ホーム町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~第十八話 精霊の問いと、夜明ける発明
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第十八話 精霊の問いと、夜明ける発明

 霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。

 ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。

 宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 グランセリア王国、その北方に広がる広大なコードリア辺境伯領地ーーさらにその一室にある執務室の机で、美しい赤髪を揺らしながら深くため息をつく少女が一人――『コードリア辺境女伯』としてベイス=アルカの町を治めるエレアノーリエであった。


「...はあ。領地発足の政務もようやく一段落したと思ったら、次は東方の結界杭の点検ですのね」


 エレアノーリエは手元に山積みされた地図と羊皮紙を前に、ぽつりと呟いた。

 広大なコードリアの領地を魔獣の脅威から守るため、町々には精霊魔法の結界を張るための「結界杭」が打ち立てられている。

 しかし、それらは数ヶ月ごとに力が衰え、定期的に巡回して力を注ぎ込み、手作業で術式を修繕しなければならない。しかも、教会勢力からの離反を表明しているこのコードリアでは、本来教会の精霊魔法使いから施されるこの作業の責任を、領主たるエレアノーリエがとらねばならない。

 さらに、本人がその数少ない精霊魔法使いであるため、領主自ら出向かなければならなかった。

 気力も体力も激しく削られる過酷な重労働。領主となって以来、この業務が彼女の肩に重くのしかかり、夫であるノランと約束していたはずの「新婚旅行」など、夢のまた夢という多忙を極めていたのだった。


「エレアノーリエ様、あまり根を詰めすぎてはいけませんよ。少し休憩にしましょう」


 優しく声をかけながら温かいお茶を運んできたのは、彼女の夫であり、魔法の師でもあるノランだった。


「ノラン先生...ふふ、ありがとうございます。ですが、この巡回を終わらせないことには、町の皆様に安心して夜を明かしていただけませんもの」


 健気に微笑む妻の姿に、ノランは愛おしさと申し訳なさの混ざった苦笑いを浮かべた。

 その日の午後、領務の合間を縫ってモルガナの館の庭園へと向かったエレアノーリエは、いつものように体を動かすため修行に励んでいた。

 ふと視線を遣ると、芝生の上で三頭の小さな子魔犬たちが無邪気に戯れている。エレアノーリエの友犬である、ルクス、ノクス、そしてヴェントだ。


「きゃうっ!」


 ルクスが前足を掲げると、ぽっと温かな太陽のような光の玉が弾け、結界で作られた階段が出来上がる。それを三匹で消える前に駆け上がるという、精霊魔法を贅沢に使った遊びをしていた。

 毛玉がコロコロと転がるその光景を微笑ましく眺めていたエレアノーリエだったが、ふと胸の奥に小さな疑問が芽生えた。


「ねえ、ルクス、ノクス、ヴェント。あなたたちは、精霊様にどんなお願いをして、そんなに上手に魔法が使えるのかしら?」


 彼女の問いかけに、三匹の子魔犬たちはぴたりと動きを止め、小首を大きく傾げた。


「 せいれい様...?」

「『せいれい』ってなぁに? おいしいもの?」

「ううん、僕たち、そんなの知らないよ? ただ頭の中で『こうなってほしいな』って強く願っているだけだもん!」


 屈託のない瞳で「わんっ!」と鳴く三匹の言葉に、エレアノーリエは雷に打たれたような衝撃を受けた。


(精霊という概念すら知らない...? なのに、なぜ精霊魔法がこれほど完璧に発動しているのかしら...?)


