第七話 誓約
お祭りの会場はとても広いが、いちおう終わりもあるようだ。
夜店の立ち並ぶその先が不自然に真っ暗な道があった。
ワカに聞けば、口を開きかけ一度閉じた後、「端っこ」と答えが返ってくる。
「お願いだから、あそこには近づかないでね」
どこかすがるようなワカの様子に蓮太は首をかしげる。
「なんで?」
「人喰い妖怪がいるからですよ」
すごく当然の疑問を口にする蓮太に答えを寄こしたのは、ワカとは全く別の声だった。
突然投げかけられたしゃがれた声にぎょっとして振り返れば、蓮太たちのすぐ横に小柄な袈裟姿の老人が座っていた。店が用意した木製の丸椅子になぜかきっちり正座している。ぐびっとビールのジョッキを傾けながら、しわくちゃの顔をこちらに向けた。
「この暗闇に飲み込まれたら最後、その妖怪に魂まで喰われてしまうのですよ」
老人は猛獣が爪を立てて蓮太に襲いかかるような仕草をする。その動作より鼻先まで迫ってきた老人の顔の方が恐ろしかった。
完全に凍り付いている蓮太を見てワカが二人に間に割って入った。
「だめだよ爺、怖がらせすぎ」
「それは、失礼しました」
老人はつるつる頭を光らせ、蓮太に丁寧に謝罪した。
「若殿も実に楽しそうでなによりです。ああ、そういえば、同じ年頃の男の子がお客様として来るのは初めてですね」
「まあね」
ワカは肩をすくめる。それから「誰が来たって俺は嬉しいけどね」と小さく付け加えた。
「さっきの誰?」
老人の姿が後方の人ごみに完全に紛れてしまったのを確認して、蓮太はワカに尋ねた。
「俺が昔からお世話になっている、古株の妖怪だよ」
「......人喰い妖怪ってのは本当?」
「本当だよ。人だけじゃなくて、妖怪でも何でも喰うけどね」
「......」
「心配しないで。あそこに近づかなければ平気だから」
明るく賑やかな夜店とそれを楽しむ妖怪たちをぐるりと眺める。蓮太は、やっぱりここは別世界なのだと痛感した。
その後も気になるお店をいくつも巡り、すっかり遊び疲れた頃、どこからか甘い香りが漂ってきた。なんの匂いだろうと辺りを見回せば、「飴細工」と書かれた看板が蓮太の目に飛び込んできた。
店先には鶴、金魚、兎、龍など、美しく形作られた飴細工が並んでいる。テレビで見たことはあっても、実物を目にするのは初めてだ。
「あの店に行こうよ!」
「たいして珍しくもないよ」
はしゃぐ蓮太とは対照的に、ワカはどこか気乗りしない様子だ。
蓮太にしてみれば、珍しくないからこそいいのだ。ちょうど小腹も空いてきて、あちこちから漂う美味しそうな匂いにおなかが小さな悲鳴を上げるものの、「自給自足たこ焼き」や「玉虫金平糖」など、あやしい名前ばかりが並んでいて、手を出せずにいたのだ。
ワカの背中を押しながら店の前までたどり着くと、
「いらっしゃい」
白い大きな布を頭からすっぽり被った女店主が、感情の起伏の乏しい平坦な声で迎えた。顔の半分は布で隠れて口元しか見えない。
「どれにする?」
「龍!」
蓮太が即決すると、女は黙って飴をすくいとった。とろりと伸びた飴を棒に巻き、長い指先でつまむ。ハサミを器用にちょきちょき動かすと、角や尻尾がみるみる形になっていった。
「すごい......!」
蓮太が食い入るように見つめる前で、透明な飴はあっという間に龍へと姿を変えた。
「はい」
差し出された飴細工を蓮太は目を輝かせて受け取った。
女がわずかに視線をワカへ向ける。
「若様は?」
「俺はいいや」
二人は円形の広場の中心にそびえる大きな木の下へと移動した。ちょうどいいからと蓑を敷物がわりに広げる。
ワカはさっきからずっと蓑の表面を無意味に撫で続けている。
「こんなに綺麗だと、食べるのがもったいないね」
金色に輝く龍の飴細工を光に透かしながら、蓮太はぽつりと呟いた。
どうせなら家に持ち帰って祖母に見せてやりたいが、すでに透明蓑まで抱えている身では、持ち歩くのは正直邪魔になる。かといってポケットに入れるわけにもいかない。
さあ食べようとして気がづいた。すっかり馴染んでしまっていたが、お面をつけたままなのだ。
お面に手をかけ押し上げようとした時、ふと、祖母の言葉を思い出す。
――絶対にお面は外さないこと。
視線を感じて横を見れば、ワカと目が合った。
なんとも言えない居心地の悪さに、蓮太は視線をそらす。だんだんと心臓の音が大きくなっていくのがわかった。
「ねえ、蓮太。お願――」
ワカが口を開いたその瞬間、
「やっぱりいらない。おなかすいてないや」
気づけばそんな言葉が口をついて出ていた。
少しの沈黙の後、ワカがくすりと笑った。
「賢いね。さすが華絵の子だ」
(――え?)
尋ねる間もなくワカが蓮太の持っていた飴細工を素早く取り上げた。そしてそのまま「えいっ」というかけ声とともに上空へと放り投げる。
「嘘でしょ!?」
頭上に浮かぶ提灯が、大きな口を開けてぱくりと食べた。
「あいつら甘いものに目がないんだ」
「割りばしごと食べちゃったよ!」とおなかを抱えて笑うワカからは、先ほどまでの張り詰めた空気がすっかり消えていた。