第26話 闇夜を裂く叫び
怪物の咆哮を間近で受けた紅魅が耳を塞いだ。右手に強い痛みが走る。どうやら壁を力任せにぶん殴っていたようだ。木くずがボロボロと床に落ちる。
「夕斗さん、落ち着いてちょうだい」
「五月蠅い五月蠅い五月蠅い!」
僕の気持ちなんて分かるもんか、自分を殺した奴が何食わぬ顔して僕の頭を撫でていた? 孫娘の伴侶にしても良いと上から目線で認めていた?
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな」
何度も何度も壁に拳をぶつける。拝殿は今にも壊れそうだが知ったことか。
「クソがクソがクソが!」
なんだよ、なんだよ、なんだよ。
「クソがぁぁぁ!」
タブレットの画面がバラバラに砕けた。自然光だけとなった拝殿内で僕の拳から血が滴る。
「クソが.........」
その場に崩れ落ちた。汚れた床が身体を穢す。
「夕斗さん......」
「ああそうだよ、そうだよ。僕は岩寄夕斗だよ。お前の爺さんに殺された岩寄夕斗の生まれ変わりだよ!」
憎らしい、恨めしい、腹立たしい。
「そう。貴方を殺したのはあたしのお爺ちゃん。でもお爺ちゃんはもう死んでこの世にはいない」
面影がある。紅魅には確かにあの爺さんの面影がある。
「のろのろと事実確認に勤しんでいたあたしにも罪はあるわ。あたしがもっと早くこのことを貴方に伝えていればお爺ちゃんは貴方が断罪できたはずだもの」
理性的な僕がストップをかけている。まだこいつには聞いていないことが山のようにあると。それに何より孫に罪なんてないはずだということを。
「だから、気が済むようにしてちょうだい。その覚悟はしているわ」
だが、そんな良い子ちゃんでいられるか。この煮えたぎった感情を呼び起こしたのは紅魅だ。僕を殺した男の孫の紅魅だ。
紅魅は目を閉じ、力を抜いた。全てを僕に委ねるように。
「さぁ、どうぞ」
「......」
拳が痛い。僕は......僕は......
「うるせーよ」
思いっきりのけぞって床に頭をぶつけた。床に穴が空き、額が赤に汚れる。
「え?」
「なにB級映画の駄ヒロインみたいなことしようしてんだ。僕が自分の感情のままに無実のガキを手にかけるクズだとでも思ったのか」
「......いいの?」
「いいもひったくれもねーよ。ボケ」
ああクソが。頭の中グッチャグチャだよ。自分に冷や水ぶっかける僕が気絶してるみたいだよ。本当は一発殴るくらいしてーわクソボケが。
でも、そんな真似できねーよな。
「原田にお前を守るって勝手に誓ってんだ。八つ当たりで傷つけられるわけねーだろうが、クソアマが」
「なんか、随分口悪くなってないかしら?」
「こんなもんだろ。それより、まだ話は終わってねーぞ。お前には今ここで知ってること全部ゲロってもらうからな」
「......幼馴染のつもりだったけど、あたしも大概あんたのことまだまだ知らなかったみたいね」
「いいからさっさと話せ、今のお前の話だけじゃ僕を夕斗だと特定するのは無理だろ」
紅魅は毛髪ほどの呆れを浮かべた。
「ええそうね。じゃあ、あたしがお爺ちゃんの凶行の裏付けをしていた続きから話を再開させましょうか」
紅魅は酷く疲れたように笑った。
「栗村さんのところに行ったことまでは言ったわよね。その後事故現場の特定に着手したのよ」
「特定ったって17年前の話だぞ、出来るもんなのか?」
「もしここが都会だったら小娘一匹の鼻じゃ嗅ぎつけられなかったでしょうね。でも斗鬼和島なら存外難しいことじゃなかったわよ。
まずお爺ちゃんが普段使っていないルート、意図的に避けていそうなルートを浮かび上がらせたの。自分が人を殺した道なんて行きたくないでしょうからね。助手席に良く乗っているあたしからすればすぐに出来る作業よ。で、そのルートを中心に使われていなさそうな神社を探したらすぐにそれらしき神社が見つかったわ」
なるほど、確かにその手ならさほど苦労はしなかっただろう。斗鬼和島は大人の足なら遅くても二日あれば島をぐるりと一周することが出来る程度の広さだ。
「そしたら先月7月17日に面白いシーンを見ちゃったのよね」
「なんだそれ?」
「輪さんよ」
「輪?」
輪......あっ。
「察しがついたみたいね。ええ、17日は夕斗さんの月命日、その日に輪さんはお花や飲み物を持って神社に来ていたのよ」
「お前、そのことに気づいてたのか」
「気づいてなんてなかったわ。流石に輪さんの行動を逐一把握なんて出来ないもの。でもこれまでのあたしの推理が正しければ想像は膨らむでしょう。自分以外に弔うことができない愛する男の下に行きたいと思う乙女心くらい分かるわよ。
もっとも秘密を隠すことに尽力しているような無骨な男には純愛貫いている女の気持ちなんて分からないかもしれないけれどね」
「耳が痛いが、夕斗の死体が神社にあるなんてお前には分かりようがないだろう」
「ええ。だからシンプルに17日は仕事終わりの輪さんを尾行したわ」
こいつ......