 教会の信仰において、精霊魔法とは「世界を満たす精霊へ祈りを捧げ、その恩寵と力を借り受けて起こす奇跡」と教えられてきた。しかし、目の前の子魔犬たちは祈りも乞うこともせず、ただ自らの思い一つで魔法を紡いでいるのだ。

 一度芽生えた疑問は、彼女の頭から離れなくなってしまった。

 その夜。

 「教会の教えや精霊の存在を疑うなど、神への不遜ではないだろうか」という怯えと葛藤が胸を締め付け、エレアノーリエは寝床に入っても全く眠ることができなかった。

 意を決した彼女は寝巻の上に羽織をかけ、夫を起こさぬよう、極めて静かに転移魔法を使った。

 到着座標に設定した、館の廊下を歩き、大魔女モルガナの執務室の扉をそっと叩いた。


「...お入り」


 静かな声に促されて部屋に入ると、黒檀の机に向かっていたモルガナが転移の気配を察知して待ち構えていた。


「モルガナ様...夜分遅くに申し訳ございません。わたくし...どうしてもお聞きしたいことがあって」


 震える手で自らの胸をぎゅっと抱きしめるエレアノーリエ。モルガナは何も言わず、どこから出したのか、湯気の立つ紅茶を淹れて彼女の前に差し出した。


「立ち話も何でしょう。飲みなさい。...それで、何に迷っているの?」


 温かい杯を両手で包み込み、エレアノーリエは意を決して、絞り出すような声で問いかけた。


「モルガナ様...精霊とは、本当に存在するのでしょうか。今日、ルクスたちが『精霊を知らない』と言っているのを聞いて...わたくし、教会の教えそのものが信じられなくなってしまったのです。これは、神様への不遜な問いなのでしょうか...」


 怯えに揺れる紫の瞳を見つめ、大魔女モルガナは柔らかく目を細めた。


「...ようやく、その問いに思い至ったのね。エレアノーリエ」

「え...?」


 叱責を覚悟していたエレアノーリエは、呆気にとられた。モルガナは紅茶に口をつけ、静かな声で世界の真理を語り始めた。


「いい? 精霊魔法と呼ばれるものの本質はね、外にいる不確定な精霊とやらに力を乞うものではないのよ。人が、あるいは魔犬が、自らの内に秘めた魔力とは異なる『力』を、研ぎ澄まされた『強い願い』によって引き出し、世界へ働きかける技術...それが精霊魔法の真実よ」

「自らの内に秘めた力...と、願い...?」

「そう。精霊へ捧げる祈りの言葉など、精霊に届けるためのものではないわ。術者自身の精神を研ぎ澄まし、願いを固定化するための『自己暗示』に過ぎないの。魔法とは誰かに与えられるものではなく、己の力で成し遂げる奇跡なのよ」


 モルガナの言葉は、まるで霧に包まれていた世界をひと拭きで晴らすかのようだった。

 エレアノーリエの脳内で、これまで学んできた魔道魔法の理論と、目の前の真実が急速に結びついていく。衝撃に打たれていた彼女の表情が、一瞬で天才的な思考の閃きへと変わった。


「...待ってください。発動のきっかけ――精神作用や祈り――が異なるだけなら...魔道魔法の『魔力』を使って、精霊魔法の『結界』を再現し、稼働させ続けることができるのではありません...か?」


 その言葉を聞いた瞬間、大魔女モルガナの瞳が大きく見開かれた。

 数百年を生きてきた伝説の魔女の明晰な頭脳が一瞬停止していた。


「...なん...?!ぇ...ぁああ!!」


 目から鱗が落ちたモルガナは、即座に立ち上がると、目にも止まらぬ早さで転移魔法を展開、領主の館へ向かった。そして――

 ドカンッ!!


「きゃああっ!?」


 深夜の館に激しい破壊音が響き渡る。モルガナがぐっすり眠っていたノランの部屋の扉を容赦なく叩き開けたのだ。


「起きなさいノラン!! 魔法理論を一から生み出し、具体化させるのは貴方の真骨頂でしょ! 一刻の猶予もないわ!」


「ええええっ!? ひ、悲鳴!? 火事!? モルガナ様!?今何時だと思ってるんですかあぁっ!?」


 ナイトキャップを被った寝巻姿のノランが、目を丸くして大混乱に陥る。モルガナとエレアノーリエから「魔力を用いた精霊結界の構築」というアイデアを聞かされ、さらに混乱は深まった。


