第九話 消えた境界
妖怪たちの視線が一斉に、お面の外れた蓮太へと注がれる。
背筋を冷たい汗がつたう。
しかし、次の瞬間、妖怪たちはいっせいに満面の笑みで声をそろえて叫んだ。
『おめでとー!』
蓮太を取り囲むようにわっと妖怪たちが集まってきた。
「坊や、お名前はなんていうんだい?」
「アタシ知ってる! 蓮太! 蓮太だよ! アタシを助けてくれたの!」
蓮太の手の中でヒヨコの妖怪がぴょんぴょん跳ねた。
「そうか、蓮太っていうんだね」
「蓮太」
「蓮太」
「蓮太!」
みんな目を輝かせ悪意なんてひとかけらも感じない。
ワカに連れられ石段を登り切った先で歓迎された時と全く同じ光景のようにも思えたが、何かが違う。
――怖い。
はっきりと感情が形を成して蓮太に襲いかかってきた。
「赤! 青!」
ワカの鋭い叫び声が聞こえた。赤狐と青狐から真っ白い光が四方に発せられ、倍近くの大きさになる。そのまま勢いよく赤狐が蓮太を、青狐がワカを抱きかかえ宙高く跳び上がった。
ジェットコースターのような浮遊感と激しく上下する視界に頭がおかしくなりそうだ。蓮太は必死に赤狐にしがみつき、ぎゅっと目をつむった。
ほどなくして揺れが収まり、靴底がそっと地面につけられた。が、腰が砕け尻もちをついてしまう。強く目をつむり過ぎたせいで白くぼやけた視界に映り込んできたのは、周りを木々で囲まれた小さな鳥居とお社だった。
元のサイズに戻った青狐の元からワカが駆け寄ってきた。
「蓮太。今から帰り道を教えるから、しっかり覚え......」
ワカの声が止まる。
「お面は......?」
蓮太は思い出す。あの混乱の中、最後に見たのはひざ元に転がる姿だ。それを伝えれば、
「ああ、俺の馬鹿......!」
ワカは頭を抱えて座り込んだ。
「仕方ない。赤、青、もう一度さっきの場所の近くまで――」
「時間です。さあ、お支度を」
青狐が袖元から懐中時計を取り出して言った。
「はぁ!?」
ワカは青狐に食いつく。
「この状態の蓮太を一人で置いて行けと......?」
地の底から湧き上がるような怒りを含んだ低い声音に、蓮太の方がびくりと肩を震わせた。対する青狐は平然としている。
「その子はもうお客様ではありませんので、お見送りは不要です」
「だからお面を取りに戻るって言ってるだろ!」
「ですから、そのような時間はもうありません。お勤めが終わるまで、この神域でお待ちいただいたらよろしいではありませんか」
「お祭りが終わってしまったら、どうしようもないだろう」
二人の間に見えない火花が飛び散っている。
「それも致し方ないことです」
不穏な空気に蓮太は眉をひそめる。
「儂らはお勤めの間ぼうずの側を離れられんし、こればっかりはなぁ」
赤狐といえば、ぼりぼりと頭を掻いて全く緊張感がない。
ワカと青狐の膠着状態が続く中、蓮太は思案した。
これは、自分の問題なのだ。ワカは自分のためにあんなに必死になっているというのに、当事者の自分がただ流れに身を任せてどうする。
蓮太は一度、唇を強く噛みしめるとワカと青狐に向かって叫んだ。
「僕なら大丈夫だよ!」
自分に向けられる二人の視線が痛い。蓮太は一拍おくと、両手をキュッと握りしめながら続けた。
「一人でお面を捜すよ。お祭りが終わるまでに帰れればいいんだよね?」
ぎこちなくワカがうなずく。それを確認してから蓮太は赤狐を仰ぎ見た。
「赤......様。蓑を貸してくれる?」
「赤でよいぞ」
赤狐はそう言うと、ヨーヨー釣りの時から預かっていた蓑を蓮太に投げて寄こした。
「もし危ないと思ったら、これを頭からかぶって、小さくなるから」
蓮太は実際に蓑を頭から羽織って見せた。そうすると膝から下の二本の足だけが地面から生えているような状態になった。更にかがんで丸くなれば、完全に視界から消えてなくなる。
「どう? これならいけそうでしょ。だからワカは安心してそのお勤めってやつに行ってよ」
ワカは泣きそうな顔で蓮太を見つめている。
「こっちのぼうずがやるって言っておるのだ。信じてやらんかい」
赤狐が、がっはっはーと豪快に笑った。
「そうだよ! だからさ、帰り方を教えてよ」
ぽすっと軽い衝撃とともに、ワカが蓮太にしがみついてきた。
蓮太の肩に顔をうずめたまま、ワカはぽつぽつりと帰り道を教える。
「それなら絶対に間違えないね!」
蓮太はあえて、とびきり明るい声で答えた。教えられた帰り道は、想像していたよりもずっとシンプルなものだった。
その時、青狐が一歩ずいと歩み寄ってきたので、蓮太は思わず身構えた。けれど青狐がとった行動は、蓮太の目の前で腰を九十度に折ることだった。
「蓮太殿。ご配慮いたみいります。祭りの終わりまではあと半刻......およそ一時間ほどです。うちのやんちゃ坊主が大変お世話になりました」
お世話されたのはむしろ自分の方だと心の中で叫びながら、蓮太は焦って手を振った。
「やんちゃ坊主って......いったいいつの話だよ」
「儂らにとって、ぼうずはいつまでも幼子じゃよ!」
蓮太の肩から顔を起こし口を尖らせるワカに、赤狐は再び豪快に笑う。
蓮太はワカとしっかり目を合わせた。
「楽しかったよ、ありがとう。――来年も、絶対遊びに来るよ!」
ワカはくしゃりと笑う。
「うん、俺も楽しかったよ! ありがとう。それから――」
大きく息を吐きだす。
「ごめんね」