ち込んだエレアノーリエは、修行時代にノランと何度か足を運んだことのある、町外れの小さな飯屋兼酒場、「錆びた鉄剣亭」へ昼食をとるために駆け込んだ。

 気さくな店主の親父さんは、領主となった彼女を特別扱いすることなく、温かいスープを出してくれた。


「はぁ......どうすれば、町の人たちと本当の意味で打ち解けられるのでしょうか......」


 エレアノーリエがポツリと愚痴をこぼすと、冒険者上がりの豪快な店主は木樽を拭きながらガラガラと笑った。


「ハハハ! 領主様、そりゃ考えすぎですよ! ベイスの人間なんて単純なもんです。お上だなんだと気取らずに、町中で一緒に酒でも飲んで腹を割って話せば、一発で仲間入りですよ!」


 冗談めかして言われたその言葉に、エレアノーリエの瞳がキラリと怪しく輝いた。


「......それですわ!!」


 思い立ったら即行動。その日の夕刻、ベイスの中央広場には突如として無数の酒樽と料理が運び込まれ、「領主就任・ノランとの婚約記念」を理由に盛大な無礼講が緊急開催された。

 短い時間での開催には、言い出しっぺの酒場の亭主が全面協力し、町中に声を掛け合い、酒と飯と人を寄せ集めたのだった。


「さあ皆様! 今夜は無礼講ですわ! 遠慮なく飲み明かしましょう!」


 気迫に押されて集まった町民たちだったが、主役として引っ張り出された「新郎」のノランは、あいにく酒にはめっぽう弱かった。


 町のおじさんたちに「ノラン、まさか王女様を射止めるたぁ良い度胸だ!」と祝福され、注がれたエール酒を数杯煽っただけで、早くも顔を真っ赤にして千鳥足になる。
「エレアノーリエ殿下......私、もう......ダメです......」

 情けない声を漏らしたノランは、そのまま目を回して撃沈。傍らにいたブランのモフモフとした暖かい背中に頭を預け、スヤスヤと気持ちよさそうに寝こけてしまった。


「あらあら、ノラン先生ったら......。皆様、先生の代わりにわたくしがお相手いたしますわ!」


 撃沈した婿を横目に、エレアノーリエの本領が発揮された。

 彼女は王族としての美しい立ち振る舞いを崩さぬまま、並み居る町の酒豪たちが差し出す杯を笑顔で次々と受け取り、豪快に干していく。果実酒、エール酒、強烈な蒸留酒――どれを飲んでも顔色一つ変えない、底なしの酒豪だったのだ。


「が、ガハハ! あの美しい領主様が酒樽を空けていくぞ!?」


「ノラン先生より全然強いじゃないか! つまみを持ってこい!」


 予想外すぎる領主様の姿に、町民たちの緊張は一瞬で吹き飛んだ。大爆笑と歓声が広場を包み込み、人々は次々とエレアノーリエと肩を組み、乾杯を交わす。


「ベイスの皆さん! わたくしはこの町が、皆さんが大好きなのです!」


「俺たちも領主様が大好きだー!」


 酒杯を交わし、腹を割って笑い合う。格式ばった挨拶よりも遥かに深く、固く、彼女は町の人々と心を通わせたのだ。これが、コードリア辺境女伯エレアノーリエが最初に示した「領主の顔」となった。

 以降、味を占めたエレアノーリエは、町村を周り酒をのみ、それに付き合わされるノランは目を回すのだが、ーーそれはまた別の話である。

 ――夜は更け、満天の星空が広がる。

 大賑わいを見せる広場と、ブランの背中でイビキをかく情けない弟子の姿を、山の上の館の窓から静かに眺める人物がいた。大魔女モルガナである。


「......まったく。なにをしているのかしら」


 モルガナは呆れたように首を振ったが、その瞳はどこまでも優しく潤んでいた。

 月光が差し込む静かな執務室で、大魔女は一人嬉しそうに目を細め、遠くの喧騒に乾杯を捧げるように、静かにワイングラスを傾けるのだった。
シェア
← 前の話
第八話 王冠の重みと、受け継がれる誓い
次の話 →
第十話 ふたりの魔女と、手のひらの小さな光
町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~作者:あづみ
目次
コメント0
ログインしてコメントする
まだコメントがありません