「...いやいや、待ってください。お二人ともご存じですよね?魔道回路を使って、魔獣や魔物だけを弾く障壁を作ることは条件付けの観点から不可能で、今までも研究されてきてましたがーー」

「そんなことは知ってるわよ。違うわ。ただ単純に祈りの過程を魔力を動力とした物体にさせればいいだけだったのよ!!...こんな子供でも思い付きそうなことを今まで...っ...なにが大魔女かしらねっ!!」


 尊敬する師匠、数百年を生きる大魔女が見たことのない剣幕――半ば涙目で畳み掛けた言葉に、ノランの寝ぼけた目蓋が見開かれた。


「それではつまり、ゴーレムに意思を持たせると言うことですか...そんな前例が...いや、可能なのか...可能だとして、そんなことなら魔力を持った人が願うだけで結界が発動しませんか?」

「馬鹿ねっ!人間が息をするのをやめられるかしら?精霊魔法の祈りというのは、そういった生きる意思すら投げ出してやっと発現するのよ!」

「私や魔犬、エレアノーリエのような、精霊魔法のちからが強く生まれたものはそのちからによって、体が呼吸をして血を巡らせる。だから意識を全て祈りに投じられるのだわっ!」


 モルガナは一息で言いきると、息を切らせてノランの理解を待った。

 着いてきたエレアノーリエが、「あの、私(わたくし)そこまでは知らなかったのですが...」と一人慌てていたが、モルガナとノランの二人の視界には、悲しくも全く入っていなかった。

 ノランには、教会の信仰など意味をなしていない。強大な師匠ができると言うのならできる、それがいわばノランの信仰だった。

 そんなノランの瞳に、理論家・術式職人としての凄まじい熱意が灯った。魔獣の炎魔法を見様見真似で再現して見せたあの幼少期と同じ瞳だった。

 彼は寝巻のまま黒板と羊皮紙に向かい、凄まじい速度でペンを走らせ始めた。


「意思を持ったゴーレム...! 従来の命令受容型の魔道具とは根幹から異なる存在と扱うべきです! 単に構築された指示に従うのではなく、自ら感じ、思考し、心を持つ自律型の構造...!」


 チョークが黒板を激しく叩き、白い粉を撒き散らしながら幾重もの円環と複雑な数式を描き出していく。ノランの目は爛々と輝いていた。


「従来の擬似人格じゃダメだ。決められた選択肢を選ぶだけの『人形』にしかならない。自己を認識し、自ら判断する『意思』を発生させるには...魔力を恒常的に循環させ、外部からの刺激で変容し『自己参照』を続ける精神核が必要なんだ!」

「自己参照を続ける...!? ですがノラン先生、それだけの高密度な魔力情報をひとつの核に閉じ込め続ければ、通常の術式では負荷に耐え切れず暴走するか、核そのものが砕け散ってしまいますわ!」


 羊皮紙に書き込まれる理論式を覗き込んだエレアノーリエが、その大胆さに息をのむ。しかし、彼女の瞳にもまた、ノランと同じ術式への探究心の炎が灯り始めていた。


「...ですが、もし核となる魔結晶に『記憶』を蓄積する重層構造と、魔力のゆらぎを受け止める緩衝回路を組み込むことができれば...暴走を起こさずに、魔力そのものを『思考』へと昇華させられるかもしれません!」


「やはり...あなたたちは天才よ。わたしなんかよりよっぽどーー」


 転移させてきた黒檀の椅子に、しおしおと腰掛けたモルガナが、眩しそうに教え子ふたりを眺めながら続けた。


「教会の司祭どもは『心は神の賜物』なんて宣うけれど、心なんてものは情報の波長が複雑に重なり合った結果に過ぎないわ。問題は、その繊細な波長を維持したまま、素体と連動させる『脈絡』の構造よ。ノラン、そこの三番目の接続式、魔力の流出量を計算し直してご覧なさい」


「モルガナ様、いじけるのは後にしてください――あっ! そうか...! 魂をゼロから作り出すんじゃない! 自ら意思を育むための『種』を植え付け、素体と一体化させるんだ! これなら行けます! 思考の種となる核と、それを支える全身の魔導回路網があれば...!」