「月命日に何か行動するって確信もないのによくやるな」
「その時はその時よ。まずは行動してみないと何も動かないもの。結果的には行動して正解だったわよ」
紅魅は賽銭箱の辺り、つまりは僕と斗鬼和花がある場所辺りを指さした。
「輪さんはあのあたりにしゃがんでいたわ。少し遠くから伺っていたんだけど、その時明らかに夕斗さんに語り掛けていたのよね。暁人が斗鬼和花から立派に産まれて、逞しく育っているとかをね」
「なるほどな、それで怜人の爺さんが殺したのを僕だってしっかりと裏を取れたわけだ。だけどそれを僕、暁人だと結びつけるのは随分と突飛な発想だと思うがね」
「ふふふ、自分でもそう思うわ。でもね、ずぅっと暁人には違和感を持っていたのよ」
「何の違和感だ?こっちは胃を痛めながら年相応のガキであり続けたんだけど」
「出会った時からずっと、ずっと思ってたわ」
紅魅は一歩僕に近づき、上目遣いで睨みつけてきた。大きな瞳に僕が映る。
「ガキの分際で聡すぎるってね」
このガキ......
「当時はお前も同じガキだったろ」
「あたしは天才だったもの。そんなあたしよりも貴方が力を秘めていることは明々白々だったわ。昔は悔しかったものよ、自分よりも才能があるやつがいるという現実にね」
「ガキ臭いこと思ってたんだな」
「まあね。でもだからこそ夕斗さんイコール暁人だっていう説を思いついた時は自分でも驚くくらい腑に落ちたものよ。異様なまでに出来が良かったのは才能ではなく、夕斗さんの記憶を持っているからってわけね。
もちろんそれだけじゃなく、輪さんが貴方を島に持ってくるしばらく前から姿を消したってのもこの説の後押しをしてくれたわ。斗鬼和花の伝説が正しかったとすれば妊娠ではなく花から産まれるはず、大きくなっていないお腹を島民の皆に見せたら輪さんの実子じゃないとバレちゃうからね」
「確かにな」
ああそうだ。
「ひょっとしてあの草むらに落ちてた眼鏡を仕込んだのもお前か」
僕が僕の死体とこの神社の発見するきっかけとなった夕斗愛用の青柳色の眼鏡。今思えばあれは不自然だった。いくら人気が少ないとはいえ野生動物たちはお構いなしに歩き回っている上に、野晒しの状態で17年もの日付が経っているにしては綺麗すぎた。
「ええ、あの日の帰り道を決めたのはあたしだったでしょう。貴方に気づいてもらえるように事前に眼鏡を置いておいたのよ」
「仮に僕が気づかなかったとしても『あら、暁人あんなところに眼鏡があるわよ』とでも言えばいいわけか」
「貴方に見つけてもらったほうが良いとは思ってたわよ。上手くいけば神社に転がり込んで貴方が夕斗さんであるって確信を持てるかもとは思っていたけれど、正直想像以上に上手く行ったわ。あの不自然な愕然の様子はそこにあたしには見えない夕斗さんの死体があるって教えてくれたわ。
そして貴方の正体もね」
なんと生意気な面だろう。おっさんを自分の思うが儘に操ったことが愉しいのだろうか。
紅魅の説はロジカルと言うには少々お粗末だ。斗鬼和花というファンタジー植物が存在しているという仮定で成り立っているし、妄想と自分勝手な思い込みも多少なりとも入り込んでいる。だが、結果としては大正解。
「はっ......なるほどな。それで、お前はそれを僕に教えて何をするつもりだ?」
「別に何もするつもりはないわよ。ただ良い機会だから答え合わせをしたかっただけ......こう見えて結構高揚しているのよ、御伽噺の生き証人を目の当たりにしているんだから」
「さいで。ところでこのことを誰かに言うつもりはあるか?」
「ないわよ。貴方は誰にも言いたくないようだからそれを尊重しているつもり。
もちろん歩くスピーカーになって欲しいならそうするけれど」
「そんなもんになるな」
「了解。余計なお世話だろうけれど、輪さんくらいには教えた方が良いと思うわよ」
「本当に余計なお世話だな。あいつに今更本当のことゲロれるかよ」
散々自分の子供扱いされてきて、実は夕斗でしたなんてどんな顔して言えばいいのかわかりゃしない。
一息ついて壁にもたれかかる。
「キャァァァァァ!!」
「なんだっ!?」
突然沸き上がった夜闇を裂くかのような女性の悲鳴にはじけ飛んだ。
「まさか......犯人が出たのかしら?」
「んなまさか」
どうする? 声のした方に向かうか? 紅魅はどうする? 1人にするのか? 犯人が近くにいるかもしれないのに? なら一緒に行くか? わざわざ犯人がいるかもしれない場所に若い女を連れて?
「行ってらっしゃい」
「あ?」
「あたしは1人でも平気よ。もともとここに1人で来たんだもの」
「だけど」
「安心しなさい、こんなところで死ぬつもりはないから」
「......」
地面に根を張っているかのような泰然とした様子は如何にも紅魅らしい。
「危なくなったら絶対逃げろよ」
「分かってるわ」
声のした方に全速力で駆ける。
そんな僕の背中を見て紅魅は嗤った。
「あたしはあたしのすべきことをしっかりしておくわね」
紅魅は拝殿の奥に音もなく身を消した。