 ノランは偉大なる師匠に無礼な口を利きながら、黒板を黒板消しでぐしゃりと拭うと、新たな構想を凄まじい密度で書き足していく。


「理論は繋がった...! あとは、この核から発せられる微細な意思伝達信号を、狂いなく全身に届けるための制御網だ...!」

「ノラン先生、この回路の連結部はわたくしの魔力特性に合わせて細分化できますわ!」

「素晴らしいです!エレアノーリエ様! モルガナ様、この制御陣の安定化にはどのような理論を応用すべきでしょうか!?」

「...! そこは魔力での制御から離れて物理的な金属性回路へ置換すればいいのよ!」

 真夜中の館で、三人の天才による不眠不休の大開発が始まったのだった。

 やがて、東の空がうっすらと白み始めた頃。

 散らかり跳んだ羊皮紙と黒板の前に、手のひらサイズの小さな金属製の魔道具の素体が一つ、静かに置かれていた。幾何学的な魔道回路が精緻に刻まれ、中央には澄んだ水晶が埋め込まれている。


「...できた。これが、私たちの理論の形...」


 目の下に大きなクマを作ったノランが、震える手で試作魔道具に少量の魔力を流し込んだ。

 次の瞬間――シュウゥゥン...!

 澄み切った黄金色と翡翠色の柔らかな光が広がった。それは魔道魔法の効率的な回路によって生み出された、精霊魔法特有の「結界」であった。優しい光の膜が、部屋全体を包み込んでいく。


「大成功ですわ...! 人間の魔力を動力として、精霊の結界を維持できています!」

「...見事だわ。たった一晩で、魔法史を塗り替えるものを作り上げてしまうなんてね」


 モルガナは満足そうに口元を緩めた。

 この日誕生した「魔力駆動型・結界魔道具」は、後に世界中の防衛魔法理論を根底から覆し、歴史に激震をもたらす大偉業となる。

 そして何より――ベイス=アルカの領地各地にこの魔道具を設置・連動させることで、エレアノーリエを過酷な重労働から解き放ち、「数ヶ月ごとの結界杭修繕巡回」に完全な終止符を打つこととなったのである。

 朝焼けの光が執務室に差し込む中、頭を悩ませていた重労働から解放されたことを悟ったエレアノーリエは、じわじわと込み上げる喜びに目を輝かせた。

 彼女は徹夜でフラフラになっているノランの前へ歩み寄ると、その両手をぎゅっと強く握りしめた。


「ノラン先生...! これで...これでついに、ずっと延期になっていたノラン先生との『新婚旅行』に行けますわね...!」


 世界を揺るがす世紀の大発明を成し遂げた歓喜の理由が、「大好きな夫とゆっくり旅行に行きたいから」という愛らしい本音。

 ノランは一瞬呆気にとられたものの、赤髪を揺らして心から嬉しそうに微笑む妻の姿に、胸の奥が温かな愛しさで満たされていくのを感じた。


「...ええ。本当にお疲れ様でした、エレアノーリエ様。...どこへでも、私たちの行きたい場所へ、一緒に行きましょう」

「はいっ! ノラン先生!」


 窓の外では、朝陽を浴びたルクス、ノクス、ヴェントが「わんっ!」と祝福するように元気に歓声をあげていた。

 巡る年月の中で紡がれた絆と、新たな発明がもたらした平和な未来。二人の甘く幸せな旅立ちを祝福するように、新しい朝の光が世界を優しく照らし出していた。

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町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~作者:あづみ
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第十八話 精霊の問いと、夜明ける発明

 霊峰ヴァルグヴェルドの深い山に佇む、大魔女モルガナの館。そこには人の言葉を解し、魔法を操る誇り高き『魔犬(クーシー)』たちが数百年の年月を共に暮らしていた。

 ある日、麓のベイスの町に住む、少年ノランと金の魔犬ブランが出会い、やがて故郷の町を守るため大魔女と契約を交わした少年レオンは、白銀の魔犬クゥとともに「町へ降りる魔犬たちの世話役」としての歩みを始める。

 宮廷で孤独を抱えていた第三王女エレアノーリエは、ノランやモルガナとの出会いを経て成長し、やがてノランと絆を結んでベイスの町の領主となり、人と魔犬が共に笑い合う「魔法都市」の礎を築いていく――。

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 グランセリア王国、その北方に広がる広大なコードリア辺境伯領地ーーさらにその一室にある執務室の机で、美しい赤髪を揺らしながら深くため息をつく少女が一人――『コードリア辺境女伯』としてベイス=アルカの町を治めるエレアノーリエであった。


「...はあ。領地発足の政務もようやく一段落したと思ったら、次は東方の結界杭の点検ですのね」


 エレアノーリエは手元に山積みされた地図と羊皮紙を前に、ぽつりと呟いた。

 広大なコードリアの領地を魔獣の脅威から守るため、町々には精霊魔法の結界を張るための「結界杭」が打ち立てられている。

 しかし、それらは数ヶ月ごとに力が衰え、定期的に巡回して力を注ぎ込み、手作業で術式を修繕しなければならない。しかも、教会勢力からの離反を表明しているこのコードリアでは、本来教会の精霊魔法使いから施されるこの作業の責任を、領主たるエレアノーリエがとらねばならない。

 さらに、本人がその数少ない精霊魔法使いであるため、領主自ら出向かなければならなかった。

 気力も体力も激しく削られる過酷な重労働。領主となって以来、この業務が彼女の肩に重くのしかかり、夫であるノランと約束していたはずの「新婚旅行」など、夢のまた夢という多忙を極めていたのだった。


「エレアノーリエ様、あまり根を詰めすぎてはいけませんよ。少し休憩にしましょう」


 優しく声をかけながら温かいお茶を運んできたのは、彼女の夫であり、魔法の師でもあるノランだった。


「ノラン先生...ふふ、ありがとうございます。ですが、この巡回を終わらせないことには、町の皆様に安心して夜を明かしていただけませんもの」


 健気に微笑む妻の姿に、ノランは愛おしさと申し訳なさの混ざった苦笑いを浮かべた。

 その日の午後、領務の合間を縫ってモルガナの館の庭園へと向かったエレアノーリエは、いつものように体を動かすため修行に励んでいた。

 ふと視線を遣ると、芝生の上で三頭の小さな子魔犬たちが無邪気に戯れている。エレアノーリエの友犬である、ルクス、ノクス、そしてヴェントだ。


「きゃうっ!」


 ルクスが前足を掲げると、ぽっと温かな太陽のような光の玉が弾け、結界で作られた階段が出来上がる。それを三匹で消える前に駆け上がるという、精霊魔法を贅沢に使った遊びをしていた。

 毛玉がコロコロと転がるその光景を微笑ましく眺めていたエレアノーリエだったが、ふと胸の奥に小さな疑問が芽生えた。


「ねえ、ルクス、ノクス、ヴェント。あなたたちは、精霊様にどんなお願いをして、そんなに上手に魔法が使えるのかしら?」


 彼女の問いかけに、三匹の子魔犬たちはぴたりと動きを止め、小首を大きく傾げた。


「 せいれい様...?」

「『せいれい』ってなぁに? おいしいもの?」

「ううん、僕たち、そんなの知らないよ? ただ頭の中で『こうなってほしいな』って強く願っているだけだもん!」


 屈託のない瞳で「わんっ!」と鳴く三匹の言葉に、エレアノーリエは雷に打たれたような衝撃を受けた。


(精霊という概念すら知らない...? なのに、なぜ精霊魔法がこれほど完璧に発動しているのかしら...?)


 教会の信仰において、精霊魔法とは「世界を満たす精霊へ祈りを捧げ、その恩寵と力を借り受けて起こす奇跡」と教えられてきた。しかし、目の前の子魔犬たちは祈りも乞うこともせず、ただ自らの思い一つで魔法を紡いでいるのだ。

 一度芽生えた疑問は、彼女の頭から離れなくなってしまった。

 その夜。

 「教会の教えや精霊の存在を疑うなど、神への不遜ではないだろうか」という怯えと葛藤が胸を締め付け、エレアノーリエは寝床に入っても全く眠ることができなかった。

 意を決した彼女は寝巻の上に羽織をかけ、夫を起こさぬよう、極めて静かに転移魔法を使った。

 到着座標に設定した、館の廊下を歩き、大魔女モルガナの執務室の扉をそっと叩いた。


「...お入り」


 静かな声に促されて部屋に入ると、黒檀の机に向かっていたモルガナが転移の気配を察知して待ち構えていた。


「モルガナ様...夜分遅くに申し訳ございません。わたくし...どうしてもお聞きしたいことがあって」


 震える手で自らの胸をぎゅっと抱きしめるエレアノーリエ。モルガナは何も言わず、どこから出したのか、湯気の立つ紅茶を淹れて彼女の前に差し出した。


「立ち話も何でしょう。飲みなさい。...それで、何に迷っているの?」


 温かい杯を両手で包み込み、エレアノーリエは意を決して、絞り出すような声で問いかけた。


「モルガナ様...精霊とは、本当に存在するのでしょうか。今日、ルクスたちが『精霊を知らない』と言っているのを聞いて...わたくし、教会の教えそのものが信じられなくなってしまったのです。これは、神様への不遜な問いなのでしょうか...」


 怯えに揺れる紫の瞳を見つめ、大魔女モルガナは柔らかく目を細めた。


「...ようやく、その問いに思い至ったのね。エレアノーリエ」

「え...?」


 叱責を覚悟していたエレアノーリエは、呆気にとられた。モルガナは紅茶に口をつけ、静かな声で世界の真理を語り始めた。


「いい? 精霊魔法と呼ばれるものの本質はね、外にいる不確定な精霊とやらに力を乞うものではないのよ。人が、あるいは魔犬が、自らの内に秘めた魔力とは異なる『力』を、研ぎ澄まされた『強い願い』によって引き出し、世界へ働きかける技術...それが精霊魔法の真実よ」

「自らの内に秘めた力...と、願い...?」

「そう。精霊へ捧げる祈りの言葉など、精霊に届けるためのものではないわ。術者自身の精神を研ぎ澄まし、願いを固定化するための『自己暗示』に過ぎないの。魔法とは誰かに与えられるものではなく、己の力で成し遂げる奇跡なのよ」


 モルガナの言葉は、まるで霧に包まれていた世界をひと拭きで晴らすかのようだった。

 エレアノーリエの脳内で、これまで学んできた魔道魔法の理論と、目の前の真実が急速に結びついていく。衝撃に打たれていた彼女の表情が、一瞬で天才的な思考の閃きへと変わった。


「...待ってください。発動のきっかけ――精神作用や祈り――が異なるだけなら...魔道魔法の『魔力』を使って、精霊魔法の『結界』を再現し、稼働させ続けることができるのではありません...か?」


 その言葉を聞いた瞬間、大魔女モルガナの瞳が大きく見開かれた。

 数百年を生きてきた伝説の魔女の明晰な頭脳が一瞬停止していた。


「...なん...?!ぇ...ぁああ!!」


 目から鱗が落ちたモルガナは、即座に立ち上がると、目にも止まらぬ早さで転移魔法を展開、領主の館へ向かった。そして――

 ドカンッ!!


「きゃああっ!?」


 深夜の館に激しい破壊音が響き渡る。モルガナがぐっすり眠っていたノランの部屋の扉を容赦なく叩き開けたのだ。


「起きなさいノラン!! 魔法理論を一から生み出し、具体化させるのは貴方の真骨頂でしょ! 一刻の猶予もないわ!」


「ええええっ!? ひ、悲鳴!? 火事!? モルガナ様!?今何時だと思ってるんですかあぁっ!?」


 ナイトキャップを被った寝巻姿のノランが、目を丸くして大混乱に陥る。モルガナとエレアノーリエから「魔力を用いた精霊結界の構築」というアイデアを聞かされ、さらに混乱は深まった。


「...いやいや、待ってください。お二人ともご存じですよね?魔道回路を使って、魔獣や魔物だけを弾く障壁を作ることは条件付けの観点から不可能で、今までも研究されてきてましたがーー」

「そんなことは知ってるわよ。違うわ。ただ単純に祈りの過程を魔力を動力とした物体にさせればいいだけだったのよ!!...こんな子供でも思い付きそうなことを今まで...っ...なにが大魔女かしらねっ!!」


 尊敬する師匠、数百年を生きる大魔女が見たことのない剣幕――半ば涙目で畳み掛けた言葉に、ノランの寝ぼけた目蓋が見開かれた。


「それではつまり、ゴーレムに意思を持たせると言うことですか...そんな前例が...いや、可能なのか...可能だとして、そんなことなら魔力を持った人が願うだけで結界が発動しませんか?」

「馬鹿ねっ!人間が息をするのをやめられるかしら?精霊魔法の祈りというのは、そういった生きる意思すら投げ出してやっと発現するのよ!」

「私や魔犬、エレアノーリエのような、精霊魔法のちからが強く生まれたものはそのちからによって、体が呼吸をして血を巡らせる。だから意識を全て祈りに投じられるのだわっ!」


 モルガナは一息で言いきると、息を切らせてノランの理解を待った。

 着いてきたエレアノーリエが、「あの、私(わたくし)そこまでは知らなかったのですが...」と一人慌てていたが、モルガナとノランの二人の視界には、悲しくも全く入っていなかった。

 ノランには、教会の信仰など意味をなしていない。強大な師匠ができると言うのならできる、それがいわばノランの信仰だった。

 そんなノランの瞳に、理論家・術式職人としての凄まじい熱意が灯った。魔獣の炎魔法を見様見真似で再現して見せたあの幼少期と同じ瞳だった。

 彼は寝巻のまま黒板と羊皮紙に向かい、凄まじい速度でペンを走らせ始めた。


「意思を持ったゴーレム...! 従来の命令受容型の魔道具とは根幹から異なる存在と扱うべきです! 単に構築された指示に従うのではなく、自ら感じ、思考し、心を持つ自律型の構造...!」


 チョークが黒板を激しく叩き、白い粉を撒き散らしながら幾重もの円環と複雑な数式を描き出していく。ノランの目は爛々と輝いていた。


「従来の擬似人格じゃダメだ。決められた選択肢を選ぶだけの『人形』にしかならない。自己を認識し、自ら判断する『意思』を発生させるには...魔力を恒常的に循環させ、外部からの刺激で変容し『自己参照』を続ける精神核が必要なんだ!」

「自己参照を続ける...!? ですがノラン先生、それだけの高密度な魔力情報をひとつの核に閉じ込め続ければ、通常の術式では負荷に耐え切れず暴走するか、核そのものが砕け散ってしまいますわ!」


 羊皮紙に書き込まれる理論式を覗き込んだエレアノーリエが、その大胆さに息をのむ。しかし、彼女の瞳にもまた、ノランと同じ術式への探究心の炎が灯り始めていた。


「...ですが、もし核となる魔結晶に『記憶』を蓄積する重層構造と、魔力のゆらぎを受け止める緩衝回路を組み込むことができれば...暴走を起こさずに、魔力そのものを『思考』へと昇華させられるかもしれません!」


「やはり...あなたたちは天才よ。わたしなんかよりよっぽどーー」


 転移させてきた黒檀の椅子に、しおしおと腰掛けたモルガナが、眩しそうに教え子ふたりを眺めながら続けた。


「教会の司祭どもは『心は神の賜物』なんて宣うけれど、心なんてものは情報の波長が複雑に重なり合った結果に過ぎないわ。問題は、その繊細な波長を維持したまま、素体と連動させる『脈絡』の構造よ。ノラン、そこの三番目の接続式、魔力の流出量を計算し直してご覧なさい」


「モルガナ様、いじけるのは後にしてください――あっ! そうか...! 魂をゼロから作り出すんじゃない! 自ら意思を育むための『種』を植え付け、素体と一体化させるんだ! これなら行けます! 思考の種となる核と、それを支える全身の魔導回路網があれば...!」


 ノランは偉大なる師匠に無礼な口を利きながら、黒板を黒板消しでぐしゃりと拭うと、新たな構想を凄まじい密度で書き足していく。


「理論は繋がった...! あとは、この核から発せられる微細な意思伝達信号を、狂いなく全身に届けるための制御網だ...!」

「ノラン先生、この回路の連結部はわたくしの魔力特性に合わせて細分化できますわ!」

「素晴らしいです!エレアノーリエ様! モルガナ様、この制御陣の安定化にはどのような理論を応用すべきでしょうか!?」

「...! そこは魔力での制御から離れて物理的な金属性回路へ置換すればいいのよ!」

 真夜中の館で、三人の天才による不眠不休の大開発が始まったのだった。

 やがて、東の空がうっすらと白み始めた頃。

 散らかり跳んだ羊皮紙と黒板の前に、手のひらサイズの小さな金属製の魔道具の素体が一つ、静かに置かれていた。幾何学的な魔道回路が精緻に刻まれ、中央には澄んだ水晶が埋め込まれている。


「...できた。これが、私たちの理論の形...」


 目の下に大きなクマを作ったノランが、震える手で試作魔道具に少量の魔力を流し込んだ。

 次の瞬間――シュウゥゥン...!

 澄み切った黄金色と翡翠色の柔らかな光が広がった。それは魔道魔法の効率的な回路によって生み出された、精霊魔法特有の「結界」であった。優しい光の膜が、部屋全体を包み込んでいく。


「大成功ですわ...! 人間の魔力を動力として、精霊の結界を維持できています!」

「...見事だわ。たった一晩で、魔法史を塗り替えるものを作り上げてしまうなんてね」


 モルガナは満足そうに口元を緩めた。

 この日誕生した「魔力駆動型・結界魔道具」は、後に世界中の防衛魔法理論を根底から覆し、歴史に激震をもたらす大偉業となる。

 そして何より――ベイス=アルカの領地各地にこの魔道具を設置・連動させることで、エレアノーリエを過酷な重労働から解き放ち、「数ヶ月ごとの結界杭修繕巡回」に完全な終止符を打つこととなったのである。

 朝焼けの光が執務室に差し込む中、頭を悩ませていた重労働から解放されたことを悟ったエレアノーリエは、じわじわと込み上げる喜びに目を輝かせた。

 彼女は徹夜でフラフラになっているノランの前へ歩み寄ると、その両手をぎゅっと強く握りしめた。


「ノラン先生...! これで...これでついに、ずっと延期になっていたノラン先生との『新婚旅行』に行けますわね...!」


 世界を揺るがす世紀の大発明を成し遂げた歓喜の理由が、「大好きな夫とゆっくり旅行に行きたいから」という愛らしい本音。

 ノランは一瞬呆気にとられたものの、赤髪を揺らして心から嬉しそうに微笑む妻の姿に、胸の奥が温かな愛しさで満たされていくのを感じた。


「...ええ。本当にお疲れ様でした、エレアノーリエ様。...どこへでも、私たちの行きたい場所へ、一緒に行きましょう」

「はいっ! ノラン先生!」


 窓の外では、朝陽を浴びたルクス、ノクス、ヴェントが「わんっ!」と祝福するように元気に歓声をあげていた。

 巡る年月の中で紡がれた絆と、新たな発明がもたらした平和な未来。二人の甘く幸せな旅立ちを祝福するように、新しい朝の光が世界を優しく照らし出していた。

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町の小さなお守り魔女と、言葉を紡ぐ金の犬〜不老幼女の大魔女、人間の言葉を喋る魔犬たちと暮らしていたら、魔法都市ができていました~作者:あづみ
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